今回は「戦国時代定番の贈り物と数え方」についてです。
実際の史料を進物に絞って読み、複数回登場したものを挙げています。
今回は食品、鳥類・猛禽類、武具・馬について紹介し、次回の記事に繊維類、日用品、貨幣、その他を書きます。
戦国時代の進物と傾向
皆さんは戦国時代といえば、なにを想像されるでしょうか。
武士らしく戦場で槍を奮い、主君のために殉じた武将。
御家存続のため、生き残りを賭けて外交を精力的に行った当主。
あるいは打ち続く戦乱を憂い、尊き仏の道を広めようとした住職。
恐らく思い描く戦国は三者三様でしょう。
今回はそんな戦国時代を生きた大名が受け取った贈り物に焦点を当て、贈り物の傾向や数え方を調べました。
それを記した史料の抜粋もありますので、併せてご覧いただければと思います。
記事を書くにあたって調べた史料はおよそ2500点。
織田信長をはじめとする大名が宛てた書状に比重を置いています。
従って、下級武士・百姓・門跡たちが受け取った進物は調べておりません。
予めご了承ください。
『織田信長文書の研究 上・下・補遺』奥野高廣氏著(吉川弘文館)1813点。
『戦国大名の古文書〈西日本編〉』山本博文,堀新,曽根勇二氏著(柏書房)202点。
『戦国大名の古文書〈東日本編〉』山本博文,堀新,曽根勇二氏著(柏書房)190点。
『言継卿記』のほか5点ほどの史料を参照。
詳細は当記事最下部の参考文献をご覧ください。
なお、例文で頻繁に登場する「贈り給い」という表現は、「御贈り下さり」という意味です。
戦国時代定番の贈り物 食品
鯛(たい) 一枚
タイ科の白身魚。
日本では古くから親しまれた高級魚。
江戸時代の料理本にも数多く登場する。
めでたい祝儀の席、験を担ぐ際によく登場した。
「殊に太刀一腰、幷鯛廿枚送給候」
殊に太刀一腰、並びに鯛二十枚送り給い候。
『丹後和田弥十郎宛(天正七年)四月四日付明智光秀書状』
鮭・鮏(さけ) 一尺
サケ科の白身魚。
川で産卵を終えた後、稚魚は3~4月頃に海に降り、オホーツク海を経由して北西太平洋に向かう。
4年ほどを海で過ごしたあと、生まれた川に戻ってくる習性がある。
現在とは違い、この時代の鮭は漁獲量が少なく高級魚であった。
「仍鮭二尺送給候、懇慮之至候」
仍って鮭二尺送り給い候。懇慮の至りに候。
『若狭本郷信富宛(元亀元年)十一月二十四日付織田信長書状』
鯉(こい)
コイ科の大型淡水魚。
春から初夏にかけて産卵する。
生命力が強く、稀に70年近く生きるものもいる。
かつては贈り物でも頻繁に登場し、将軍や天皇にも献上された。
「淀鯉五到来、取乱之時分、懇情喜悦候」
淀(川)の鯉五到来、取乱の時分、懇情喜悦に候。
『長岡藤孝宛(天正元年)十一月十二日付織田信長黒印状』
鰹(かつお)
サバ科の大型肉食魚。
日本では黒潮に乗って太平洋側の温帯の海にやってきて、秋に南下する。
語源は「身が堅い」ことから。
wikipediaには”織田信長などは、産地より遠く離れた清洲城や岐阜城に生の鰹を取り寄せて家臣に振る舞ったという記録がある。”とあるが、真実かは不明。
「随而マナカツホ十、祝着之至ニ候」
従って、マナガツオ十、祝着の至りに候。
『和泉松浦肥前守宛(天正三年)十二月十三日付織田信長書状写』
鰤(ぶり)
アジ科の海遊魚。
日本中の広い範囲に生息し、大型で非常に脂の乗った高級魚であった。
「仍鰤五到来候、遠路懇情喜入候」
仍って鰤五到来候。遠路の懇情喜び入り候。
『能登長好連宛(天正七年)十月二十日付織田信長黒印状』
鯨(くじら) 一折
哺乳類クジラ目の大型生物。
上質な献上品として重宝されたほか、脂を燃料にしたり、骨と髭を櫛などの工芸に、皮と血を薬に用いた。
