戦国の古文書解読よく出る語彙・単語編 五十音順「ま」~「ん」

5.0
この記事は約73分で読めます。
古文書解読の基本的な事 よく出る単語編 五十音順「ま」~「ん」

 戦国時代の古文書で、非常によく出る語彙を中心にまとめました。
語順は現代仮名遣いです。
例文の読み下しに誤りがある箇所もあります。
今後もさらに加筆する予定です。

PCの方は「ctrl+F」で検索したい語彙を、Safariの方は「真ん中の共有ボタン→ページを検索」で検索したい語彙へジャンプできます。

  1. 「ま」行
      1. 進す・参す・・・まいらす
      2. 進せ・参せ・まゐらせ・・・まいらせ
      3. 寔・誠・・・まことに
      4. ~まし
      5. ~間敷・・・~まじ・まじく・まじき
      6. 末代・・・まつだい
      7. 廻文・回文・・・まわしぶみ・かいぶん・かいもん
      1. 御教書・・・みぎょうしょ・みきょうじょ
      2. 砌・・・みぎり
      3. 御厨・・・みくりや
      4. 御食・御饌・・・みけ
      5. 御気色・・・みけしき・ごきしょく
      6. 可御心易候・可御心安候・・・みこころやすかるべくそうろう
      7. 未進・・・みしん
      8. 御台・・・みだい
      9. 猥、猥ニ・・・みだりに
      10. 密教・・・みっきょう
      11. 名請人・・・みょううけにん・なうけにん
      12. 冥加・・・みょうが
      13. 妙見・・・みょうけん
      14. 名字地・・・みょうじのち
      15. 名跡・・・みょうせき
      16. 名代・・・みょうだい
      17. 妙法・・・みょうほう
      18. 妙法蓮華経・・・みょうほうれんげきょう
      19. 未練・・・みれん
      20. 弥勒・・・みろく
      1. ~む(ん)
      2. 虫気・・・むしけ
      3. 無足・・・むそく
      4. 六ケ敷・六ケ舗・・・むつかしき、むつかしく
      5. 空敷・・・むなしく、むなしき
      6. 棟別・棟別銭・・・むなべつ・むなべつせん
      7. 謀反、謀叛・・・むほん
      8. 邑、邨・・・むら
      1. 銘々・・・めいめい
      2. 召置・・・めしおく・めしおき
      3. 召具・・・めしつれ・めしぐす
      4. 召放・・・めしはなち・めしはなつ
      5. 面目・・・めんぼく・めんもく
      1. 設・儲・・・もうけ
      2. 申・・・もうす
        1. 申さす
        2. 申さんや
        3. 申合・・・もうしあわす・もうしあわせ
        4. 申受・申請・・・もうしうく・もうしうけ・もうしうける
        5. 申行・・・もうしおこなう
        6. 申言・・・もうしごと
        7. 申状・・・もうしじょう
        8. 申次・・・もうしつぐ・もうしつぎ
        9. 申遠・・・もうしとおのく
        10. 乍申・・・もうしながら
        11. 申述・申展・申伸・申陳・・・もうしのべる・もうしのぶ
        12. 申被・申開・・・もうしひらく・もうしひらき
        13. 申含・・・もうしふくむ・もうしふくめ
        14. 申文・・・もうしぶみ
        15. 申触・・・もうしふらす・もうしふれ
        16. 申旧・・・もうしふり
        17. 申分・・・もうしぶん
        18. 不及申・・・もうすにおよばず
        19. 申間敷・・・もうすまじく
      3. 若・・・もし
      4. 無物体・無勿体・・・もったいなし
      5. 持分・・・もちぶん
      6. 以・・・もって
      7. 以解・・・もってげす
      8. 以牒・・・もってちょうす
      9. 尤・・・もっとも
      10. 元来・・・もとより・がんらい
      11. 諸々・・・もろもろ
      12. 門跡・・・もんぜき
  2. 「や」行
      1. 哉・・・や
      2. 屋形号・・・やかたごう
      3. 軈・軈而・・・やがて
      4. 族・・・やから
      5. 役銭・・・やくせん
      6. 役夫工米・・・やくぶたいまい・やくぶくまい
      7. 役者・・・やくもの
      8. 矢銭・・・やせん
      9. 山間・・・やまあい
      10. 不得止・・・やむをえず
      1. 遺跡・・・ゆいせき
      2. 維摩経・・・ゆいまきょう
      3. 維摩会・・・ゆいまえ
      4. 有職故実・・・ゆうそくこじつ
      5. 故障・・・ゆえさわり
      6. 所以・・・ゆえん
      7. 床敷・・・ゆかしい・ゆかしく
      8. 往々・往往・・・ゆくゆく
      9. 夢・・・ゆめ
      10. 努々・努努・努力努力・・・ゆめゆめ
      1. 要害・・・ようがい
      2. 要脚・用脚・・・ようきゃく
      3. 用捨・・・ようしゃ
      4. 様躰・様体・・・ようだい
      5. 能々・・・よくよく
      6. 抑々・・・よくよく
      7. 由・・・よし・より・よる
      8. 仍・依・因・・・よって・より
      9. 仍如件・仍状如件・・・よってくだんのごとし・よってじょうくだんのごとし
      10. 吉程・余程・・・よっぽど
      11. 尋常・・・よのつね・じんじょう
      12. 自・従・依・ゟ・・・より
      13. 無拠、無據・・・よんどころなく
  3. 「ら」行
      1. 礼紙・・・らいし
      2. 洛・・・らく
      3. 落首・・・らくしゅ
      4. 落書・・・らくしょ
      5. 落飾・・・らくしょく
      6. らし
      7. 落居・落去・・・らっきょ
      8. らむ(らん)
      9. 被・・・られ・らる・~なされ・~なさる
      10. 濫觴・濫傷・乱傷・・・らんしょう
      11. 乱取・乱捕・・・らんどり
      12. 乱妨・濫妨・・・らんぼう
      1. 理運・利運・・・りうん
      2. 律師・・・りっし・りし
      3. 率分・・・りつぶん・そつぶん
      4. 理非・利非・・・りひ
      5. 利平・・・りへい
      6. 諒闇・諒陰・亮陰・・・りょうあん・ろうあん
      7. 令外官・・・りょげのかん
      8. 了簡・料簡・・・りょうけん
      9. 聊爾・・・りょうじ
      10. 令旨・・・りょうじ
      11. 料所・・・りょうしょ
      12. 領状・領掌・・・りょうじょう
      13. 料足・・・りょうそく
      14. 慮外・・・りょがい
      15. 綸言・・・りんげん
      16. 綸旨・倫旨・・・りんじ・りんし
      17. 林鐘・・・りんしょう
      1. 流落・・・るらく
      1. 霊験・・・れいげん・れいけん・りょうけん
      2. 礼式・・・れいしき
      3. 連歌・・・れんが
      4. 連句・・・れんく
      5. 連枝・・・れんし
      6. 連衆・・・れんじゅ
      7. 連署・・・れんじょ
      1. 﨟次・臘次・・・ろうじ
      2. 狼藉・・・ろうぜき
      3. 浪人・牢人・・・ろうにん
      4. 路次・・・ろし・ろじ
      5. 論所・・・ろんしょ
  4. 「わ」行
      1. 若衆・・・わかしゅ
      2. 脇付・・・わきづけ
      3. 態・態与・・・わざと
      4. 態令啓候・態令啓達候・・・わざとけいせしめそうろう・わざとけいたつせしめそうろう
      5. 蟠・・・わだかまる、わだかまり
      6. 渡状・・・わたしじょう
      7. 渡領・・・わたりりょう・わたしりょう
      8. 詫言・侘言・・・わびごと
      9. 和与・・・わよ
      10. 瘧病・・・わらわやみ
      11. 我等式・・・われらしき
      1. 无・畢・訖・・・ん・おわんぬ
      2. ~む(ん)

「ま」行

進す・参す・・・まいらす

(意味)
①差し上げる。献上する。申し上げる。
例)「鷹一連、織田右府殿へ進せ給う」

②参上させる。うかがわせる。差し上げさせる。~して差し上げさせる。

 (備考)
歴史的仮名遣いで「まゐらす」。
「まいる」の語源は「まゐ入る」から来ており、「参入する」が本義である。
時代が下るにつれて、謙譲語である「まゐる」も拡大的に解釈されるようになり、上記の意味合いへと変化した。
「与ふ」の謙譲語として用いる場合と、動詞形の助動詞として用いる場合が多い。

中古では「参上させる」「差し上げさせる」など、人を介して差し上げる場合に用いたようだ。
外山映次ら編『全訳読解古語辞典(2007)』によると、受け手との間に距離を置いた表現が、受け手に対する話し手の高い敬意表現として用いられるようになった。
中古中期から見られるが、中世以後、「奉(たてまつる)」・「申(もうす)」が類義語としてさかんに用いられ、やがて「まらする」(中世末期には丁寧語の用法も生じた)、「まっする」などを経て、現在の丁寧の助動詞「ます」に至ったとある。

また、「まいらせ給う」はお差し上げなさる。参上なさる。おのぼりになる。など、より強い敬意を込めた表現となる。
 ⇒「進せ(まいらせ)」 まゐらすの連用形
 ⇒「給ふ(たもう)」 補助動詞

進せ・参せ・まゐらせ・・・まいらせ

(意味)
相手を尊敬して、書簡や贈り物を差し上げること。進上すること。
書簡の脇付(わきづけ)として記される場合は、先方に敬意を払った丁重なものとなる。

 (備考)「進之候」とある場合は、之(これを)進(まいらせ)候(そうろう)。
書簡や贈り物を差し上げる際に頻繁に用いられる用語である。
“まいらせ”が動詞のため、返読する場合が多い。

例文1) 『(元亀三)六月三十日付本願寺顕如書状(顕如上人御書札案留)』

義景近日可有出馬由候、彌可被示合事専用候、就中鉄炮藥三十斤之候、

(書き下し文)
義景(朝倉義景)近日出馬あるべきの由に候。
いよいよ示し合わさるべきの事専要に候。
就中鉄砲薬(三十斤)これをまいらせ候。

 (備考)
例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応七年二月九日条より

一、御得度沸前蓮花二瓶事、可沙汰之之由仰遣一切經納所了、毎度例也、

(書き下し文)
得度仏前蓮花二瓶の事、沙汰すべしとこれをまいらすの由を仰せ遣わせ、一切経納所おわんぬ
毎度の例なり

例文3) 『御湯殿上日記』天正元年十一月十四日条より

十四日、のふながより、うつらのさほ一・ミつかんのひけこ五進上申、御かたの御所へもミつかんのこ五まいらせ、つかゐむらゐミんふさたかつまいりて、とんすたふ、御つかいなかハし、ミつかん大しやう寺殿・おか殿・たけのうち殿・とんけいゐんと(の脱カ)まいらせらるゝ、

(書き下し文)
十四日、信長より、鶉のさほ(?)一・蜜柑のひけこ(?)五進上申し、御方(誠仁親王)の御所へも、蜜柑のこ五まいらせ、使村井民部少輔みんぶのしょうふ貞勝参りて、緞子十を御使なかはし(長橋局)、蜜柑を大聖寺殿・おか殿・たけのうち殿(覚恕)・曇華院殿(曇華院聖秀女王)へ進せらるる。

「進之候」の用例とくずし方
「進之候」の用例とくずし方

「進」のくずしはほぼ原形をとどめておらず、ひらがなの「を」に近い形となるのが基本。
「進」に限らず、しんにょうはほぼこのようなくずし方をする。
なお、ひらがな「を」の字源は「遠」なので注意が必要である。

寔・誠・・・まことに

(意味)今日よく用いられる「誠に」と同じ

 (備考)
例文) 『(天正元)十一月四日武田勝頼書状写(甲斐国史 百二十一附録三)』

就當口出馬、自正綱態預音問候、御入魂之至大慶候、德河楯籠候爲始濵松、在々所々民屋不殘一宇放火、稻も悉苅捨、每事達本意候、可御心安候、

(書き下し文)
当口出馬に就きて、正綱よりわざと音問を預かり候。
誠に御昵懇の至り大慶に候。
徳川(徳川家康)が立て籠り候浜松を始めとして、在々所々・民屋を残らず一宇放火、稲も悉く刈り捨て、每事本意に達し候。
御心安かるべく候

~まし

(意味)
事実に反することを仮定し、その仮定のもとで推量。
それについての不満・愛惜・希望などの意向を表す。
または、希望に反する結果を憂い、こうであればよかったのにと嘆く。「~まじ
「もし〇○だったら〇〇だろう。」
例)「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(小野小町)」

 (備考)
『新選古語辞典(中田祝男 1984)』によると
“未然形に「ませ」と「ましか」があるが、「ませ」は奈良時代および、平安時代以後の和歌に用いられ、「ましか」は平安時代以後に用いられた。已然形の「ましか」は「こそ」の結びとして用いられる”
とある。

~間敷・・・~まじ・まじく・まじき

(意味)
①否定的な事態が当然である・妥当である意をあらわす。
また、禁止・不適当の意をあらわす。
「~であるはずがない。」「~てはいけない。」「⇒不可有(あるべからず)」
例)「右の条々、いささかも違背あるまじきの事。」

②打消しの推量を表す。
「そうではないだろう。」
例)「ふゆがれのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ『徒然草』(冬枯れの風景こそ、秋にはほとんど劣らないだろう。)」

③打消しの意思を表す。
「~しないつもりだ。」
例)「其許の儀、向後も疎意有るまじきの事。」

④不可能の意を表す。
「~できそうもない。」
例)「我らのみでは打ち勝つこと叶うまじと・・・」

 (備考)
古代期から用いられてきた推量の助動詞「ましじ(~まい。・~ないだろう)」が転じたもの。
可(べし)」の打消しの機能をもつ。
①の意味では「不可(べからず)」は漢文訓読で多く用いられたのに対し、「まじ」は和文で多く用いられた。
鎌倉期以降、和漢混交文が主流となると、その区別は薄れて併用されることが多くなった。

「間敷」のくずし方
「間敷」のくずし方

例文1) 『護国寺文書』永禄十一年四月二十七日付織田信長書下

一、深重入魂之上、向後不可有表裏、抜公事之事、
一、知行方之儀、昨年遣候如書付之、不可有相違事、
一、御進退之儀、向後見放申間敷事、

(書き下し文)
一、深重に入魂の上、向後は表裏、抜け公事 有るべからざるの事。
一、知行方の儀、昨年遣わし候書付かきつけの如く、相違有るべからざるの事。
一、御進退の儀、向後も見放し申すまじきの事。

