戦国の古文書解読よく出る語彙・単語編 五十音順「さ」~「と」

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古文書解読の基本的な事 よく出る単語編 五十音順「さ」~「と」

 戦国時代の古文書で、非常によく出る語彙を中心にまとめました。
語順は現代仮名遣いです。
例文の読み下しに誤りがある箇所もあります。
今後もさらに加筆する予定です。

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  1. 「さ」行
      1. 裁許状・・・さいきょじょう
      2. 在家・・・ざいけ・ざいか
      3. 済済・済々・・・さいさい・せいぜい
      4. 在々所々・在々処々・・・ざいざいしょしょ
      5. 最前・・・さいぜん
      6. 在名・・・ざいみょう
      7. 近曾(曽)・先頃・先比・・・さいつころ
      8. 細筆・・・さいひつ
      9. 在番・・・ざいばん
      10. 堺銭・・・さかいせん
      11. 酒屋・・・さかや
      12. 左義長・三毬杖・三毬打・・・さぎちょう
      13. 指合・差合・・・さしあい・さしあう・さしあえ・さしあわす・さしあわせ
      14. 閣、差置・・・さしおき・さしおく
      15. 差越・指越・・・さしこし・さしこす
      16. 差出、指出・・・さしだし・さしだす
      17. 差遣・・・さしつかわし・さしつかわす
      18. 座主・・・ざす
      19. 沙汰・・・さた
      20. 沙汰付・・・さたしつけ・さたつけ
      21. 定兼・・・さだめかね
      22. 定而・定・・・さだめて・さだめ・さだめる
      23. 雑掌・・・ざっしょう
      24. 薩埵・・・さった
      25. 撮当・察当・・・さっとう
      26. 扨・扠・偖・・・さて
      27. 扨措、扨置・・・さておき
      28. 里・・・さと
      29. 侍・候・・・さぶろう・さむろう
      30. 沙法・・・さほう
      31. 乍去・・・さりながら
      32. 猿楽・散楽・申楽・・・さるがく・さんがく・さるごう
      33. 散位・・・さんい・さんに
      34. 去・・・さんぬる・さりぬる・さる・もてゆく
      1. 仕合・・・しあわせ
      2. 地発・地興・地起・・・じおこし
      3. 塩断・塩立・塩達・・・しおだち
      4. 字音・・・じおん
      5. 不如・不若・・・しかず
      6. 然・・・しか・しかり
        1. 加之・加以・・・しかのみならず
        2. 然計・・・しかばかり・さばかり
        3. 然も・然茂・・・しかも
        4. 然者・・・しからば、しかれば
        5. 然に・然ニ・・・しかるに
        6. 可然・・・しかるべし・しかるべく
        7. 然共・雖然・・・しかれども
      7. 頻・・・しきりに・しきる・しく
      8. 直状・直札・・・じきじょう・じきさつ
      9. 直務・・・じきむ
      10. 施行状・・・しぎょうじょう
      11. 如今・・・しきん・じょこん・いま
      12. 地下人・・・じげにん
      13. 祗候・伺候・・・しこう
      14. 子細・仔細・・・しさい
        1. 不及子細・・・しさいにおよばず
        2. 無子細・・・しさいなし・しさいなく
        3. 非子細・・・しさいあらず
        4. 子細者・・・しさいもの
      15. 不移時日・・・じじつをうつさず
      16. 自署・・・じしょ
      17. 地子銭・・・じしせん・ちしせん
      18. 支証・・・ししょう
      19. 次第・・・しだい
      20. 次第書・・・しだいがき
      21. 四大天王・・・しだいてんのう
      22. 悉皆・・・・しっかい
      23. 十干・・・じっかん
      24. 入魂・熟根・入懇・熟懇・・・じっこん
      25. 実正・・・じっしょう
      26. 執政・・・しっせい
      27. 実説・・・じっせつ
      28. 執奏・・・しっそう
      29. 執達如件・・・しったつくだんのごとし
      30. 鹿垣・・・ししがき
      31. 治定・・・じじょう・ちてい
      32. 尻付・・・しづけ・しりづけ
      33. 日来・・・じつらい・にちらい
      34. 祠堂銭・・・しどうせん
      35. 自然・・・じねん・しぜん
      36. 紙背文書・・・しはいもんじょ
      37. 四方拝・・・しほうはい
      38. 子母銭・・・しぼせん
      39. 令・・・しむ・しめ・しむる・しむれ・せしむ・いいつけ・をさ・れい・りょう
      40. 癪・・・しゃく
      41. 朱印状・・・しゅいんじょう
      42. 朱印銭・・・しゅいんせん
      43. 重説・・・じゅうせつ
      44. 愁訴・・・しゅうそ
      45. 祝着・祝著・・・しゅうちゃく
      46. 宿・・・しゅく
      47. 守護使・・・しゅごし