日本の一部では信仰の対象として今日も祀られている。
「鯨一折到来候、細々懇情、別而悦入候」
鯨一折到来候、細々の懇情、別して悦び入り候
『水野直盛宛(推定天正五年)正月十六日付織田信長黒印状』
「追而此鯨者、九日於千多郡取候て到来候、則禁裡御二御所様へ進上候、我々服用のすそわけニ遣之候」
追ってこの鯨は、九日知多郡(尾張国)に於いて取り候て到来候。即ち禁裏御二(条)御所様へ進上候。我々服用のすそわけにこれを遣わし候。
『長岡藤孝宛(天正七年)正月十二日付織田信長黒印状』
海老(えび) 一折
甲殻類の節足動物。蝦・魵・蛯とも書く。
もとの「えび」は葡萄(ぶどう)を指す言葉だった。
例文は志摩国九鬼嘉隆が、織田信長へ宛てて木津で討ち取った首とともに贈ったもの。恐らく伊勢海老であろう。
「次海老一折到来候、懇情喜入候」
『九鬼嘉隆宛(天正六年)十月十三日付織田信長黒印状』
鮑(あわび) 一喉(こん)
鰒・蚫とも書く。
ミミガイ科の大型の巻貝の総称で高級食材。
古くは万葉集に登場し、神事にも利用された。
串鮑は串に刺して干したあわびのこと。
『吉川広家宛(年次不明)三月十四日付黒田孝高書状』
文中は「いりこ、串鮑、御樽なと御進上候而」
いりこ、串鮑、御樽など御進上候て
「仍鰒十喉給之、祝着候」
仍って鰒(あわび)十喉これを給わり、祝着に候。
『若狭熊谷直之宛(元亀二年)八月十八日付織田信長書状』
赤貝 一折
フネガイ科の二枚貝。
浅瀬に生息し、黒褐色の毛状の殻皮で覆われている。
高級な進物として古くから親しまれた。
赤貝は南知多の名産として有名。
「為音信、赤貝一折到来、毎日懇情喜入候」
音信として、赤貝一折到来、毎日懇情喜び入り候。
『水野直盛宛(天正五年)十二月十六日付織田信長黒印状』
溝貝・土負貝・蚌・蚪(どぶがい) 一籠
川や沼の底の泥中に生息二枚貝のこと。
「蚪二籠到来候、志之至悦入」
蚪(どぶがい)二籠到来候。志の至り悦び入る。
『大和箸尾為綱宛(推定天正七~八年)十一月二十七日付織田信長黒印状』
海鼠(なまこ)・海鼠腸(このわた)
海鼠(なまこ)は体が細長く柔らかい生物。
海底をゆっくりと這っている。
日本では古くから食用として親しまれた。
海鼠腸(このわた)はナマコの内臓を塩辛にしたもの。
ウニ、カラスミと並んで日本三大珍味の一つとして今日も有名である。
『猪俣邦憲宛(天正十八年)正月十六日付北条氏政書状』
画像の文字は「干海鼠、海鼠腸遣候」
干し海鼠(なまこ)、海鼠腸(このわた)遣わし候
海苔(のり) 一折 一桶
水中の岩石に苔のように着生する藻類のことで、日本では古来から食されてきた。
例文の十六島海苔(うっぷるいのり)は山陰地方十六島名産の海苔のこと。
紫黒色の細い毛髪のような海苔で、長さ1メートルほどのものもある。
堅海苔(かたのり)は北陸や山陰地方沿岸で採れる暗紫色の海草のこと。
長さ9cmほどのもの。
「為音信、十六島海苔一折、寔珍物候」
音信として、十六島海苔(うっぷるいのり)一折、誠に珍物に候。
『山城慈照寺宛(天正四年)四月二日付織田信長黒印状』
「次堅苔一桶到来、遥々懇情珍重候」
次に堅海苔(かたのり)一桶到来、遥々懇情珍重に候。
『(天正五年)三月一日付織田信長黒印状』
乾物(かんぶつ) 一つ
乾物(かんぶつ)は野菜などの食材を乾燥させて、水分をカラカラになるまで抜き、常温で数カ月以上の長期保存をできるようにした食品のこと。
干物(ひもの)は魚介類を乾燥させたものを指す。
では、海藻類・鰹節・干し貝柱はどちらに分類されるのかと考えると線引きが難しい。
乾燥した強い海風のある越後国が名産のようだ。
『蘆名盛隆宛(天正六年)四月三日付上杉景勝書状』