例文2) 『(元亀三)十一月二十日付織田信長書状写(真田宝物館所蔵)』

信長与信玄間之事、御心底之外ニ幾重之遺恨更不可休候、然上者、雖経未来永孝候、再相通間敷候、

(書き下し文)
信長と信玄間の事、御心底の他に幾重にも遺恨更に休むべからず候。
然る上は、未来永劫を経る候といえども、再び相通じ間敷く候。

例文3) 『(天正六)七月八日付山中幸盛書状(吉川史料館所蔵文書)』

永々被遂牢、殊當城籠城之段、無比類候、於向後聊忘却有間敷候、然者何へ成共可有御奉公候、恐々謹言、

(書き下し文)
長々牢(ろう)を遂げられ、殊に当城(播磨上月城)籠城の段、比類無く候。
向後に於いて忘却有るまじく候。
然らばいずれへなりとも御奉公あるべく候。
恐々謹言

語訳:あなたはこれまで、尼子家再興のために長きに渡って浪人として過ごされました。
さらにこの上、今回の戦いにも参陣され、他に並ぶものがないほどの活躍をされました。
私はあなたの恩義を決して忘れません。しかし、もはや敗れてしまった以上は仕方ありません。あなたはどこへなりとも仕官し、新しい主君に御奉公してください。敬具

末代・・・まつだい

(意味)のちの世、後世に至るまで。

 (備考)
例文) 『三国地志(上野市立図書館所蔵文書)元亀二年十二月十一日付北畠具房書状写』

右条々御領掌之上者、於末代不可有相違候、此旨鋳物師之面可被申聞候也、謹言、
 (右の条々、御領掌の上は、末代に於いて相違有るべからず候。この旨、鋳物師の面に申し聞かせらるべく候なり。謹言。)

廻文・回文・・・まわしぶみ・かいぶん・かいもん

(意味)「廻文・回文(かいぶん)」の項を参照のこと。

御教書・・・みぎょうしょ・みきょうじょ

(意味)
三位さんみ以上の官位を有する貴人の意図を汲んで、その家の家臣が奉書形式で発給する文書のこと。
武家様式にあっては、位階に関係なく将軍の命を受けた奉書形式のもの、あるいは直状形式のものも広く御教書と呼ばれる。

奉書形式をとる御教書のうち、その仰せの主体によってさまざまな名称で呼ばれる。
天皇の仰せの場合は「綸旨(りんじ)」、上皇や法皇の仰せの場合は「院宣(いんぜん)」、皇太子・三后・親王・准三后の仰せは「令旨(りょうじ)」、摂政の仰せで綸旨に代わる効力を持つものはは「摂政御教書」、摂政・関白の個人的な仰せの場合は「殿下御教書」、藤原氏・源氏などの氏長者の仰せの場合は「長者宣」、知行国主(国司)の仰せは「国宣」、検非違使別当の仰せは「検非違使別当宣」、各公卿の仰せは「某御教書」、別当・座主の仰せは「某長者」、各寺院の長者などの仰せは「御教書」など。

これらの御教書は、もともとは私的な意味合いで発給する私文書であったが、手続きの簡便さから、やがて公文書の意味合いを帯びるようになり、最後には国家最高の決定を伝える文書となった。
戦国大名が領国支配のために判物印判状を用いて発給する文書形式も、広い意味で御教書と捉えることもできるだろう。

 (備考)
もとは大陸の唐から伝わった親王・内親王の命令を伝達する文書が「教」であったが、日本では三位以上の人の仰せを「教(きょう)」と呼ぶようになり、その文書を「教書(きょうしょ)」、さらに敬語の「御」がついて「御教書」となった。
従って、「みきょうじょ」と訓読しても誤りではない。
日本では10世紀後半ごろから使われ出したといわれる。

御教書に多い書札形式は、初行から要件たる本文を書き始め、本文の次行に日付、その下(日下にっか)に差出書、さらに日付の次行の上に宛書を記し、最後に封を加えるものである。

※本項の大部分は瀬野精一郎(2018)『花押・印章図典』を参照

砌・・・みぎり

(意味)~の際、~のときに

 (備考)「御上洛之砌」だと”ごじょうらくのみぎり”となる。
例文) 『勝興寺所蔵文書』(元亀三)十月一日付武田信玄・勝頼連署状

其国之様子余無心許候条、以飛脚申候、抑々不慮之仕合故、富山落居、無是非次第候、
昨年以来加越両州対陣之事候之間、随分手合之備無油断候き、雖然信玄自身至于越後乱入之儀は、遠三之動無拠故遅々、其已後彼表明隙帰陣候、直に向越府可動干戈之旨令儀定、既信越之境迄先衆立遣候之処、於于途中得病気躊躇之、輝虎退散に付而、無役に納馬候、信玄煩平元之願候、然則後詰之行、聊不可有用捨候、無二父子可令出馬候間、加州衆重而出張、其国静謐候之様、御肝煎尤に候、委曲期来信之時候、恐々敬白、

(書き下し文)
其の国の様子心許無き余りに候条、飛脚を以て申し候。
そもそも不慮の仕合しあわせゆえ、富山落居、是非無き次第に候。
去年以来加(加賀国)越(越中国)両州対陣の事に候の間、随分手合いの儀、油断無く候き。
然りいえども、信玄自身が越後へ乱入に至るの儀は、遠(遠江国)三(三河国)の動き無きによるゆえ、遅々、それ以後かの表へ、隙明きに帰陣候。
直に越府へ向かい干戈かんか働くの旨儀定せしめ、既に信(信濃国)越(越後国)の境まで先衆さきしゅうを立ち遣わし候のところ、途中病気を得るに於いて、躊蹰ちちゅうみぎり、輝虎(上杉謙信)退散について、無役に納馬し候。
信玄の煩い、平元の願いに候。
然らば後詰のてだて、いささか用捨あるべからず候。
無二に父子(武田信玄・勝頼父子)出馬せしめ候間、加州(加賀国)衆重ねて出張、其の国静謐に候の様、御肝入り尤もに候。
委曲、来信を期すの時に候。恐々敬百

※「躊蹰」は動けないの意。
※「納馬」は帰陣の意。

御厨・・・みくりや

(意味)
皇室・神社などの所領で、魚貝果物類の供膳・供物献納を行うこと。
また、神に供えるための食事を作るところ。

 (備考)
厨(くりや)」に敬称の「御」をつけた語。

上述の通り、元来は供物を調進する屋舎を指したが、やがてその所領を指すようになった。
供膳・供祭の魚介などを献納する非農業民を支配していく過程で成立。
内容的には荘園と等しい。

御食・御饌・・・みけ

(意味)神や天皇の食事の料。

御気色・・・みけしき・ごきしょく

(意味)
天皇・上皇をはじめとする貴人の考え。意向。本心。
「御気色が優れない」で御機嫌が悪い、または疎んじられているという意味。

可御心易候・可御心安候・・・みこころやすかるべくそうろう

(意味)ご安心ください

 (備考)以下の例は信玄が元亀3年(1572)10月1日に朝倉義景へ宛てた書状写より。『南行雑録』
「信玄者今朔日打出候、可御心安候、」
 (信玄は今一日打ち出で候。御心安かるべく候)
などと表現する。

「可御心安候」のくずし方
「可御心安候」のくずし方

未進・・・みしん

(意味)
年貢等の租税の納入をしないこと。
または公事夫役などを怠ることを指す。
日本語風に読むと「未だ進(まいら)せず」。

例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月五日条より

揚本庄去々年反銭未進事、宗觀房律師取申、十貫可沙汰、相残春可有御催促云々、得御意旨仰了、

(書き下し文)
揚本庄去々年反銭未進の事、宗観房律師取り申す
十貫に沙汰すべし。
相残るは春に御催促有るべしと云々
御意を得る旨仰せおわんぬ

例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応七年二月二日条より

一、田口庄年貢十一貫文沙汰、四貫未進、此外先年未進在之、當納云未進分、可皆濟之由重而返事了、

(書き下し文)
田口庄の年貢十一貫文の沙汰
四貫未進、このほか先年未進これ在り。
当納と云い未進分、皆済べきの由重ねて返事おわんぬ

御台・・・みだい

(意味)
御台盤所(みだいばんどころ)の略で、貴人の妻を敬って表す語。
御廉中御方おんかた様・台所・御台様みだいさまなども同じ意。
または身分の高い人の食事を指す。

 (備考)
「台」は旧字の「臺」で記されることも多い。
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年五月二十五日条より

御臺御方廿ニ日御入滅、五十六、
 御台御方、二十二日に御入滅(享年)五十六。)

猥、猥ニ・・・みだりに

(意味)むやみやたらに。軽率に。自分勝手に。

 (備考)
「ニ」は助詞のため、古文書では脇に小さく記される場合もある。
致乱妨狼藉間敷之事」
(みだりに乱妨狼藉致すまじきの事)むやみに乱妨・狼藉をしてはならない。
例文) 『(元亀三)九月二十八日付滝川一益書状(革島文書)』

芳墨拜領候、仍革嶋知行之儀申聞候、如此申拵候段、失面目候、然者、重而朱印遣候条、自然猥ニ彼知へ不謂儀被申懸候はヽ、可有成敗之由候、其分可被仰付候、恐々謹言、

(書き下し文)
芳墨ほうぼく拝領し候。
仍って革嶋知行の儀申し聞かせ候。
かくの如くに申し拵え候段、面目を失い候。
然らば重ねて朱印を遣わし候条、自然みだりにかの地へ言われざる儀を申し懸けられ候はば、成敗あるべきの由に候。
その分仰せ付けらるべく候。恐々謹言

密教・・・みっきょう

(意味)
仏界用語。
大日如来が説いた真実の教法。
日本では最澄・空海が大陸から持ち帰って伝えたとされる。

その教えが深遠で理解しにくいことからこうよばれる。
また、顕教を「顕(けん)」というのに対し、「密(みつ)」とも。

 (備考)
なお、「密宗(みっしゅう)」は真言宗の別名を指す。

名請人・・・みょううけにん・なうけにん

(意味)年貢納入者。
戦国期における名請人(みょううけにん)は、年貢や夫役(ぶやく)などの諸公事(くじ)を担うことで身分と土地の所有を認められた。
一方、年貢取得者のことを「給人(きゅうにん)」と呼んだ。
江戸期に入ると検地帳に登記した人物が名請人(なうけにん)(※あるいは高請人(たかうけにん)・竿請人(さおうけにん)とも呼ぶ)となり、一筆ごとに確立された分米ぶんまいの供出を担った。

冥加・・・みょうが

(意味)
知らず知らずのうちに神仏からうける加護のこと。
神仏の助けを受けること。

 (備考)
「冥加銭(みょうがせん)」は冥加の利益を得ようとして社寺に納める金銭のこと。
または冥加を得たお礼として社寺に納める銭のことを指す。

「無冥加(みょうがなし)」は加護を受けていないこと。
または冥加を知らないことを指す。

(例文) 『信長公記』巻四「叡山御退治之事」より

先年日乗上人、村井民部丞為御奉行被仰付(中略)其上御調物、於末代無懈怠様に可有御沙汰、信長公被廻御案ヲ、京中町人尓属詫被預置、其利足毎月進上候之様尓被仰付候、幷怠轉之公家方御相續、是又重畳御建立、天下萬民一同之満足、不可過之々々、於本朝、御名誉、御門家之御威風、不可勝計、亦御分國中、諸關諸役御免許、天下安泰、往還旅人御憐慇、御慈悲甚深ニメ、御冥加モ御果報も超、世尓彌增御長久之基也、併學道立身被欲擧御名後代故也、珍重々々、

(書き下し文)
先年日乗上人(朝山日乗)・村井民部丞みんぶのじょう(村井貞勝)を御奉行に仰せ付けられ
(中略)その上御調物、末代に於いて懈怠無き様に御沙汰有るべく、信長公御案を巡らされ、京中町人に嘱託を預け置かれ、その利息を毎月進上候の様に仰せ付けられ候。
併せて退転の公家方の御相続、これまた重畳御建立、天下万民一同の満足、これに過ぐべからず云々
本朝に於いて、御名誉・御門家の御威風挙げて数うべからず。
また、御分国中、諸関の諸役を御免許、天下安泰、旅人往還の御憐慇、御慈悲甚深ニメ、御冥加も御果報も超え、世にいやまし御長久の基なり。
併せて道を学び、身を立つるも、御名後代に挙げんと欲する故なり。珍重珍重。

妙見・・・みょうけん

(意味)
菩薩の名。妙見菩薩のこと。
国土を守り困窮を救う神として北極星より現れ、人々に救いをもたらすという。

 (備考)
なお、「妙見講」とは妙見菩薩を信仰する日蓮宗信者の講のこと。

名字地・・・みょうじのち

(意味)
その家の名字の由来となった土地のこと。
名字は苗字とも記す。
ある地を上意により賜ると、その地を名字に改め、そこを根本所領として代々一族繁栄の拠点とした。

例として
工藤氏が伊勢国長野の地を賜ると、長野と姓を改めた。
大江季光が父の遺領のうち、相模国毛利荘を相続したことにより、毛利と姓を改めた。
などが挙げられる。

(備考)
例文) 『言継卿記』永禄十一年十月二十一日条より

先日者面謝令祝着候、仍知行分名字地大宅野村西山地頭職之事、此間貴所飯田御兩所頼入申、自弾正忠殿以御執申、爲上意被返付候様に頼存候處、于今御返事無之候間、昨日又被成女房奉書候、

(書き下し文)
先日は面謝、祝着せしめ候。
仍って知行名字地の大宅・野村・西山の地頭職の事、この間貴所(織田家)の飯田(飯田某)御両所へ頼み入り申す。
弾正忠殿(織田信長)より御執り申しを以て、上意(室町幕府)として返付せられ候ように頼み存じ候ところ、今に御返事これ無く候間、昨日また女房奉書を成され候。

※大宅・野村・西山これらの地はいずれも山科家の名字地である山科郷に近接する地であり、天皇から賜った代々守り継がねばならない懸命の地である。
これらの地が押領されて久しいが、当時の山科家棟梁である言継は、不知行となった地を返付してもらおうと織田信長に陳情し、信長の口添えと朝廷の力によって、室町幕府に旧領還付をお願いしているのである。

