こんばんはー。
元亀元年(1570)8月。
挙兵した三好三人衆討伐のため、信長は岐阜城を出陣。
とりあえず京へと入りました。
将軍・足利義昭が諸国に書状を密かに出し、信長打倒を呼びかけていたことは、この時すでに信長は知っていたものと思われます。
そこで信長はある奇策を講じるのでした。
被害者足利義昭さん(仮名)の告白
~京都 本能寺(信長の宿所)~
明智光秀「殿、お呼びにございますか」
織田信長「おう十兵衛。近う」
明智光秀「ははっ」
織田信長「腐れ公方め、わしに逆らうものたちを集めておるらしいわ」
明智光秀「…」
織田信長「この書状を見てみよ」
明智光秀「こ、これは…!」
織田信長「将軍の動きを縛らねばならぬ。殿中御掟※1 に新たに書き加えよ。信長の承認なしに勝手に書状を出してはならぬとな」
明智光秀「しかし、それではあまりにも…」
織田信長「甘いわきんかん!猿を呼べ」
木下秀吉「殿、お呼びにございましょうか」
織田信長「こたびの三好征伐の総大将に、将軍を引きずり出す。お前は十兵衛とともに将軍を承認させて参れ」
木下秀吉「あのう、それがし、将軍家の慣習には疎く、荷が重いかと存じますが…」
織田信長「なんだと!!」
木下秀吉「い、いえ。なんでもありませぬ。この猿、命に代えましても、必ずや公方様のご承諾を得て参りまする!」
~二条新御所~
足利義昭「ククク、余の力によって浅井を心変わりさせ、三好三人衆も六角も味方。あとは石山本願寺と武田信玄も味方に引き込めば、信長はもうしまいじゃ!フハハ!」
近習「申し上げます。織田家から使者が来ておりますが」
足利義昭「なに?信長からだと! …余は病じゃ。病と言って追い返せ」
近習「明智様と木下様がおいでにござりまするが」
足利義昭「なに、十兵衛が?十兵衛に免じて話だけは聞いてやる。通せ」
明智光秀「公方様におかれましては、ご機嫌麗しゅう…」
足利義昭「おお、十兵衛よ。そちとわしとの仲じゃ。ゆるりとしていくがよい」
木下秀吉「申し上げまする。こたび我が殿が摂津表へ出陣いたしますが、その総大将に公方様をご指名してござりまする」
足利義昭「なんじゃと?ば、馬鹿な!」
木下秀吉「我が殿たっての願いでござりまする」
明智光秀「こたびのいくさでは三好の輩を懲らしめるため、公方様御自ら御出陣あそばす必要がござりまする」
足利義昭「…出陣してやりたいのは山々じゃが、余は病でな」
木下秀吉「公方様直々の御親征ならば、必ずや悪逆の輩もひれ伏しましょう」
明智光秀「公方様、ここはどうか堪えてくだされ」
足利義昭「むむっ…。あいわかった。十兵衛に免じて検討してつかわす。日を改めて参られよ」
木下秀吉「この場でお認めくださいませ!殿の命に背いて今まで生きながらえた者はおりません」
足利義昭「む、む、む…。十兵衛。余は討たれるのか?」
明智光秀「要求を飲まねば、おそらく…」
足利義昭「………。あいわかった。承認したと信長殿に伝えられよ」
足利義昭「おのれ信長め!この屈辱。生涯忘れぬぞ!いつの日か必ずや信長の素っ首、この目で見てくれるわ!」
細川藤孝「公方様、三好三人衆はあなた様の兄上を殺した者たちなのですぞ。」
足利義昭「ええいうるさい!信長を討ってくれるなら誰でもよいのじゃ!」
細川藤孝「あまり信長様を刺激するのはおよしくだされ。」
足利義昭「なんじゃと?余の恩を忘れ、そちまでも信長に鞍替えしたのか!さてはなにかもらったな?」
細川藤孝「(なんというお方だ。私が命に代えてもお救いした将軍家の正当な血筋のお方が、まさかこのようなお方だったとは)」
※1 殿中御掟とは将軍が政を司るための規則書みたいなもの。足利義昭が余りにも御内書を乱発するので、都は混乱していた。信長はそれを防ぐために出したのが殿中御掟である。年を経るごとに書き加えられ、室町幕府滅亡までに計21カ条におよんだ。
関連記事:【古文書講座】信長が出した書状から読める足利義昭との関係性(殿中御掟)
あと登場人物の木下秀吉に関しては記録には残ってないので空想です。
明智光秀も記録にはないですが、将軍と絡んでる仕事に幕臣でもある光秀を外すはずがないので、ほぼ間違いないでしょう。
信長は足利義昭を総大将に担ぎ上げ、摂津へと出陣。
三好三人衆籠る野田・福島の両砦を攻撃するのだが…。
石山本願寺が信長包囲網に加わることを決意。
さらに、2ヶ月ほど前に姉川の戦いで敗れたはずの浅井・朝倉連合軍3万が京を目指して進軍する。
足利義昭に一杯食わせたつもりの信長であったが一転、桶狭間の戦い以来の窮地に陥るのであった。
今回もご覧いただきありがとうございます。
ソースは無しですが、当時の公家衆の日記(言継卿記、兼見卿記など)を元に書いてみました。
想像しながら書くのも楽しいものですネ!
この時代の年表はこちらです