画像の文字は「寒物一ツ」。
乾物の当て字かと思われる。
塩引・塩曳(しおびき) 一つ
塩漬けにした魚のこと。
越後や越中能登方面の書状でよく見る気がする。
「為音信、帷十、蝋燭一箱、塩引五到来候」
音信として、帷子十、蝋燭一箱、塩引五到来候
(天正六年)六月二十三日付織田信長判状写
※帷子は後述。蝋燭は次回ご説明します。
炒り子(いりこ)
熬子とも書く。
西日本を中心にカタクチイワシなどを煮干しにしたもの。
『豊前承天寺宛(年次不明)三月十四日付黒田孝高書状』
洗米(あらいごめ)
洗った米のこと。
戦況次第では手間のかからない兵粮はありがたい場合もあった。
もとは神事で用いられたと思われる。
『厳島社宛(天文二十四年)四月一日付毛利隆元書状』
画像の文字は「洗米送給候」
酒樽(さけだる)・酒桶(おけ)・指樽(さしだる) 一荷・一つ
液体の保存・運送のために発明されたのが樽である。
木材を加工して作る樽は車輪と同様に、世界中の多くの文明で用いられた。
ヨーロッパでは強度があり、アルコールにも強いオークの木で加工したが、日本では杉と檜が一般的であった。
進物で「樽」とあるのは大方酒のこと。
指樽(さしだる)は他の器に酒をつぐために用いる、板を組み合わせた箱型の樽。
他にも花見樽(はなみだる)・袖樽(そでだる)・祝樽(いわいだる)がある。
祝儀の際、樽の代わりに金銭を送ることを「樽代(たるだい)」と呼んだ。
『天野元政宛(年次不明)六月二十八日付毛利輝元書状』
画像の文字は「仍樽ニ二桶」
「随而為御音信、指樽壱荷被懸御意候」
従って御音信として、指樽一荷御意にかけられ候
『(天正五年)十一月十六日付生駒近清書状』
「樽代五十疋被持之、局見参、吸物にて酒有之」
樽代(たるだい)五十疋これを持たされ、局見参、吸物にて酒これあり
『永禄九年正月十六日条言継卿記』
味醂(みりん) 一樽
酒をベースにした甘味のある黄色の液体。
蒸したもち米に米麹・アルコールを加え、さらに熟成、圧搾、ろ過して造る。
元来は飲用であり、戦国時代は高級酒であった。
江戸時代から戦前にかけて、大衆の酒として親しまれていたが、戦後に清酒やビールが普及するにつれて売り上げが落ちていった。
そこで、料理酒としてブランディングを転換させることによって生き残りを図った。
現在スーパー等で販売されているみりん風調味料は、酒類販売許可申請の必要がなく、酒税がかからないことで普及した。
『豊前承天寺宛(年次不明)十一月二十二日付黒田如水書状』
「みりん十二樽」
砂糖 一斤
古くは奈良時代に日本に伝わったが、近世に至るまで輸入でしか手に入らない貴重品であった。
中世以降は日明貿易凍結の影響を強く受け、なかなか手に入らない時期が続いた。
やがて戦国時代に南蛮貿易が開始されると金平糖が持ち込まれ、砂糖の輸入も活発になっていった。
国産の砂糖が栽培されるようになるのは元和9年(1623)以降のこと。
『鍋島生三宛(慶長十二年)五月二十九日付五島玄雅書状』
瓜 一つ 一籠(篭)
古来から日本の至る所で栽培されたウリ科の作物。
胡瓜・白瓜、はぐら瓜、苦瓜など、品種と料理法が数多く存在した。
「乍些少、初瓜一遣候」
些少ながら、初瓜一つ遣わし候
『小畠助大夫ほか二名宛(天正七年)五月六日付明智光秀書状』
「瓜十籠到来、普請之者共遣候」
瓜十籠到来、普請の者どもを遣わし候
『稲葉一鉄宛(天正四年)七月二十一日付織田信長黒印状』
蜜柑・密柑(みかん) 一つ 一籠(篭)
ミカン科の常緑小高木から生る柑橘系の果物。
温暖な気候に育つ。
古くは古事記や日本書紀にも登場し、中世の時代には市場に並ぶ定番の品であった。
「仍蜜柑二篭幷白鳥祝着候」
