戦国時代の古文書で、非常によく出る語彙を中心にまとめました。
語順は現代仮名遣いです。
例文の読み下しに誤りがある箇所もあります。
今後もさらに加筆する予定です。
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- 「な」行
- な
- 蔑・蔑如・・・ないがしろ
- 廼刻・迺刻・乃刻・・・ないこく
- 内済・・・ないさい
- 内侍・・・ないし
- 内侍宣・内宣・・・ないしせん・だいしせん
- 内侍所・・・ないしどころ
- 尚侍・・・ないしのかみ
- 内侍司・・・ないしのつかさ
- 内証・・・ないしょう
- 名請人・・・なうけにん・みょううけにん
- 尚・猶・・・なお
- 等閑・・・なおざり・とうかん
- 天一神・・・なかがみ
- 乍・・・ながら・たちまち・はじめて・つくる・さ・ぜ
- 就中・・・なかんずく
- 長橋局・・・ながはしのつぼね
- 依無・・・なきにより
- 被成・被為・・・なさる・なされ
- 無・无・・・なし・ない・なき・なく
- 為・成・・・なす・なし
- 納所・・・なっしょ
- 撫物・・・なでもの
- 不斜・・・ななめならず
- 何分・・・なにぶん
- 名主・・・なぬし、みょうしゅ
- 也・・・なり
- に
- ぬ
- ね
- の
- な
- 「は」行
- は
- ひ
- ふ
- 分〇銭・・・ぶ〇せん
- 無案内・・・ぶあんない
- 諷諫・・・ふうかん
- 賦役・・・ふえき・ぶえき
- 賦課・・・ふか
- 不可説・・・ふかせつ
- 不具・・・ふぐ
- 武家伝奏・・・ぶけでんそう
- 普賢菩薩・・・ふげんぼさつ
- 無沙汰・不沙汰・・・ぶさた
- 不日・・・ふじつ
- 不実・・・ふじつ
- 不首尾・・・ふしゅび・ぶしゅび
- 不順・・・ふじゅん
- 扶助・・・ふじょ
- 不請・不承・・・ふしょう
- 不定・・・ふじょう
- 普請・・・ふしん
- 布施・・・ふせ
- 浮説・・・ふせつ
- 扶桑・・・ふそう
- 譜代・譜第・・・ふだい
- 二心・・・ふたごころ
- 不断・・・ふだん
- 扶持・・・ふち
- 不知行・・・ふちぎょう
- 不忠・・・ふちゅう
- 染筆・・・ふでをそめ
- 抛筆・・・ふでをなげうつ・ふでをなげうち
- 不図、与風、浮図・・・ふと
- 不動明王・・・ふどうみょうおう
- 太物・・・ふともの
- 不如意・・・ふにょい
- 補任・・・ふにん・ぶにん
- 不人数・無人衆・・・ふにんずう・ぶにんしゅう
- 不便・不憫・・・ふびん
- 不弁・・・ふべん
- 夫丸・・・ぶまる
- 夫役・・・ぶやく
- 触状・・・ふれじょう
- 分郡守護・・・ぶんぐんしゅご
- 分限・・・ぶんげん・ぶげん
- 分国・・・ぶんこく
- 粉骨・・・ふんこつ
- へ
- ほ
「な」行
な
蔑・蔑如・・・ないがしろ
(意味)
①人を軽侮したり、無視すること。
冷たく扱うこと。
軽んじること。
②人目を意識しないで気ままにうちとけたさま。
無造作。
(備考)
語源は「無きが代(しろ)」。
イ音便。
「代」はそれに相当するものの意。
つまり、無価値に等しいものの意で、そこから①の意が生じ、転じて②が生まれた。
廼刻・迺刻・乃刻・・・ないこく
(意味)
即時、即刻、今すぐ。
廼時で”ないじ”と読む。
書簡の末尾に付けて、即刻の意を表す語。
内済・・・ないさい
(意味)事を表沙汰にせず、内々に処理すること。
内侍・・・ないし
(意味)
①内侍司(ないしのつかさ)の女官。
特に「掌侍(ないしのじょう)」を意味する。
②斎宮寮の女官。
内侍宣・内宣・・・ないしせん・だいしせん
(意味)
勾当内侍が天皇の御意を述べて発する文書。
天皇の意を汲んで勾当内侍が発給した奉書のこと。
内侍所・・・ないしどころ
(意味)
天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊代としての八咫の神鏡を安置してある宮中の御殿。
賢所(かしこどころ)のこと。
本来は内裏の温明殿の南半の神殿を賢所、北半の神殿に仕える内侍のいた部屋を内侍所とよんだ。
のちに、温明殿全体を賢所とも内侍所ともよぶ。
(備考)
賢所には太刀・鈴なども納めてあった。
室町時代以降、神鏡を内裏の春興殿に安置したので、ここも内侍所と呼ぶようになる。
「内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)」は、毎年12月に内侍所の庭で行われる御神楽のこと。
尚侍・・・ないしのかみ
(意味)
官職の一つで内侍司の三等官。
ここの長が「勾当内侍(こうとうのないし)」である。
内侍司・・・ないしのつかさ
(意味)
後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)の一つ。
後宮十二司は、律令制時代に後宮に関する事務を司る12の職のこと。
すなわち、内侍司 (ないしのつかさ) ・蔵司 (くらのつかさ) ・書司 (ふみのつかさ) ・兵司 (つわもののつかさ) ・闈司 (みかどのつかさ) ・薬司 (くすりのつかさ) ・殿司 (とのもりつかさ) ・掃司 (かもりづかさ) ・膳司 (かしわでのつかさ) ・水司 (もいとりのつかさ) ・酒司 (さけのつかさ) ・縫司 (ぬいのつかさ) である。
内侍司は天皇のそば近くに仕えて、奏請・伝宣などを司る機関。
尚侍(ないしのかみ)・典侍(ないのすけ)・掌侍(ないしのじょう)・女嬬(にょじゅ)などの役職があり、全てが女性で構成された。
(備考)
内侍所は、平安時代には温明(うんめい)殿に、鎌倉時代には春興殿に置かれた。
内証・・・ないしょう
(意味)
仏界用語。
心のうちに仏教の心理を悟ること。仏性を表す。
転じて個人の内密、秘密、本心を指すようになり、貴人にとっては公にすることのない私情を意味するようになった。
名請人・・・なうけにん・みょううけにん
※「名請人・・・みょううけにん」の項を参照のこと
尚・猶・・・なお
(意味)
①やはり。やっぱり依然として。それでも。なんといっても。
②さらに。ますます。いっそう。まだその上に。
③また、ふたたび。
(備考)
歴史的仮名遣いで「なほ」。
「なおあらじ」はただでは済まされないことを指す。
「尚」は大きくくずされ「為」に近い字となることが多い。
「猶」はきへんに「公」、つまり「松」に近いくずしになることが多い。
尚々・猶々・・・なおなお
(意味)
(上記の意味をふまえた上で)
「なお」を重ねて語気を強めたもの。
①やはり。まだまだ。
②いよいよ。ますます。
転じて書簡などでは下の叙述を省略したものが慣用化し、相手の意志に反することを勧め促す語としても定着した。
(なお、〇〇な模様。)
等閑・・・なおざり・とうかん
(意味)
①格別意にも留めないさま。
何でもないこと。
②本気ではない。いいかげん。
おろそかであること。
③ほどほど。適度。
またはあっさりしていること。
(備考)
「等閑(とうかん)」の項も参照のこと。
天一神・・・なかがみ
(意味)
「天一(てんいち)」の項を参照のこと。
乍・・・ながら・たちまち・はじめて・つくる・さ・ぜ
(意味)
①2つの動作が並行して行われる際に用いる語。~しながら。
②忽ち。即座に。すぐに。
(備考)
乍然(しかしながら)・乍去(さりながら)・乍憚(はばかりながら)などの語彙も頻出する。
多くの場合、①を指す場合が多いが、読んでみて文章がつながらない場合は②を、それでも繋がらない場合は”はじめて”以下で読んでみよう。
例文) 『(元亀三)三月日付唯念寺門徒起請文(唯念寺文書)』
今般対御本山、織田信長公反逆を企候義ニ付、諸国御門末江御急触改到来、奉驚入候、乍恐御味方申上度上坂仕候所、籠城之旨被仰付奉畏候上者、抛一命、任粉骨摧身之思・・・
(書き下し文)
今般御本山(石山本願寺)に対し、織田信長公反逆を企て候儀に付き、諸国御門末へ御急触改めての到来、驚き入り奉り候。
恐れながら、御味方申し上げたく、上坂(大坂へ上ること)仕り候ところ、籠城の旨仰せ付けられ、畏み奉り候上は、一命をなげうち、粉骨に任せ砕身の思い・・・
就中・・・なかんずく
(意味)その中でも。とりわけ。
(備考)
「中ん就く」
漢文調日本語の名残である。
長橋局・・・ながはしのつぼね
(意味)宮中女官の四等官のうち、掌侍ないのしょうの第一位の者で、天皇への取次や天皇の意思伝達を役目とした。
「勾当内侍(こうとうのないし)」。
(備考)
例文) 『言継卿記』永禄十二年三月十日条より
予大納言勅許忝之由、叉正二位記返上之由、正月分に書状可調進之由、先度被申之間、今日長橋局迄持参了、
かしこまりて申入候、大なこんの事ちよつきよ、かたしけなくかしこまりそんし候、天れんのいたり、家のめんほく申入つくしかたくそんし候、いかほともゝゝよく御心え候て御ひろうにあつかり候へく候、さては正二ゐのゐきの事、おほせにしたかひへん上いたし候、なをしこういたし候て申入まいらせ候へく候、かしく、
とき繼
なかはしとのヽ御局へ
(書き下し文)
予、大納言勅許忝きの由、また、正二位記返上の由、正月に書状を調えまいらすべきの由、先度申さるるの間、今日長橋局まで持参しおわんぬ。
畏まりて申し入れ候。
大納言の事、勅許忝くかしこまり存じ候。
てんれんの至り、家の面目申し入れ尽くし難く存じ候。
いかほどともよく御心得候て、御披露に預かり候べく候。
さては正二位の息の事、仰せに従い返上致し候。
猶祗候致し候て、申し入れまいらせ候べく候。かしく。
言継(山科言継)
長橋殿の御局へ
依無・・・なきにより
(意味)無しということで
(備考)依(因)っての否定形。
被成・被為・・・なさる・なされ
(意味)
「為(なす)」の尊敬語として他の動詞に付いて「~なされる」「~なされた」ことを意味する。
(備考)
「なさる」は室町時代から盛んに用いられるようになった用語。
「なす」に尊敬の助動詞「る」が付いた形として広く浸透するが、江戸時代には江戸を中心に「~なすった」と使われるようになり、江戸時代末期頃から「お上がりなさる」・「ご覧なさる」と現在の形にしだいに変化していった。
例文) 『信長公記 巻五』むしやの小路御普請の事より
三月十二日、信長公直尓御上洛、二條妙覺寺御寄宿、迚も細々御参洛の條、信長公御座所無之候てハ、如何之由にて上京むしやの小路尓あき地の坊跡在之を、御居住尓可被相構の旨、被達上聞候の處、尤可然之由、被仰出、則従公儀御普請可被仰付之旨の御斟酌被及數ヶ度候、頻上意之事候間被應御諚、尾濃江三國之御伴衆者御普請被成、御赦免不仕候、
(書き下し文)
(元亀三年)三月十二日。
信長公は直に御上洛。
二条妙覚寺に御寄宿。
とても細々御参洛の条、(公方様は)信長公御座所これ無く候ては、いかがの由にて、上京武者小路に空き地の坊跡これ有るを、御居住に相構えらるべきの旨、上聞を達せられ候のところ、尤も然るべきの由、仰せ出さる。
すなわち公儀より御普請仰せ付けらるべくの旨の御斟酌、数ヶ度に及ばれ候。
しきりに上意の事に候間応えられ、御掟を尾・濃・江三国の御伴衆は、御普請御赦免なされ(作業を)仕らず候。
無・无・・・なし・ない・なき・なく
(意味)無い。何かを打ち消す際に用いる語。
(備考)
返読する場合(無之・無是非・無正躰など)もあるので注意が必要である。
為・成・・・なす・なし
(意味)
①用いる。~をする。行う。つくる。
例)「千利休この四畳半にて茶の会をなすに」
②変える。転じさせる。
例)「悪薬を良薬となす」
③ならせる。任ずる。
例)「当年、義秋公左馬頭になさせ給いけるを」
④行っていただく。~を仰ぐ。
例)「公方様へ御親征を仰ぎければ、今が好機なるべしと近江表へなし奉るに」
(備考)
「為」の字はほかに「為(~として)」や「可為(~たるべし)」、「為(~のため)」、「奉為(おんため)」などが古文書でよく見る。
例文) 『京都市小石暢太郎氏所蔵文書』・『古文書纂』(元亀四)四月六日付織田信長黒印状
今度公儀不慮之趣、子細旧事候哉、於身不覚候、君臣御間与申、前々忠節不可成徒之由相存、種々雖及理、無御承諾之条、然上者成次第之外、無他候て、去二日三日両日洛外無い残所令放火、四日ニ上京悉焼払候、
(書き下し文)
上洛の儀に就きて、小栗大六を以て承り候。
祝着の至りに候。
今度は公儀不慮の趣き、子細旧事に候哉。
身に於いて覚えず候。
