元亀の争乱時代

1570.4~1573.7

織田信長が越前征伐に失敗し、信長包囲網が敷かれだした元亀元年(1570)4月23日から、将軍・足利義昭を追放して改元を上奏した元亀4年(1573)7月28日あたりまでの記事はコチラです。

織田信長が出した古文書

久秀敗北 信長が松永父子に突き付けた降伏の条件とは

足利義昭陣営につき、信長と敵対した松永久秀・久通父子でしたが、織田勢の攻撃に抗しきれず天正元年(1573)に降伏します。その時、降伏の条件として信長が佐久間信盛へ宛てたのが今回の書状です。いつものように書状の解読のほか、時代背景も合わせて解説します。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(3)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。最終回となる今回は、武田家の視点からこの史料と時代背景を紹介します。信玄一流の外交はどの程度実を結んだのでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(2)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。第2回目の今回は、上杉家の視点からこの史料を紹介します。謙信を取り巻く当時の外交情勢は、どのようなものだったでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
織田信長が出した古文書

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(1)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。ここには前代未聞の無道、侍の義理を知らずなど武田信玄を激しく糾弾する内容が列挙されています。この書状の背景には何があったのでしょうか。
六角・浅井・朝倉家が出した古文書

越前合戦~姉川合戦 信長打倒に燃える朝倉義景が浅井長政へ宛てた書状を解読

外交の力で信長を撤退へ追い込んだ朝倉義景。義景はさらに信長を追い込むべく周辺の勢力と誼を通じ、調略を活発化させます。この時期に朝倉義景が浅井長政へ宛てた書状を解読し、そこから何が見えるのかを記事にしています。
5.歴史系おもしろまとめ

明智光秀による丹波平定戦 大河ドラマには描かれないであろう栄光と挫折

明智光秀の丹波平定の顛末を複数の史料からまとめました。信長につくか、将軍義昭につくかで揺れる丹波国。そんな中、明智光秀が丹波攻めの総大将に抜擢されます。今回はそんな光秀の丹波平定の栄光と挫折を描きます。
5.歴史系おもしろまとめ

戦国時代の丹波国 明智光秀が平定する以前の時代を史料から読む

明智光秀が平定する以前の丹波国情勢をまとめました。時の権力者に翻弄されながらも逞しく生きた丹波の国人衆たち。生の史料6点から引用し、その時期に誰が丹波国で力を持ったのかを簡潔にまとめています。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍追放!事実上の室町幕府滅亡

信長の年表12回目です。今回の主な出来事は丹羽長秀に大舟建造を命じる、足利義昭再び挙兵の風聞、河内畠山家の遊佐信教らが主君・畠山秋高(昭高)を弑逆、足利義昭再び挙兵、二条御所の戦い、宇治槙島の戦い、足利義昭追放、一乗寺・静原山両城の戦い、木戸・田中両城の戦い、「天正」と改元などです。
足利将軍家が出した古文書

【御内書乱発】将軍・足利義昭が吉川元春へ宛てた書状から信長との関係を考える

今回は足利義昭が吉川元春に宛てた御内書(ごないしょ)の解読をします。まだ毛利元就が存命中の時代の話です。この古文書から何が見えるのか楽しみですね!今回もいつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに当時の時代背景も加えてご紹介します。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍・足利義昭がついに挙兵

信長の年表11回目です。今回の主な出来事は武田信玄が野田城を攻略、武田軍の快進撃が止まる、将軍・足利義昭が挙兵、細川藤孝の内通、石山・今堅田の戦い、和田惟長乱心、髙山友照・重友父子の暗殺を謀る、織田信長による洛外・上京焼き討ち、鯰江城の戦いと百済寺焼き討ち、武田信玄死去、足利義昭と織田信長間で和議成立などです。

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