名跡・・・みょうせき

(意味)
名字の跡目。家督のこと。

名代・・・みょうだい

(意味)
人の代理を務めること。代わり。
主君の代理として出頭や軍役などを果たすこと。

 (備考)
その家を代表する一門や家老が務めることが多い。

妙法・・・みょうほう

(意味)
微妙不可思議な教えを説いた書物。仏典のこと。
多くは法華経のことを指した。
「妙典(みょうでん)」・「妙文(みょうもん)」も同様の意味合いである。

妙法蓮華経・・・みょうほうれんげきょう

(意味)
①大乗経典の一つ。
日本や中国では早くから広く布教され信じられた。

②「南無妙法蓮華経」の略。「法華経」の項を参照のこと。

未練・・・みれん

(意味)
①未熟であること。熟練具合が足りていない状態。

②執心が残って思いきれないこと。あきらめきれないこと。

 (備考)
例文) (永禄六)四月七日付武田信玄書状(個人蔵)

其已後者申遠候、本意之外候、抑長尾景虎川東へ引退候間、不可有指義之旨存候處、小山之地取詰、剰秀綱降参、不及是非次第候、但是全非景虎戦功候、関東人未練故ニ候、三十日不拘城而此之疑、無念至極候、

(書き下し文)
それ以後は申し遠のき候。
本意のほかに候。
そもそも長尾景虎(上杉輝虎)川東へ引き退き候間、指したる儀の旨に有るべからずと存じ候のところ、小山の地を取り詰め、あまつさえ秀綱(小山秀綱)降参、是非に及ばざるの次第に候。
但しこれ全く景虎の戦功に非ず候。
関東人未練ゆえに候。
三十日城を拘えずにてかくの儀、無念至極に候。

弥勒・・・みろく

(意味)
仏界用語。
サンスクリット語の「Maitreya(マイトレーヤー)=慈尊」から。
兜率天とそつてんの内院に住む菩薩。
釈迦入滅後、56億7000万年の後に人間界に現れ、民衆を救うとされる。

~む(ん)

(意味)
①推量の助動詞。~だろう。
「~にあらむや」

②~するのが妥当だ。当然である。
「さもありなむ」

平安時代中期には”mu”の発音が”m”となり、さらに”n”に変わったので、「ん」と読まれることが多い。

 (備考)
他にも推量の助動詞で「らむ」や「らし」・「~ぬべし」・「めり」などがあり、微妙に意味が異なる場合もある。(確定事項に近い意味合いでの推量や、視覚内・外での推量など)

虫気・・・むしけ

(意味)
①腹部に関する痛みを伴う病気。産気や陣痛も含む。
②子供が寄生虫などによって腹痛・ひきつけ・癇癪などを起こすこと。

「虫がかぶる」も同じ意。
虫気は古くから腹の中にすむ三尸さんしの虫によって引き起こされると考えられていたようだ。

 (備考)
日本では「虫」はマツムシ・スズムシなどの生物以外にも、腹の底の気持ち・本心・潜在意識を指す語でもあった。
そのため、「虫気」以外にも
  ・「虫が知らす」⇒予感がする
  ・「虫が納まる」⇒腹立ちが直る
などと用いられた。

例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年正月四日条より

若君御方瓶子一双・円鏡・果子進之、自舊冬虫氣之間、不及御見参、悦仰了、
 (若君御方へ瓶子一双・円鏡・菓子(果物)をまいらす。旧冬より虫気の間、御見参に及ばず、悦び仰ぎおわんぬ。)

無足・・・むそく

(意味)
①鎌倉時代・室町時代に、武士が領地や禄を持たないこと。
また、その人。無禄。無足人のこと。

②足がないこと。

③無駄になること。無効となること。

④足りないこと。不足。

 (備考)
近世に近づくと、①の意が拡大的に解釈され、田地や俸禄がなくて、扶持米を受けること。またはその人を指すようになった。

六ケ敷・六ケ舗・・・むつかしき、むつかしく

(意味)難しいこと

空敷・・・むなしく、むなしき

(意味)形容詞「空しい」の連用形、または連体形

棟別・棟別銭・・・むなべつ・むなべつせん

(意味)
家屋の棟をもととする家屋税。
棟数に応じて臨時に賦課(ふか)したもの。
もとは朝廷や寺社の修理費などを捻出するためのものであったが、室町時代後期あたりから頻繁に賦課するようになり、次第に恒久的なものとなった。
戦国時代に入ると各地の大名・国衆も、その領国内に棟別銭を課した。

 (備考)

「棟別」の用例とくずし方
「棟別」の用例とくずし方

中世の文書では、棟別に課役を申し付ける際、棟別銭を免除する際などに登場する。
「棟」のくずしは今日我々が用いる「棒」の字に似ているが、よく見ると旁の部分が「東」の典型的なくずしである。
「別」は大きくくずされ、原型を留めないことが多い。
「前」のくずし方に非常によく似ているので、注意が必要である。

謀反、謀叛・・・むほん

(意味)主君に背いて兵を挙げること

邑、邨・・・むら

(意味)村、村落のこと。惣村(そうそん)

銘々・・・めいめい

(意味)それぞれ

召置・・・めしおく・めしおき

(意味)臣下として召しかかえる、お召し取りになる

 (備考)「被召置」は”めしおかれ”

召具・・・めしつれ・めしぐす

(意味)部下などを召し連れること。供奉させること。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記(応仁二年十一月十七日条より)』

今出川殿今度自伊勢御上洛以後、就内府事不及御對面、
 (中略)
御用心故歟、去十五日御遂電、田村一人被召具、御座在所未聞、希代事也、

(書き下し文)
今出川殿(足利義視)この度伊勢より御上洛以後、内府の事に就きて御対面に及ぶ。
 (中略)
御用心ゆえか去十五日に御逐電。
田村一人を召し連れられ、御座在所は未だ聞かず。
希代のことなり。

召放・・・めしはなち・めしはなつ

(意味)
所領や財産を没収すること。→「闕所」「改易」
近世では役職の解任(役を取り上げる)ことも意味した。

 (備考)
鎌倉時代以降に定着した語。

「軍法たるの間、一騎一人不足に於いては、知行を召放たるべく候。」
「軍法たるの間、無沙汰に於いては、知行を召放たるべきものなり。」
などと表現される。

面目・・・めんぼく・めんもく

(意味)世間の人に合わせる顔。体面。体裁

 (備考)
『新選古語辞典 中田祝男(1984)』によると、日葡辞書は「メンボク」を「名誉」、「メンモク」を「顔」と訳し、文明本節用集では面目を、支体門では「めんもく(顔)」、能芸門で「めんぼく(名誉)」と読んでいるとある。
はたして真実、古くはこのような使い分けがあったのか不明。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応四年十月十五日条より

海智庄間事、於于今者寺門失面目候歟之間、重而令披露了、
 (海智庄間の事、今に於いては寺門は面目を失い候かの間、重ねて披露せしめおわんぬ。)

例文2) 『(天正元)十二月十一日付真木島昭光副状(古今采集)』

今度至當國就被移御座、被成御内書候、此莭被申聞直春、馳走可被申事肝要之旨候、仍呉服御拝領候、尤御面目至候、委細東堂可為御演説候、恐々謹言、

(書き下し文)
この度当国(紀伊国)に至りて御座を移され、御内書を成され候。
この節直春(湯川直春)に申し聞かされ、馳走申さるべき事肝要の旨に候。
仍って呉服御拝領に候。
尤も面目の至りに候。
委細東堂御演説たるべく候。恐々謹言

設・儲・・・もうけ

(意味)
①準備。支度。用意すること。

②ごちそうの意。

転じて、在京の貴人が熊野や伊勢神宮等を参詣する際に、これらを馳走し饗応する行いのことを意味する。

 (備考)
中央の権力者の接待は、設営する側の義務であったが、同時に大きな利権を生む場でもあった。
今日でも「一席設ける」などと表現されるのは、ここからきているのであろう。
その「儲」をどの家が行うかを巡ってたびたび訴訟が起き、北畠家・土岐両家の相論のように、時には家同士で激しく対立する場合もあった。

古語辞書にない場合は「まうけ」で調べてみよう。

申・・・もうす

(意味)
①「言う」「告ぐ」「願う」「乞う」などの謙譲語。

②自身が実行する動作を表す動詞につけて謙譲の意を表す。
 「致す」「行う」など

③「・・・という」の意の改まった言い方。

 (備考)
奈良時代の「まをす」が転じた語とされている。
中田祝男編『新選古語辞典(1984)』によると、
「言う」の謙譲語としては、「聞こゆ」が中古から用いられたが、間接的表現で、おもに女性がうちとけた私的な場で用いた。
これに対して「まうす」は、高い敬意を表して主として男性が改まった公的な場で用いた。
しかし、中古末から「聞こゆ」が衰えてからは「まうす」が一般的に広く使われた。
とある。

申さす

(意味)
(上記の意をふまえた上で)
「申す」に使役の助動詞「す」がついたもの。

申し上げさす。申し上げさせる。

申さんや

(意味)
(上記の意をふまえた上で)
況(いわんや)」の謙譲語。

今さら取り立てて申すまでもないこと。
いわんや。まして。もちろん。

申合・・・もうしあわす・もうしあわせ

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

①話し合う。申し合うこと。言い合うこと。

②かねてより話を合わせておくこと。
あらかじめ相談しておくこと。
示し合わせること。

申受・申請・・・もうしうく・もうしうけ・もうしうける

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

①お願い申し上げること。

②願って受けること。いただくこと。

③招待すること。

申行・・・もうしおこなう

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

執り行うこと。処置すること。沙汰すること。

 (備考)
この場合の「申」は接頭語として、語調を調える程度の意味と考えてよいだろう。

申言・・・もうしごと

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

①言い訳。言いごと。

②願い事。請願。懇望

申状・・・もうしじょう

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

上に申し出すこと。
またはそれを記した書状のこと。

申次・・・もうしつぐ・もうしつぎ

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

申し伝えること。取り次ぐこと。

転じて、公家や武家などへ取り次ぐ窓口のような役割として、主君や貴人の代理人を指すようになった。「伝奏(でんそう)」・「取次(とりつぎ)」

申遠・・・もうしとおのく

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

疎遠になる。遠く離れた関係になる。
無音。無沙汰。音信が途切れること。

 (備考)
書簡の書出しに多いか。
「久しく無音せしめ・・・」などの書出しとほぼ同じ意である。

例文) 『勝興寺文書』(永禄十一)七月十六日付武田信玄書状

其已來申遠意外候、抑椎名右衞門大夫背越後、本願寺之門主得高意候、因茲當方へも無二相通候、如此之節、其國静謐之御調略肝要候、

(書き下し文)
それ以来申し遠のき意外に候。
そもそも椎名右衛門大夫うえもんのたいぶ(椎名康胤)越後(上杉輝虎)に背き、本願寺の門主(本願寺顕如)の高意を得候。
これによりて、当方へも無二に相通じ候。
かくの如きの節、その国静謐の御調略肝要に候。

乍申・・・もうしながら

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

~と言いながら。~と申しておきながら。

申述・申展・申伸・申陳・・・もうしのべる・もうしのぶ

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

言上すること。
申し上げること。

 (備考)

例文)

委曲上野法眼可申伸候間抛筆候也、穴賢、
 委曲上野法眼(下間頼充)申し述ぶべく候間、筆をなげうち候也なり。あなかしく。)
   『(元亀三年)六月三十日付顕如上人御書札案留』

必従是可申展之条、抛筆候、恐々謹言、
 (必ずこれより申し述ぶべきの条、筆をなげうち候。恐々謹言
   『(天正元年)十二月二十八日付織田信長朱印状(仙台博物館所蔵文書)』

関連記事:「戦国時代の印象外交と政治的な大言壮語」織田信長の書状から見てみよう

申被・申開・・・もうしひらく・もうしひらき

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

説明すること。申し開くこと。弁解すること。

申含・・・もうしふくむ・もうしふくめ

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

詳しく述べてわからせること。

申文・・・もうしぶみ

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

上へ申し上げる文書。上奏文。

申触・・・もうしふらす・もうしふれ

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

言い広める。言いふらす。通達すること。

 (備考)
「申觸」のように旧字で記されることも多い。

申旧・・・もうしふり

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

過去に申したように。

 (備考)
旧字で「申舊」と記される場合もある。

申分・・・もうしぶん

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

言い分。言い訳。

不及申・・・もうすにおよばず

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

言うまでもないこと。
当然であること。
当たり前であること。

 (備考)
「〇〇は申すに及ばず、△△も□□である。」といった並列の接続詞としても多く用いられる表現である。

申間敷・・・もうすまじく

(意味)
(上記の意をふまえた上で)

強い禁止を表す。
①~してはならない。~することを禁じる。

②~いたしません。申しません。

 (備考)
例文を含めた詳しい説明は「~間敷・・・~まじ・まじく・まじき」の項を参照のこと。

若・・・もし

(意味)仮に、もしそうであるからには、

 (備考)今日でも「若しくは」と表記される場合があるのは昔の名残

無物体・無勿体・・・もったいなし

(意味)
①不都合だ。不届きだ。妥当ではない。

②おそれ多い。

 (備考)
「物体・勿体(もったい)」はものものしい様子。尊大なさま。とりつくろった態度を意味する語。
「もったいなし」はもともと①の意で用いられていた。
時代が下るにつれて拡大的に解釈されるようになって②の意が用いられる。
さらに、現在ではもっぱら「むやみに用いるのが惜しい」の意で用いられている。

持分・・・もちぶん

(意味)
①組織内において、各々が担当・負担している割合。もちまえ。

②共通の財産について、共有関係にある場合、自らが担当する(割り宛てられた)部分的な所有権。またはその割合。(持ち分)

 (備考)
中世の文書では、②の意が転じて土地や知行地そのものを指す場合が多い。
土地を安堵する旨が記された書状では、特にその傾向が強い。

例文) 『池田文書』永禄六年十二月日付織田信長判物

其方扶助之内、同持分幷家来者買徳持分之儀、誰々為欠所前後之雖判形出之、不混自余、無相違知行可申付者也、仍状如件、

(書き下し文)
その方扶助の内、同じく持分並びに家来の者買得持分の儀、誰々の欠所として前後の判形これを出すといえども自余に混せず、相違無く知行を申し付くるべきものなり。仍って状くだんの如し