君臣の御間と申し、前々の忠節徒と成すべからざるの由と相存じ、種々理に及ぶといえども、御承諾なきの条、然る上は、成り次第のほか、他無く候て、去る二日・三日の両日、洛外残る所無く放火せしめ、四日に上京を悉く焼き払い候。
納所・・・なっしょ
(意味)
①年貢などを納入する所。
②禅宗の寺で布施の物を入れておくところ。
③納所坊主の略。
納所坊主は納所の業務を取り扱う僧の意。
④寺院で金銭や年貢などを出納する事務僧のこと。
(備考)
例文1) 『(元亀二)十二月二十三日付木下秀吉書状(石清水文書)』
石清水八幡宮田中御門跡御領年貢、諸成物等、堅可相拘候、双方へ納所候而者、不可然候、来春可罷上候条、其刻可相済候、以上、
(書き下し文)
石清水八幡宮田中御門跡御領の年貢・諸成物等、堅く相拘うべく候。
双方へ納所候ては、然るべからず候。
来春に罷り上るべく候条、そのきざみ相済ますべく候。以上。
語訳:現在は相論の最中であるので、現地の年貢や諸成物などはどちらにも納入せず、各々で堅く保管しておくように。来春に信長が上洛した際にこの件は処理するので、それまでは納入しないように。
例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応五年七月二十五日条より
一切経納所職事、補任興胤擬講了、清円寺主書上之、御使良鎭法橋也、任料錢百十貫文進上之如例、五貫文奉行分、三貫文御使禄物、
以上百十八貫文致其沙汰了、
(書き下し文)
一切経納所職の事、興胤擬講が補任しおわんぬ。
清円寺主これを書き上げ、御使は良鎭法橋なり。
料銭に任せ百十貫文進上例の如く。
五貫文は奉行分、三貫文は禄物。
以上百十八貫文その沙汰致しおわんぬ。
撫物・・・なでもの
(意味)
禊(みそぎ)や祈りの時に用いる紙製の人形や衣服のこと。
穢れを取り払いたい者が陰陽師などに依頼する。
この穢れを撫物になでて移し、水に流す風習があった。
(備考)
例文) 『言継卿記』永禄十年十二月二十五日条より
未刻自有春卿此間御祈申候御撫物送之間、則長橋局へ持参披露、神妙之由能々可申聞之由有之、
(書き下し文)
未の刻、有春卿より、この間御祈り申し候の御撫物を送るの間、則ち長橋局へ持参し披露。
神妙の由、よくよく申し聞かすべきの由これ有り。
不斜・・・ななめならず
(意味)並々ではないこと。普通ではない。格別であること。
「御機嫌斜めならず」で大変上機嫌であることを指す。
(備考) 『信長公記』巻五
廿一日 浅井居城大谷へ推詰めひはり山、虎御前山へ御人數上られ、 佐久間右衛門、 柴田修理、 木下藤吉郎、 丹羽五郎左衛門、 蜂屋兵庫頭被仰付、町を破らせられ、一支もさヽへす推入、水之手まて追上、數十人討捕、 柴田修理、 稲葉伊豫、 氏家左京助、 伊賀伊賀守、 是等を先手尓陣とらせ次日、 阿閉淡路守楯籠居城山本山へ、木下藤吉郎 被差遣麓を放火可然間、城中之足輕共百騎計罷出相支へ、 藤吉郎見計噇と切かヽり、切崩候て、頸數五十余討捕、 信長公御褒美不斜、
(書き下し文)
二十一日(元亀元年七月二十一) 浅井居城小谷へ押し詰め、雲雀山、虎御前山へ御人数上せられ、佐久間右衛門(佐久間信盛)・柴田修理(柴田勝家)・木下藤吉郎(木下秀吉)・丹羽五郎左衛門(丹羽長秀)・蜂屋兵庫頭(蜂屋頼隆)に仰せつけられ、町を破らせられ、一糸も支えず押し入り、水の手まで追い上げ、数十人討ち取る。
柴田修理・稲葉伊予(稲葉一鉄)・氏家左京助(氏家直昌)・伊賀伊賀守(安藤守就)、これらを先手に陣取らせ、次の日、阿閉淡路守(阿閉貞征)立て籠もる居城の山本山へ、木下藤吉郎差し遣わされ、麓を放火し然るべきの間、城中の足軽ども百騎ばかり罷り出でるを相支え、藤吉郎(頃合いを)見計らい、とうと斬りかかり、切り崩し候て、首数五十余り討ち取る。
信長公の御褒美斜めならず。
何分・・・なにぶん
(意味) どうか。なにとぞ。 何といっても。
名主・・・なぬし、みょうしゅ
(意味)”なぬし”の場合は江戸時代における町役人みたいな感じ。村方三役の一つ。”みょうしゅ”の場合は、平たくいうと田畠の所有者。オーナーとして自分は管理をして、小作人に働かせるのもまた名主。
也・・・なり
(意味)
「にあり」の略として、以下の意味をもつ。
①断定の意をあらわす。
「~である。」「~だ。」
例)「またとない好機なり。」
②推定し伝聞する意志を持つが、語源の示す気持ちが強く残って、聞くという行為によって「~のようだ」と推定する意をあらわす。
「~と自分は聞いている」「~という噂だ。」「~ということだ」
例)
「かねてより兵を出さんと望むといえども、未だ上意を得られずの事なり。」
「京都で合戦これ有る由の風聞。今日早旦よりの事なりと云々。」
近世以降は詠嘆をあらわす意味合いも強くなり、和歌などには特にそうした傾向がみられる。
(備考)
中田祝男『新選古語辞典(1984)』によれば、断定の「なり」と推定の「なり」の相違点について、以下の記述がある。
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館
a.断定の場合は連用形に、推定の場合は終止形につく。b.推定の「なり」は第一人称を受けることがなく、話手自身に対する述語にならない。また、なんらかの意味で話手の「聞く」ことと関係している。c.係り結びの形式では、断定の方は「に+係助詞+なる・なれ」となり、推定の方は「係助詞+動詞+なる・なれ」。d.万葉集では断定は「爾有」と書くが、推定はそう書くことがない。「鳴」を推定に用いたものがあるが、断定に用いることがない。
なりけり
(意味)
前項の意味をふまえた上で
①「~であったという。」「今までも~であった。」
②「気がついてみると~であった。」「Aは実はBなのであった」
③強い断定をあらわす。「~である」
(備考)
「なりけり」は断定の助動詞「なり」の連用形に過去・詠嘆の助動詞「けり」がついたもの。
和歌の世界では強い切れ字をあらわすことが多い。
に
于・尓・二・耳・丹・・・~に
(意味)
①時や場所を表す。
例)「去十五日に河内国に於いて合戦これあり。」
②動作の対象・相手を表す。
例)「上様におかれましてはご機嫌麗しく・・・」
③原因・理由を表す。
例)「斎藤内蔵助を江州守山の町に置かれ候ところ、既に一揆蜂起せしめ・・・」
④比較の基準を表す。
例)「其方の武勇、亡父君に勝るとも劣らない。」
⑤変化の結果を表す。
例)「海の藻屑になり給いしかば・・・」
⑥同じ動詞の間に用いて意味を強める。
例)「されば柴田修理亮、攻めるに攻めて、ついに敵の大軍を打ち破り・・・」
(備考)
助詞として用いられることが多いため、脇に小さく「ニ」と記されることもある。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年十一月十八日条より
一、河内國事、畠山小弼・遊佐・譽田・平以下打入、尾張守俄高屋城ニ入、一國之儀蜂起珍事處、紀州勢共出向之間、小弼叉退了、於于今者不可有殊事云々、
(書き下し文)
河内国の事、畠山小弼(畠山義豊)・遊佐・譽田・平以下が打ち入り、尾張守(畠山尚順)俄かに高屋城に入り、一国の儀蜂起珍事のところ、紀州勢どもが出向の間、小弼また退きおわんぬ。
今に於いては殊事有るべからずと云々。
例文2) 『賀茂別雷神社文書』元亀三年四月日付織田信長朱印状
当所徳政除之旨、去々年朱印雖遣之、于今一揆等相構之由、無是非題目也、弥買主任覚悟、入譴責使、可収納者也、猶木下藤吉郎可申届之状如件、
(書き下し文)
当所に徳政を除くの旨、去々年朱印を遣わすといえども、今に一揆ら相構うるの由、是非無き題目なり。
いよいよ買主の覚悟に任せて、譴責使を入れ、収納すべきものなり。
猶木下藤吉郎(木下秀吉)申し届くべきの状くだんの如し。
語訳:賀茂社境内を徳政令の除外区域とする旨、2年前にあたる元亀元年(1570)に朱印状を発給したが、未だに徳政一揆の残党が徳政を強訴しているというのは残念なことだ。
速やかに買入主の決心で督促させて収納せよ。
この件については担当者の木下秀吉が対応する。
例文3) 『上杉家文書』永禄二年六月二十九日付鉄放薬方並調合次第
一、灰能木を一尺計尓きり、皮をよく気つり、中能春越能取候て、日丹干候、夏ハ日徒よく候間、十日十四五日能間尓、よく枯候条、廿日阿まり日尓干して其後ハ陰干可然候、
(書き下し文)
灰の木を一尺ばかりに切り、皮をよくけずり、中のすをよく取り候いて、日に干し候。
夏は日強く候間、十日~十四・五日の間に、よく枯れ候条、二十日あまり日に干して、その後は陰干し然るべく候。
例文4) 『阿波平島家記録 一下』
源家平嶋先祖
清和天皇十六代足利尊氏公ヨリ十一代ノ将軍義稙恵林院長男也、
左馬頭義冬公、平嶋元祖也、永正六年ニ京都ニテ生ル、天文三年ニ都ゟ阿波國へ下向有テ、平嶋ノ庄ニ居住ス、天正元年十月八日ニ同平嶋ニテ卒ス、年六十五歳也、則同所ノ内ニ葬ル、法名中山、菩提寺同所西光寺也、
(書き下し文)
源家平嶋先祖
清和天皇十六代足利尊氏公より十一代の将軍義稙恵林院が長男なり。
左馬頭義冬(足利義冬)公、平嶋元祖なり。
永正六年(1509)に京都にて生まる。
天文三年(1534)に都より阿波国へ下向有りて、平嶋の庄に居住す。
天正元年(1573)十月八日に同平嶋にて卒す。
年六十五歳なり。
すなわち同所の内に葬る。
法名中山。菩提寺は同所の西光寺なり。
廿、〹・・・にじゅう
(意味)20
(備考)「廿匁」や「廿俵」など、昔は普通にこの漢字が使われた。ちなみに10は拾。30は卅(丗)
日来・・・にちらい・じつらい・ひごろ
(意味)
日頃から。普段。平生。
「日頃(ひごろ)」と同じ意。
入室・・・にゅうしつ・にっしつ
(意味)
仏界用語。
師のへやに入って道を問い、教えを受けること。弟子となること。
転じて門跡となって寺院に入り、その主となることを指す。
(備考)
古語辞書にない場合、「にふしつ」で調べてみよう。
例文) 『大乗院寺社雑事記』文明四年四月十二日条より
一、伊勢國司舎弟東門院入室事、自學呂相支子細在之、比興言悟道斷次第也、無故實中々沙汰外至也、
(書き下し文)
伊勢国司(北畠政郷)の舎弟(のちの孝尊)、東門院へ入室の事、学侶より相支うる子細これ有り。
卑怯言語道断の次第なり。
故実なかなか無きの沙汰のほかの至りなり。
※東門院は大和国興福寺の子院の一つ。
「故実」は先例を意味する。
入道・・・にゅうどう
(意味)
仏界用語。
仏道に入って修行をすること。またはその人。
転じて在俗の人で仏道に入り髪はおろしているが、寺には入っていない者を指す。
(備考)
古語辞書にない場合、「にふだう」で調べてみよう。
入滅・・・にゅうめつ
(意味)
逝去。死去すること。
仏界用語で滅度(めつど)・寂滅(じゃくめつ)とも呼び、煩悩の炎が吹き消えて涅槃の境地に達するなどとされているが、戦国時代の通常の外交文書では、単に死を意味することが多い。
遠行ともいう。
(備考)
肉体的な死と精神的な死は異なるなどと論じるのは当サイトの趣旨と異なるのでこれ以上は触れない。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』文明元年十一月七日条より
一、實盛勾當入滅、六十三、
(実盛勾当入滅。(享年)六十三)
例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応六年九月二十日条より
一、夜前福智院領之内藤次郎番匠入滅、九十計也、八十八云々、不便、久しく召仕者也、仍子息自今日不参、致昨日六个日祗候了、
(書き下し文)
夜前、福智院領の内藤次郎番匠入滅(九十ばかりなり。八十八と云々。)
不便。
久しく召し仕う者なり。
仍って子息今日より参らず。
昨日六ヶ日に至り祗候しおわんぬ。
女房奉書・・・にょうぼうほうしょ
(意味)天皇側近の女官が、天皇の意志を奉じて発給した仮名書きの文書。
正確には、蔵人が伝える綸旨(りんじ)と同様、天皇のそば近く仕える女官が、天皇の意思を覚書として記したもので、本来は口頭で伝えられる内容であった。
(備考)奉じるのが女官である点は古代の内侍宣を引き継ぐものであるが、それが綸旨に取って変わられたのち、女房奉書が文書として下付されるようになるのは鎌倉時代中期ごろのこと。
戦国時代のころには綸旨に代わり、天皇の意思を伝える文書として通常のものとなっていた。
参考:『史料を読み解く1 中世文書の流れ(山川出版社)』・『室町・戦国時代の法の世界(吉川弘文館)』など
関連記事:初級・戦国時代の女房奉書を読んでみよう!
