古文書

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【古文書講座】信長が病の家臣を気遣い、わざわざ宣教師の医者を呼んだ時の書状

信長が秀吉の妻であるおねを気遣い、書状を送り遣わしたエピソードはあまりにも有名ですよね。実は他にも信長が家臣を気遣った様子が見える古文書が存在します。病に臥していた松井友閑という家臣のために、信長が近江に滞在中の宣教師の医師に宛てた書状なのですが、そこにはどのような面白いことが記されているでしょうか。
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【古文書講座】織田信秀が足利将軍家へ宛てた書状 そこから見えてくるものとは

今回は織田信秀が足利幕府へ宛てた書状の解読をします。現存する織田信秀の書状自体、非常にレアです。朝廷への接近ばかりが強調される信秀ですが、ここにはどのようなことが記されているでしょうか。当記事もいつものように原文に釈文、書き下し文、現代語訳を載せています。
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「美濃一国譲り状」斎藤道三が信長に託した古文書を解読

斎藤道三が記した「美濃一国譲り状」の古文書の解読をします。1.美濃一国譲り状の信憑性について 2.美濃一国譲り状(弘治二年四月十九日付け斎藤道三遺言状) 原文と釈文、書き下し文、現代語訳 3.この書状の時代背景 4.美濃一国譲り状は複数存在する? 5.斎藤道三の死による信長への影響 など
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緊急事態 信長と将軍・足利義昭が不和 仲直りの為に信長が出した条件とは

信長が足利義昭に突き付けた殿中御掟の第三段目をついに記事にしました。あの有名な「天下の事は信長に一任」という文書はこれです。そこにはどんな面白いことが記されているのか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳を載せています。
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【古文書講座】太政大臣か関白か将軍か 天下人信長が選択した道は

太政大臣か関白か将軍か。天正10年(1582)5月。織田信長の最晩年。信長は好きな役職に就くことができた。そこで信長が採った選択肢とは?今回は誠仁親王直筆書状から当時を読み解きます。
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【古文書講座】山本勘助が実在したことを示す武田信玄の書状を解読

山本勘助は実在したのか・・・現在でも様々な議論がされているそうですが、今回は武田信玄が出した書状に「山本勘助」が登場する興味深い古文書を解読します。 いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳を入れています。実在したかどうかは私にはわかりかねます。
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【古文書講座】「麒麟がくる」の明智光秀が細川藤孝に宛てた直筆書状を解読

明智光秀が細川藤孝に宛てた直筆の書状を解読します。今回の書状は難易度が低めなので、古文書解読初心者に易しいはずです。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、時代背景を。さらにこの書状を解読するポイントを載せています。
歴史系おもしろまとめ

戦国時代の起請文とは 意味や定番の書き方は

起請文とは何か。起請文の作法とは。誓紙を取り交わすとは。そんな疑問について、天正10年(1582)10月24日の徳川家康が発給した起請文を例にしてまとめてみました。 他にも中人制や大名の面目についても書いてます。
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【内府ちかひの条々】関ケ原の合戦前夜 石田三成が五奉行を動かし、家康に送りつけた弾劾状

関ケ原の合戦前夜、上杉討伐へ向けて西へ向かった徳川家康に対し、蟄居中の石田三成が挙兵。大坂城へ赴いて五奉行の長束、前田、増田と談合の上、味方に引き入れる。そこで作成された文書が「内府ちかひの条々」です。いわば家康への弾劾状ということ。今回はこの書状を解説します。
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【古文書講座】信長窮地 織田家と浅井長政・朝倉義景が和睦したときの書状

今回は信長包囲網により腹背を攻められ、信長が窮地に陥っている時の書状です。比叡山に立て籠った浅井・朝倉両家に信長は苛立ちを隠せません。当時の時代背景とともに釈文と現代語訳、さらに、この書状の解読ポイントも載せています。
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