語訳)その方の扶持分のうちで、知行分と家来が買い入れている土地は、たとえ誰が闕所処分を受けて財産没収などの判形が呈出したとしても、例外として扱い安堵する。

※中世の不動産取引の常識は現在と異なる。
土地の売り主が闕所処分を受けたり、債務の不履行によって担保にしていた土地を取り上げられるなどした場合、土地を買い入れた(買得)者が弁済をしなければならなかった。

以・・・もって

(意味)それによって。~によって。~で。

 (備考)
助詞「を」に付いて格助詞のような役割をする場合も多い。
「~をもって〇〇す。」
中世の史料では、ほかに「猶以(なおもって)」・「甚以(はなはだもって)」などもよく登場し、いずれも前提を示す意味合いである。

なお、「以外」は「もってのほか」と読む場合もあり、意外なこと。とんでもないことを指す。

例文1) 『古証文』二 より

今度同名新三郎・九里三郎左衛門尉景雄企謀反、既木村五兵衛尉を初右両人仁令一味、土田・中村・宇津呂・一井・西庄・籠屋場等道、相構要害、国屋敷取巻、通路無合期、無二御覚悟御忠節、於家御芳恩不可相忘候、殊右両人相催人数、及行、数度切崩、被討人、無比類御働共候、悉皆御入魂施面目候、外聞実儀万々満足不可過之候、然者一謙令配当度儀候へとも、御存知之通候間、不及了簡候、何時も新知於拝領者、不混自余一謙可令支配候、就其島郷令持名士・馬飼一円幷相原小中跡、一円永代遣之候、向後御知行不可有相違候、次深尾七郎左衛門尉跡与力・被官事、目録預ヶ置候、但彼跡目於申付者、各別候、猶木村三郎右衛門尉・梅原対馬守・北川又三郎、紙面可令申候、恐々謹言、

(書き下し文)
この度同名新三郎・九里三郎左衛門尉景雄謀反を企て、既に木村五兵衛尉を初め右両人に一味せしめ、土田・中村・宇津呂・一井・西庄・籠屋場等の道に要害を相構え、国□屋敷を取り巻き、通路無合期、無二の御覚悟・御忠節を以て、家、御芳恩に於いては相忘るべからずに候。
殊に右両人、人数を相催してだてに及び、数度切り崩し、人を討たれ、御働き共に比類無く候。
悉く皆以て入魂面目を施し候。
外聞実儀万々満足これに過ぐべからず候。
然らば一謙配当せしめたく儀に候へども、御存知の通りに候間、了簡に及ばず候。
何時も新知拝領に於いては、自余に混せず一謙支配せしむべく候。
それにつきて島郷の名士を持ちせしめ・馬飼一円並びに相原小□中跡、一円永代これを遣わし候。
向後は御知行相違有るべからず候。
次いで深尾七郎左衛門尉跡与力・被官の事、目録を以て預け置き候。
但しかの跡目を申し付くるに於いては、各々別に候。
なお木村三郎右衛門尉・梅原対馬守・北川又三郎が紙面で申せしむべく候。恐々謹言

例文2) 『後法興院政家記』より

細河京兆自去年十二月三日下向、摂州芥河近辺立屋押妨諸本所領云々、人足以外大儀云々、

(書き下し文)
細川京兆(細川政元)去年十二月三日より下向す。
摂州芥川近辺の立屋を押妨
本所領と云々
人足もってのほかの大儀に云々。

以解・・・もってげす

(意味)
古代律令国家の公式令に規定された文書様式(公式様くしきよう)のひとつ。
官庁の間で交わされたもので、下位の組織者から上申する際に用いる文書が「解(げ)」である。

書止部分に記す文言で太政官宛であれば「謹解(つつしんでげす)」を用い、それ以外であれば「以解」と記す。
・・・によって解状(げじょう)を奉るの意。

 (備考)
公式様の文書様式で、天皇が下す命令は平時の際は「勅(ちょく)」、臨時の重大事項は「詔(みことのり)」という。
また、官庁の間で交わされたのが「太政官府(だじょうかんふ)」・「国符(こくふ)」といった上位の官庁から下位の官庁に出す「符(ふ)」形式の文書、その逆に下位から上申する「解(げ)」形式の文書、横の官庁間で出される「移(い)」・「牒(ちょう)」形式の書簡を用いた。

やがて平安時代になると社会に多様性が生まれ、公式様文書は陳腐化。
かわりに公家様(くげよう)文書が台頭した。

以牒・・・もってちょうす

(意味)
牒は管轄外の機関間で取り交わす文書を意味する。
古代期に用いられた文書様式だが、中世でも使用された例がある。

 (備考)
古代期に官庁の間で取り交わされた公式様(くしきよう)の文書様式のうち、横の官庁間で用いられたのが「牒(ちょう)」と「移(い)」である。
ほかに「太政官府(だじょうかんふ)」・「国符(こくふ)」といった上位の官庁から下位の官庁に出すのが「符(ふ)」。
その逆に下位から上申するのが「解(げ)」である。

なお、時代が下るにつれて公式様の文書様式は陳腐化し、代わりに公家様(くげよう)の文書様式が、さらにのちに武家様(ぶけよう)の文書様式が誕生した。

本項のおもな参考文献:
高木昭作,佐藤進一,高木昭作,坂野潤治(2000)『文献史料を読む―古代から近代』朝日新聞社
久留島典子,五味文彦『史料を読み解く 1.中世文書の流れ』山川出版社
林陸朗(1989)『古文書・古記録難訓用例大辞典』柏書房

尤・・・もっとも

(意味)道理に、ただし

元来・・・もとより・がんらい

(意味)
判断をするまでもなく、そうと決まっていること。
元からそうであること。
それが道理であること。

諸々・・・もろもろ

(意味)多くのもの、いろいろのもの、さまざまのもの

門跡・・・もんぜき

(意味)皇族・貴族の子弟が出家して、入室している寺格のある寺院。あるいはその人。

「や」行

哉・・・や

(意味)
 ・文中や文末に用いる場合
①疑問を表す
 ~か。~だろうか。
例)其元雑説儀、如何可有候哉(そなたのことでいろいろと噂が立っているようだが、これはどういうことであろうか。)

②反語を表す
 ・・・だろうか。いや、そうではない。

③(和歌や会話文にある場合)詠嘆や余韻・余情を表す
・・・だなぁ。

 (備考)
多くは漢文訓読体または和漢混交体で用いられる。
係助詞「や」が疑問語の下に用いられるのは、中世になってから次第に増え始めた。
なお、同じ疑問を表す漢文調の語は、「歟(か)」も多く用いられる。

「哉(や)」のくずし方と用例

「哉(や)」のくずし方と用例

「哉」のくずしは原型をとどめておらず、非常に難読である。
「候」に続く字が読めない場合、「哉」である可能性がある。
しかしながら、「哉」のくずしは「儀」にも見えなくないため、やはり難読である。
「哉」は強い切れ字を表すため、解読の際は一呼吸置くことができる。

屋形号・・・やかたごう

(意味)
「屋形」という称号。
室町時代末期、特別に許された守護大名などが用いた称。
これを得ることにより、召し抱えている武士に烏帽子・直垂・素襖すおうを着せることができた。

 (備考)
例文) 『永源寺文書』永正十二年五月三日付宝寿院瑞松・牧隠斎瑞用連署状

當御寺領各庵田数分、御免除之事、御屋形様任御成敗之旨 (闕字)御侍者様以御書被仰出上者、向後不可有相違候由、寺家可有御存知之旨、被仰出候、恐々謹言、

(書き下し文)
当御寺領並びに各庵田数分、御免除の事、御屋形様(六角氏綱)御成敗の旨に任せ (闕字)御侍者じしゃ(のちの六角定頼)様の御書を以て仰せ出さるるの上は、向後相違有るべからずの候由、寺家御存知有るべきの旨を仰せ出され候。恐々謹言

軈・軈而・・・やがて

(意味)
①そのまま。このまま。

②すぐに。ただちに。

③すなわち。とりもなおさず。それがそのまま。

④ほかならぬ。ちょうど。

⑤まもなく。やがて。

 (備考)
中田祝男(1984)『新選古語辞典(中田祝男編)』によると、①が原義で、それが時間的な意味で②、事象的な意味で③④に転化する。⑤は後世に生じた時間的意味と記している。

例文1) 『言継卿記』永禄十年八月五日条より

五辻へ罷向且雑談了、取亂之間歸了、次内侍所へ罷向、作事有之、見物了、烏丸父子被來、是齊同被來、一盞有之、

(書き下し文)
五辻へ罷かり向かう。
且つ雑談しおわんぬ
取乱るるの間、やがて帰りおわんぬ。
次いで内侍所へ罷かり向かう。
作事これ有り。
見物しおわんぬ。
烏丸父子来たる。
是斎も同じく来たる。
一盞これ有り。

※一盞(いっさん)・・・1つのさかずき。1杯の酒を呑むこと。

例文2) 『顕如上人御書札案留』(元亀四)七月八日付真木島昭光・一色藤長宛

御内書謹而令拜見候、仍三日至眞木島御移座之由蒙仰候、然處近日信長可馳上之通風聞、就其條々被仰出候、随分不可存如在候、將亦三好内輪並高屋邊之儀切々申遣候、聊油斷無之候、一途之御左右而可申入候、猶御使ニ申渡由可被申入候、恐々

(書き下し文)
御内書謹みて拝見せしめ候。
仍って三日に至りて槇島御移座の由、仰せ蒙り候。
然るところ、近日信長(織田信長)馳せ上るべき通りの風聞、それに就きての条々仰せ出され候。
随分如在に存ずべからず候。
はたまた三好内輪並びに高屋辺りの儀、切々申し遣わし候。
いささかも油断これ無く候。
一途の御左右ごそうやがて申し入るべく候。
なお御使に申し渡すの由、申し入らるべく候。恐々

族・・・やから

(意味)
①一族。一門。うから

②なかま。ともがらの意。

役銭・・・やくせん

(意味)
課役銭のこと。
中世に所得に応じて課された税のこと。
もとは臨時の役であったが、時代が下るにつれて常態化した。
酒屋役・倉役(土倉役)などもそれにあたる。

 (備考)
例文) 『言継卿記』永禄十年十月二日条より

澤路隼人佑來、内蔵寮率分東口之事、細川六郎違亂云々、折紙持來、

 城州大原口栗田口山科率分今村分事、被差越上使上者、役銭等如先々可致沙汰彼代由状如件、
 永禄十
  九月廿八日     爲房 判
   諸役所中


不能承引、上使追返云々、重可來之由申云々、仍今日隼人佑三好日向守・石成主税助所へ指下、書状如此、


 急度注進申候、禁裏御料所城州大原口栗田口等率分之事、去年以来各依御入魂無別儀之段、御祝着之叡慮候、然處從六郎殿被號今村分、可有押領之由、如此被越上使候、無別儀之様被仰届候者、可為神妙候、於我等も可満足候、尚委曲澤路入道可申候、恐恐謹言、
  十月一日      言継
    三好日向守殿 石成主税助殿
両通調遣之、

(書き下し文)
澤路隼人佑来たる。
内蔵寮率分東口の事、細川六郎(のちの細川昭元)違乱云々
折紙持ち来たる。
 
 「城州大原口・栗田口、山科率分・今村分の事、上使を差し越さるるの上は、役銭先々せんせんの如く沙汰致すべし彼代の由状くだんの如し
 永禄十(1567)
  九月二十八日     為房 判
   諸役所中」

承引能わず。
上使を追返し云々。
重ねて来るべきの由を申し云々。
仍って今日隼人佑を三好日向守(三好長逸)・石成主税助(石成友通)所へ指し下す。
書状かくの如し。

 「急度注進申し候。
禁裏御料所城州大原口・栗田口等率分の事、去年以来おのおの入魂別儀無きの段に依りて、御祝着叡慮に候。
然るところ、六郎殿より今村分を号され、押領有るべきの由、かくの如く上使を越され候。
別儀無きの様仰せ届けられ候はば、神妙たるべく候。
我らに於いても満足すべく候。
なお委曲澤路入道申すべく候。恐恐謹言
(以下略)

役夫工米・・・やくぶたいまい・やくぶくまい

(意味)
造大神宮役夫工米。あるいは伊勢神宮役夫工米のこと。
伊勢神宮の20年ごとの遷宮祭の費用にあてるため、全国一律に課した米のこと。
律令制期は諸国の公領や荘園に賦課された臨時の税であった。

 (備考)
戦国期では、室町幕府が朝廷に代わってこれを掌握・処理していた。
しかし、幕府の権威も失墜するとしだいに滞るようになり、式年遷宮も延期せざるを得なくなった時期が続いた。

役者・・・やくもの

(意味)役目に当たる者。奉行人を指す。

矢銭・・・やせん

(意味)権力者が一般庶民に軍用として課した金のこと。
反別銭(段別・段銭・田銭)棟別銭とほぼ同意。

 (備考)名の由来は「矢の費用」であることから。
例文) 『元亀三年三月日付織田信長禁制案(長遠寺文書)』

摂州尼崎内市場巽長遠寺法花寺、建立付条々、
 
(中略)
一、矢銭、兵粮米不可申懸之事、

(書き下し文)
摂州尼崎の内市場の巽長遠寺(法華寺)建立に付きての条々、
 (中略)
一、矢銭・兵糧米を申し懸くべからざるの事。

 (※この寺に対し、矢銭(軍費)や兵糧を賦課することを禁じる)

山間・・・やまあい

(意味)山と山の間。

不得止・・・やむをえず

(意味)しかたなく

遺跡・・・ゆいせき

(意味)
①昔、物事のあった場所。旧跡。古跡のこと。
②次代の後継者に伝えられる領地や権益のこと。跡職あとしき。「跡目」・「一職」・「遺領」と同じ意。

 (備考)
例文) 『真田宝物館所蔵文書』天文十九年七月二日付武田晴信判物

其方年来之忠信、祝着候、然者於本意之上、諏方方参百貫幷横田遺跡上条、都合千貫之所、進之候、恐々謹言、

(書き下し文)
其の方年来の忠信、祝着に候。
然らば本意の上に於いて、諏訪形三百貫並びに横田遺跡の上条、都合千貫の所、これまいらせ候。恐々謹言

維摩経・・・ゆいまきょう

(意味)
維摩はサンスクリット経典に登場する古代インドのビヤリ城の学識に富んだ長者で、在家のまま釈迦を支え、修行に励んだ想像上の人物。「毘摩羅詰(ゆいまらきつ)利帝」の略。