如法・・・にょほう
(意味)
仏界用語。
法の如しの意で、教えの通りである。形式どおりであることを指す。
如来・・・にょらい
(意味)
仏の尊称。
釈迦の名号のひとつでサンスクリット語の「tathāgata(タターガラ)」を訳したもの。
元の意味は「完全なる人格者」・「修行完成者」を指すものであったが、のちに仏陀の尊称となる。
とくに大乗仏教では諸仏の尊称として呼ばれている。(大日如来など)
人数・人衆・・・にんじゅ・にんず・にんずう
(意味)
①人の数。頭数。
②おおぜいの人々。
(備考)
読みの「じゅ」は「数」の呉音読みである「しゅ」を、連濁したもの。
詳しくは「字音」の項を参照のこと。
「不人数・無人衆」は別記に。
また、「人数立て」とある場合は、人数の配列、軍勢の手分けを指すことが多い。
例文) 『葉間家文書』(年次不詳)七月二十五日付鳥養宗慶書状
きのふ御しんろうニより、井せきとゝの被下候よし、をゐヽヽ申、いまにはしめぬ事なから、申つくしかたく祝着之至候、尤罷上候て可申候へ共、いまたしかヽヽともなく候之間、まつ林与次を以、いつれも可参申候、必其時委可申候、のこる御にんしゆへも可然様ニなをヽヽ御とり合かんようたるへく候、恐々謹言、
(書き下し文)
昨日御心労により、井関殿へ下さる候由、追々申し、今に始めぬ事ながら、申し尽くし難く祝着の至りに候。
もっとも罷り上り候て申すべきに候へども、いまたしかたしかともなく候の間、まつ林与次を以って、何れも参り申すべく候。
必ずその時に委ね申すべく候。
のこる御にんじゅへも然るべきように、猶々御取り合い肝要たるべく候。恐々謹言。
ぬ
抄書・・・ぬきがき
(意味)一部を抜き出して書いたもの。
抽・・・ぬきんで・ぬきんじ
(意味)とびぬけて
(備考)
例文) 『(天正元)十月二日付六角承禎感状写(川合文書)』
近年牢籠仁種々馳走共に祝着候、則可有奉公旨候条、先年以直書ヲ知行分雖遣置候、今度石部下野館江令籠城処、有入城被抽粉骨断、神妙ニ候間、最前充行知行ニ只今令加増、以目録加扶持候、向後之儀聊不可令相違之条、如書立永代全領知、不可有異儀候、猶鯰江満介入道可申候、謹言、
(書き下し文)
近年籠城の仁、種々馳走共に祝着に候。
則ち奉公有るべきの旨に候条、先年直書を以て知行分遣し置き候といえども、この度石部下野館へ籠城せしむるのところ、入城有りて粉骨抜きんでらるの段、神妙に候間、最前宛行う知行に只今加増せしめ、目録を以て扶持に加え候。
向後の儀、いささかも相違せしむべからざるの条、書立ての如く永代全く領知、異儀有るべからず候。
猶鯰江満介入道申すべく候。謹言。
幣・・・ぬさ
(意味)
神に祈る時に奉るもの。
また、祓(はらえ)に出すもの。
上古は綿(ゆう)・麻(あさ)をそのまま用いたが、布・帛(はく)、さらに紙などを細長く切って、串につけて垂らした。
道中では細片に切って袋に入れ、神前にまき散らした。
ぬべし
(意味)
「可・・・べし・べく・べき」を前提として
①~してしまうだろう。~してしまっただろう。~してしまおう。
②~してしまいそうである。たしかに・・・しそうだ。きっと・・・にちがいない。
③たしかに・・・できる。・・・できそうだ。
(備考)
完了の助動詞「ぬ」に推量の助動詞「べし」がついたもの。
ね
禰宜(祢宜)・・・ねぎ
(意味)神職の役職のひとつ。
神官で神主の下、祝(はふり)の上に位するもの。
伊勢大社は少し特殊であるが、一般的には神社の最高位である宮司の下位にあたり、宮司の職務を補佐した。
(備考)
語源は「祈(ね)ぐ」の連用形から。
例文) 『言継卿記』永禄十一年三月四日条より
松尾権神主秦相久従四位下、同禰宜同相房、同月讀禰宜重頼等正五位下之事申入之、則勅許也、
(書き下し文)
松尾権神主秦相久従四位下、同じく禰宜の同相房、同月読禰宜重頼等、正五位下の事これを申し入る。
則ち勅許なり。
根城・・・ねじろ
(意味)
領主の本拠とする拠点。
主将のいる拠点。本城。
年貢・・・ねんぐ
(意味)
領主が毎年農民から収取する地代のこと。
多くは米や小作料についていう。
(備考)
例文) 『橋本文書』天正元年十一月十二日木下祐久・三沢秀次・津田元嘉連署状
其方本知被成御朱印上者、任当知行之旨、年貢・諸成物等、可有収納候、若百姓等於難渋者、急度可申付由候、恐々謹言、
(書き下し文)
其の方本知御朱印を成さるるの上は、当知行の旨に任せて、年貢・諸成物等を、収納有るべく候。
もし百姓等難渋に於いては、急度申し付くべき由に候。恐々謹言。
懇・念比・念頃・・・ねんごろ
(意味)
真心をもって丁寧にする様子。
手厚く扱うさま。
または親密・昵懇な関係性を意味する。
(備考)
「懇情」・「懇意」・「御懇」・「御念比」・「懇慮」・「懇切」・「懇志」・「懇信」・「入魂」も同じような意味合いである。
「懇」は頻出する用語である。
したごころの部分で判別しよう。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』文明元年十一月九日条より
伊勢國司より色々魚物進上、殿下之由聞之、今時分念比沙汰也、
(伊勢国司(北畠教具)より色々魚物進上。殿下の由を聞く。今時分懇ろな沙汰なり。)
例文2) 『(天正元)十月十二日付織田信長書状(小早川家文書)』
就越州備之儀、御懇示賜候、本望不斜候、仍去合戦朝倉義景・浅井父子生害、数多討果模様、委曲先書申贈候事候、
(書き下し文)
越州(越前国)備えの儀に就きて、御懇ろに示し賜り候。
本望斜めならず候。
仍って去合戦、朝倉義景・浅井父子生害、数多討ち果たすの模様は、委曲先書に申し送り候事に候。
年預・・・ねんよ・ねんにょ
(意味)
①「院の庁」の次官。
雑務を行う機関。
斎院司・親王・摂関などの家司にも置かれた。
四位五位の人が任ぜられるを例とする。
②その年の祭礼の世話役。
③一年ごとに交代する寺の代表者。
(備考)
語源は1年間だけ、他の官職者が兼任したことから。
書状では寺社等への宛所として
「〇〇寺
年預御坊」
と記される例が多い。
頻出するためか非常に大きくくずされる傾向にある。
「年」の一般的なくずしは「手」に近い形である。
「預」は「領」に似たくずしであるが、宛所に記されるので推測は十分に可能である。
の
祝詞・・・のりと・のっと・のと
(意味)
「告言(のりごと)」の約。
神に告げ申すことば。
神を祭ることば。
また、広く「祓(はら)へ」に読むことばや「寿詞(よごと)」などを含めていう。
(備考)
「のと」の読みは「のりと」の音便形「のっと」の促音「つ」を無表記にしたもの。
例文) 『酒井達郎氏所蔵文書』(天正九)正月一日付織田信長黒印状
為年甫之祝詞、銀子百両幷鰤三候到来、早々懇情喜入候、猶菅屋九右衛門尉可申候也、
(書き下し文)
年甫の祝詞として、銀子百両並びに鰤三喉到来、早々の懇情喜び入り候。
なお菅屋九右衛門尉(菅屋長頼)申すべく候なり。
「は」行
は
者・・・は
(意味)
「~は」は助詞としてよく用いられる語。
既に広く知られている事がらに対して「は」を用いる。
例)
「今日者能天気也、」
(今日はよき天気なり。)
「〇〇之地、御代々為所領之上者、」
(〇〇の地、御代々の所領たるの上は、)
(備考)
「者」はほかに「てえれば」や「もの」と読むことも多い。
また、仮名文字では「は」の音を表す文字としても頻出するため、仮名書きで記された文書では助詞以外の文字でも頻出する。
拝閲・拝悦・・・はいえつ
(意味)
つつしんで書簡などを見ること。
拝見すること。拝覧。
謙譲語としてへりくだって用いる。
頻出するためか「拝閲」はこのように大きくくずされる傾向にある。
「拝」は大きくくずれると「有」や「物」に近いくずしとなりやや難読。
「閲」などの「もんがまえ」はどの字もうかんむりに近いくずしとなる。
「うかんむり」の下に「免」のような字があると「閲」の可能性を考えよう。
売券・・・うりけん・ばいけん
(意味)売券(うりけん)の項を参照されたし。
(備考)沽却状(こきゃくじょう)ともいう。
買得(徳)・・・ばいとく
(意味)
ものを買い取ること。買い入れ。
おもに不動産の買取りを指す。
(備考)
中世の史料に多く登場する語彙である。
多くは「その方が所有している知行、および買得地(買い入れた土地)を、たとえ誰々が闕所処分を受けたとしても、これまで通りその所有権を認める」旨の内容が多い。
※中世の不動産取引の常識は現在と異なる。
土地の売り主が闕所処分を受けたり、債務の不履行によって担保にしていた土地を取り上げられるなどした場合、土地を買い入れた(買得)者が弁済をしなければならなかった。
A左衛門の過失を、買得したB右衛門が弁済しなければならない。
無効にする特例措置があった場合はその限りではない。
例文) 『小川文書』永禄六年十一月日付織田信長判物
新儀諸伇幷持分・買徳方、誰々欠所判形雖有出事、任当知行不混自余、不可有相違者也、仍状如件、
(書き下し文)
新儀の諸役並びに持分(もちぶん)・買得方、誰々欠所の判形(はんぎょう)を出すこと有りといえども、当知行に任せて自余に混せず、相違有るべからざるものなり。仍って状くだんの如し。
語訳)その方が担うべき新規の様々な夫役、並びに、現在の知行地・新たに買い入れた土地について、たとえ誰々の闕所分で判形(証文)が呈出したとしても、他のケースとは混同せずに(特別扱いして)その方の所有権を認める。
拝領・・・はいりょう
(意味)
いただくこと。もらうことの謙譲語。
特に主君から刀など名誉の品を頂く際に用いる語。
(備考)
中世・近世では「拝領」は刀・道具・衣服・馬など子孫に伝えるに足る重要な品物について用いる。
一方、「頂戴」は感状や金・酒など一時的に消費するような品物について用いる傾向にあると『武者言葉大概』には記されているが、そのような厳密な区別はないと思われる。
「軽重によらず子孫に伝ふるものを給ふを拝領と云ふ。当座の御褒美を頂戴と云ふ也。」『武者言葉大概』
例文) 『古今采集』(天正元)十二月十一日付真木島昭光副状
今度至當國就被移御座、被成御内書候、此莭被申聞直春、馳走可被申事肝要之旨候、仍呉服御拝領候、尤御面目至候、委細東堂可為御演説候、恐々謹言、
(書き下し文)
この度当国に至りて御座を移され、御内書を成され候。
この節直春(湯川直春)に申し聞かされ、馳走申さるべき事肝要の旨に候。
仍って呉服御拝領に候。
尤も御面目の至りに候。
委細東堂御演説たるべく候。恐々謹言。
励・・・はげむ・はげみ
(意味)心をふるいおこして、つとめる。精を出す。
(備考)「可相励」は”あいはげむべく”
為始・・・はじめとして
(意味)まずはじめに、~をはじめとして
動、働・・・はたらく
(意味)単に働くという意味と、従軍、行軍あるいは戦闘をするという意味もある。
八部衆・・・はちぶしゅう
(意味)
仏界用語。
釈迦が説法のとき聴聞に常侍し仏法を讚美した仏法守護の八体一組の八種のこと。
天・竜・夜叉(=鬼)・乾闥婆(けんだつば=楽神)・阿修羅(戦神)・迦楼羅 (かるら=金翅鳥(こんじちょう)) ・緊那羅 (きんなら=歌神)・摩睺羅伽 (まごらか=地竜) のこと。
これらは仏法を守る神と生物とされる。
もとは異教の諸神であったが、釈迦に教化され仏法の守り手となったと大乗経典にあるようだ。
八部・天竜八部衆・竜神八部ともいう。
八木・・・はちぼく
(意味)米のこと。
(備考)由来は米の字を分解すると八と木になるところから。
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年五月五日条より
去年大乱以來一國不作之間、八木等大切中々不及是非、珍事、江州よりハ一向相止八木之出入、敵方故也、
(書き下し文)
去年の大乱以来一国(美濃国)不作の間、八木等大切中々是非に及ばず。
珍事。
江州よりは一向八木の出入を相止むる。
敵方ゆえなり。
八幡・・・はちまん
(意味)
①応神天皇を主神とする神社。八幡神(やはたがみ)のこと。弓矢の神として尊崇される。
②(八幡の神に神誓するという意で)断じて。まったく。といった強い決意・誓約を表す。
(備考)
②の意味とほぼ同じような意味合いで「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」も用いられる。
なお、上代では「はつまん」とも発音した。
「神八幡(しんはちまん)」も同じような意。
八万地獄・・・はちまんじごく
(意味)
仏界用語。
「八万」は八万四千の略。
この数字はすべての人間の持つ煩悩の数を表す。
人が煩悩のために受けるさまざまな苦しみを地獄にたとえていう語。
(備考)
さらに縮めて「八万」と呼ばれることが多いほか、「八万奈落」とも呼ばれる。
八苦・・・はっく
(意味)
仏界用語。
人生において受ける八つの苦しみ(生・老・病・死・愛別離・怨憎会(おんぞうえ=恨み憎む者と会わねばならないこと)・求不得(ぐふとく=求めても得られないこと)・五陰盛(ごおんじょう=人間の心身から欲望が生ずること))を指す。
八朔・・・はっさく
(意味)
陰暦の8月1日のこと。
「朔」は一日の意。
その年の豊作を願い、日頃世話になっている者に進物を贈る風習があった。
それは武家や公家社会の間でも広く行われ、外交儀礼・祝儀として贈り物をする例が頻繁に見られる。
(備考)