      48. 守護請・・・しゅごうけ
      49. 守護代・・・しゅごだい
      50. 入魂・・・じゅこん
      51. 衆中・・・しゅちゅう
      52. 衆徒・・・しゅと・しゅうと
      53. 遵行・・・じゅんこう
      54. 遵行状・・・じゅんこうじょう
      55. 自余(自餘)・而余(爾余)・・・じよ
      56. 上意・・・じょうい
      57. 荘園・・・しょうえん
      58. 生害・生涯・・・しょうがい
      59. 賞翫・・・しょうがん
      60. 状如件・・・じょうくだんのごとし
      61. 上卿・・・しょうけい
      62. 小験・・・しょうけん・しょうげん
      63. 笑止・咲止・・・しょうし
      64. 尚侍・・・しょうじ
      65. 上巳・・・じょうし・じょうみ
      66. 承仕・・・じょうじ・しょうじ
      67. 消息・・・しょうそく・しょうそこ
      68. 無正躰(正体無)・・・しょうたいなく・しょうたいなし
      69. 抄物・・・しょうもの・しょうもつ・しょうもち
      70. 正文・・・しょうもん
      71. 触穢・・・しょくえ・そくえ
      72. 諸公事・・・しょくじ
      73. 如才・如在・・・じょさい
      74. 書札礼・・・しょさつれい
      75. 所職・・・しょしき・しょしょく
      76. 書状・・・しょじょう
      77. 書状案・・・しょじょうあん
      78. 所詮・・・しょせん
      79. 所存外・・・しょぞんのほか
      80. 所当・・・しょとう
      81. 署判・・・しょはん
      82. 諸法・・・しょほう
      83. 所務・・・しょむ
      84. 諸役・・・しょやく
      85. 所労・・・しょろう
      86. 新儀・・・しんぎ
      87. 心経・・・しんぎょう
      88. 宸襟・・・しんきん
      89. 神人・・・じんにん・じにん・しんじん・かみびと
      90. 神八幡・・・しんはちまん
      91. 神妙・・・しんみょう・しんびょう
      92. 神文・・・しんもん
      93. 進覧・・・しんらん
      1. 不・・・す・ず・~せざる
      2. 随分・・・ずいぶん
      3. 不鮮・不少・・・すくなからず
      4. 不可過・・・すぐべからず
      5. 少許・少計・・・すこしばかり
      6. 宛・・・ずつ・あてる・あたかも・さながら・したがう・かがむ・えん・おん
      7. 即・便・乃・則・・・すなわち(すなはち)
      8. 墨引・・・すみびき
      1. 勢家・・・せいか・せいけ
      2. 誓詞・誓句・誓書・・・せいし・せいく・せいしょ
      3. 制札・・・せいさつ
      4. 済済・済々・・・せいぜい・さいさい
      5. 成敗・・・せいばい
      6. 静謐・・・せいひつ
      7. 清涼殿・・・せいりょうでん
      8. 関・・・せき
      9. 令・・・せしむ・せしめ・せしむる・せしむれ
      10. 節句・節供・・・せっく
      11. 摂家・・・せっけ
      12. 切々・切切・・・せつせつ
      13. 是非・・・ぜひ
        1. 無是非(ぜひなく・ぜひなき)・不及是非(ぜひにおよばず)・無是非題目(ぜひなきだいもく)
      14. 専一・・・せんいつ
      15. 宣旨・・・せんじ
      16. 先達・・・せんだって・さきだって・せんだつ
      17. 専要・・・せんよう
      1. 疎意・・・そい
      2. 無疎意・・・そいなき・そいなく
      3. 草案・・・そうあん
      4. 僧位・・・そうい
      5. 忩劇・怱劇・・・そうげき
      6. 僧綱・・・そうごう
      7. 奏者・・・そうしゃ・そうじゃ
      8. 総社・・・そうじゃ
      9. 僧正・・・そうじょう
      10. 僧都・・・そうず
      11. 雑説・・・ぞうせつ
      12. 惣村・・・そうそん
      13. 雑物・・・ぞうもつ
      14. 雑仕・・・ぞうし
      15. 雑色・・・ぞうしき
      16. 候き・候キ・・・そうらいき
      17. 候而者・・・そうらいては
      18. 候得共、候共・・・そうらえども、そうろうとも
      19. 候半・・・そうらわん
      20. 候・・・そうろう・こう・うかがう
      21. 候上者・・・そうろううえは
      22. 候条・・・そうろうじょう
      23. 候間・・・そうろうあいだ
      24. 候べく候・・・そうろうべくそうろう
      25. 相論・争論・・・そうろん
      26. 相論裁許・・・そうろんさいきょ
      27. 副状・添状・・・そえじょう
      28. 底本・・・そこほん
      29. 誹、謗・・・そしり
      30. 啐啄・倅琢・・・そったく
      31. 率分・・・そつぶん
      32. 袖判・・・そではん
      33. 卒塔婆・卒都婆・・・そとば・そとうば