仍って蜜柑二籠並びに白鳥、祝着に候。
『尾張聖徳寺宛(元亀元年)十一月十三日付織田信長書状』
柿 一つ 一籠(篭)
カキノキ科の落葉樹から生る実のこと。
柿の歴史は古く、縄文時代・弥生時代の遺跡から柿の種が出土している。
東北から九州地方にかけて分布する。
もとは渋柿しか存在せず、甘柿は突然変異により生まれたようだ。
「就在陳、枝柿之折到来、懇情悦入候」
在陣に就き、枝柿の折到来、懇情悦び入り候
『美濃立政寺宛(天正五年)二月二十八日付織田信長朱印状写』
菓子・果物 一籠(篭) 一折 一合
現在の認識とは異なり、朝夕の食事以外の軽い間食全般のことを、全てひっくるめて「菓子」あるいは「果物」と呼んだ。
従って、果物のことを菓子と記す場合もあった。
「祈祷巻数幷菓子一籠到来、悦入候」
祈祷の巻数並びに菓子一籠到来、悦び入り候。
『山城松尾社宛(天正二年)四月九日付織田信長黒印状』
「為当陣御音問、御巻数幷菓子一折拝領、過当至候」
当陣の御音問として、御巻数並びに菓子一折拝領、過当の至りに候。
『山城青蓮院宛(天正三年)四月十四日付織田信長書状』
「就出馬、祈祷之巻数幷菓子一合、房鞦二懸到来、悦入候」
出馬に就きて、祈祷の巻数並びに菓子一合、房鞦二懸到来、悦び入り候。
『山城賀茂社中宛(天正七年)三月二十五日付織田信長黒印状』
※房鞦については後述。巻数は次回ご説明します。
茶・荼 一袋
常緑樹の茶樹から採れる葉や茎を煎じた飲み物。
茶をあらわす上記三種の文字は、本来はいずれも「苦い」を指すものであった。
「茶二袋被送之、祝着了」
「茶二袋これを送られ、祝着おわんぬ」
『永禄九年正月十六日条言継卿記』
戦国時代定番の贈り物 武具・馬
太刀 一腰
太刀とは日本刀のうち、2尺(約60cm)を超える大きなもので、鎬があり、反りを持ったものを指す。
戦国時代以降、合戦の際はより機動力が求められたため、しだいに太刀よりも短くて軽い打刀(うちがたな)が台頭した。
私が調べた限りでは、大名への進物として贈られるものは太刀が圧倒的に多い。
やはり脇差や打刀では格が落ちたのだろう。
なお、歴史ドラマで小姓が大名の脇に侍り、大事そうに支えているのが太刀である。
「酒代」と同じように、「太刀代」として金銭を贈る場合もあった。
『白川晴綱宛(年次不明)三月十二日付二本松義国書状』
「太刀一腰」
「仍而太刀代百疋到来、喜悦之至候」
仍って太刀代百疋到来、喜悦の至りに候
『(天正五年)正月十八日付羽柴秀吉書状写』
刀・脇差・脇指(わきざし) 一腰
先述の太刀を指す場合もあれば、脇差(わきざし)や打刀(うちがたな)を指すこともある。
脇差は長さ1尺~2尺(30~60cm)ほどの短い刀のこと。
時代劇のように、大小二つの刀を差すようになったのは、江戸時代の武家諸法度発布以降のことである。
「腰物」と記される場合、印籠の他に刀を指す場合もある。
なお、脇差は「脇指」と記される場合もあった。
「御使札幷御腰物元重、被懸御意候」
御使札並びに御腰物(元重)、御意に懸けられ候
『(天正六年)十一月十一日付堀秀政副状』
「追而脇指到来候、懇情別而悦入候」
追って脇差到来候。懇情別して喜び入り候。
『能登長連龍宛(天正八年)五月十日付織田信長黒印状』
具足(ぐそく) 一領 ・ 甲(かぶと) 一刎(ひとはね)
具足は鎧の簡略にしたもので、脇楯や付属品のないもののこと。
甲冑は鎧兜一式を指す。
語源は頭・胴・手・足の各部を守る装備が「具(そな)え足る」ことから。
戦国時代以降、鉄砲の普及により甲冑の改良がなされ、軽量かつ強度の高い当世具足(とうせいぐそく)が誕生した。
「殊具足甲越預候、一段令祝着候」