維摩経は維摩の教説を鳩摩羅什くまらじゅう玄奘三蔵げんじょうさんぞうたちによって漢訳されたもの。
大乗仏教の理想を伝えるものとして日本にも伝わり、禅宗では特に重要視された。

維摩会・・・ゆいまえ

(意味)
維摩経を講義する法会(ほうえ)のこと。維摩講ともよぶ。
古代期は陰暦の10月10日から藤原鎌足の忌日である同月16日まで維摩経を講ずる法会として広く行われていたが、藤原一族が法会の場を奈良の興福寺と定めて以降は勅会ちょくえとされ、重要な年中行事のひとつとなった。
講師に選ばれた者は、僧綱(そうごう)に昇進する者が多かったようだ。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月十六日条より

一、勅使淸閑寺右大弁昨日下向云々、榼二荷・唐布一合・蜜柑一籠送勅使坊了、使者泰弘威儀師、宰領力者一人、悦喜畏入云々、

  維摩會始行珍重候、御参向殊以目出候、随而雖さ道候、榼二荷・兩種進候、毎事期御見参候、謹言、
    十二月十六日   (花押)

  右大弁殿

(書き下し文)
維摩会始行珍重に候。
御参向殊に以てめでたく候。
従って(さ道に候といえども?)酒樽二荷・両種まいらせ候。
毎事御見参を期し候。謹言。(以下略)

※榼は「たる」。主に酒樽を指す。

有職故実・・・ゆうそくこじつ

(意味)
古来の儀式・年中行事・礼法・典礼・朝廷官職・服飾・武具などに関する先例・典拠を研究する学問のこと。
またはそれらに精通した人物を指す。

 (備考)
「有職」は古くは「有識」と記され、上記の事がらに精通した識者を意味した。
「故実」は儀式や法令などの先例を調べ、実情に照らし合わせて判断することを指した。
古くは「有職」は公家故実を、「故実」は「武家故実」を指す場合が多かった。

平安中期以降、朝廷の政治は年中行事化する傾向が強かったため、その故実が重視されるようになった。
儀式・作法に関する先例や典拠を調べ上げ、有力貴族がそれぞれの流儀を確立。
こうした流儀は朝廷の儀式・行事に参加する人々にも影響を与え、多くの文書に記されることとなった。
特に後醍醐天皇の「建武年中行事」、北畠親房の「職源抄」などは朝廷の行事や職制が著されており、大きな影響を及ぼした。

足利義満の執政期以降、朝廷の儀式や行事は低調となるが、戦国時代初期に一条兼良が「公事根源」を著し、なお影響や規範をもたらしたとみられる。

本項のおもな参考資料:
松園潤一朗(2021)『室町・戦国時代の法の世界』吉川弘文館

故障・・・ゆえさわり

(意味)
故障・拒障・拒請(こしょう)」の項を参照のこと。

所以・・・ゆえん

(意味)
起源。いわれ。理由のこと。

 (備考)
中田祝男著『新選古語辞典(1984)』によると、「ゆえなり」の中に撥音が介入して「ゆえんなり」となったとする説は誤りである。
「~のゆえになり」が撥音便化して「ゆえんなり」と読まれることとなった。
後にあやまって名詞化し、「ゆえん」単独でも意味が通じるようになったとある。

床敷・・・ゆかしい・ゆかしく

(意味)慕わしい。懐かしい
御床敷(おゆかしく)も参照されたい。

往々・往往・・・ゆくゆく

(意味)次第に、どんどん、これから先のこと。

夢・・・ゆめ

(意味)
睡眠中に現実の経験であるかのように感じる一種の幻覚。
古代期は「寝目(いめ)」と呼ばれていたものが転じたといわれる。
古来から、ある人を夢に見ることは、その人が自分を恋い慕っていると考えられていた。
加えて神秘的なもの。吉凶の兆しとして重視された。

  • 「夢の徴(しるし)」は何かの前兆で夢を見ること。
  • 「夢見」は夢を見ること。
  • 「夢見が悪い」や「夢騒がし」は不吉な夢を見て胸騒ぎがすること。
    例)「とかく夢見が悪いので気になります」
  • 「夢枕」は夢を見る枕。夢を見た時の枕。あるいは夢の中で神仏などが枕元に現れて、ある事を告げること。
  • 「夢解き」・「夢合わせ」は夢の意味を解釈して、吉凶を判断すること。また、その人を表す。
  • 「夢違へ」は悪夢を見た際、災害の来ないようにまじないをしたり、「夢合わせ」をして、悪夢を吉夢に変えること。
  • 「夢語り」は夢に見たことを、目が覚めてから人に話すこと。または夢のような内容。
  • 「夢か現(うつつ)か」は夢なのか現実なのかはっきりしないこと。
  • 「夢の夢」・「夢の世」「夢夢し」は夢の中に見る夢。非常にはかないことを比喩的表現で用いることもある。

そこから、「勤(ゆめ)」・「努(ゆめ)」・「努力(ゆめ)」は打消しの意味も加えて「少しも」、「決して〇〇してはならない」を意味するようになった。(努々の項)

 (備考)
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館によると”古代期は必ずしも用言を修飾せず、文末に用いる例も多い。「な(汝)が心ゆめ」の形もある。”としている。

例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年正月七日条より

一、夜前牛見之、年始ニ牛ハ吉事也、牛玉トテ祭之、祝言也、
 (夜前牛のを見る。年始に牛は吉事なり。牛玉とてこれを祭る。祝言なり。)

例文2) 『多聞院日記』天正四年正月十六日条より

一、昨暁ニ、予牙歯於浄ルリ院之門祓ヲ居入ルニ、咽喉ツマルト見テ覺了、先例不吉、併自身滅亡ト覺、

(書き下し文)
昨暁に、予が牙歯浄瑠璃院の門に於いて祓いを居入るに、喉つまると見て覚めおわんぬ
先例不吉。
合わせて自身滅亡と覚る。

例文3) 『大乗院寺社雑事記』明応六年四月十一日条より

一、今暁、白鹿一疋入院中之由見之畢、常之鹿様ニ思テ槌出處、白鹿ニ見ナシテ院中池方エ入了、

(書き下し文)
今暁の、白鹿一疋(ひき)院中に入るの由、これを見おわんぬ
常の鹿様に思いて追い出すのところ、白鹿に見なして院中池方へ入れおわんぬ。

関連記事:「露と落ち露と消えにしわが身かな」豊臣秀吉の辞世から古文書を読んでみよう

努々・努努・努力努力・・・ゆめゆめ

(意味)
強い禁止を表す際に用いる語。
決して。断じて。少しも。さらさら。万が一にも。
「努々〇〇すべからず(決して〇〇してはならない)」など

要害・・・ようがい

(意味)
①川に挟まれた土地や山などの要所のこと。
味方にとっては要の地で、敵にとっては害となる地。
節所のこと。

②要所に防御機能を備えた建築物を拵えること。
砦、取手、城のこと。

 (備考)
例文1) 『多聞院日記』天正四年二月十八日条

信長近日江州へ越、アツチ山ニ可拵要害之用意、松右爲迎被越之・・・
 (信長、近日に江州へ越し、安土山に要害を拵うべきの用意。松右(松永久通)迎えとしてこれ越さる・・・)

例文2)  『木造記(聞書集本)』より

応永廿二年乙未、伊勢国司北畠大納言満雅卿、足利義持公ニ対シ謀叛ノ事アリ、将軍近江六角家、伊賀仁木家、大和筒井・越知・十市・久世、当国長野・雲林院・神戸・関・峯・千草以下ノ軍兵ヲシテ是ヲ攻給ヒシカトモ、国司要害ヲ拵、南伊勢諸所ニテ防戦数日ヲ経ケルニヨリ、将軍国司ト和睦アツテ、無事ニ成給ヒヌ、

(書き下し文)
(応永二十二年 (1415)乙未きのとひつじ、伊勢国司北畠大納言満雅卿、足利義持公に対し謀叛の事あり。
将軍近江六角家、伊賀仁木家、大和筒井・越智・十市・久世、当国長野・雲林院・神戸・関・峯・千草以下の軍兵をしてこれを攻め給いしかども、国司要害を拵え、南伊勢諸所にて防戦数日を経けるにより、将軍国司と和睦あって、無事に成り給いぬ。)

要脚・用脚・・・ようきゃく

(意味)
料足(りょうそく)」に同じ。

 (備考)
「脚」は足で世間をまわり歩く意。

例文) 『吉田文書』永禄十年十一月日付織田信長禁制

一、買得之田畠幷年記・当作・借銭・質物等違乱事、
一、非分要脚等申懸事、
一、理不尽之使不可入事、
右条々不可有相違、然上者徳政等申事候共、令免許上、若此旨於違背之輩者、可加成敗者也、仍状如件、

(書き下し文)
一、買得の田畠並びに年期・当作・借銭・質物等違乱の事。
一、非分要脚等を申し懸くるの事。
一、理不尽の使を入るべからざるの事。
右の条々、相違有るべからず。
然る上は、徳政等を申す事候えども、免許せしむるの上、もしこの旨違背の輩に於いては、成敗を加うるべきものなり。仍って状くだんの如し

語訳)①私的に買い入れた田畠並びに年月を限って買い入れた田畠・本年耕作して手に入った田畠・借銭・借米・質物等に違乱すること。②不当に金銭を要求すること。③不当に使者を送ること。右の条々に背いてはならない。この上は、徳政等が発布されたとしても、丸毛不心斎(この文書の宛所)には無効とする。これらの掟に背いた者があれば、処罰を加えるものとする。

用捨・・・ようしゃ

(意味)
①用いることと捨てること。判断。分別すること。
②人の使い方。使う手ごころのこと。
③ひかえめにすること。遠慮。容赦。

 (備考)
現在でもよく用いられる「用捨(容赦)無く」は「遠慮しない(手心を加えない)」という意味。
「用捨せしめ」は「分別して」とすることが多いか。

例文1) 『三国地志(上野市立図書館所蔵文書)十二月五日付北畠具房免許状写』

於黒辺・阿和曽・蛸地鋳物師家来之事、諸役従先規御免之上者、上使口銭等之儀茂罷成御用捨候、得其意鋳物師之面々共可被申聞候也、謹言、

(書き下し文)
黒辺・阿和曽・蛸地に於いて鋳物師家来の事、諸役、先規より御免の上は、上使口銭等の儀も御用捨罷り成り候。
その意を得、鋳物師の面々どもへ申し聞かせらるべく候なり。謹言。

例文2) 『徳川禁令考』天正十八年二月吉日付より

右條々於違背者、日本国中大小神祇も照覧あれ、無用捨可令成敗者也、仍如件、
(右の条々違背するにおいては、日本国中大小の神祇も照覧あれ。用捨無く成敗せしむるべきものなり。仍ってくだんの如し。)

例文3) 『尋憲記 九(元亀四年二月二十二日条)』『年代記抄節』『吉川友康氏所蔵文書』『原本信長記(信長公記)』(織田信長異見十七ヶ条)

一、賀茂之儀、石成ニ被仰付、百姓前等御糺明候由、表向ハ御沙汰候て、御内儀者御用捨之様ニ申触候、惣別か様之寺社方御勘落、如何ニ存候へ共、石成堪忍不届之由・・・

(書き下し文)
一、賀茂の儀、石成(石成友通)に仰せ付けられ、百姓まえ等を御糾明候由、表向きは御沙汰候て、御内儀は御用捨の様に申し触れ候。
惣別か様の寺社方御勘落、如何に存じ候へども、石成堪忍不届きの由・・・

語訳)5.賀茂の件で石成友通に命じられた百姓まえなどを調査されるとのこと。表向きは下命したが、裏では捨て置くように命じられたとの噂がある。このように寺社の領地を没収するのはどうかと思うが、石成が辛抱できかね・・・

様躰・様体・・・ようだい

(意味)①姿や形②物事の有り様、趣き

 (備考)
例文1) 『(天正元年)九月二日付小松原正勝書状(興敬寺文書)』

御注進之様躰、具被遂披露候、殊更銀子四文目御進上候付而、上野法眼へ同五分具申聞、即御返事被申候、

(書き下し文)
御注進の様躰つぶさに披露を遂げられ候。
ことさらに銀子もんめ御進上候に付きて、上野法眼(下間頼充)へ同じく五分つぶさに申し聞かせ、即ち御返事を申され候。

例文2) 『(元亀二)九月十七日付織田信長書状(小早川家文書)』

元就御逝去、不及是非候、連々申承之条、別而痛入候、委曲輝元へ以使僧令申候、仍御分国中弥被任存分之由可然候、殊讃刕表発向珍重候、五畿内亦無別条候、於様躰者、柳沢可申候、恐々謹言

(書き下し文)
元就(毛利元就)御逝去、是非に及ばず候。
連々申し承るの条、別して痛み入り候。
委曲輝元(毛利輝元)へ使僧を以て申さしめ候。
仍って御分国中いよいよ存分に任せらるるの由然るべく候。
殊に讃州さんしゅう表発向珍重に候。
五畿内もまた、別条無く候。
様躰においては、柳沢(柳沢元政)申すべく候。恐々謹言

能々・・・よくよく

(意味)
①手落ちがないように十分に念を入れること。
②程度が極めて甚だしいさま。非常に。大変に。
③ほかに打つ手がないこと。

(備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』文明二年六月十八日条より

能々廻思案ニ、今度乱ハ併佛法・王法・公家滅亡基也、
 よくよく思案を巡らすに、このたびの乱は仏法・王法・公家滅亡の基なり。)

抑々・・・よくよく

(意味)
①謹むこと。
②控えめにするさま。

 (備考)
「抑々」は「そもそも」とも読むので注意が必要である。

由・・・よし・より・よる

(意味)
①伝聞として~だと聞いている
②物事の由来、謂われを表す
③ほぼ確定事項に近い意味合いでの推量
で用いられることが多い。

 (備考)

“~のよし”と読むことが多いが、稀に「〇〇にも由(よる)ことなれば、〇〇すべし」などとする例もある。

仍・依・因・・・よって・より

(意味)
だから。それで。そのため。そういうわけなので。などの順接の接続詞として用いられる。
「仍而」・「依而」・「因而」も”よって”と読む。
「而」は~”て”と読む助詞。