他に節日に贈る例として、年初(正月初旬)・端午(五月初旬)・重陽(九月九日)・歳暮(年末)などがある。
例文) 『長岡藤孝宛(天正四年)七月二十九日付織田信長黒印状』
「為八朔之祝儀、帷二生絹、懇切之至、殊佳例令祝着候」
(八朔の祝儀として、帷子(かたびら)に生絹、懇切の至り。殊に佳例祝着せしめ候)
放状・・・はなちじょう・はなしじょう・ほうじょう
(意味)
所領や諸職などの権利を放棄する旨を認めた証書のこと。
または所領や財産を人に譲渡や売却をする際に交わされる証書のこと。
(備考)
権利を放棄すること。つまり、先方の所領などの所有権を認めることを意味する場合が多い。
売却することは別に「売券(うりけん)・沽却状(こきゃくじょう)」ともいう。
例文) 『松尾月読社文書』元亀三年十二月三日付革島秀存放状
松尾月読神領事、今度我等仁被仰付、雖被且納、御代々被帯 御判御下知、当知行無紛候間、即持返申候、然上者田畠・山林所々散在、如有來悉可有御社納事簡要候、向後於子々孫々不可有違乱者也、仍放状如件、
(書き下し文)
松尾月読神領の事、この度我等に仰せ付けられ、且つ納めらるるといえども、御代々の (闕字)御判御下知を帯びられ、当知行は紛れ無きに候間、即ち持ち返り申し候。
然る上は、田畠・山林所々散在、有り来たりの如く、悉く御社納有るべきの事簡要に候。
向後に於いて、子々孫々違乱有るべからざるものなり。
仍って放状くだんの如し。
語訳)松尾月読神領は、このたび当家(革島氏)の領有が室町幕府から認められました。しかし、松尾月読社殿は、御代々幕府から領有権を認められていることに疑いはないので、当家はあなた方の訴えを尊重します。この上は、田畠・山林など所々に散在するあなた方の所領からは、一切の徴収や取り立てを行いません。仍ってここに放状を発給します。
太・甚・・・はなはだ
(意味)
普通の程度を越えていること。
はなはだしいこと。たいそう。
または非常にひどいさま。
(備考)
中古では「はなはだ」は主に漢文訓読で用いられた。
和文調の場合は「いと」を用いることが多い。
「太(はなはだ)」のくずしと使用例
「太」が大きくくずされるケースは多くないが、「はなはだ」と読めなければ全く意味が通じないだろう。
判形・・・はんぎょう
(意味)
①証文。証書のこと。
②判物のこと。
③書判。花押。またはその形状のこと。
(備考)
例文1) 『密蔵院文書』天文十九年十二月二十三日付織田信長判物 『張州雑志抄』(十五に写)
笠寺別当職備後守任判形之旨、御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計之上者、雖誰々申掠候、不可有相違者也、仍如件、
(書き下し文)
笠寺別当職、備後守(織田信秀)判形の旨に任せて、御知行分散銭・開帳、寺山、寺中御計いの上は、誰々申し掠め候といえども、相違有るべからざるものなり。仍ってくだんの如し。
※散銭(参銭)は賽銭の意。
例文2) 『東寺所蔵文書』(天文十四)七月五日付細川晴元書状
就逆臣怨敵追罸儀、以願書如申候、於當寺八幡宮神前、可被抽祈祷丹誠候、仍此書札判形、依有存分、少改之候、可被得其意候、猶波々伯部伯耆守可申候、恐々謹言、
(書き下し文)
逆臣怨敵追罰の儀に就きて、願書を以て申し候如く、当寺八幡宮の神前に於いて、祈祷丹誠を抜きんでらるべく候。
仍ってこの書札の判形、存分有るに依りて、少しこれを改め候。
その意を得らるべく候。
なお波々伯部伯耆守申すべく候。恐々謹言。
半済・・・はんぜい
(意味)
室町幕府が守護大名に、荘園・公領から軍費や兵粮等を徴することを認めた特権のこと。
(備考)
元来は単に年貢の半分だけを納付するとした百姓・領民に対しての減税措置であったが、南北朝期の戦乱を境に意味合いが変化していった。
幕府によるこの政策が守護大名の越権行為を助長し、各地で横領が頻発するようになったといわれている。
判銭・・・はんせん
(意味)
①捺印の手数料。
②禁制などの制札を発給する手数料として課された礼銭のこと。料銭。制札銭。
(備考)
例文) 『多聞院日記』永禄十一年十月二十三日条より
今度ナラ中防禦制札上總ヨリ被出、判銭トテ過分ニ申懸、兩奉行承仕へ繾責被付了、咲止也、凡千貫余も申懸歟、如何可成行哉覧、
(書き下し文)
この度奈良中防御の制札、上総(織田信長)より出さる。
判銭とて過分に申し懸け、両奉行承仕へ譴責を付けられおわんぬ。
笑止なり。
およそ千貫余りも申し懸くるか。
いかが成り行くべきかな。
般若経・・・はんにゃぎょう
(意味)
「大般若経」の項を参照のこと。
(備考)
なお、この「大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)=大般若経=般若経」を大幅に凝縮して300字余りにしたものが「般若心経」とする説があるが、それを否定する説もあり、定かではない。
般若心経・・・はんにゃしんぎょう
(意味)
「色即是空 空即是色」から始まる大乗仏教の仏典のこと。
全経典の中でももっとも文が短いとされ、古くから多くの人に親しまれてきた。
鳩摩羅什訳のものをはじめ経典の種類は多い。
正しくは摩訶般若波羅蜜多心経(かはんにゃはらみったしんぎょう)のことで、それが略され般若心経。
さらに略され心経と呼ばれた。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応四年二月十八日条より
一、去月十六日分、千巻観音経幷心経讀之、導師清宣得業、
(去月十六日分、千巻観音経並びに心経これを読む。導師清宣得業。)
※得業(とくごう)は三会の立義を勤め終えた僧の称号のこと。
版本・・・はんぽん
(意味)
文字または絵画を印刷した図書。
版木に彫って印刷した本のこと。
(備考)
版本にたいし、筆で筆写した本のことを写本とよぶ。
以下の記述の大部分は中田祝男編『新選古語辞典(小学館)』によるものである。
日本における最古の印刷本は、奈良朝末期(770)の百萬塔陀羅尼経である。
平安末期から宋代の印刷技術が伝来し、奈良・京都の諸寺で印刷した春日版(1201頃)、泉涌寺版(1246頃)、高野版(1251頃)等が出て、14世紀以降は、仏典のほかに儒書・詩集・語録等も出版された。
これがいわゆる五山版である。
しかし、印刷が広く普及したのは、秀吉の朝鮮出兵により、活字印刷法が伝来されてからで、銅活字版・木活字版が行われるようになった。
木活字版では、文禄2年(1593)、後陽成天皇による「古文孝経」が初めてで、以後、慶長勅版・家康による駿河版などがある。
銅活字版では、慶長12年(1617)の「六臣注文選」が初めてで、これを直江本・会津本と称した。
さらに慶長から寛永にかけて、角倉素庵・本阿弥光悦の二人は、平仮名交りの国文学書を多数活字版で発行した。
これを嵯峨本または角倉本、光悦本と称した。
判物・・・はんもつ
(意味)直状(形式の文書の一種として、発給者の花押(が捺されている文書のこと。
戦国時代以降、判物は特別視されるようになり、発給者が相手を丁重に扱った証として見ることもできる。
もとは書下(かきくだし)と同じような意味合いであったが、戦国時代以降、守護や大名の発給した直状(じきじょう)は判物と呼ばれるようになった。
(備考)
鎌倉時代以降、守護以下の武士が家務の執行のために下位者に出す直状形式の文書を書下と呼んだ。
書下は下知状(げちじょう)の様式が加味されたもので、直状形式であるという点で奉書(ほうしょ)と区別される。
書状と書下(かきくだし)との違いは、書状は私的な意味合いであるのに対し、書下は執務に関わるものであるという点である。
しかしながら、時代が進むにつれてその区別をつけるのが難しくなった。
南北朝以降、将軍から自立する傾向にあった守護大名が、単に将軍の命令を伝達するだけでなく、自らの所領へ下知を行うようになるにつれて、書下はますます重要な意義を持つようになった。
さらに戦国時代に入ると守護や大名の発給した直状は、直書または判物と呼ばれるようになった。
さらに発給者やその家独自の印判を花押のかわりに据えた印判状(いんばんじょう)が生まれ、それまでの書下の機能の多くが印判状に吸収されるようになった。
つまり、判物は印判状と区別して特別視されるようになったのである。
江戸時代に入ると判物と印判状はさらに明確な違いが生まれるようになった。
一般家臣の知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)は黒印であるのに対し、家老に対しては花押を据えた判物が使用される傾向にあった。
※本項の大部分は 瀬野精一郎(2018)『花押・印章図典』吉川弘文館 を参照
ひ
被閲・・・ひえつ
(意味)先方からの書簡を拝見したこと。
書状を読んだこと。
(備考)披見(ひけん)と同じ意。
例文) 『真田宝物館所蔵文書』(年次不明)十一月三日付穴山信君書状
芳札之旨具被閲、本望之至候、如貴意関越当方鉾楯、更不落居為体候、雖然豆州・武州過半信玄属手候条、本意無疑候、
(書き下し文)
芳札の旨つぶさに被閲、本望の至りに候。
貴意の如く関越当方(関東と越後と武田)の鉾楯、更に落居せざるのていたらくにて候。
然れども、豆州(伊豆)・武州(武蔵)の過半、信玄の手に属し候条、本意疑い無く候。
被官・披官・被管・披管・・・ひかん
(意味)
管轄内に入ること。
転じて上級官吏直属の者たちを指すようになり、戦国時代頃には武家や寺社に扶持や知行を与えられた家臣・奉公人。または官吏の私的な使用人を意味するようになった。
古くは「被管」と書く。
(備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月十三日条より
一、筒井披官橋本順盛毒害事、顕現之間、橋本遂電、十月事云々、
(筒井被官橋本順盛毒害の事。顕現之間、橋本は遂電。十月の事と云々。)
※顕現(けんげん)とは露見すること。発覚。
例文2) 『長福寺文書』元亀三年四月日付織田信長朱印状
一、臨時之課役免許畢、付、門前被官人等、守護不入之上者、為寺家可相測、不可有他之妨之事、
(書き下し文)
臨時の課役免許しおわんぬ。
付けたり、門前の被官人等、守護不入の上は、寺家として相計らうべし。他の妨げ有るべからざるの事。
語訳:臨時の課役(賦役)を免除する。
傘下の被官衆も守護不介入である以上は、寺家として取り扱う。
それに反する先例などがあった場合は、それを無効とする。
疋・・・ひき、ひつ、き
(意味)中世日本のお金の単位の一つ。
100疋=1貫文とする見解が一般的。
古くは10文を指し、江戸時代には25文を指した。
しかし、『徒然草』には1疋=30文とあるので、本当に地域や時代によってばらばらのようだ。
単に動物の1匹2匹の意味で疋が用いられる場合もある。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年五月十日条より
順盛御返事進之、二百疋畏入之由也、
(順盛御返事をまいらす。二百疋畏み入るの由なり。)
引付・・・ひきつけ
(意味)
①のちの証拠として、訴訟の詳細を記した記録のこと。
②人を引っ張ってくること。
③敵を挑発すること。
④鎌倉・室町期の裁判機関のこと。
(備考)
例文) 『(元亀四)二月二十三日付織田信長黒印状(細川家記)』
一、和田事、先日此方へ無疎略趣申来候、若者ニ候之間被引付、御意見専一候、
(一、和田(和田惟長)の事、先日此方へ疎略なきの趣き、申し来たり候。若者に候の間、引きつけられ、御意見専一に候。)
④の場合は、「論人(被告)が引付方に出頭する」などと表現される。
また、引付機関が発給する奉書形式の文書を「引付奉書」とよぶ。
引退・・・ひきのく
(意味)
引き退くこと。
兵を撤退または後方へ下げること。
(備考)
「ひく」は接頭語のため、後にかかる語を強調させたり、語調を整える程度のものである。
例文1) 『(推定弘治三)六月二十三日付武田晴信書状(市川文書)』
注進状被見、仍景虎至于野澤之湯進陣、其地ヘ可取懸模様、又雖入武略候無同意、剰備堅固故、長尾無功而飯山へ引退候哉、誠心地能候、何モ今度其方擬頼母敷迄候、
(書き下し文)
注進状披見。
仍って景虎(長尾景虎)、野沢の湯に至り陣を進め、其の地へ取り懸かるべき模様。
又、武略に入り候といえども同意無く、あまつさへ備え堅固ゆえ、長尾功無くして飯山へ引き退き候や。
誠に心地よく候。
いずれもこのたび、其方の謀り頼もしきまでに候。
例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月二十二日条より
一、楠葉新衛門佐來、一昨日自越前罷上、大雪也、朝倉ハ自江州引退了、今三乃勢二千計生涯云々、
(書き下し文)
楠葉新衛門佐来たる。
一昨日越前より罷り上る。
大雪なり。
朝倉は江州より引き退きおわんぬ。
今美濃勢二千ばかりが生害と云々。
引文・・・ひきぶみ
(意味)根拠となる文書のこと。
引物・・・ひきもの
(意味)
①客が持って帰るように、特に膳に添えて出す肴・果子の類。引出物。
②壁代・帳・几帳など、引っ張って隔てとするもの。
③定められた年貢額から差し引かれるもの。反銭・反米などの臨時に賦課された税は、所領の主と百姓が負担したが、所領の主分は年貢から差し引かれた。