      34. 備・具・供・・・そなえ・そなう・そなえる
      35. 不可有其隠・・・そのかくれあるべからず/あるべからざる
      36. 側書・傍書・・・そばがき
      37. 峙・聳・・・そばたつ・そばだつ・そびゆ・ち・ぢ
      38. 側付・傍付・・・そばづけ
      39. 抑・抑々・・・そも・そもそも
      40. 岨道・岨路・・・そわみち・そばみち
      41. 存分・・・ぞんぶん
  2. 「た」行
      1. 代官・・・だいかん
      2. 大綱・・・たいこう・だいごう
      3. 大樹・・・たいじゅ
      4. 怠状・・・たいじょう
      5. 大般若経・・・だいはんにゃきょう
      6. 内裏・・・だいり
      7. 大略・・・たいりゃく・ほぼ
      8. 薪能・・・たきぎのう・たきぎおのう
      9. 出・・・だす・だし・いで
      10. 佐・・・たすく・たすけ・さ・すけ
      11. 彳・彳亍・彳立・佇・・・たたずむ・てき・ちゃく
      12. 立毛・・・たちげ
      13. 忽・乍・・・たちまち
      14. 達・・・たっす・たっし
      15. 塔頭・・・たっちゅう
      16. 達而、達・・・たって、たっての
      17. 縦令、縦、仮令、仮・・・たとえ・たとい
      18. 奉・・・たてまつる、たてまつり
      19. 七夕・棚機・・・たなばた
      20. 憑・恃・・・たのみ・たのむ
      21. 踏皮(蹈皮)・単皮・・・たび
      22. 為・・・ため
      23. 給・賜・・・たもう・たまい・たまわる
      24. 可為・・・たるべく・たるべき・たるべし
        1. 「~たり」とある場合
        2. 「~たる」とある場合
        3. 「~たらん(たらむ)」とある場合
        4. 「~たりけり」とある場合
        5. 用例
      25. 段銭・田銭・反銭・・・たんせん
      26. 歎息・嘆息・短息・短束・・・たんそく・たんぞく
      27. 檀那・旦那・・・だんな
      28. 段別・反別・・・たんべつ
      1. 知行・・・ちぎょう
      2. 逐電・遂電・・・ちくでん
      3. 致仕・・・ちし・ちじ
      4. 馳走・・・ちそう
      5. 治定・・・ちてい・じじょう
      6. 治罸・治罰・・・ちばつ
      7. 着到・・・ちゃくとう
      8. 誅・・・ちゅうす
      9. 忠節・・・ちゅうせつ
      10. 中風・・・ちゅうふう・ちゅうぶ・ちゅうぶう
      11. 停止・・・ちょうじ・ていし
      12. 調義・調儀・調戯・・・ちょうぎ
      13. 牒す(ず)・・・ちょうす(ず)
      14. 庁宣・・・ちょうせん
      15. 打擲・・・ちょうちゃく
      16. 調伏・・・ちょうぶく
      17. 調物・・・ちょうもつ
      18. 重陽・・・ちょうよう
      19. 勅願所・・・ちょくがんじょ
      20. 珍重・・・ちんちょう
      1. 就・・・ついて・つきて
      2. 付而、付・・・ついて、つき
      3. 仕度・・・つかまつりたく
      4. 遣・・・つかわす・つかわし
      5. 次・・・つぎに、ついで
      6. 付状・・・つけじょう
      7. 付・附・・・つけたり
      8. 尽・・・つくす・つくし・つき
      9. 具・備・・・つぶさに
      1. 為躰・為躰・・・ていたらく
      2. 底本・・・ていほん・そこほん
      3. 定本・・・ていほん
      4. 者・・・てえれば・てえり
      5. 手鑑・・・てかがみ
      6. 行・・・てだて
      7. 徹書・徹所・・・てっしょ
      8. 天一・・・てんいち
      9. 天気所候也・・・てんきそうろうところなり
      10. 伝奏・・・でんそう
      11. 伝奏書・・・でんそうがき
      12. 天台宗・・・てんだいしゅう
      13. 天役・点役・・・てんやく
      1. 与・・・~と
      2. 等閑・・・とうかん・なおざり
      3. 逼塞・・・とうそく
      4. 当知行・・・とうちぎょう
      5. 當手(当手)・・・とうて
      6. 同名中・・・どうみょうちゅう
      7. 兎角・菟角・・・とかく
      8. 兎角(菟角)之輩・兎角(菟角)之族・・・とかくのやから
      9. 鬨の声・凱声・・・ときのこえ
      10. 則・則者・・・ときんば
      11. 徳政・・・とくせい
      12. 得度・得道・・・とくど
      13. 所書・・・ところがき
      14. 所質・・・ところじち・ところしち
      15. 年来・年比・年頃・・・としごろ・ねんらい
      16. 為・・・~として
      17. 土倉・・・どそう
      18. 都鄙・・・とひ
      19. 輩・儕・・・ともがら
      20. 擒・虜・・・とりこ・とらう・きん・ごん
      21. 取出・・・とりで
      22. 取申・執申・・・とりもうす