(備考)
「仍」はほかに”まさに”・”よる”・”しきりに”・”なお”・”じょう”・”にょう”と読む場合がある。
例文1) 『(天正元)十月廿五日付塙直政書状(大湊文書)』

急度申候、氏実茶湯道具当所在之事必定旨申ニ付て、津掃被遣候、有様ニ被申不被進付てハ、可為曲事由御意ニ候、具掃部可被申候、恐々謹言

(書き下し文)
急度申し候。
仍って氏実(今川氏真)の茶の湯道具、当所在の事必定の旨、申すに付きて、津掃(津田一安)を遣わされ候。
有りように申さず、まいらされずに付きては、曲事たるべき由の御意に候。
つぶさに掃部(津田一安)に申さるべく候。恐々謹言

例文2) 『(元亀三)正月二十三日付佐久間信盛書状(福正寺文書)』

佐々木承禎父子、一向之僧侶をかたらい、三宅、金森之城ニ立籠候、就夫南郡一向之坊主、地子長之輩、一味内通致間敷由、此度信長より被仰出畢、之面々誓署、請書御取収可有之旨、御治定間、被得其旨、親類之物共たり共、一味内通仕間敷由、御請書之連署可被具見参候、猶違之輩ニおゐては、急度御仕置たるへし、

(書き下し文)
佐々木承禎じょうてい父子、一向の僧侶をかたらい、三宅・金森の城に立て籠もり候。
それに就きて、南郡一向の坊主・地士長のともがら、一味内通致すまじきの由、このたび信長より仰せ出されおわんぬ
これにより、面々の誓署・請書を御取り収め有るべきの旨、御治定の間、その旨を得られ、親類の者どもたりとも、一味内通仕るまじきの由、御請書の連署をつぶさに見参せらるべく候。
なお違のやからにおいては、急度きっと御仕置たるべし。

仍如件・仍状如件・・・よってくだんのごとし・よってじょうくだんのごとし

(意味)
制札や証文などの書留部分に記される決まり文句。
「以上述べた通りである」の意。

訓読すると「仍(よって)」・「件(くだんの)」・「如(ごとし)」。
中古の日本では漢文調で記すのが普通であったため「如」が返読する。

 (備考)
如件(くだんのごとし)」は基本的には目下の者に対して用いる文言。
例外的に起請文の場合は、立場の区別なく誓約部分を「仍如件」と記す傾向にある。

「件(くだん)」は古くは「行(くだり)」と読まれ、文章に述べられた事項を指した。
転じて「上記の」や「あの」を意味するようになった。

吉程・余程・・・よっぽど

(意味)
程度や数量、時間が適当であること。
程が良いさま。
またはかなりの程度であること。随分。

(備考)
「吉吉」で”よしよし”と読み、よく、ことさらにという意味となる。

尋常・・・よのつね・じんじょう

(意味)
世間でよくあること。
平常通り。ごく普通であるさま。

自・従・依・ゟ・・・より

(意味)~から、~以来

 (備考)
「ゟ」は「よ」と「り」を続けて書いた際にできるいわゆる合字である。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』応仁二年閏十月一日条より

風呂破損之間、今日加修理者也、
 (風呂破損の間、今日より修理を加うるものなり。)

例文2) (元亀三年十二月二日付織田信長朱印状写より抜粋)『寛延旧家集』『金鱗九十九之塵』『名古屋叢書』

私先祖伊藤惣十郎、法名安中代々、尾濃両国商人司被仰付、信長公御朱印頂戴仕、信雄公、信忠公、秀次公、忠吉公御黒印頂戴仕、源敬様御意書、其外方々御判物数通頂戴、所持仕来候、写左之通ニ御座候、

(書き下し文)
私先祖伊藤惣十郎、法名安中より代々尾・濃両国の商人司を仰せ付けられ、信長公より御朱印を頂戴仕り、信雄(織田信雄)公、信忠(織田信忠)公、秀次(豊臣秀次)公、忠吉(松平忠吉)公御黒印頂戴仕る。
源敬(徳川義直)様御意書、そのほか方々の御判物を数通頂戴、所持仕り来たり候。
写し左の通りに御座候。

例文3) 『大乗院寺社雑事記』明応六年九月九日条より

一、今度古市高名、畠山方令許可當國宇治郡云々、昨日入人云々、面目高名不可過之歟、

(書き下し文)
この度古市(古市澄胤ちょういん)高名により、畠山(畠山義豊?)方より当国宇治(宇智?)郡を許可せしめ云々。
昨日人が入り云々。
面目高名これに過ぐべからずか。

無拠、無據・・・よんどころなく

(意味)仕方なく、やむを得ず

「ら」行

礼紙・・・らいし

(意味)文書が書かれた本紙に対して、本紙の裏側に添えた白紙のこと。

 (備考)書状には本紙のほかに礼紙や懸紙(かけがみ)を添えることがある。
礼紙は本紙の下(裏の部分)に本紙と同じ紙を一枚または数枚重ねるものである。
先方に敬意を示すために用いるが、時には返信用に使用されたり、そこに追而書(おってがき=追伸部分)が記される場合もある。
室町時代になると、一枚の紙を本紙・礼紙・懸紙と三部分に切断して使用することもあった。

洛・・・らく

(意味)
大陸の都「洛陽」の意。
転じて京都の雅名として広く浸透し「洛中らくちゅう」・「洛外」・「上洛じょうらく」・「入洛じゅらく」・「在洛」などの単語が生まれた。

落首・・・らくしゅ

(意味)
匿名で風刺や嘲りなどの意を含めた戯れ歌。狂歌のこと。
落書」と異なり、一種の韻を踏んだものが多い。
しかしながら、両者に明確な違いはないと思われる。

落書・・・らくしょ

(意味)
為政者や時事について、風刺や嘲りの意を匿名で書いた文書。おとしぶみ。
または特別な意図を持たない落書きのこと。

 (備考)
落首(らくしゅ)

落飾・・・らくしょく

(意味)
貴人が髪をそって仏門に入ること。出家すること。
落髪・剃髪ともいう。

らし

(意味)
確実な根拠に基づいて現在の事態を推量する意を表す語。
~らしい。~に違いない。

例)
春すぎて夏きたるらし白妙の
 衣したり天の香来山(持統天皇)

語訳:
春が過ぎて夏がやってきたようですね。
真っ白な衣が干してあります。
天の香具山に。

 (備考)
日本語には推量を表す助動詞がいくつも存在するが、その中でも「らし」は不明・疑いの度合いが少ない。
なお、上記の歌は1句のうちに強い切れ字を2つも用いている。
体言止めを用いることによって、何か特別な意図でもあったのだろうか。

本項の主な参考資料:
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館
大濱眞幸(2008)「持統天皇御製歌僻案 : 「春過ぎて夏来るらし」をめぐって」,『國文學』, 92,13-26.

落居・落去・・・らっきょ

(意味)
①落城すること。
②訴訟などが結審し、裁定がなされること。

らむ(らん)

(意味)
①眼前に無い事実を推量する際に用いる語。
今ごろは~しているだろう。~なのだろう。
例)なしと言ひ又ありと言ふ言の葉やのりの誠の心なるらむ 徳様へ (細川高国)『細川両家記』『陰徳太平記』

②伝聞の意を表す。
~だと聞いている。~とかいう。~の由。

 (備考)
古代では「あり」の未然形に「む」が付き「あらむ」と読まれた。
しだいに「あ」が脱落して「らむ」と読まれるようになったようだ。

平安時代中期以降、同じ推量の助動詞「らし」と用法で重なる部分が多くなるが、「らし」が客観的であるのに対し、「らむ」は主観的要素が強い。

被・・・られ・らる・~なされ・~なさる

(意味)
①受動態(受け身)を表す。
~られる。
例)害者(がいせらるもの)

②尊敬の意を表す。
~なさる。
例)弓矢事、以外之由被仰・・・(弓矢の事、以てのほかの由と仰せられ・・・)

 (備考)
助動詞として用い古文書では頻出する語である。

「被」と「候」のくずし方
依之被成下 御内書候、

「依之、成下(闕字)御内書候、」
 (これにより、(闕字御内書を成し下され候。)

究極に崩したものは、このようにひらがな「ら」に似た形で記される。
しかしながら、「ら」の字源は「良」であるため誤読に注意。

濫觴・濫傷・乱傷・・・らんしょう

(意味)もののおこり。はじまり。起源。

 (備考)
語源は「(揚子江のような)大河も水源は觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの小流である」ことから。

乱取・乱捕・・・らんどり

(意味)
乱妨取り(らんぼうどり)」の略。
戦時における人や物に対する略奪・人さらい・放火・竹林伐採行為等を指す。

乱妨・濫妨・・・らんぼう

(意味)人に対して暴力行為や略奪をすること。

 (備考)
禁制などの制札には、狼藉(ろうぜき)とセットで登場する傾向にある。
人に対する暴力行為が乱妨で、物に対する暴力行為を狼藉と呼ぶ。

例文) 永禄十年九月日付織田信長禁制『大西蒐集文書』『伊勢古文書集』

          多芸庄
           椿井郷
当郷之儀、依為太神宮領、伊勢寺内相搆之旨、得其意候、然者陣取・放火・濫妨・狼藉、其外伐採竹木等、非分之族申懸之事、一切令停止畢、若於違背輩者、可加成敗者也、仍状如件、

(書き下し文)
 多芸庄椿井郷
当郷の儀、大神宮領たるに依りて、伊勢寺内に相構うるの旨、その意を得候。
然らば陣取り・放火・乱妨・狼藉、そのほか竹木の伐採等、非分の族(やから)へ申し懸くるの事、一切停止せしめおわんぬ。
もし違背の輩(ともがら)に於いては、成敗を加うるべきものなり。仍って状くだんの如し。

理運・利運・・・りうん

(意味)理にかなっていること。正当性。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応七年三月七日条より

一、生馬庄事、衆中成敗、高矢辻子理運之旨加成敗了、自一乗院殿雖有御披露之不承引、下地明舜律師所存云々、珍事也、

(書き下し文)
生駒庄の事、衆中成敗す。
高矢辻子理運の旨、成敗を加えおわんぬ
一乗院殿より御披露有るといえども、これを承引せず。
下地明舜律師の所存と云々
珍事なり

律師・・・りっし・りし

(意味)
①戒律をよく理解する僧。
僧網制度の僧官の一つ。
僧都(そうず)の次の位で、正と権がある。
五位に準ずる。
僧尼を総括する役職。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年閏二月五日条より

寛乗律師瓶子一双・一盆持参、員營同道、各扇一本給之、
 (寛乗律師瓶子一双・一盆を持参。員営も同道。各々一本を給う。)

率分・・・りつぶん・そつぶん

(意味)
①金銭や租税の割合のこと。1割2割など。

②率分所のこと。
律令時代に定められた制度で、租税未納を補填するため、大蔵省の正倉に納める官物の十分の二を割いて率分所に納めた。
室町時代以降は代々山科家が管掌した。

 (備考)
例文) 『言継卿記』永禄十一年十月二十日条より

 一日御もく六のうちそつふんの事、きとヽヽ申つけ候やうに、のふなかにおほせ出され候へく候よし申とて候、てんそうひま入候まヽ、御まいり候ていそき御申入候へ、このそつふんともたいてん候へは、をのヽヽほうこう候へ、きやうも候はぬ、よくおほせ出され候やうに申され候へく候よし、申とて候、可しこ、

(書き下し文)
一日御もく六のうち率分の事、急度急度申しつけ候ように、信長(織田信長)に仰せ出され候べく候よしを申しとて候。
伝奏 ひま入り候まま、御まいり候て、急ぎ御申し入れ候へ。
この率分とも退転候へば、各々奉公候へ。
今日やも候はぬ。
よく仰せ出され候ように申され候べく候由、申しとて候。かしこ

理非・利非・・・りひ

(意味)理にかなっていることと、そうでないこと。

 (備考)中世の書状では、「利非の糺明に及ばず、成敗すべし」などと記されることが多い。

利平・・・りへい

(意味)利子。利息のこと。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年閏二月一日条より

明應二年四月十八日借下本、利平合六貫、順長房律師方返弁、畏入、借書返献之、

(書き下し文)
明応二年1493四月十八日に借り下した本、利平合わせて六貫。
順長房律師方へ返弁。
畏み入る。
借書を返しこれを献ず。

諒闇・諒陰・亮陰・・・りょうあん・ろうあん

(意味)
天皇がなくなり、国中が喪に服する期間のこと。

 (備考)
「諒」はまこと。
「闇」は謹慎を指す。
また、「陰」は黙す(もだす)ことを指す。

語源は儒学用語。
天皇が父母の死に際し、喪に服する期間をいった。
転じて天皇その人や皇后、皇太子の死にあたり喪に服する期間を指すようになった。

例文) 『言継卿記別記』

弘治三年、後奈良院崩御之時、御錫紵幷諒闇御服之事、もとヽヽは五千疋出候を、ちかき程四千疋に折中候、大永六のたひ三千疋出候、此たひ又せつちうのよし、いろヽヽ御もんたう候へとも、中々てうしん申ましきよし、申つめ候て百疋出候、うけとりひとつに候やうに、てんそうひろはしとのへまいり候折かみにととのへ候、
  追伸
 (中略)
りやうあんの御かふりは、てんそうより申つけられ候、又なかはし殿よりおほせつけられ候事も御入候、天文四のたひは、こなたへうけたまりにて、こなたよりも申つけて候、このたひはてんそうより申つけられ候、

(書き下し文)
弘治三(1557)年、後奈良院崩御の時、御錫紵並びに諒闇の御服の事、元々は五千疋出し候を、近きほどに四千疋に折衷し候。
大永六(1526)のたび(後柏原天皇崩御のことか)三千疋出し候。
この度また折衷の由、いろいろ御問答候へども、なかなか調進申す間敷きの由、申し詰め候て、百疋を出し候。
請け取りひとつに候ように、伝奏広橋殿へまいり候折紙に調え候。
  追伸
(中略)
諒闇の御かぶりは、伝奏より申しつけられ候。
また、長橋殿(長橋局)より仰せつけられ候ことも御入り候。
天文四(1535)のたびは(後奈良天皇生母のことか)、此方へうけたまりにて、此方よりも申しつけて候。
この度は伝奏より申しつけられ候。