殊に具足甲(ぐそく・かぶと)越し預かり候。一段と祝着せしめ候。
『上杉景勝宛(推定天正十年)二月十日付白川義親書状』
腹巻(はらまき) 一領
鎧の一種。
機動力を重視した軽量なもので袖がない。
主に身分の低い足軽が着用した。
「然者雖無見立候、糸毛之腹巻、同毛之甲進覧」
然れば、見立てなく候といえども、糸毛の腹巻、同じく毛の兜を進覧
『直江景綱宛(永禄十一年)二月八日付織田信長書状案』
帷子(かたびら) 一重
防具の一種。
陣中ではこれを鎧の下に着込み、合戦に臨んだ。
帷子は元々、肌着として使われる麻製の衣類のことであった。
端午の節句では染帷子の式服を着て災厄を避ける風習があり、4~5月初旬の贈り物として珍重された。
他にも菖蒲を冠に飾ったり、競馬に興じるなど、武芸に関する贈り物が多い。
なお、3つ目の例文のように、生絹で編んだ帷子もあったようだ。
「尚々、帷二重喜悦候也」
なおなお、帷子(かたびら)二重、喜悦候なり
『前田利家宛(天正十年)四月十七日付織田信長朱印状』
「端午之帷ニ到来候、懇情被悦思食候」
端午の帷(かたびら)二到来候。懇情喜び思し召され候。
『(年次不明)五月三日付織田信長黒印状』
「為八朔之祝儀、帷二生絹、懇切之至、殊佳例令祝着候」
八朔の祝儀として、帷子(かたびら)二(生絹)、懇切の至り、殊に佳例祝着せしめ候
『長岡藤孝宛(天正四年)七月二十九日付織田信長黒印状』
鎖帷子(くさりかたびら) 一重
鎖帷子は古代ヨーロッパのイメージが強いが、日本では室町時代初期に流入し、鎧の下に着込んで用いられた。
『白川義親宛(天正十四年)六月八日付相馬義胤書状』
画像の文字は「鏁之帷子」
弓 一張
しなやかな竹や木に弦をかけ、その弾力を利用して矢を飛ばす武器のこと。
その歴史は古く、石器時代の狩猟をしていた頃に遡る。
日本では中世頃から威力と射程距離を出すため、弓の長さを長大にし、よりしなやかな素材で作られるようになった。
良木の産地である土佐国は弓が名産だったようだ。
神事でも魔除けのために梓で作った弓が奉納された。
なお、武将の和歌や辞世では梓弓(あずさゆみ)がよく登場する。
(出典不明)
歌連歌ぬるきものぞと言うものの梓弓矢も取りたるもなし (三好長慶)
『細川両家記・陰徳太平記』
梓弓張りて心は強けれど引く手すくなき身とぞなりぬる (細川澄之)
東洋で連弩(れんど)の類が普及しなかったのは、機械化された複雑な構造を修理・メンテナンスするのが困難だったからだとする説がある。
『乃美宗勝宛(年次不明)八月一日付西園寺公広書状』
「土佐弓十張」
弓懸(ゆがけ)一つ、一具、一折
弓を引くための道具。
鹿革製の手袋状のもので、右手にはめ、弦から右手親指を保護するために使う。
『山城国大用庵宛(文禄二年)正月十一日付け北条氏規書状』
「仍ゆかけ幷綿御音信、爰元者一入寒天ニ候」
仍って弓懸、並びに綿、御音信、爰元はひとしおお寒天に候
皮袖物(かわそでもの)
皮製で、鎧の頸から肩肘を覆う武具のこと。
「此面為音信、革袖物十到来、遥々懇情喜入候」
此の表の音信として、皮袖物十到来、遥々の懇情喜び入り候
『山城上京中宛(天正十年)四月四日付織田信長黒印状』
馬 一疋
古代から軍用に用いられた他、家畜用としても使用された。
日本では神事でも活躍する。
あぶみが発明されると、そこに体重をかけて、より強力な騎射が可能になった。
馬の寿命は約25年、稀に40年を超えることもある。
繁殖期は春で、妊娠期間は335日ほど。
特に優れた馬を駿馬(しゅんめ)。
上質な馬を上馬(じょうめ)。
中等な馬を中馬(ちゅうめ)。
下等な馬を下馬(げば)と呼んだ。
数を表す単位の「疋(ひき)」は金銭以外でも価値の高い絹布、牛、馬などを数えるときによく用いられた。