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応七年二月一日条より
一、北國方去年分到來、注文見之、則引付之、玉阿引物不得其意、則先日問答云々、
(書き下し文)
北国方去年分到来。
注文これを見る。
すなわち引付、玉阿(玉阿弥)引物その意を得ず。
すなわち先日、問答と云々。
飛脚・・・ひきゃく
(意味)発給された書状を送り届ける人物のこと。脚力(きゃくりき)。
身分の低い人物、あるいはその家の内情を知らない外部の人物である場合が多い。
(備考)飛脚は書状の詳細を語れない(内情をよく知らない)ので、急を要する際や適切な使者がいない場合に選ばれた。
リスクとして飛脚が敵方に捕縛されたり、飛脚自身が裏切ることが挙げられる。
戦国時代の書状の後半部分に「猶〇〇申すべく候」などと記される場合が多い。
この場合、〇〇が副状発給者なのか、使者なのか判断が難しい場合がある。
しかし、飛脚であれば「飛脚を差し遣わし候」などとするので判別がしやすい。
「□□差し下し候。〇〇申すべく候」の場合、多くの場合は□□に使者(飛脚ではない)が、〇〇に副状発給者のケースが多い。
なお、書状に「幸便の条、筆を染め候」とある場合、飛脚に書状を託している可能性が高い。
幸便は「幸いそちらへ赴く者がおりますので」とした意味があるからだ。
丸島和洋(2013)「戦国大名の「外交」」講談社参照
比興・非興・・・ひきょう
(意味)
①名ばかりで内実の伴わないさま。取るに足りない人物であること。
②卑しい行為。卑怯なふるまい。
③趣きがあること。面白いこと。愉快であること。
③不都合なこと。
④笑止千万なこと。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応四年十月二十六日条より
東門院來、見参、伊勢國司内者共、色々緩怠申状共在之、入道殿致無爲計略云々、定不可有殊事、然者閣丹波合力、先以可有歸陣云々、凡比興作法也、
(書き下し文)
東門院に来たる。見参。
伊勢国司の内者ども、いろいろ緩怠な申し条ともにこれあり。
入道殿(北畠政郷カ)無為な計略を致すと云々。
定めて殊事有るべからず。
然らば、丹波(斎藤丹波守=石丸利光)をさしおいての合力、まず以て帰陣あるべしと云々。
およそ卑怯な作法なり。
例文2) 『顕如上人御書札案留』(元亀三)六月三十日付浅井久政宛
久無音之様候、不本意候、其表事長々籠城之衆、可為窮困候歟、此度之儀専用候條、無越度様軍兵等堅可被申付候、爰元方々調略之儀候、越州彌可被示合候、將又所在之條繻子二端進之候、比興比興、具上野法眼可申伸候也、
(書き下し文)
久しく無音の様に候。
不本意に候。
その表の事、長々籠城の衆、窮困たるべく候か。
この度の儀専要に候の条、落ち度なき様に軍兵等堅く申し付けられ候。
爰元方々を調略の儀に候。
越州(朝倉義景)といよいよ示し合わさるべきに候。
将又所在の条、繻子二端これをまいらせ候。
比興比興。
披見・・・ひけん
(意味) 先方からの書簡を拝見したこと。
書状を読んだこと。
(備考)被閲(ひえつ)と同じ意。
「被見」のくずし方
「被」のくずし方はいろいろあるが、「披見」の場合はこのくずし方が多い。
よく見ると「てへん」も「皮」も定番のくずし方である。
相手方から返書を書く際に頻出する用語。
日来・日頃・日比・・・ひごろ・にちらい・じつらい
(意味)
日頃から。普段。平生。
「日来(にちらい)・(じつらい)」と同じ意。
(備考)
「比(ころ)」は他にも「去比」・「先比(さいつころ)」・「比合」など、古文書では頻繁に登場する。
例文) 『信長公記 巻六』眞木島ニテ御降参公方様御牢人之事より
河内國若江之城迄、羽柴筑前守秀吉御警固尓て送被届、誠尓日比者輿車美々敷御粧之御成歴々の御上臈達歩立、赤足尓て取物も不取敢御退座・・・
(書き下し文)
河内国若江城まで、羽柴秀吉御警固にて送り届けらる。
誠に日頃は輿車美々しき御粧に御成りの歴々の御上臈達も歩き立ち、赤足にて取る物も取り合えず御退座・・・
只管・・・ひたすら
(意味)
ひとつのことに専念すること。
いちずであるさま。
鐚銭・・・びたせん・びたぜに
(意味)
表面の文字が磨滅した銭。悪銭(あくぜに)。または傷ついたり割れたりした銭のこと。
(備考)
精銭とされた宋銭や明銭(永楽銭など)に対して、鐚銭は貨幣としての信用度が低い。
この問題を是正するため、西国や畿内を中心に撰銭令が敷かれるなど混乱が多かった。
例文) 『多聞院日記』永禄十年八月十五日条より
一、仙學坊下了、ユエン一丁ノヲ五丁、二丁ノヲ十丁持畢、代二百文渡之、惡銭之間不取之可返之、我等切帋取ニ遣之、一丁ノヲ十丁來候内、五丁返了、
(書き下し文)
一、仙学坊下りおわんぬ。
ユエン一丁のを五丁、二丁のを十丁持ちおわんぬ。
代二百文これを渡す。
惡銭の間、これを取らず、これを返すべく、我等切紙を取るにこれを遣わす。
一丁のを十丁来たる候のうち、五丁を返しおわんぬ。
畢竟・・・ひっきょう
(意味)結局のところ。つまるところ。結果として。
必定・・・ひつじょう
(意味)
必ずそのように決まっていること。
想定した通りのことになること。
決定的なこと。
または間違いないであろうこと。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応四年十二月十三日条より
越智ハ十月廿五日他界、内外ニ令隱蜜之云々、然則毎事内方成敗之由岸田申、以之思安、猶以入滅秘定也、
(書き下し文)
越智(越智家栄)は十月二十五日に他界。
内外にこれ隠密せしむと云々。
然らば則ち、毎事内方成敗の由を岸田が申す。
これを以ての思案、なおもって入滅は必定なり。
人返・・・ひとがえし
(意味)戦乱や災害などで他所に移動した従者・百姓を、元の主人・百姓に返還する措置のこと。
(備考)中世南北朝期以降、領主間でしばしば返せ、返さないといった紛争が問題化していた。
戦国時代に入るとそれが特に顕著で、「法」によってどうするのかを明確に記す場合もあった。
一揆契状に深く関連する。
一廉・一角・・・ひとかど
(意味)ひときわ優れていること。
人々御中・・・ひとびとおんちゅう
(意味)書簡の最後に記す脇付(わきづけ)にあたる部分。
相手に敬意を表すために用いられるもの。
直訳すると「あなた様の側近の方たちへ」。
転じて「私はあなた様へ直接書簡を出せる身分ではありません」といったへりくだったニュアンスとなる。(しかし、戦国時代では対等な立場でも普通に用いられた)
(備考)他にも机下や草々、穴賢(あなかしく)、かしこ、進之候(これをまいらせそうろう)などがよく登場する脇付。
返書の場合は御報、尊報、尊答、貴報など。
一途・一図・・・いちず・いっと・ひとみち
(意味)「一途(いちず・いっと)」の項を参照のこと。
非分・・・ひぶん
(意味)分不相応なこと、理非をわきまえぬこと、無茶なこと。
(備考)禁制などでよく登場する「非分の輩」とは、理非をわきまえぬ者という意味で、”兎角の輩“とほぼ同意。
百姓・・・ひゃくしょう
(意味)単に農作業に従事する人という意味だけではなく、非常に幅の広い意味を持つ。それに加え、時代時代によっても少しずつ意味が異なる
無比類・・・ひるいなき・ひるいなし
(意味)比べる対象がないほどすばらしいこと。
披露状・・・ひろうじょう
(意味)書簡を相手に直接宛てるのではなく、その家臣に宛てて送ること。
付状(つけじょう)、伝奏書(でんそうがき)とも呼ぶ。
(備考)披露状を用いる目的は「私はあなたの主君に直接書簡を差し出せるような立場ではありません。」と非常にへりくだったニュアンスで、厚礼な態度を示すために行った。
披露状では、「恐々謹言」などの書留文言(かきとめもんごん)の前に「宜しく御披露に預かるべく候」などの文言が入ることが多い。
書札礼(しょさつれい)としては非常に厚礼なもの。
こうした披露状は大名の親子間でも行われた。
ふ
分〇銭・・・ぶ〇せん
(意味)
〇には数字が入る。
「分一銭(ぶいちせん)」で元値の一割の金額を指す。
(備考)
中世の文書にはよく
「早く請文(うけぶみ)の旨に任せて借銭分一銭これを収納せらるべきの由なり。」
(急ぎ請文の内容通りに、借銭分の一割の額を納入せよとのことである。)
といった内容が見受けられる。
無案内・・・ぶあんない
(意味)
事情が分からず不慣れなこと。勝手がわからないこと。
その道に暗く、経験が乏しいこと。
(備考)
⇔「案内」
例文)『太田家古文書(年月日不明鳥屋尾満栄書状)』
切紙にて申候、日より次第御船まわし可申候、此方之者計ハ、無案内たるへく候間、一両人宛人数御出候ハヽ、可畏入候、
(書き下し文)
切紙にて申し候。
日より次第御船をまわし申すべく候。
此方の者ばかりは、無案内たるべく候間、一両人ずつの人数御出し候はば、畏り入るべく候。
諷諫・・・ふうかん
(意味)
遠回しに忠告すること。
それとなくにおわせて諫めること。
(備考)
例文) 『毛利家文書』(天正元)九月七日付羽柴秀吉書状
就公方様御入洛之儀、信長江御諷諫之通、則申試候処、同心被申候、然上者、上中、牧玄儀、不可有意儀候、
(書き下し文)
公方(足利義昭)様御入洛の儀に就きて、信長(織田信長)へ御諷諫の通り、即ち申し試し候ところ、同心申され候。
然る上は、上中(上野中務大輔秀政)・牧玄(真木島玄蕃頭昭光)儀、異議有るべからず候。
賦役・・・ふえき・ぶえき
(意味)
公用のために、人民を人夫として徴発すること。
労働力。雑用。夫丸。夫役。
(備考)
大宝令では「賦役」を租税の調(みつぎもの)と労役を指した。
賦課・・・ふか
(意味)租税などを徴収すること。
(備考)
「賦(ふ)す」は割り付ける。くばることを意味する用語。
「棟別銭を賦課する」などと表現する。
不可説・・・ふかせつ
(意味)
①ひとことでは表せれないほどひどいありさま。まったくけしからぬこと。
②ひとことでは説明できないこと。規格外なこと。スケールの大きな話。
(備考)
もとは華厳経の仏典用語「不可説不可説転(ふかせつふかせつてん)」からきていると思われる。
仏典に現れる具体的な数詞としては最大のものとされている。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十一月二十三日条より
三藏會於東室在之、堅者教實・淨弘・宗宣也、教實至昨夜乱行不法之由、及一寺沙汰躰也、罪過沙汰祭礼以後云々、不可說々々々、
(書き下し文)
三蔵会東室に於いてこれあり。
堅者教実・浄弘・宗宣なり。
教実は昨夜に至りて乱行不法の由、一寺沙汰に及ぶ体(てい)なり。
罪過沙汰、祭礼以後と云々。不可説不可説。
※堅者(立者)は仏法議論の場で質問に答える役目の僧。
例文2) 『言継卿記』永禄十年二月十五日条より
戌刻計於禁中狼藉人有之、各逐之、橘通子之家へ逃入云々、罷向之處、町衆種々懇望之間各被歸了、半井宮内大輔入道亀庵也云々、言語不可說々々々、沙汰之限也、
(書き下し文)
戌の刻ばかりに禁中に於いて狼藉の人これ有り。
各々これを逐い、橘通子の家へ逃げ入り云々。
罷り向かうのところ、町衆が種々懇望の間、各々が帰られおわんぬ。
半井宮内大輔入道亀庵(明貞)なりと云々。
言語不可説不可説。
沙汰の限りなり。
不具・・・ふぐ
(意味)
①備わらないこと。
そろわないこと。不備。
②病などで調子が悪いこと。不調。
③書状の末尾に記し、詳らかではないことを相手に詫びる文言。
「不具能(つぶさにあたわず)」・「不一」・「不尽」・「不備」などと同じ意。
(備考)
具は「そなえる」とも読む。
従って、備わっていない、用意が調っていない、不調であることを意味する。
書簡の末尾に記す場合も概ね同じ意味で、これを記すことで相手に謙虚な印象をあたえる事ができる。
例文) 『個人蔵』(天文十七)二月二十二日付村上義清書状
其内可被懸御意事、待入計候、委曲彼口上令付与之候間、不具、恐々謹言、
(書き下し文)
その内御意に懸けらるべきの事、待ち入るばかりに候。
委曲 かの口上にこれを付与せしめ候間、不具。恐々謹言。
武家伝奏・・・ぶけでんそう
(意味)
武家に関する用事を朝廷に奏上する職のこと。
建武の中興以後に設けられ、定例の儀式に関することや、官途の奏上など、朝廷-幕府間のやり取りを円滑に行った。
江戸時代には納言・参議の中から2名が選出された。
(備考)
武家伝奏と同じように、朝廷と寺社間のやりとりを円滑に行う職を寺社伝奏。または社寺伝奏という。
普賢菩薩・・・ふげんぼさつ
(意味)
仏界用語の一つ。
仏の理・定・行の徳をつかさどり、特に延命の徳を備えている菩薩。
文殊菩薩とともに釈迦の脇を固める。
白象に乗り仏の右方にいるとされる。
無沙汰・不沙汰・・・ぶさた
(意味)
①訪問しないこと。出仕しないこと。たよりがないこと。無音。
②関心を持たないこと。知らないこと。
③油断。不用心。
④不都合なこと。
⑤年貢等を納めないこと。
(備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』長享二年二月二十三日条より
一、公方奉公無沙汰不可然旨事、返事、此条就國務在國仕候、仍爲代官分一族定在京仕候、
(書き下し文)
公方(足利義尚)への奉公無沙汰然るべからざる旨の事。