「さ」行

裁許状・・・さいきょじょう

(意味)
下知状に同じ。そちらを参照のこと。

 (備考)
中世訴訟に対する判決状のこと。
最初の事書に訴人(原告)と論人(被告)の名前を明記し、相論の内容の要点を示し、本文には訴状とそれに対する陳状の要旨を引用し、最後に幕府の判決理由を明示する。
鎌倉時代の幕府訴訟では、訴状と陳状をそれぞれ三回繰り返す三問三答を原則とし、それでも決着が得られない場合は、訴人と論人が引付方に出頭して、対決口頭弁論が行われた。
これらの両者の主張を引用するので、裁許状は長文のものが多いため、継紙つぎがみに書かれる場合が多い。
その際は継紙目の裏に担当奉行人が花押を据えた。
室町時代は執事・管領が署判するものや、複数の奉行人が連署する裁許状が発給されるようになった。

※本項は瀬野精一郎(2018)『花押・印章図典』と松園潤一朗(2021)『室町・戦国時代の法の世界』吉川弘文館から参照した。

在家・・・ざいけ・ざいか

(意味)
①本来辺境地帯の名に発生し、在家・園・屋敷などと表示された隷属農民の居住する家を称したが、戦国時代ごろには家屋と畠を含む屋敷に住み、その付近の田を所有する形を一括して在家という。
また、在家役(公事夫役など)を賦課されている農民のことで、単に民家を指す場合もある。

②仏界用語の1つで、出家せずに俗世にいながら仏道に帰依する人のこと。在俗の人。一般の人。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月二十七日条より

一、高山代官法師元十三重法師也云々、今在家の假冶ト申事在之、
 (高山代官法師(元十三重法師なりと云々)。今在家の鍛冶と申す事これ有り。)

済済・済々・・・さいさい・せいぜい

(意味)済々(せいぜい)の項を参照のこと。

在々所々・在々処々・・・ざいざいしょしょ

(意味)
ここかしこ。いたるところ。あらゆるところ。

 (備考)
中世の古文書では「在々所々に散在している山林や田畠(畑)等の所領を、先例の通りに安堵する」・「在々所々を焼払い、敵の動きを牽制する」といった内容が多い。
史料によっては「在々處々」とするものもあるが、「處」は「処」の旧字体にあたる。

