斎藤家が出した古文書

若き信長の行状を憂う斎藤道三の書状 丁重な手紙のワケとは?

若き信長の行状を憂う斎藤道三の書状を解読します。この文書は、家督を相続して間もない信長の様子を窺い知ることができる史料的価値の高い文書です。丁重な手紙のワケとは何でしょうか?
足利将軍家が出した古文書

上杉七免許? 足利義輝が上杉謙信に宛てた書状から見えるものとは

将軍足利義輝は、上杉謙信に最も期待を賭けた人物です。彼は何を考え、若き謙信を京都に呼び寄せたのかを書状から読み解きます。
信長家臣団が出した古文書

堺の町を脅迫?柴田勝家・佐久間信盛・森可成らが大金を要求した時の書状

柴田勝家・佐久間信盛・森可成・蜂屋頼隆が堺の町を脅迫した書状です。「15日までに支払わなければ御成敗」、「もってのほか御腹立ち」など、恐ろしいことが記されています。当時日本で最大の繁栄を誇った堺の町がなぜこのような事態に追い込まれたのでしょうか。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
徳川家康が出した古文書

長篠の戦い前夜 徳川家康が織田信長への感謝の意を示した書状を解読

長篠の戦いの少し前、徳川家康は織田信長に大量の兵糧が届いたことを感謝し、礼状を送ります。そこから浮かび上がる当時の情勢と信長との関係性がなかなか興味深いです。また、記事の最後には徳川家康が用いた花押と印判を載せています。
7.官位・官職・百官名・東百官

原田甲斐・大石内蔵助・平賀源内…この変わった名前は何ですか?

江戸時代に入ると内蔵助(くらのすけ)、源内(げんない)というような時代劇風の名前が流行します。それは一体なぜなのか?百官名と東百官とは?当サイトは戦国時代の古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介するサイトです。
1.古文書

武田信玄の侵略からたった一人で寺を守りきった住職の苦労とは!?

戦国時代は織田信長や武田信玄たちが活躍した時代。そんな権力者たちから制札一つ受け取るだけでも命がけでした。当サイトは戦国時代の古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介するサイトです。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(9)覚慶、細川藤孝らの助けで奈良を脱出 流浪将軍足利義秋の誕生

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍追放!事実上の室町幕府滅亡

信長の年表12回目です。今回の主な出来事は丹羽長秀に大舟建造を命じる、足利義昭再び挙兵の風聞、河内畠山家の遊佐信教らが主君・畠山秋高(昭高)を弑逆、足利義昭再び挙兵、二条御所の戦い、宇治槙島の戦い、足利義昭追放、一乗寺・静原山両城の戦い、木戸・田中両城の戦い、「天正」と改元などです。
6.信長以外の歴史系記事

明智軍法は実在したのか?本能寺のちょうど1年前に定められた明智軍法の真偽に迫る

今回は「明智軍法は本当に明智光秀が出したのか」です。これは本能寺の変のちょうど1年前に光秀が定め、他の大名に先駆けて石高あたりの動員人数まで規定した画期的な軍令書です。これが真実ならば本当にすごいことなのですが、怪しい点も随所に見られます。さあ、その真偽はいかに。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(4) 山科本願寺焼き討ちから石山本願寺建立へ

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
タイトルとURLをコピーしました