「仍而太刀一腰、馬一疋給之候、祝着至候」
仍って、太刀一腰、馬一匹、これを給わり候。祝着の至りに候。
『吉川元春宛(天正三年)二月二十日付山名豊国書状』
『白川晴綱宛(天文十六年)十二月四日付岩城重隆書状』
画像の文字は「馬一疋鹿毛」
「仍自是も、刀一腰、馬一疋鹿毛、進之候」
仍ってこれよりも、刀一腰、馬一匹(鹿毛)、これをまいらせ候
日本では馬の呼び方を特徴や毛色で分ける風潮がある。
栗毛、栃栗毛、鹿毛(かげ)、黒鹿毛、青毛、葦毛、粕毛、
駁毛(ぶちげ)、月毛、河原毛(かわらげ)、佐目毛、薄墨毛、白毛などである。
さらに、上質な馬のことを「栗毛駿」のように駿を付け加えて呼ぶこともあった。
おおよその色をWEB色で分類してみたので参考程度に。
主な馬の毛色12種
栗毛(くりげ)
茶色。やや黄褐色。
栃栗毛(とちくりげ)
栗毛よりより暗く、全身の赤褐色が特徴的。
鹿毛(かげ)
茶褐色。もっとも一般的な茶褐色の馬。
微妙な色の差で黒鹿毛、青鹿毛などと呼ぶこともある。
青毛(あおげ)・黒毛(くろげ)
肌と毛色が真っ黒な馬。
黒すぎて、太陽の反射次第では青に見えることもあるようだ。
微妙な色の違いで青鹿毛・黒葦毛などと呼ばれることもある。
「殊馬一疋黒毛、喜入候、乗心勝之条、別而令秘蔵候」
殊に馬一疋(黒毛)、喜び入り候。乗心勝るの条、別して秘蔵せしめ候
『奥州遠藤基信宛(天正三年)十月二十五日付織田信長朱印状』
葦毛・芦毛(あしげ)
灰色の馬。肌は黒っぽく、生えている毛は白いことが多い。
日本では純粋な白馬が少なく、白馬と言えば葦毛となるようだ。
「馬一疋葦毛到来候、誠遠路懇情喜入候、別而可自愛候」
馬一匹葦毛到来候。誠に遠路の懇情喜び入り候。別して自愛すべく候
『(天正八年)六月十五日織田信長黒印状写』
糟毛・粕毛(かすげ)
原毛色に白色毛が混毛し、体が灰色っぽく見える馬。
葦毛より色が濃い。
「仍雖無見立候、馬一疋飛糟毛、令進覧候」
仍って見立てなく候といえども、馬一匹(飛糟毛)進覧せしめ候。
『小早川隆景宛(永禄十三年)三月十八日付木下秀吉書状』
駁毛(ぶちげ)
体に大きな白い斑がある馬。
原毛色に勝るほど特徴的な白い班がある場合、駁鹿毛、駁栗毛などと呼び、原毛色ほど白い班が特徴的ではない場合、鹿駁毛、栗駁毛などと呼んだ。
月毛・鴾毛(つきげ)
栗毛や栃栗毛より明るく、佐目毛より濃い毛色の馬。
「仍馬一疋鴾毛遣之候」
仍って馬一匹(月毛)、これを遣わし候
『(年次不明)十二月十九日付足利義晴御内書』
河原毛(かわらげ)
日本ではよくある馬だが、世界的には珍しい色のようだ。
佐目毛(さめげ)
ピンク色から白に近い肌と毛色の馬。
葦毛より白が際立つ。
薄墨毛(うすずみげ)
灰褐色から薄墨色の馬。
葦毛や河原毛、粕毛の中間で分類が非常に難しい。
白毛(しろげ)
身体も体毛も真っ白な馬。
房鞦・総鞦(ふさしりがい) 一懸
鞦(しりがい)は馬の頭・胸・尾にかけるひものこと。
材質や製法によって革鞦、糸鞦、組鞦、畦鞦、織鞦と分かれる。
装飾には房を垂らした連著と辻総がある。
「就出馬、祈祷之巻数幷菓子一合、房鞦二懸到来、悦入候」
(出馬に就きて、祈祷の巻数並びに菓子一合、房鞦(ふさしりがい)二懸到来、悦び入り候)
『山城賀茂社中宛(天正七年)三月二十五日付織田信長黒印状』
泥障・障泥(あおり) 一懸
雨天時に使用する泥除けの馬具のこと。
馬の両脇に垂らした皮状のもの。
のちにこれが飾りとして発展した。
「仍泥障二懸到来候、悦入候、殊拵之趣情入候、」
仍って泥障(あおり)二懸到来候。悦び入り候。殊に拵の趣き、情を入れ候
『佐久間盛政宛(天正七年)五月七日付織田信長黒印状』