(北畠政郷よりの)返事。
この条、国務に就きて在国仕り候。
仍って代官分として、一族を定めて在京仕り候。
例文2) 『長福寺文書』元亀三年四月日付織田信長朱印状
一、所々年貢於無沙汰之輩者、堅可被譴責之事、
(所々の年貢を無沙汰のともがらに於いては、堅く譴責せらるべきの事。)
不日・・・ふじつ
(意味)
近日中に。
日を置かないで。
特に日限は設けないが、なるべく早くに。
(備考)
「不日」のくずし方と用例
一見簡単なように見えるが、「日」は「為」や「而」・「可」によく似たくずしの場合が多いため、文章を理解できていないと解読は難しい。
不実・・・ふじつ
(意味)事実とは異なること。
不首尾・・・ふしゅび・ぶしゅび
(意味)
①不一致。終始一貫しないこと。
②結果がうまくいかないこと。
③ぐあいの悪いこと。体裁の悪いこと。不都合。
(備考)
例文) 『(元亀三年)十一月二十日付織田信長書状写(真田宝物館所蔵)』
一、遠州表信玄備之躰、一向不首尾之由候、駿遠間之通路慥切留候、然而自此方令出勢之条、信玄近日之陣場を引崩、信刕を後ニ、當山奧へ夜中ニ執入候、信刕へ道を作、可往還候歟、
(書き下し文)
遠州表信玄(武田信玄)備えの体、一向に不首尾の由に候。
駿・遠間の通路は、確かに切り留め候。
然してこなたより出勢せしむるの条、信玄近日の陣場を引き崩し、信州を後ろに、当山奧へ夜中に取り入り候。
信州へ道を作り、往還すべく候か。
不順・・・ふじゅん
(意味)
①道理に背くこと。
②天候や体調などが順調でないこと。
扶助・・・ふじょ
(意味)困っている人を助けること。援助すること。
また、給金や知行地を与えて召し抱えること。
(備考)判物(はんもつ)の類に頻繁に登場する用語。
「右、〇〇に於いて扶助せしむるべきものなり」のような形で登場する。
例文) 「記録御用所本」元亀元年十二月十五日付織田信長朱印状写
山岡対馬守景佐拝領、同十兵衛景寧書上、
信長判物、
其方へ扶助候知行分之事、本知・新知共無相違候、所務已下速可被申付候、国主還附候共、右之於領知事者、不可有別条候、若及異儀者有之者、可申付之状如件、
(書き下し文)
山岡対馬守景佐拝領。
同十兵衛景寧が書上ぐ。
信長判物
その方へ扶助し候知行分の事、本知・新知ともに相違無く候。
所務以下、速やかに申し付けらるべく候。
国主に還附し候とも、右の領知の事に於いては、別条有るべからず候。
もし異儀に及ぶ者これ有らば、申し付くるべきの状くだんの如し。
不請・不承・・・ふしょう
(意味)
自分の心からは請い望まないこと。
いやいやながら承知すること。
我慢すること。
または受け入れられないことを意味する。不承知。
なお、不承不承(ふしょうぶしょう)も「いやいやながらする」といった意味となる。
不定・・・ふじょう
(意味)
①決まっていないこと。不確定な事がら。
②思いがけないこと。意外。
普請・・・ふしん
(意味)
①人々を招き、その力を借りて事を為すこと。
②多くの人から寄付を受けて、堂・塔などを修理すること。
転じて家屋を建てること。建築そのものを意味するようになった。
(備考)
「しん」は唐音。
例文) 『米田氏所蔵文書』元亀二年十月十四日付織田信長朱印状
勝竜寺要害之儀付而、桂川より西在々所々、門並人夫参ヶ日之間申付被、可有普請事簡要候、仍如件、
(書き下し文)
勝竜寺要害の儀に付きて、桂川より西の在々所々、門並びに人夫三ヶ日の間申し付けられ、普請あるべき事簡要に候。
仍ってくだんの如し。
布施・・・ふせ
(意味)
仏界用語の一つ。
他人に物を施すこと。
特に僧侶に物を施し与えることを指す。
浮説・・・ふせつ
(意味)評判。うわさ。流言飛語。
(備考)
例文) 『建内記』永享十一年六月六日条より
北畠故中将子、小生也、在国小生之間、伯父僧還俗相代在京、当時中将顕雅朝臣也、而進発大和国致軍忠在陣之時分也、爰有種々浮説、令恐怖歟之由風聞、
(書き下し文)
北畠の故中将(北畠満雅)の子(のちの北畠教具)、小生(幼少)なり。
小生の間は在国。
伯父の僧還俗し、相代わりて在京す。
当時は中将顕雅(のちの大河内顕雅)朝臣なり。
然して大和国へ進発し、在陣・軍忠致す時分なり。
ここに種々の浮説有り。
恐怖せしめ、かの風聞の由。
扶桑・・・ふそう
(意味)
大陸で東海の日の出る島にあるといわれた神木のこと。
転じて東の島国である日本列島を指すようになり、日本でも自国をそう呼ぶようになったといわれる。
(備考)
はたして「扶桑」が日本を指すのか諸説あるようだが、少なくとも中世の古文書で用いる「扶桑」は、日本国中を指す場合が多い。
例文) 『(元亀三)正月二十八日付武田信玄書状写(国立国会図書館所蔵文書)』『武家事紀三三』
依遼遠之堺、無音意外候、如露先書候、甲・相存外遂和睦候、就之例式従三・遠両州可有虚説歟、縦扶桑国過半属手裏候共、以何之宿意信長へ可存疎遠候哉、被遂勘弁、佞者之讒言無油断信用候様、取成可為祝著候、仍近日者輝虎甲・相・越三国之和睦専悃望候、雖然存旨候之間、不致許容候、
(書き下し文)
遼遠の堺(大阪府)よりの無音意外に候。
甲(武田信玄) 相(北条氏政)は存外に和睦を遂げ候。
これに就きて礼式に従い、三(三河国) 遠(遠江国)両州、虚説あるべく(候)か。
たとい扶桑国過半が手裏に属し候とも、宿意(前々からの恨み事)何れも以て信長へ疎遠に存ずべく候や。
勘弁を遂げられ、佞者の讒言、信用油断無き候様、然りといえども、存じ旨候の間、許容致さず候。
譜代・譜第・・・ふだい
(意味)
①氏族の家系の順序を記したもの。系図。
②代々、家計を継ぐこと。代々その職にあること。
③代々、臣下として仕えること。またその人を指す。
江戸時代でいう譜代大名は、関ケ原の合戦以前から徳川氏に仕えていた者を指すことが多い。
(備考)
「譜」は系譜、「第」は次第からきている。
二心・・・ふたごころ
(意味)
①うわき心。
②主君に背く心。逆意のこと。
不断・・・ふだん
(意味)いつも、日頃、普段。絶え間がないこと
(備考)「不」だけの場合は”ふ”ではなく”ず”となる。~にあらず
扶持・・・ふち
(意味)
助けること、そばで補佐すること。
また、家臣に与えられた俸禄。
転じて食糧を指す。
(備考)
例文) 『(天正元)十月二十九日付三雲成持書状写(大宝神社文書)』
都合五拾石之通、令扶持候、向後不可有相違候、弥無退屈、抽粉骨、於尤忠功者、猶以可加扶助条、無油断馳走肝要候、恐々謹言、
(書き下し文)
都合五十石の通り扶持せしめ候。
向後相違有るべからず候。
いよいよ退屈無く粉骨を抜きんで、忠功尤もに於いては、猶もって扶助加うるべきの条、油断無く馳走肝要に候。恐々謹言。
不知行・・・ふちぎょう
(意味)知行の根拠は有するが、それが実現していない状態
(備考)
⇔当知行
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年十月二十五日条より
一、鳥見・矢田兩庄自當年東北院知行、尤可然事也、近年ハ西金堂も不知行、一向越智方押領地也、
(書き下し文)
鳥見・矢田の両庄、当年より東北院の知行、もっとも然るべき事なり。
近年は西金堂も不知行。
一向、越智方押領の地なり。
不忠・・・ふちゅう
(意味)忠誠心が足りないこと
(備考)「不」だけの場合は”ふ”ではなく”ず”となる。~にあらず
染筆・・・ふでをそめ
(意味)手紙を書くこと。
(備考)手紙を書く際に筆を墨で染めることから。
冒頭の書き出しで頻繁に登場するいわば定型文。
「態染筆候」(わざと筆を染め候)などがよく登場するパターン。
抛筆・・・ふでをなげうつ・ふでをなげうち
(意味)ここで手紙を書くことをやめること。
(備考)書簡を出す際に頻繁に用いられたいわゆる定型文。
以下のような表現が多い。
『仙台博物館所蔵文書(天正元年)十二月二十八日付織田信長朱印状)』より抜粋
必従是可申展之条、抛筆候、恐々謹言、
(必ずこれより申し述ぶべきの条、筆をなげうち候。恐々謹言)
不図、与風、浮図・・・ふと
(意味)
①たやすく。さっさと。
②動作が素早いさま。
③不意に。はからずも。ひょっと。
(備考)
動作が急に行われるさまをいい、「急度(きっと)」よりやわらかで軽い語感がある。
また「ふとしも」の形で打消しをともない、「すぐには」「急には〇〇できない」の意となる。
不動明王・・・ふどうみょうおう
(意味)
仏界用語。五大明王の一つ。
怒りの表情で右手に降魔の剣、左手に捕縛の縄を持ち、背に火炎を背負い、全ての邪悪なものを降服させるというもの。
両脇に勢多迦・矜羯羅の二童子を従えている。
(備考)
「不動明尊」も同じ意。
「不動安鎮法(ふどうあんちんほう)」は不動明王に降伏した敵が、安らかに生活できるようにと祈祷する法。
太物・・・ふともの
(意味)
①そまつな太い絹糸で織った絹織物のこと。太織(ふとり)。
②綿・麻織物の総称。
(備考)
①太い糸で荒く織った布を「太布(ふとぬの)」という。
「太織(ふとり)」は「ふとおり」の約。
②は絹織物を「呉服」というのに対してできた語。
のちに太物も含む和服の総称として「呉服」を指すようになった。
不如意・・・ふにょい
(意味)思ったようにならないさま。
または金の都合がつかないさま。
補任・・・ふにん・ぶにん
(意味)
①職に補し、官に任ずること。
②「補任状」の略。将軍や大名が、特定の人物を任命するときに与える辞令。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年十一月十八日条より
一、祭礼事、廿七日分用意旨申之、修理目代ハ成身院持之分也、今度所々橋等加修理畢、未及補任歟、
(書き下し文)
祭礼の事、二十七日分用意の旨これを申す。
修理目代は成身院これ持つ分なり。
この度所々・橋などに修理を加えおわんぬ。
未だ補任に及ばずか。
例文2) 『言継卿記』永禄十年十月一日条より
梶井殿へ御暇乞に参、四辻亞相同被参、御酒有之、大和宮内大輔入道被申中道寺井料御代官職之事、橋本方へ御補任被成返之由風聞、實否尋申度之由候間、伺申候處、御補任者不成返候、南方次第可爲憲法之由、對与御書被下之、
(書き下し文)
梶井殿へ御暇乞いに参る。
四辻亜相も同じく参らる。
御酒これ有り。
大和宮内大輔入道の申さる中道寺井料御代官職の事、橋本方へ御補任を返しなさるるの由の風聞、実否尋ね申したきの由に候間、伺い申し候ところ、御補任は返しなさらずと候。
南方の憲法次第たるべきの由、与に対し御書これを下さる。
不人数・無人衆・・・ふにんずう・ぶにんしゅう
(意味)人手が不足していること。兵力が少ないこと。無人数。
「無人」と記されることもある。
(備考)
例文) 『(永禄十一)十二月二十七日付佐竹義重書状(米沢市上杉博物館所蔵文書)』
然者武田晴信駿州江被及事切、駿符相破、小田原取乱、不及是非由申候、早々御越山此时候、少々無人衆候共、一刻片时も御急ニ極候、
(書き下し文)
しからば武田晴信(武田信玄)駿州へ事切れに及ばる。
駿府は相破れ、小田原取り乱れ、是非に及ばずの由と申し候。
早々の御越山、この時に候。
少々の無人衆に候へども、一刻片時も御急ぎに極め候。
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不便・不憫・・・ふびん
(意味)
①都合が悪いこと。困ること。
②かわいそうなこと。憐れむべきこと。
③面倒を見ること。世話を焼くこと。かわいがること。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年八月二十二日条より
一、今朝古市手者共所々廻了、大安寺向行合被打了、不便々々、
(今朝古市の手の者ども所々を廻りおわんぬ。大安寺に行き向かい討たれおわんぬ。不便不便。)
不弁・・・ふべん
(意味)
物事が思うようにいかないこと。
貧しいこと。
(備考)
例文) 『(元亀三)六月二日付島田秀満書状(妙心寺文書)』
尚々、久不罷向上、御床敷存候、永々在京不弁、可有御推量候、普請取乱無音候、以上、
(書き下し文)
尚々、久しく罷り向上せず、御床敷く存じ候。
永々在京して不弁、御推量有るべく候。
普請取り乱し無音に候。以上。
夫丸・・・ぶまる
(意味)人夫・人足のこと。夫役。
(備考)
古来より子供や下級の役職名の下に「丸」を付けて呼ぶ風潮があったことから、この名がついたと思われる。
夫役・・・ぶやく
(意味)
公用のために、人民を人夫として徴発すること。
労働力。雑用。夫丸。賦役。
「ふえき」「えだち」ともいった。
触状・・・ふれじょう
(意味)
連名の宛名で次々に回覧した文書。
「廻文・回文・回状」のこと。
例文) 『二条宴乗日記』永禄十三年正月二十三日条より
就信長上洛可有在京衆中事、北畠大納言殿、同北伊勢諸侍中、徳川三河守殿、同三河遠江諸侍衆、姉少路中納言殿、
(中略)
同觸状案文
禁中御修理、武家御用、其外為天下弥静謐、来中旬可参洛候条、各有上洛、御禮被申上馳走肝要候、
(書き下し文)
信長上洛に就きて、在京有るべき衆中の事。
北畠大納言殿(北畠具教)、同北伊勢諸侍中、徳川三河守殿(徳川家康)、同三河遠江諸侍衆、姉小路中納言殿(姉小路良頼)、
(中略)
同じく触状の案文
禁中御修理、武家御用、その他天下いよいよ 静謐の為に、来たる中旬に参洛すべく候の条、おのおのも上洛有りて、御礼申し上げられ、馳走 肝要に候。
