2019-07

2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 美濃攻略戦

今回は織田信長の年表4回目です。永禄7年(1564)9月後半から永禄10年(1567)9月までとなっております。この間の主な出来事は、上杉輝虎との外交、永禄の政変、加治田城主佐藤父子の内応、鵜沼城の戦い、猿啄城の戦い、加治田城救援戦、堂洞城の戦い、烏峰城の戦い、関城の戦い、武田家との縁組外交、河野島の戦い、北伊勢侵攻、稲葉山城の戦いです。
4.織田信長家臣団

柴田勝家 無類の強さを誇る歴戦の名将

信長の父の時代から既に名の聞こえた将であった柴田勝家。弟信勝の家臣として信長に反旗を翻す。敗れた後は心を入れ替え信長に忠義を尽くし、常に戦では先陣を任されるようになる。あまり知られてはいないが、信長の上洛後は奉行としてたびたび文書を発給したり、領国の経営にも力を注いでいる。今回は勝家の詳細を余すことなく書き連ねよう。
4.織田信長家臣団

森可成 並外れた武勇と忠義で幾度となく信長の窮地を救った男

信長股肱の臣・森可成。織田信長初期の合戦から活躍し、美濃攻めにおいては丹羽長秀と並び抜群の功を立てた。美濃攻略後も上洛戦、伊勢攻め、金ケ崎・手筒山の合戦、姉川合戦と主要な戦いには必ず参陣している。森長可や蘭丸の父として有名な武将であるが、その詳細を記す記事は少ない。今回はその可成の足跡を辿る。
4.織田信長家臣団

丹羽長秀 信長が最も信頼した武将の生涯

丹羽五郎左衛門長秀。信長のヤンキー仲間から戦、政、智とオールマイティに活躍した武将。稲生合戦、桶狭間合戦、美濃攻略戦、上洛戦、伊勢平定戦、姉川合戦等信長の代表する合戦ほぼすべてに従軍。また、小牧山城や安土城の築城・・・。長秀の活躍とその足跡を辿る。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

森部の戦い 美濃攻略に燃える信長と若き前田利家の武功

桶狭間の戦いに大勝利した信長は、次なる野心を隣国美濃に向ける。美濃は亡き舅の斎藤道三が治めた地であった。永禄3年(1560)。信長は美濃に2度攻めたが、いずれも敗北を喫している。美濃の屈強な侍と、濃尾の国境に流れる3つの大河・・・。何か手を打たねばならぬと考えていた矢先、思いもよらぬ朗報が信長の元にもたらされるのであった。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表のちょっと詳しめ 桶狭間の戦い~小牧山城移転直後まで

今回は織田信長の年表3回目です。永禄3年5月から永禄7年末までとなっております。この間の主な出来事は、桶狭間の戦い、斎藤義龍の病死、西美濃攻略戦、松平元康との同盟、織田信清謀叛、小牧山城築城、竹中半兵衛の城乗っ取り、犬山城攻略です^^
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

浮野の戦い 織田信長の尾張の支配者を賭けた壮絶な合戦

兄弟相克の戦いに勝ち、織田家の権力基盤を固めた織田信長は。かねてより険悪な仲だった岩倉織田家で、御家騒動が勃発。これを好機と見た信長は、犬山織田家と婚姻関係を結び、ついに尾張上四郡の支配者、岩倉織田家に挑むのであった。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

激戦村木城の戦い 若き信長が男泣きをした理由とは

こんにちは~。 今回は信長21歳の時の話、「村木城の戦い」を取り上げます。 現在の地図と照らし合わせて布陣図を描いてみました。合戦の詳細も書いてます。 時は天文23年(1554・年次については諸説あり)1月24日。 家老・林秀貞一党に出陣を拒まれ、万に一つも勝ち目がないとされた中、 信長はなぜ自ら出陣して村木城に攻め込んだのか。
6.信長以外の歴史系記事

【大統領も真っ青】世界恐慌前夜のフラグ名言がすごいwwww

1929年の世界恐慌になるまでのアメリカ人の名言が面白い。フラグだらけだ。一般の民衆も新聞も大統領までも、みんなフラグ発言をしている。とても興味深い。っていうか、20年代でこんな発展しまくってる国に、軍事の優劣で勝てるわけないやん・・・。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表のちょっと詳しめ 叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで

今回は織田信長の年表2回目です。天文23年(1554)11月から永禄3年5月までとなっております。この間の主な出来事は、叔父信光の死去、守山城の異変、長良川の戦い、弟信勝謀叛、稲生合戦、岩倉織田家のお家騒動、浮野合戦、信勝謀殺、将軍義輝との謁見、岩倉織田家滅亡です^^