鞭(むち) 一懸 ・手綱(たづな) 一具 ・腹帯(はらおび) 一具
鞭とは動物を叩く細長い棒状のもの。
大名への進物として贈られる鞭とは、主に馬用の竹のようなよくしなる騎馬鞭である。
手綱(たづな)は馬を操作する際に使う綱のこと。
手綱と鞭を使って巧みに馬の進行方向を操作した。
腹帯(はらおび)とは鞍を馬の背に固定するための帯状の道具のこと。
腹帯の締りが緩すぎると、馬の動きにつれて鞍が回ってしまうことがあり、逆に締め過ぎると馬を興奮させて落馬の危険性があった。
『細井戸右近宛(推定天正十年)二月二十七日付明智光秀書状』
「就出陣鞭二懸、手綱、腹帯五具、送給候」
出陣に就きて鞭二懸、手綱、腹帯五具、送り給い候
戦国時代定番の贈り物 鳥類・猛禽類
鷹 一連・一聯・一足・一居
タカ科に属する大型の鳥類の総称。
オオタカ、ハイタカ、クマタカ、イヌワシ、またハヤブサ(これはハヤブサ科)など、進物に用いられる鷹は多岐に渡る。
鷹狩りは武士の素養を高めるものとして、織田信長などが好んで行った。
単位の「聯」は連の異体字。
なお、猛禽類(もうきんるい)とは鋭い爪とくちばしを持つ肉食の猛鳥獣のことである。
巣鷹(すだか)
鷹の雛鳥のこと。
雛鳥を初夏に捕らえて飼育し、しっかりと調教してから鷹狩りに用いられた。
逆に野生からとった鷹を網掛け(あがけ)といった。
鶴や白鳥のような大物を捕らえるのは巣鷹だけ。
野外での生活経験がある網掛け(あがけ)は、基本無茶な行動を取らない。
夷島(=北海道のこと)は古来より鷹の産地として知られていた。
鳥屋鷹(とやだか) 一連・一聯
羽が生え代わる時期の鷹のこと。
名の由来は「塒(とや)=換羽の意」から転じたもの。
多くの鷹の種は年に一度、春から夏にかけて生え変わる。
1歳に満たない鷹を「かたかえり」という。
2歳未満の鷹を「諸・両(もろ)かえり」といい、2回目の換羽を終えたことを指す。
基本的には3年飼育した鷹が一人前とされるが、生後4か月ほどの鷹も立派に仕事を果たした。
場合によっては若い鷹の方が変な癖が無いので、鷹狩りで扱いやすかったのかもしれない。
弟鷹(だい) 一連・一聯
大鷹のメス。オスより大柄で、鷹狩りによく用いられた。
「弟鷹二聯山廻青居給候」
弟鷹(だい)二連(山廻青)、据え給い候
『上杉輝虎宛(永禄十二年)十月二十二日付織田信長書状』
黄鷹(きだか) 一連・一聯
オオタカの幼鷹を指す。
生まれて一年も満たない若鷹を飼いならし芸を仕込む。
『新撰北海道史』第一(北海道庁 大正七年)によると、黄鷹は一歳のものを差し、その中でも弟鷹(だい)は芸を善くするため、価値がもっとも高かったとある。
『伊達政宗宛(天正十六年)四月五日付前田利家書状』
画像の文字は「黄鷹鳥屋(きだかとや)」
「黄鷹鳥屋にても、能鷹尾羽を不打候て、鷹師ニ被入御念、御進上可然候」
黄鷹鳥屋にても、良き鷹尾羽を打たず候て、鷹師に御念を入れられ、御進上然るべく候
鴘鷹(へんたか) 一連・一聯
若鷹のこと。
詳しくは分かりかねるが、『春秋左氏伝』には以下のように記されている。
「蓋し鷹は鷙なり。故に司寇と為す。一歳を黄鷹と曰ひ、二歳を鴘鷹と曰ひ、三歳を鶬鷹と曰ふ。鴘は次赤なり。」
『春秋左氏伝』より
「生易之鴘鷹御随身之条、可見給之由、任御内意之旨、鷹師差下候き」
生易の鴘鷹(へんたか)御随身の条、見給うべきの由、御内意の旨に任せて、鷹師差し下し候き
『上杉謙信宛(元亀二年)九月二十五日付織田信長書状』
鷂(はいたか・はしたか) 一羽
タカの一種。語源は「疾き鷹」。
古来は「はしたか」と呼んでいた。
鷹より小型で、雄と雌で大きさや羽色が異なる鳥。