分郡守護・・・ぶんぐんしゅご
(意味)
室町幕府が国ごとに任命した守護職とは別に、各国の郡単位でそれぞれ任命・あるいは追認された守護者(領主)のこと。
しかしながら、分郡守護の定義について、研究者によってばらつきがあり、統一された基準を持たないのが現状である。
これまで多くの研究者が「分郡守護」と記した論文や書籍が発表・出版されてきたが、近年になってその存在を疑問視する動きが出始めた。
分限・・・ぶんげん・ぶげん
(意味)
①様子。ありさま。
②身の程。分際。
③金持ち。財産家。分限者。
(備考)
「ん」は撥音便であるため、史料では記さないことも多い。
「分」のくずし字は独特であるため、「分国(ぶんこく)」の項で詳述。
分国・・・ぶんこく
(意味)
①国を分けること。
②皇族や朝廷、幕府から任ぜられて得た知行国のこと。
③大名の支配する所領。領国。
(一国に限らず、数か国にまたがって支配する所領も分国とよぶ。)
(備考)
もとはもっぱら①や②を意味し、国を任ぜられた国守が国司を推挙して諸税を徴収させた。=分国制
室町時代に入ると、守護大名の権力拡大に伴い、その性質が変化する。
任ぜられた地を自家の領国となし、強力な権力を持つに至った。
こうした流れで分国の意味も拡大的に解釈され、③を意味するようになったと思われる。
とくに戦国期の史料には、自領の中でのみ通用する法や定(さだめ)を制定し、時代に対応した秩序を保った。
例文1) 『武田家朱印状(個人蔵)』元亀二年二月十三日付山県昌景奉書
定
一、御分国諸商、一月ニ馬壱疋之分役等、御免許之事、
(書き下し文)
定め
一、御分国の諸商、一月に馬一疋(ひき)の分役等、御免許の事。
語訳)武田家領内の商人は、ひと月あたりの馬一疋の分役等の課税を免除する。
例文2) 『伊達家文書』 (天正元)十二月二十八日付織田信長朱印状
然而武田入道令病死候、朝倉義景於江越境目、去八月遂一戦、即时得大利、首三千余討捕、直越国へ切入、義景刎首、一国平均ニ申付候、其以来若狭、能登、加賀、越中皆以為分国、属存分候、五畿内之儀不覃申、至中国任下知候次㐧、不可有其隠候、
(書き下し文)
然して、武田入道(武田信玄)病死せしめ候。
朝倉義景は江州境目に於いて、去八月に一戦を遂げ、即時に大利を得、首三千余りを討ち取り、直ちに越国へ切り入り、義景の首を刎ね、一国平均に申し付け候。
それ以来、若狭・能登・加賀・越中皆以て分国と為し、存分に属し候。
五畿内の儀は申すに及ばず、中国に至りて下知に任せ候次第、その隠れ有るべからず候。
語訳)また、武田信玄入道は病死しました。去る8月、近江の国境で朝倉義景勢と戦い、これを打ち破りました。討ち取った首は三千にも上り、直ちに越前へと乱入して義景の首を刎ね、一国を平定しました。その後は若狭・能登・加賀・越中を分国と為し、思いの通りになりました。五畿内は言うまでもなく、中国地方まで下知のままになったことは、隠れもない事実であります。
「分」のくずしは原型を留めないことが多い。
一見すると「不」のくずしに見えないこともない。
「分」に続く字が読めないと、文脈を把握できないことにもなりかねない。
頻出する用語のため、しっかりと覚えておいた方がよいだろう。
粉骨・・・ふんこつ
(意味)
力の限り骨を折ること。努力すること。力を尽くすこと。身を粉にすること。
(備考)
例文) 『細川家文書』(天正五)二月二十三日付織田信長黒印状写
昨日於長尾合戦令先駈、数十人討捕之首到来、尤以神妙候、粉骨之段無其類、以無人数首数有之条、感情不浅候、猶以可入勢候也、
(書き下し文)
昨日長尾合戦に於いて先駆けせしめ、数十人を討ち捕るの首到来、尤も以て神妙に候。
粉骨の段、そのたぐい無し。
無人数を以て首数これ有るの条、感情浅からず候。
猶以って精を入るべく候なり。
へ
平均・・・へいきん
(意味)平定すること、統一すること。
(備考)「平均に申しつくべく候」などと使う。
不可・不合・・・べからず・べからざる
(意味)
①~してはいけない。禁止を表す。
②~できない。不可能を表す。
③~するはずがない。打消しを表す。
(備考)
推量・当然などの意の助動詞「べし」の未然形「べから」に打消しの助動詞「ず」が付いたもの。
古代期から多く漢文体の文書で用いられ、近世に至るまで強い禁止を表すものとして広く浸透した。
「不可有(あるべからず)」・「不可然(しかるべからず)」・「不可叶(かなうべからず)」など。
⇒「~間敷・・・~まじ・まじく・まじき」
例文1) 『沢氏文書』永禄十年六月九日付北畠具教安堵状
就今度不慮之紛、雖本所不審之儀候、覚悟無別義の通申被處ニ、無異儀被聞召分、本領等諸事、前々如判形筋目、不可有別儀候、
(書き下し文)
この度不慮の紛れに就きて、本所(北畠具房)不審の儀候といえども、別儀無き覚悟の通り、申さる処に、異儀無く聞こし召さるるの分、本領等の諸事、前々の如く判形の筋目、別儀有るべからず候。
例文2) 『烏丸家文書』元亀二年九月十七日付織田信長朱印状
摂州之内上牧之事、不相易可被仰付候、不可有相違之状如件、
(摂州の内上牧の事、相変わらず仰せ付けらるべく候。相違有るべからざるの状くだんの如し。)
可・・・べし・べく・べき
(意味)
①推量の意を表す。
「~だろう。」「~そうだ。」
②確定事項に近い形での推量を表す。
「~らしい。」「きっとそうだろう。」
③当然であることを表す。
「~するはずだ。」「~するに違いない。」「~しなければならない。」
④適当・適切の意を表す。
「~するといい。」「~するのが妥当である。」
⑤可能の意を表す。
「~することができる。」
⑥決意を表す。
「~しよう。」「~するつもりだ。」
⑦勧誘・命令の意を表す。
「~するのがよい。」「~しなさい。」
(備考)
「可(べし)」は推量の助動詞として、古代期から道理上必然・当然であることを意味する用語であった。
語源は「宜(うべ)」で、上の文を終止形で言い切り、それに「うべし」と判断したのが助動詞化したと考えられる。
時代が下るにつれて「べし」の意味が拡大的に解釈され、「当然」・「可能」・「適当」・「勧誘」などを意味するようになった。
⇔「~間敷・・・~まじ・まじく・まじき」
例文1) 『瀧谷寺文書』天正元年九月四日付前波長俊判物
神波吉祥坊知行分、如前々以、御朱印、被爲安堵候條、年貢・諸済物等、急度可沙汰、於延引者可爲曲事者也、謹言、
(書き下し文)
神波吉祥坊知行分、前々の如く、御朱印を以て安堵なされ候条、年貢・諸済物等、急度(きっと)沙汰すべし。
延引に於いては曲事たるべきものなり。謹言。
語訳)神波吉祥坊の知行分は、信長様が先例の判物の通りに安堵なされるとのこと。年貢やその他献納すべき品は速やかに上納せよ。滞った場合は違法である。
⇒可為(たるべく)
例文2) 『(元亀四年)二月二十三日付織田信長黒印状(細川家記)』
公儀就御逆心、重而条目祝着不浅候、
一、塙差上御理申上候、上意之趣、条々被成下候、一々御請申候、幷塙可差上処ニ眼相煩ニ付て友閑、嶋田を以申上候、質物をも進上仕、京都之雑説をも相静、果而無疎意通可被思食直候歟、
(書き下し文)
公儀御逆心に就きて、重ねての条目祝着浅からず候。
一、塙(塙直政)を差し上せ御理を申し上げ候ところ、上意の趣きの条々を成し下され候。
一々御請け申し候。
並びに塙を差し上すべきところに眼を相煩うに付きて、友閑(松井友閑)・嶋田(島田秀満)を以て申し上げ候。
質物をも進上仕る。
京都の雑説をも相静め、果たして疎意無きの通りに思し召し直さるべく候か。
語訳)将軍足利義昭様御逆心の件で、度重なる注進感謝致す。
1.塙直政を使者として派遣し、和睦を申し入れたところ、義昭様からの条件を呑むことにした。
塙が交渉に当たるはずであったところ、途中で眼疾を患ったので、代わりに松井友閑と島田秀満を遣わした。
信長からは人質を進上仕る。
これで京都は平穏を取り戻し、義昭様も御分別して考え直してくださるだろうか。
例文3) 『武藤文書(東京大学史料編纂所所蔵写本)』(元亀元)五月二十五日付織田信長朱印状写
江州北郡ニ至而可相働候、来月廿八日以前、各々岐阜迄可打寄候、今度之儀、天下之為、信長為、旁以此时候間、人数之事、不撰老若於出陣者、忠莭可為祝着候、
(書き下し文)
江州北郡に至りて相働くべく候。
来月二十八日以前、各々岐阜まで打ち寄すべく候。
この度の儀、天下の為、信長の為、かたがた以てこの時に候間、人数の事、老若を選ばず出陣に於いては、忠節祝着たるべく候。
別儀・・・べつぎ
(意味)
①ほかのこと。他事。
②特別の理由。特別な事情。「別而(べっして)」
(備考)
「別段」・「別条」と同じ意。
打消しを伴う語の「無別儀(べつぎなく)」や「不可有別儀(べつぎあるべからず)」で、差し支えない。よろしいの意となる。
別而・・・べっして
(意味)とりわけて。ことに。特別に
別当・・・べっとう
(意味)
①朝廷・幕府の各種役所の長官職を指す。
朝廷役職の場合、蔵人別当(くろうどのべっとう)は蔵人頭以下の職務を指揮・監督する。
幕府役職の場合、侍所別当(さむらいどころべっとう)は侍所所司以下を指揮・監督する。
政所(まんどころ)も同様で別当がある。
問注所(もんちゅうじょ)に限っては別当ではなく、執事が置かれている。
これらの別当職は名誉職の場合もあり、実務を行うのは付随する役職の者たちである場合が多い。
②僧職の一つ。
興福寺・東大寺・大安寺・法隆寺・仁和寺・四天王寺などの大寺にあって、一山の法務を統制したもの。
三網の上。寺全体の事務を統轄した。
天台の座主、園城寺の長吏、東大寺の寺務に相当する。
(備考)
元来の意味は本官のほかに、別に他の職を担当させるという意味があった。
「べとう」とも読む。
延喜式朝廷中央官制の場合
別本・・・べっぽん
(意味)「異本(いほん)」の項を参照のこと。
ほ
法印・・・ほういん
(意味)僧網の一つ。
「法印大和尚位(ほういんだいおしょうい)」の略。
(備考)
古代期から中世にかけて、僧侶の取り締まりにあたる役人僧侶の敬称として用いられてきたが、時代とともにその区別があいまいとなり、自称する者が増えていった。
特に修験者や山伏が好んで用い、江戸期に入ると僧籍ではない木仏師・絵仏師・経師・医者・儒学者・連歌師などもそう呼ばれるようになった。
奉加・・・ほうが
(意味)
多くの人の力を借りて神仏へ財物などを寄付すること。
「奉加銀(金)」は社寺に奉納する金銭のことを指す。
(備考)
→勧進(かんじん)
例文) 『慶光院文書』元亀三年二月二十一日付正親町天皇綸旨
大神宮仮殿造替事、任清順上人例、以諸国之奉加、可致其沙汰由、尤神妙被思食畢、然者、弥凝無弐之丹心、早可遂造畢之成功之由、天気所候也、仍執達如件、
(書き下し文)
大神宮仮殿造替の事、清順上人の例に任せ、諸国の奉加を以て、その沙汰致すべきの由、もっとも神妙に思し召されおわんぬ。
然らば、いよいよ無二の丹心を凝らし、早くこれを造り遂ぐべく功を為すの由、天気候ところなり。
仍って執達くだんの如し。
法眼・・・ほうげん
(意味)僧位の一つで法印に次ぐ位階。
三僧位の中で法橋に次ぐ僧位。
(備考)
貞観6年(864)真雅の奏上で定められた三僧位(法橋・法眼・法印)の真ん中。
この三僧位は僧官の位にも適用された。
僧官位の律師、僧都、僧正は、それぞれ法橋位、法眼位、法印位に当てられた。
のちに僧籍ではない木仏師・絵仏師・経師などにも適用され、江戸時代に入ると医者・儒学者・連歌師にも与えられるようになった。
奉公・・・ほうこう
(意味)主君の為に身を尽くすこと
奉書・・・ほうしょ
(意味)
書札様文書の特殊様式。
本来書状を発給するべき当該人の意向を受けて、代理の者が代理人名を署名して発給する文書を広義の意味で奉書と呼ぶ。
この場合、当該人は貴人であることが多い。
書出(かきだし)となる初行からいきなり要件たる本文を書き出し、本文が終わり次第、次行に日付、日付の下に差出書、その次行上段に宛名書を配する形式である。
(備考)これは中国の隋・唐代の啓や状という私信の様式から、日本風に独自の発展を遂げたもの。
書状の発給者自らが差出人としてその名を署する直状(じきじょう)とは異なる。
貴人の意向を受けて記す奉書の存在意義は、貴人の責任の所在をあやふやにすること。
あるいは、宛名人と貴人とで社会的身分が著しく開いている場合である。
例えば、天皇が直接武家に対して書簡を出すのは私的にも社会的にも問題があるため、天皇の意を汲んだ蔵人頭が発給する綸旨、あるいは側近の女官が記した女房奉書が発給される事例がしばしばあった。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応七年二月六日条より
一、越中御所御使種村形部少輔之代官杉川平さ衛門尉在此方之間、申合事付之、御巻數一合進上之、種村方油煙十廷遣之、杉川ニ御廷給之、良祐使也、東林院僧正奉書也、
(書き下し文)
越中御所(足利義材)の御使・種村刑部少輔の代官杉川平左衛門尉こちらに在るの間、これを申し合わす事に付き、御巻数一合進上す。
種村方へは油煙十廷を遣す。
杉川に御廷これを給う。
良祐が使なり。
東林院僧正が奉書なり。
芳情・・・ほうじょう
(意味)
他人を思いやる気持ち。
心。芳志。芳心。
(備考)
