丹後の大名・一色氏に関する記事はコチラです。
伊勢の名門北畠氏の光と影 ~なぜ国司は滅んだのか~②
伊勢の名門北畠氏シリーズ第2弾です。
混乱する南北朝期に流星の如く現れた北畠氏は、どのようにして栄え、そして滅んだのか。
その謎は未だ多くが謎に包まれています。
第2回目となる今回は、「神領および山田三方衆との関係」と、「大和国における北畠氏の行動」、そして「北畠氏は応仁・文明の乱をどのように切り抜けたのか」についてです。
伊勢の名門北畠氏の光と影 ~なぜ国司は滅んだのか~①
混乱する南北朝期に流星の如く現れた北畠氏は、どのようにして栄え、そして滅んだのか。その謎は未だ多くが謎に包まれています。そんな戦国北畠氏を、今回の投稿から3回にかけて考察します。第1回目となる今回は、「戦国北畠氏の大まかな歴史」と、「それに従属する領主・家臣団」、さらには「北畠氏と覇を競った伊勢の勢力」について触れます。
みんな集合!信長が急遽行った京都サミットの理由とは?
信長は将軍の権力を縛る条書を送ったのと同じ日。禁裏様や将軍に挨拶をせよと大々的に触れを出し、サミットへの参加を呼びかけた時の古文書を解読します。そこにはどのような時代背景があり、その結果どうなったのか。永禄時代最後の謎に迫ります。