戦国当時は雄だけを「ハイタカ」、雌を「コノリ」と呼ぶこともあった。『伊達家治家記録』
日本では、多くは本州以北に留鳥として分布しているが、一部は冬期に暖地に移動する。
「依而鷂二羽伊予、幷鈴ニ、大小送給候」
依って鷂二羽(伊予産)、並びに錫二、大小贈り給い候
『和泉松浦肥前守宛(天正三年)十二月十三日付織田信長書状写』
※錫については次回ご説明します。
雁・雁金(かりがね)
カモ科の水鳥のこと。鴈とも書く。
美味であることから、食用として古くから愛された。
現在は個体数の減少から絶滅が危惧され、狩猟が禁じられている。
また、日本では雁をモチーフにした家紋が多々ある。
「鴈二到来候、節々音信、誠心遣之趣、別而喜入候」
雁二到来候、節々の音信、誠に心遣いの趣き、別して喜び入り候
水野直盛宛(天正五年)九月十七日付織田信長黒印状
菱喰(ひしくい)
カモ科の水鳥のこと。
水辺に生息する全長78~100cmの鳥。
夏季にユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季に日本などの東アジアで越冬する。
名の由来はヒシの果実を食べるところから。
『真田信幸宛(天正十七年)十一月十日付け徳川家康書状』
「菱喰十到来」
白鳥・鵠(くぐい)
カモ科の水鳥。
シベリアから飛来し、日本で越冬する大型の渡り鳥。
個体によっては野生でも20年ほど生きる。
鷹狩りの獲物としては最上級に位置づけられる。
『立花宗茂宛(推定文禄四年)正月十五日付浅野長政書状』
画像の文字は「白鳥」。
「太閤様、関白様へ為歳暮御祝儀、御服幷白鳥御進上候」
太閤様、関白様へ歳暮御祝儀として、御服並びに白鳥御進上候。
まとめ
ご覧いただきありがとうございました。
数え方については他にもバリエーションがあるでしょうが、今回調べた史料から確認できたもののみを載せました。
例文には
「仍って〇〇贈り給い候。誠に懇慮の至り、喜び入り候」
あるいは
「仍って〇〇これをまいらせ候」
のパターンが圧倒的に多いです。
また、大名への進物としてもっとも多かったのが太刀でした。
「仍って太刀一腰、これをまいらせ候。祝着の至りに候」
次回の記事は繊維類、日用品、貨幣、その他の進物についてです。
ご覧頂けましたら幸甚に存じます。
参考文献:
奥野高廣(1988)『増訂 織田信長文書の研究 上巻』吉川弘文館
奥野高廣(1988)『増訂 織田信長文書の研究 下巻』吉川弘文館
奥野高廣(1988)『増訂 織田信長文書の研究 補遺・索引』吉川弘文館
山本博文,堀新,曽根勇二(2013)『戦国大名の古文書<東日本編〉』柏書房
山本博文,堀新,曽根勇二(2013)『戦国大名の古文書<西日本編〉』柏書房
小和田哲男(1973)『戦国史叢書6 -近江浅井氏-』新人物往来社
小和田 哲男(2010)『戦国武将の手紙を読む』中公新書
山科言継(1915)『言継卿記 第四』国書刊行会
岡本良一(1970)『戦国武将25人の手紙』朝日新聞社
(2020)『八木城と内藤氏-戦国争乱の丹波-』南丹市立文化博物館
(2020)『第34回特別展「明智光秀と戦国丹波-丹波侵攻前夜-』亀岡市文化資料館
(2020)『第35回特別展「丹波決戦と本能寺の変』亀岡市文化資料館
鈴木正人(2019)『戦国古文書用語辞典』東京堂出版
林英夫(1999)『音訓引 古文書大字叢』柏書房
加藤友康, 由井正臣(2000)『日本史文献解題辞典』吉川弘文館
宍倉佐敏(2011)『必携 古典籍・古文書料紙事典』八木書店
長谷川成一(1981)「鷹・鷹献上と奥羽大名小論」,『本荘市史研究. 本荘市史編さん室』, 1,pp.27-44.
農林水産省ホームページ
など