古語辞書によっては「はうじやう」としている場合もある。
先方からの書簡を敬い「御芳札(ごほうさつ)」や「御芳書(ごほうしょ)」などと呼ぶ例も多い。
例文) 『長浜城歴史博物館所蔵文書』(推定天正三)五月四日付六角承禎書状
自是可申覚悟候処、幸便之条染筆候、至于三州表、有御出馬諸城被攻落旨、御高名之至珍重存候、弥可為御本意候間、御行無油断、才覚可為肝要候、随而中務太輔差下候処、御入魂之旨、別而芳情不浅候、猶以毎事無隔心、御指南専一候、
(書き下し文)
これより申すべき覚悟に候ところ、幸便の条染筆し候。
三州表に至り、御出馬有りて諸城攻め落とさるの旨、御高名の至り珍重に存じ候。
いよいよ御本意 たるべく候間、御行油断無く、才覚肝要たるべく候。
従って中務大輔差し下し候ところ、御昵懇の旨、別して芳情浅からず候。
なお以て毎事隔心無く、御指南専一に候。
語訳)
幸いにもそちらに赴く者がおりますので、これより申すべき覚悟のほどを、その者に託して筆を執ることにいたします。
武田殿御自らが三河国へ兵を繰り出され、諸城を攻め落としていらっしゃるとのこと、まことに素晴らしい限りです。
御本望を遂げられますよう、ゆめゆめ御油断なきように用心することが肝要と存じます。
書状は中務大輔に託しましたので、どうぞよしなにお願い申し上げます。
なお、われら佐々木六角は二心なく、あなた様のご指南を仰ぐ所存にございます。
「芳」が難読かもしれない。
「奉」の字に見えなくもないが、誤読をすると意味合いが異なる。
次の「情」が典型的な篇と旁のくずし方をしている。
北嶺・・・ほくれい
(意味)
比叡山延暦寺の別称。
(備考)
高野山を南山、興福寺を南都とよぶのに対してこの名がついたと思われる。
例文) 『顕如上人御書札案留』(元亀二)十一月二十四日付朝倉義景宛
先以世上未休之爲體、殊更今般北嶺之儀、非所及言詞候、随而江北表之儀、浅父子被相談無油斷御調略此莭候、
(書き下し文)
まず以て世上未だ休まずの体たらく、ことさら今般北嶺の儀、言詞に及ぶ所にあらず候。
従って江北表の儀、浅父子(浅井久政・長政)と相談ぜられ、油断無く御調略この節に候。
※「北嶺の儀」は同年9月12日の比叡山焼き討ちを指す。
法華経・・・ほけきょう
(意味)
仏界用語。
「妙法蓮華経」の略で、大乗仏教の経典のひとつ。
もとは7巻であったが、のちに8巻28品となった。
釈迦の教説の中でも最も優れているとされ、天台・華厳・法相・法華の各宗で重んずる。
なお、「法花」と記されることもある。
鉾楯・・・ほこたて
(意味)干戈を交えること。戦うこと。対立すること。「弓箭(きゅうせん)」。
(備考)「AB鉾楯之儀」(AとBが互いに干戈を交えておりますが)などと表現されることが多い。
菩薩・・・ぼさつ
(意味)
仏界用語。
梵語で「bodhi-sattva」。大士と訳す。
「菩提(ぼだい)・ 薩埵(さった)」の略。
菩提は仏道。薩埵は大心衆生をいう。
日本ではおもに以下の意味で用いられる。
①如来の次に位する仏。菩提道を修め、大慈悲の心で衆生を導き救うとされる。薩埵。「ぼさち」とも称される。
②徳の高い僧が朝廷より賜った称号。
③仏教に準じて僧につける尊号。
④米の異称。八木(はちぼく)。
(備考)
④は仏の教えと同様に人の命の糧となるところからきている。
また、①のような素晴らしい人格を持つ人を指して、比喩として用いる場合もある。
「あの御仁は菩薩なり(あの御方は菩薩のような徳な心を持った人だ)」
なお、「菩薩戒(ぼさつかい)」は仏教に帰依する人が守るべき戒律のことを指す。
星合・・・ほしあい
(意味)「七夕・棚機」を参照のこと。
菩提・・・ぼだい
(意味)
①煩悩を断って悟りの境地にはいること。
②仏果を得ること。極楽往生すること。
(備考)
菩提は梵語「bodhi」の音訳。
道・知・覚と訳す。
「菩薩(ぼさつ)」の項も参照のこと。
なお、「菩提講(ぼだいこう)」とある場合は、極楽往生を求めて法華経を講説する法会(ほうえ)である場合が多い。
菩提寺・・・ぼだいじ
(意味)
代々菩提所とする寺のこと。檀那寺。
代々帰依して葬式・供養などを営み、自分や死者の菩提を求める寺を指す。
(備考)
例文) 『阿波平島家記録 一下』
源家平嶋先祖
清和天皇十六代足利尊氏公ヨリ十一代ノ将軍義稙恵林院長男也、
左馬頭義冬公、平嶋元祖也、永正六年ニ京都ニテ生ル、天文三年ニ都ゟ阿波國へ下向有テ、平嶋ノ庄ニ居住ス、天正元年十月八日ニ同平嶋ニテ卒ス、年六十五歳也、則同所ノ内ニ葬ル、法名中山、菩提寺同所西光寺也、
(書き下し文)
源家平嶋先祖
清和天皇十六代足利尊氏公より十一代の将軍義稙恵林院が長男なり。
左馬頭義冬公、平嶋元祖なり。
永正六年(1509)に京都にて生まる。
天文三年(1534)に都より阿波国へ下向有りて、平嶋の庄に居住す。
天正元年(1573)十月八日に同平嶋にて卒す。
年六十五歳なり。
すなわち同所の内に葬る。
法名中山。
菩提寺は同所の西光寺なり。
菩提樹・・・ぼだいじゅ・ぼだいず
(意味)
インド原産の木。
釈迦がこの樹下で悟りを開いたとあることから、日本の寺院に植えられることが多い。
別名「沙羅樹」・「沙羅双樹」。
絆・・・ほだし
(意味)
馬の脚に繋いで歩けないようにする縄。
転じて、人の精神、または身体を束縛する手枷(てかせ)・足枷(あしかせ)を指す。
法橋・・・ほっきょう・ほうきょう
(意味)
「法橋上人位(ほっきょうしょうにんい)」の略。
五位に準じ「律師」に相当する僧位。
「法眼」の次の位。
近世では医者・絵師・文人にも授けられた。
(備考)
語源は仏法を衆生に導き、彼岸へ橋を渡すところから。
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年十二月二十九日条より
一、沙汰人職事、良鎭先日辞退之也、専祐ニ仰付之、下地ハ春辰ニ可仰付分也、
(沙汰人職の事、良鎮先日これを辞退なり。専祐にこれを仰せ付け、下地は春辰に仰せ付くべき分なり。)
没落・・・ぼつらく・ほつらく
(意味)
城や居館・陣地などが、敵に攻められて落ちること。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』文明二年七月二十三日条より
自筒井方申給、山城・氏・水牧・山階等、悉以東方歿落、十六人、細川方披官十二人西方ニ降参了、今四人ハ木津・田ナヘ・井手別所・狛也、於此分者定可歿落、
(書き下し文)
筒井方より申し給う。
山城・宇治・水牧・山科等、悉く以て東方は没落十六人。
細川方被官十二人は西方に降参しおわんぬ。
今四人は木津・田辺・井手別所・狛なり。
この分に於いては、定めて没落すべし。
「没落」のくずし方と用例
「没」は旧字の「沒」・異体字の「歿」で記されることも多い。
るまた(ほこづくり)の典型的なくずし方を覚えておけば、「殺」・「殴」・「毅」・「穀」などの字にも応用できる。
なお、「段」や「殿」は頻出する字のため、その限りではない。
本意・・・ほんい・ほい
(意味)
本来の志。本懐。
思い通りの効果を挙げて、本望を遂げること。
(備考)
中世の史料では
「被遂本意候、(ほんいをとげられそうろう。)」
「被任本意候、(ほんいにまかせられそうろう。」などと表現されることが多い。
また、「ほんい」の「ん」が撥音便となるため、文書上では「ん」の音が無表記である。
このことから、「ほい」「ほんい」どちらが誤りかという議論は無益である。
なお、おもに書簡の書出し部分に見られる「本意之外(ほんいのほか)」は、久しく無音無沙汰にしていたことは本心ではないことを意味する場合が多い。
例文1) 『田島文書』(元亀三年)十月二十二日付織田信長発給文書
其表為見廻、簗田左衛門太郎令進之候、存分具申含候、万端御分別専要候、畢竟御本意案之内候間、其思慮尤候、恐々謹言、
(書き下し文)
その表の見廻りとして、梁田左衛門太郎(梁田広正)、これをまいらしめ候。
存分はつぶさに申し含め候。
万端御分別専要に候。
畢竟御本意案の内に候間、その思慮尤もに候。
恐々謹言。
例文2) 『顕如上人御書札案留』元亀三年十二月二十七日付(武田信玄宛)
十月廿日之芳墨、至當月中旬遂被覽、尤本懐至極候、抑遠州口御進發、殊早速被得大利之由珍重□此事候、彌御本意勿論候、其以後打續御勝利之趣、風聞無其隱候、
(書き下し文)
十月二十日の芳墨、当月中旬に至りて被覧を遂げ、本懐至極尤もに候。
そもそも遠州口御進発、殊に早速大利を得らるの由、珍重□この事に候。
いよいよ御本意勿論に候。
それ以後打ち続いて御勝利の趣き、風聞その隠れ無く候。
※芳墨(ほうぼく)は相手からの書簡に尊敬を込めた語。
本山・・・ほんざん
(意味)
一宗一派の長である寺。
その根本道場で所属の寺を統括する。
総本山・大本山。本寺(ほんじ)。
梵字・・・ほんじ
(意味)
サンスクリット語で記された文字のこと。
悉曇(しったん)文字。
古代インド近辺で広く用いられた一般的な文字。
四十七字で、母音は十二字を摩多、子音は三十五字を体文という。
日本では経文や卒塔婆などの文字として用いた。
(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応七年二月四日条より
一、夜前夢、大巻物二巻叉反子巻物二巻ヲ入布袋、予得之タリ、恵光院殿、予之左方之後ニ御座、其巻物ハ天狗共ヲ敏害シタル名共也、鵄ニ可有御尋云々、則東之瀧坪之松ニアル鵄ヲ予召之、二羽來之間、此巻物ヲ袋ヨリ取出ヲ鵄見之、随分物共死タル也申之、一疋鵄ハ物も不立、御前ニ順円祗候シテ、不思儀ナル躰ト思エル躰也、其後鵄ハ不見、巻物ヲ片ハシ披見スルニ、物ノ名共ヰクラモアリ、梵字之様ナルもアリ、カンナ歴ヲ書タル様也、則巻テ置之、夢サメ畢、其後身毛タチテ且ワルシ、思合之、只ワルキ物共天狗心ノ者共可死去物也、
(書き下し文)
夜前のゆめ。
大巻物二巻。
また、反子巻物二巻を入れた布袋、予これを得たり。
恵光院殿、予の左方の後に御座。
その巻物は天狗共を敏害したる名どもなり。
鵄(とび)に御尋ね有るべしと云々。
すなわち東の滝つぼの松にある鵄を予が召し、二羽来たるの間、この巻物を袋より取り出だすを鵄これを見る。
随分の物ども死にたるなりと申す。
一匹の鵄は物も立てず、御前に順円祗候して、不思議なる体と思える体なり。
その後鵄は見ず。
巻物を片端披見するに、物の名どもいくらもあり。
梵字の様なるもあり。
かんな歴を書きたる様なり。
すなわち巻きてこれを置く。
夢が醒めおわんぬ。
その後身の毛立ちて、且つ悪し。
これを思し合わす。
ただ悪き者ども、天狗心の者ども死去すべし(と願う)ものなり。
本社・・・ほんしゃ
(意味)
一つの境内の内で主とする神社のこと。本宮(もとみや)。
(備考)
⇔末社(まつしゃ)
本所・・・ほんじょ
(意味)
荘園の持ち主。また、荘園の直接の支配者のこと。本家。領家。
戦国時代では寺社の本社を指したり、伊勢北畠氏当主のことを「本所」・「国司」など呼ぶことが多い。
(備考)
例文1) 『(元亀二)九月晦日付松田秀雄・塙直政・島田秀満・明智光秀連署状(阿弥陀寺文書)』
為公武御用途被相懸段別之事、右不謂公武御料所幷寺社本所領、同免除之地、私領、買得屋敷等、田畠壱反別一升宛、従来拾月壱五日、廿日以前、至洛中二条妙顕寺可致運上候、若不依少分隠置族在之者、永被没収彼在所、於其身者則可被加御成敗之由、被仰出候也、仍如件、
(書き下し文)
公武御用途として相懸けらるる段別の事、右、公武の御料地並びに寺社本所領・同じく免除の地・私領・買得屋敷等と言わず、田畠一反別に一升を宛て、来たる十月十五日より、二十日以前に洛中二条の妙顕寺に至りて運上致すべく候。
もし少分によらず隠し置くやからこれあらば、永くかの在所を没収せられ、その身に於いては、則ち御成敗を加えらるべきの由、仰せ出され候なり。仍ってくだんの如し。
例文2) 『(天正元)九月二十日付北畠具豊書状(伊勢市大湊支所保管文書)』
信長しゆいんを以被申候儀、をのヽヽ如在なく其うけ可申候、さためて本所よりもかたく御申つけ可有、仍舟之儀事、かたくくわなまて申可つく候、
(書き下し文)
信長朱印を以て申され候儀、各々如在無くそれを受け申すべく候。
定めて本所(北畠具房)よりも堅く御申しつけ有るべし。
仍って舟の儀の事、堅く桑名まで申し付くべく候。
本役・・・ほんやく
(意味)
本来納めるべき正規の税や課役。
多くは年貢を指す。
(備考)
元は加地子(かじし)などの加徴税に対し、国衙や荘園領主が納めるべき税を指すものであった。
例文) 『久我文書』永禄十一年十月二十日付織田信長朱印状写
久我殿御知行分事
一、久我上下庄・樋爪入組・所々散在、本役・加地子分一職之事、
(中略)
依御旧領、無紛如此被成御下知上者、悉以一円全可有領知事、肝要存之状如件、
(書き下し文)
久我殿御知行分の事
一、久我上下庄・樋爪の入り組み・所々散在、本役・加地子分一職の事
(中略)
御旧領により、紛れ無くかくの如く御下知を成さるるの上は、悉く以て一円に全く領知有るべきの事、肝要に存ずるの状くだんの如し。
語訳)久我上下庄、東寺領樋爪庄の入り組んだ分の収得権、所々に散在する久我領の年貢、地代分を全てあなたの所領であることを認めます。
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