5.歴史系おもしろまとめ

戦国時代の丹波国 明智光秀が平定する以前の時代を史料から読む

明智光秀が平定する以前の丹波国情勢をまとめました。時の権力者に翻弄されながらも逞しく生きた丹波の国人衆たち。生の史料6点から引用し、その時期に誰が丹波国で力を持ったのかを簡潔にまとめています。
明智光秀が出した古文書

麒麟がくる明智光秀の古文書 愛宕山へ宛てた書状から丹波攻略を見る

明智光秀と愛宕山の関係を示す史料を解読します。この文書は、明智光秀の丹波攻略戦の進み具合を窺い知ることができる興味深いものです。なお、愛宕山は本能寺の変の数日前、光秀が連歌の会を催した舞台として知られています。
織田信長が出した古文書

『十等分の花婿』信長が信忠の下へ派遣した使者は誰か

天主が完成して間もない安土城下で、法華宗と浄土宗が争った安土宗論を、前回よりより深く考察します。とりわけ、信忠へお金の送金を依頼した目的と、その使者として岐阜へ派遣された『十等分の花婿』を特定します。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記の解読(10)明智光秀の貧乏生活 それを支えた妻の言葉とは

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(9)覚慶、細川藤孝らの助けで奈良を脱出 流浪将軍足利義秋の誕生

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍追放!事実上の室町幕府滅亡

信長の年表12回目です。今回の主な出来事は丹羽長秀に大舟建造を命じる、足利義昭再び挙兵の風聞、河内畠山家の遊佐信教らが主君・畠山秋高(昭高)を弑逆、足利義昭再び挙兵、二条御所の戦い、宇治槙島の戦い、足利義昭追放、一乗寺・静原山両城の戦い、木戸・田中両城の戦い、「天正」と改元などです。
6.信長以外の歴史系記事

明智軍法は実在したのか?本能寺のちょうど1年前に定められた明智軍法の真偽に迫る

今回は「明智軍法は本当に明智光秀が出したのか」です。これは本能寺の変のちょうど1年前に光秀が定め、他の大名に先駆けて石高あたりの動員人数まで規定した画期的な軍令書です。これが真実ならば本当にすごいことなのですが、怪しい点も随所に見られます。さあ、その真偽はいかに。
1.古文書

【滋賀旅行のすゝめ】湖西の歴史ある名所を「近江八景の図」から紹介

今回は近江八景の図から8つの観光スポットをご紹介します。全て湖西にある歴史豊かな観光地です。0.近江八景の図の由来、1.石山寺(石山秋月)、2.瀬田(勢多の夕照)、3.粟津(粟津晴嵐)、4.三井寺(三井晩鐘)、5.唐崎神社(唐崎夜雨)、6.矢橋(矢橋帰帆)、7.堅田の浦 浮御堂(堅田落雁)、8.比良山(比良暮雪)
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍・足利義昭がついに挙兵

信長の年表11回目です。今回の主な出来事は武田信玄が野田城を攻略、武田軍の快進撃が止まる、将軍・足利義昭が挙兵、細川藤孝の内通、石山・今堅田の戦い、和田惟長乱心、髙山友照・重友父子の暗殺を謀る、織田信長による洛外・上京焼き討ち、鯰江城の戦いと百済寺焼き討ち、武田信玄死去、足利義昭と織田信長間で和議成立などです。

織田信長が出した古文書

義昭挙兵!信長が細川藤孝に宛てた書状から見える意外な一面とは!?

将軍・足利義昭が信長に対して兵を挙げた時に、織田信長が幕臣である細川藤孝に宛てた書状の解読をします。この時期の信長は意外にも将軍とは和平を望んでいて、人質も信長の方が差し出すと交渉しています。信長と細川藤孝の真意とは・・・。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに時代背景も入れてご説明します。
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