※錫紵(しゃくじょ)・・・天皇が二親等以内の親族の喪に服する際に用いる縫腋(ほうえき=衣服の両わきの下を縫い付けないで、開けたままにしておくもの)。

令外官・・・りょげのかん

(意味)
律令制時代、職員令に規定された以外の官職、または官庁のこと。

大宝令または養老令制定後に設置された官。
時代の流れとともに、必要に応じて臨時に設けられた職も多い。
なお、いくつかの職は中世以降にも残った。(内大臣・中納言・参議・中宮職・文章博士・按察使あぜち・検非違使・勘解由使かげゆし・摂政・関白などがそれにあたる。)

 (備考)
例えば、内裏などの修理・修繕の仕事は木工もく寮が行っていたが、そこだけでは手が回らなくなったため、臨時に修理職(しゅりしき)が設けられた。
しかしながら、紆余曲折を経て修理職も残るようになり、令外官の一つとして明治時代まで続いた。

了簡・料簡・・・りょうけん

(意味)
①考えをめぐらすこと。思慮分別。

②我慢すること。堪忍すること。

 (備考)
「料簡尽く」で互いに堪忍することを指す。

聊爾・・・りょうじ

(意味)
軽率なこと。軽々しい行動のこと。ぶしつけなこと。
あるいはいい加減なことを指す。

令旨・・・りょうじ

(意味)
奉書形式で発給される御教書のうち、天皇の意思を皇太子や三后をはじめとする皇族が発給する文書のことを指す。
公家様くげよう文書の書札系の一形態。
律令制では律令制では皇太子・三后の下達文書をいったが、次第に親王・内親王なども含むようになった。

 (備考)
詳しくは「御教書」の項を参照のこと。

料所・・・りょうしょ

(意味)
料物を徴収する所領のこと。
特定の所用の料にあてるための所領。
特に皇室や幕府、有力な寺家や大名などの領地を、敬称を用いて「御料所」という場合もある。

 (備考)
領所(りょうしょ)は主君が自らの土地を自家の用に用いる地代を指すが、料所とほぼ同じ意味であるため、特にこだわる必要はないだろう。
料所は年貢公事を、特定の用に用いる場合を指すが、厳密に区別するのは難しいだろう。

例文) 『言継卿記』永禄十一年十月二十一日条より

禁裏御料所諸役等事、自然於致無沙汰輩者可被加御成敗之條、令存知之可致其沙汰之由、所被仰出之状如件、
  永禄十一
   十月廿一日    頼隆 判
            俊郷 判
    上下京中

(書き下し文)
禁裏料所諸役等の事、自然 無沙汰を致すのともがらに於いては、御成敗を加えらるべきの条、存知せしめ、その沙汰を致すべきの由、仰せ出さるるところの状くだんの如し(以下略)

※この文例では、京都上京の宿紙座・青花あおばな座・青苧あおそ座・楮座・塩合物などの諸座が禁裏(宮廷の)御料所であり、課税権を持っている。それらの収益が諸役である。その座や公事には廷臣(貴族)やそれに従う者が代官となり、円滑に税が取れるよう監督していた。しかしながら、様々な問題によりこの時代はそれが機能せず、朝廷は財政難に陥っていた。それを是正するために御料所の代官本所)にたいし、直務じきむ(又代官を排除し直接知行する)せよと命じたのであろう。

領状・領掌・・・りょうじょう

(意味)
承諾すること。承知。
または同意すること。

例文) 『壬生于恒記』永正十七年十一月十九日条より

就採銅問丸公事銭、上田神五郎来、以七疋分侘言云々、大概領状、然明後日廿一日未進以下悉可納所之由、堅申付訖、

(書き下し文)
採銅問丸公事銭に就きて、上田神五郎来たる。
七疋分を以て詫言を云々。
概ね領状す。
然る明後日(二十一日)未進以下を悉く納所すべきの由、堅く申し付けおわんぬ

※問丸(といまる)とは、水上運輸を生業とする人物や業者のこと。
物資の輸送などに従事した。

料足・・・りょうそく

(意味)
物事にかかる経費、費用のこと。「要脚(ようきゃく)」。
銭の異称の一つ。
「料」は物の代、「足」は銭の意。

 (備考)
他に銭の異称として「青銅」・「孔方」・「鳥目・鵝眼」などが史料ではよく見られる。
例文) 『大乗院寺社雑事記』文明二年六月十二日条より

當年闕所幷萩原庄へ數百貫文料足懸之、日々致催促、
 (当年闕所並びに萩原庄へ数百貫分の料足これを懸け、日々催促致す。)

慮外・・・りょがい

(意味)
①思いのほかであること。
思いがけないこと。意外。

②不心得。無礼。
不敬であること。

 (備考)
「書礼慮外(しょれいりょがい)」とある場合は、書札礼(しょさつれい)の欠いた無礼な書簡を指すことが多い。

綸言・・・りんげん

(意味)
君主のおことば。みことのり。

 (備考)
「綸」は組糸を指す。
天子のおことばは、その元は糸のように細かいが、それを下々の者たちへ達する時には、綸のように太くなるという大陸の故事が語源である。

綸旨・倫旨・・・りんじ・りんし

(意味)蔵人や近臣が勅旨を受けて紙屋紙こうやがみに書いて出した文書。
奉書(ほうしょ)御教書(みぎょうしょ)の一種。
多く宿紙を用いた。
もともとは天皇の意思という意味だったが、十一世紀ごろから勅命を伝える一つの文書様式を示す語として用いられた。

 (備考)天皇の意思を伝えるその他の文書形式(詔勅(しょうちょく)・宣旨(せんし)など)に比べ、上卿(しょうけい)を通さず簡単な手続きで、個々の武士団を含め幅広い相手に発給することができた。
そのため、初期はおもに諮問や祈祷命令などの私的な事柄に利用されていたが、やがて訴訟・所領問題などの幅広い用途に使用されるようになった。
ことに後醍醐天皇は天皇権力の強化をはかり、綸旨を多用した。
その様子は「此比このごろ都ニハヤル物、夜討・強盗・にせ綸旨」『二条河原落書』と風刺されている。
なお、書留文言に頻出する「天気所候也」は、天皇の意思であるとの意味である。

例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応五年六月十七日条より

長谷寺勧進聖倫旨事、御尋子細在之、昨日聖方より申之、公方御判在之、左馬頭判、伊勢守申沙汰也、細川判叉在之云々、今日巨細仰遣之、

(書き下し文)
長谷寺勧進聖綸旨の事、御尋ねの子細これあり。
昨日聖方よりこれ申す。
公方(足利義澄)の御判これあり。
左馬頭(細川政賢?)判、伊勢守(伊勢貞陸?)の申し沙汰なり。
細川(細川政元)判またこれあると云々
今日巨細を仰せ遣す。

参照『史料を読み解く1 中世文書の流れ(山川出版社)』・『花押・印章図典(吉川弘文館)』・林陸朗(1989)『古文書・古記録難訓用例大辞典』柏書房・『室町・戦国時代の法の世界(吉川弘文館)』

関連記事:戦国時代の書簡を出す際のルールと専門用語を解説します

林鐘・・・りんしょう

(意味)
①中国の十二律の一つ。
日本の十二律の黄鐘おうしき調にあたる。

②陰暦6月の異称。

 (備考)
中世の外交文書や公家・僧侶の日記には、こうした月の異称もよく登場する。
(12月(師走)のことを極月(ごくげつ)と記すなど)

流落・・・るらく

(意味)落ちぶれて各所を放浪すること。流浪すること。

霊験・・・れいげん・れいけん・りょうけん

(意味)
祈りに対して神仏の示す不思議なしるしのこと。

 (備考)
「霊験」のある場所や寺社のことを「霊地」・「霊場」という。
今日でも「霊験あらたか」と表現される場合があるが、神仏による効験が明らかに表れるさまを意味する。

礼式・・・れいしき

(意味)
①一定の礼を行う儀式。

②礼儀のあることを示すための贈物。
または返礼となる贈物。

 (備考)
例文) 『武家事紀 三三(国立国会図書館所蔵文書・(元亀三)正月二十八日付武田信玄書状写)』

依遼遠之堺、無音意外候、如露先書候、甲・相存外遂和睦候、就之例式従三・遠両州可有虚説歟、縦扶桑国過半属手裏候共、以何之宿意信長へ可存疎遠候哉、

(書き下し文)
遼遠の堺(大阪府)よりの無音ぶいん意外に候。
甲(武田信玄) 相(北条氏政)は存外に和睦を遂げ候。
これに就きて礼式に従い、三(三河国) 遠(遠江国)の両州、虚説あるべく(候)か。
たとい扶桑国過半が手裏に属し候とも、宿意(前々からの恨み事)何れも以て信長へ疎遠に存ずべく候や。

連歌・・・れんが

(意味)
和歌の一体。
数人から十数人、時には二十数人の者が集まってリレー形式で長時間にわたって和歌を詠む会。
はじめは短歌の五七五七七の上の句と下の句を二人が唱和して一首とした短連歌が行われ、平安時代末頃から二人以上で、さらに付け句に五七五、七七と続けて、五十韻、百韻とし、一千句、一万句に及ぶ長連歌が行われ、室町時代にその様式を完成した。

 (備考)
どちらも旧字で「聯哥」と記されることもある。
戦国期の連歌は百句続けて詠むのが基本。
なかでも冒頭の三句は特別で、同じような句が続かないように気を遣った。

ルールは和歌の5・7・5の上句と7・7の下句を交互に詠み続ける。

一句目が「発句(ほっく)」であり、5・7・5をその会のゲストが詠むことが多い。
二句目が「脇句(わきく)」で7・7をその会の主催者が詠む。
三句目が「第三(だいさん)」で5・7・5をその会に招かれた宗匠そうしょう(スペシャリスト)が詠むことが多い。
前の句とリンクさせつつ、同じような句にならないように変化を加えた。
連歌の最後に読む句を「挙句(あげく)」といい、挙句の果ての語源となる。
連歌を詠む数人~数十人の者を連衆という。
集まった連衆が句を詠んで創作すると同時に、仲間の句を聞いて鑑賞する連歌は、はじめは機知や滑稽が面白いことで人気を博した。
しかし、戦国時代に入る頃から和歌に匹敵するほどに洗練されて、芸術味も増し、格式の高いものとなってしまった。
連歌を「筑波の道」と呼ぶのは、『古事記』や「日本書紀』にある倭建命(やまとたけるのみこと)が東国を遠征した際に、甲斐国の酒折宮で野営した折の一節から。

連歌会当日は懐紙かいしに記される。
これはいわば下書きであり、これを4枚裏表の用紙に清書して大切に保管された。
一枚目表に八句、裏に十四句。
二枚目表に十四句、裏に十四句。
三枚目表に十四句、裏に十四句。
四枚目表に十四句、裏に八句。
合わせて百句(百韻)が基本の形。

そして、懐紙の最後に出句順に連衆名と各句数を書き上げたものが句上である。

祝事や法要、追悼などには千句連歌が催されることがある。
これは百韻連歌を10回行うという鉄人耐久リレー大会となる。

なお、連歌にある「賦」は「ふす」と読み、「賦何〇」や「賦〇何」と表現される。
連歌には賦物(ふしもの)というルールがあり、句の中に事物の縁語として詠むことを指す。


例文1) 『言継卿記』永禄十年五月二十七日条より

眞珠院連歌五十韻興行、寺中衆・与・光明院以下也、申刻終了、非時以後予令歸宅了、

(書き下し文)
真珠院で連歌五十韻を興行す。
寺中衆・与・光明院以下なり。
申の刻に終了。
非時以後、予帰宅せしめおわんぬ

※非時(ひじ)は仏界用語の一つで、日中から翌朝までの食事を抜くこと。非時食(ひじしき)の略。

例文2) 『言継卿記』永禄十年十一月七日条より

自高倉相公法楽連歌に可來之由有之、未刻罷向、父子、内衆等連々千句云々、戌刻百韻終歸宅了、

(書き下し文)
高倉相公より法楽連歌に来るべしとの由これ有り。
未刻に罷り向かう。
父子・内衆等連々千句云々。
戌刻に百韻を終え帰宅しおわんぬ。

※法楽連歌(ほうらくれんが)は神仏のために手向ける連歌会のこと。
※相公(しょうこう)は参議の唐名。

例文3) 『多聞院日記』天正十三年正月二十六日条より

昨日於大門連歟在之、近衛殿御出了、
 發句
  
梅ヶ香もわき面白もなき發句也、出る池の汀哉 龍山(近衛前久)

連句・・・れんく

(意味)
俳諧の発句より挙句まで、五七五の長句と七七の短句とを交互に付け進めて、三十六句・百句などで一巻とする詩歌の一形態。
連歌から発展したもので、江戸時代には単に「俳諧」とよばれることが多かったが、後に発句と区別されるようになった。

連枝・・・れんし

(意味)
高貴な人物の兄弟のこと。
語源は連なる枝からきているのだろう。

連衆・・・れんじゅ

(意味)
連歌・俳諧の席に連なる人々。参加者。

連署・・・れんじょ

(意味)
一簡の文書に複数人が署名、または判を連ねること。
連署状・連判状と呼ばれることもある。

﨟次・臘次・・・ろうじ

(意味)
出家してからの年数。
または物事の正しい順序のこと。

狼藉・・・ろうぜき

(意味)物に対して乱暴すること。

 (備考)禁制(きんぜい)などではよく出る表現。人に対する乱暴は”乱妨(らんぼう)“とする傾向にある。

浪人・牢人・・・ろうにん

(意味)
戸籍を離れた流れ者。浮浪者。
転じて職を失い他国を流浪する者や仕官していない武士を指した。

 (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年五月十三日条より

一、雑說ニ土岐次郎去七日逝去之由申、雑說牢人申出歟、
 雑説に土岐次郎(大畑定頼?)去七日に逝去の由と申す。雑説は浪人の申し出か。)

例文2) 『(天正六)七月八日付山中幸盛書状(吉川史料館所蔵文書)』

永々被遂、殊當城籠城之段、無比類候、於向後聊忘却有間敷候、然者何へ成共可有御奉公候、恐々謹言、

(書き下し文)
長々(浪人)を遂げられ、殊に当城(上月城)籠城の段、比類無く候。
向後に於いて忘却有るまじく候。
然らばいずれへなりとも御奉公あるべく候。
恐々謹言

関連記事:【古文書解読初級】 翻刻を読んでみよう(島津義久・山中幸盛・森長可編)

路次・・・ろし・ろじ

(意味)
道を行く途中。
道中のこと。

 (備考)
古文書では
・「路次支配(街道を支配すること)」
・「路次馳走(街道移動の補助を行い、饗応してもてなすこと)」
・「路次不合期(街道が封鎖されるなどして期日に間に合わないこと)」
などの文言がよく見受けられる。

なお、移動中の宿代・馬代などの経費のことを「路用」「路銀」「路銭」「路費」などとよぶ。

例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応七年正月二十五日条より

一、土民共在々所々ニ罷出、仍路次不通也、
 (土民ども在々所々に罷り出る。仍って路次は不通なり。)

例文2) 『信長公記 巻五』 「奇妙様御具足初尓虎御前山御要害事」より

虎ごせ山より横山迄間三里也、程遠く候間、其繋として八相山宮部郷兩所尓御要害被仰付、 宮部村ニハ宮部善祥坊入をかせられ、八相山ニハ御番手之人數被仰付、虎御前山より宮部迄、路次一段あしく候、武者之出入之爲道之ひろさ三間々中尓高々とつかせられ、其へり敵の方ニ高さ一丈尓五十町之間、築地をつかせ、水を關入、往還たやすき様尓被仰付事も生便敷御要害、申も愚尓候、

(書き下し文)
虎御前山とらごぜやまより横山までの間、三里(約12km)なり。
程遠く候間、その繋ぎとして、八相山・宮部郷両所に御要害仰せ付けられ、宮部村には宮部善住坊(宮部継潤)を入れ置かせられ、八相山には御番手の人数を仰せ付けらる。
虎御前山より宮部まで、路次一段悪しく候。
武者の出入りの為、道の広さ三間(約5.4m)、間中に高々とつかせられ、そのへりに、敵の方に高さ一丈に五十町(約5.5km)の間に築地をつかせ、水を関入れ、往還たやすきように仰せ付けらる事も、おびただしき御要害、申すも愚かに候。

論所・・・ろんしょ

(備考)訴訟などで問題となっている係争地。
論人は被告のこと。

「わ」行

若衆・・・わかしゅ

(意味)
元服前の前髪のある少年。
または男色関係における「弟」

 (備考)
例文) 『尋憲記』元亀四年二月二十二日条より『年代記抄節』『吉川友康氏所蔵文書』『原本信長記(信長公記)』

一、御とのいニ被召置候若衆ニ、御扶持を被加度思召候者、当座之何成共可有御座候処、或御代官職被仰付、或非分公事被申次候事、天下之ほうへん沙汰限存候事、

(書き下し文)
一、御宿直おんとのいに召し置かれ候若衆に、御扶持を加えられたく思し召し候はば、当座の何なりとも御座あるべく候ところ、あるいは御代官職を仰せつけられ、あるいは非分の公事を申し次がれ候こと、天下のほうへん沙汰の限りに存じ候こと。

(語訳)宿直をさせた若衆に扶持を加増したいと思し召されたならば、当座の品が何でもあるはずなのに、彼らへ御代官職を与え、あるいは不法な公事を取次がせるので、天下の評判は全くもって論外である。

脇付・・・わきづけ

(意味)書状で宛所あてどころの右下もしくは左下に書き添えて、相手に敬意を表す語。
「側書(そばがき)」。「側付(そばづけ)」。
書札礼(しょさつれい)の上では厚礼なものとされた。

 (備考)
「参(まいる)」・「人々御中(ひとびとおんちゅう)」・「 侍史 (じし)」・「机下(きか)」・「御宿所(みしゅくしょ)」「進覧(しんらん)」などの類。
返書には「尊答(そんとう)」・「貴酬(きしゅう)」などがよく用いられた。

態・態与・・・わざと

(意味)
①わざわざ。ことさらに。
②格別に。取り立てて。特に思い立って。
③折り入って。

「態々」でわざわざ。
事改まって言上する際や、書状の書出しに用いられる場合もある。

 (備考)
今日我々が日常で用いる「わざと」は、押しつけがましく聞こえる印象がある。
それは「態とがまし(=ことさらめいている)」や「態とだつ(=ことさらに振る舞う)」・「態とめかす(=わざとらしく見せる)」からきているものだと思われる。

例文1) 『葉間家文書』年次不詳五月七日付鳥養宗慶書状

わさと申候、仍明日川よけ申付候、無心の申事にて候へ共、近所しはすこし可申請候、被成御心得候者、可為祝着候、恐々謹言、

(書き下し文)
わざと申し候。
仍って明日川除けを申し付け候。
無心の申す事にて候えども、近所の芝を少し申し請くるべく候。
御心得成され候はば、祝着たるべく候。恐々謹言

例文2)『太田家古文書』(天正元)十月二十七日付湯浅守盛書状

昨日大河内めされ候まゝ参り候處ニ重当郷御使ニ候、郷内御使へ申渡候、別之儀無是候、とうし舟・たからしんさう・蔵一しんさう、此三艘郷内へ被預置候、此由可申届之由、堅御意共候、御使ニ罷越候、是信長様御さしつ以如此候間、りやうし有ましき為如此候、

(書き下し文)
昨日大河内へ召され候まま参り候ところに、重ねて当郷の御使に候。
郷内御使へ申し渡し候。
別の儀これ無く候。
答志舟・たから新造・蔵一新造、この三艘を郷内へ預け置かれ候。
この由、申し届くべきの由、堅く御意共候。
わざと御使に罷り越し候。
これは信長(織田信長)様の御指図を以てかくの如くに候間、漁師に有る間敷き為、かくの如く候。

態令啓候・態令啓達候・・・わざとけいせしめそうろう・わざとけいたつせしめそうろう

(意味)「こちら側で使者を立てました。」
あるいは「取り立ててお手紙を差し上げます」
といった意味。

 (備考)いわゆる「令(せしめ)」が返読文字となっているため「態と啓せしめ候」となる。
“わざと”は一見するとおしつけがましい語感に感じるが、かつては書簡がすぐに届かず、また必ずしも相手方に届くわけではなかった。

蟠・・・わだかまる、わだかまり

(意味)うまくことが運ばず滞る、心の中につっかえたような

渡状・・・わたしじょう

(意味)「打渡状」の項を参照のこと。

渡領・・・わたりりょう・わたしりょう

(意味)
その家代々の所領。
世襲すべき所領のこと。

例文) 『官務所領関係雑文書』永正十八年二月二十六日付飯尾元兼奉書案

摂州能勢郡採銅所事、為官務渡領之処、年貢以下百姓等無沙汰之間、早可致納所之旨、被成御下知訖、可被申付之由也、仍執達如件、

(書き下し文)
摂州能勢郡採銅所の事、官務として渡領のところ、年貢以下百姓等無沙汰の間、早やかに納所致すべきの旨、御下知を成されおわんぬ
申し付けらるべきの由なり
(ママ)。仍って執達くだんの如し

詫言・侘言・・・わびごと

(意味)
①謝ることば。謝罪。
転じて降伏を表す。

②ことわることば。ことわり。

 (備考)
中世の史料では「詫言」「侘言」どちらも多く見られる。
この時代の文書は、このような当て字の類で記されることが非常に多い。

例文1) 『信長公記』巻二 (大河内國司退城之事より)

九月九日 瀧川左近被仰付、多藝山國司の御殿を初として悉焼拂、作毛薙捨、忘國にさせられ、城中ハ可被成干殺御存分尓て御在陣候の處、俄走入候の既端々及餓死付て、種々御詫言して 信長公の御二男 お茶箋へ家督を譲り申さるヽ御堅約尓て十月四日 大河内之城 瀧川左近 津田掃部両人尓相渡、國司父子ハ 笠木坂ないと申所へ退城候し也、

(書き下し文)
(永禄12年)九月九日
滝川左近(滝川一益)に仰せ付けられ、多芸山国司
(北畠具教)の御殿を始めとして悉く焼き払い、作毛を薙ぎ捨て、亡国にさせられ、城中は干殺に成さるべく、御存分にて御在陣候のところ、俄かに走り入り候の、既に端々餓死に及ぶに付きて、種々御詫言して、信長公の御二男 お茶筅へ家督を譲り申さるる御堅約にて、十月四日、大河内の城を滝川左近(滝川一益) 津田掃部(津田一安)両人に相渡し、国司父子(北畠具教・具房)は笠木坂ないと申す所へ退城候しなり。

※当時、実際の当主は具房だと考えられるが、文脈から見るに具教であろう。

例文2) 『仙台市博物館所蔵文書』(年次不詳)六月五日付伊達輝宗書状

態令啓之候、抑相、当間錯乱付而、御手合之事、
数度雖令懇望候、于今無御納得候、更々意外此事候、
会津為始一味中、至当年も度々助成候処ニ、第一之憑
存候、御当方御手延之儀、侘言至極候、急度彼口被及
後詰候者、可為本望候、

(書き下し文)
わざとこれを啓せしめ候
そもそも相・当間錯乱に付きて、御手合の事、数度懇望せしめ候といえども、今に御納得無く候。
さらさら意外この事に候。
会津を始めとして一味中、当年に至りても、度々助成候ところに、第一の頼みと存じ候。
御当方御手延の儀、詫び言至極に候。
急度の口後詰に及ばれ候はば、本望たるべく候。

(語訳)こちらから書状を差し上げます。相馬家との合戦の際、幾度も援軍を派遣してほしいと懇望したにも関わらず、ついにご参陣いただけなかったことは残念です。会津の蘆名家を初めとして、お味方は今に至るまで、たびたびご加勢くださります。しかし、私は貴家を第一の頼りと考えています。相馬家討伐が長引くことは天下に面目が立たず、誠に心苦しい次第です。急ぎ我らの陣営に御参陣くださることを期待しております。

和与・・・わよ

(意味)
①折り合いをつけること。和解すること。和睦。妥協。

②財宝・土地などを、政府の証明を経て譲り与えること。

 (備考)
「与」の旧字は「與」であるため、文書によっては「和與」と記される場合もある点に注意。

例文) 『真田宝物館所蔵(元亀三)十一月二十日付織田信長書状写』

就越甲和与之儀、被加上意之条、同事ニ去秋以使者、申償之処、信玄所行寔前代未聞之無道、且者不知侍之義理、且者不顧都鄙之嘲哢次第、無是非題目候、

(書き下し文)
越甲和与の儀に就きて、上意を加えらるるの条、同時に去秋、使者を以て申し雇うのところ、信玄の所業誠に前代未聞の無道、且つは侍の義理を知らず、且つは都鄙の嘲弄を顧みざるの次第、是非無き題目にて候。

(語訳)これまで上杉・武田間の和睦の件について、公方様(足利義昭)のお考えの通り周旋してきましたが、昨年秋に武田信玄へ使者を派遣したところ、信玄の行いはまことに前代未聞の無道であり、侍の義理も知らず、都会でも田舎でも嘲哢されているのを憚らない始末なので、もうどうしようもありません。

瘧病・・・わらわやみ

(意味)
子供に多い熱病。
発熱が隔日または毎日、時を定めておこる病。
マラリアに近い熱病のこと。
「おこりやみ」ともいう。

 (備考)
語源は「童病み」から。

例文) 『言継卿記』永禄十一年五月十二日条より

五辻子昨暁寅刻、煩之間可來見之由有之間、飛鳥井裏迄罷向、驢庵、是斎等見之云々、痰氣煩敷之由有之之間不及是非、未下刻卒云々、局務師廉朝臣見合招請之間、立寄暫雑談、一盞有之、次長橋局へ立寄見舞、瘧病事外發了、次内侍所罷向、ごう瘧病發之由有之、事外世上に煩之由有之、次烏丸へ罷向暫雑談了、

(書き下し文)
五辻いつつじの子昨暁(寅の刻)煩うの間、見に来たるべきの由これ有るの間、飛鳥井裏まで罷り向かう。
驢庵(半井瑞策)・是斎等これを見云々
痰気煩わしきの由これ有るの間是非に及ばず
未の下刻に卒し云々。
局務師廉(中原師廉)朝臣を見合に招請の間、立ち寄り暫し雑談。
一盞これ有り。
次いで長橋局へ立ち寄り見舞い、瘧病殊のほか発しおわんぬ
次いで内侍所に罷り向かう。
ごう瘧病を発するの由これ有り。
殊のほか世上に患うるの由これ有り。

※一盞(いっさん)・・・1つのさかずき。1杯の酒を呑むこと。

我等式・・・われらしき

(意味)我々程度の者、我らふぜい。

 (備考)謙譲語として用いられる傾向にある。
例文) 『興敬寺文書』(天正元)九月二十八日付近江日野五ヶ寺発給書状

  尚々我等式迄御懇之義、無申計候、猶御使者可被申候、以上、

今度者御雑説付、爲御見舞兩使御上候、則様躰懇ニ法眼迄申入候、幷御音信之銀子慥上申、御返事悉相調使者江渡候、就中 (闕字)御門跡様御堅固、御寺内彌御無事儀候、各可御心安候、次爲御音信拙者迄銀四分被懸御意候、御懇之段難申謝存候、何様不圖御参之砌、以面談御禮可申述候、恐々謹言、

(書き下し文)
この度は御雑説に付き、御見舞として両使を御上せ候。
すなわ様体懇ろに法眼(下間頼充)迄申し入れ候。
並びに御音信の銀子確かに上申、御返事悉く相調い使者へ渡し候。
就中 (闕字)御門跡様(顕如)御堅固、御寺内いよいよ御無事の儀に候。
各々御心安かるべく候
次いで御音信として拙者まで銀四分御意に懸けられ候。
御懇ろの段謝り申し難く存候。
如何様ふと御参のみぎり、面談を以て御礼申し述ぶべく候。恐々謹言


  尚々我ら式まで御懇ろの儀、申す計り無く候。
猶御使者申さるべく候。以上

なし。

了(をはんぬ)」・「越度(をちど)」・「可咲(をかし)」等は現代的仮名遣いで表記している。

无・畢・訖・・・ん・おわんぬ

(意味) 古来から日本では発音しなかったものだが、大陸から漢字が入ったことにより、用いられるようになった。

 (備考)

畢・訖(おわんぬ)」の項を参照のこと。

~む(ん)

(意味)推量の助動詞などに用いる「む」はこちらを参照のこと。

  1. 「あ」~「こ」
  2. 「さ」~「と」
  3. 「な」~「ほ」
  4. 「ま」~「ん」 イマココ
  5. 古文書解読の基本的な事 返読文字によくある傾向を実際の古文書を例に説明

 その他古文書関連の記事

タイトルとURLをコピーしました