例文) 『米田氏所蔵文書』元亀二年十月十四日付織田信長朱印状

勝竜寺要害之儀付而、桂川より西在々所々、門並人夫参ヶ日之間申付被、可有普請事簡要候、仍如件、

(書き下し文)
勝竜寺しょうりゅうじ 要害の儀に付きて、桂川より西の在々所々、門並びに人夫三ヶ日の間申し付けられ、普請あるべきの事簡要に候。仍ってくだんの如し

最前・・・さいぜん

(意味)
①もっとも初め。真っ先。

②さきほど。先刻。いましがた。

 (備考)
例文) 『和簡礼経』下座右抄 元亀四年四月二十八日付林秀貞等連署起請文前書案

旲社起請文前書事、今度信長御和平之上者、一切不可有御違変候間、各請取申候、猶以自分以後、対信長不可存逆心之儀候、但最前之条数、自然為御相違者、右之趣可預御分別候、若此旨於令違背者、起請文御罰深厚可罷蒙者也、仍前書如件、

(書き下し文)
 霊社起請文前書の事
この度信長(織田信長)おん和平の上は、一切御違変あるべからず候間、なおもって自今以後信長に対して逆心の儀を存ずべからず候。
但し最前の条数、自然御相違たらば、右の趣き御分別に預かるべく候。
若しこの旨を違背せしむるに於いては、起請文の御罰を深厚に罷り蒙るべきものなり。
仍って前書くだんの如し

在名・・・ざいみょう

(意味)
小路名」の項を参照のこと。

近曾(曽)・先頃・先比・・・さいつころ

(意味)近頃。先日。先ごろ。

 (備考)
「さきつころ」から転じて「さいつころ」と読むようになったと思われる。
なお、「曾(曽)」で”かつて”と読む場合がある。

細筆・・・さいひつ

(意味)詳述すること。細々と書くこと。細書(さいしょ)。

 (意味)「不能細筆候(さいひつにあたわずそうろう)」とある場合は、「詳細は省きます」となる。

在番・・・ざいばん

(意味)大名などの家臣などが本拠地から赴いて、城郭や要害の守備にあたること。

堺銭・・・さかいせん

(意味)
畿内の堺で鋳造された偽造銭。模鋳銭のこと。

 (備考)
古代期より偽造銭を意味する堺銭は存在したが、15世紀頃に大陸からの銭が流入しづらい状況になると、このような鐚銭を取引で使用する者が増え始めた。

詳しくは「撰銭(えりぜに)」または「撰銭令(えりぜにれい)」の項を参照のこと。

酒屋・・・さかや

(意味)中世の酒造業者のこと。

 (備考)詳細は土倉の項を参照のこと。

左義長・三毬杖・三毬打・・・さぎちょう

(意味)
小正月に行われた火祭りの行事のこと。
陰暦正月15日の朝に行われた悪魔祓いの行事。
宮中では、清涼殿の東庭に青竹を三本束ねて立て、これに扇子、短冊、天子の書初めの清書(吉書)などを結び付け、陰陽師などが集まり、歌いはやして焼いた。

民間では、「どんど」「どんどん焼」「さいとう」「ほっけんぎょ」などと呼んで伝承され、地方によって差異はあるものの、正月の門松・しめ縄・書初などを持ち寄って焼く風習がある。

 (備考)
もとは大陸の風習を模したものとする説がある。
これは、正月を迎えて災いを除くために爆竹を鳴らす。
日本では室町時代以後、青竹3本を縄で巻いて立て、扇を吊るして焼き、これを燃やした爆音に驚いた鬼を追い払うという風習が広まった。
これを源とする場合、語源は毬杖(ぎじょう)であり、毬(まり)を打つ道具を三本立てることから三毬杖と呼ばれたのかもしれない。

一方、仏教と道教の優劣を測るために、仏教書を左から、道教書を右から焼いたところ、仏教の方が残ったことを語源とする場合は「左の義、長ぜり(優れている)」としたことから左義長とする方が正しいとする見解もある。

例文) 『言継卿記』永禄十一年正月十五日条より

十五日、乙丑、陰、自亥子丑刻雨降、三毬打吉書共入三本囃之、右兵衛大夫、雑色小五郎以下也、次粥供物天狗、次各祝如例年、
三毬打十本禁裏へ進上、昨日雖佳例竹遅來之間如此、文如此、ちらし書、


 かしこまりて申入候、三きつちやう十ほん、かれゐにまかせしん上いたし候、御心え候て御ひろうにあつかり候へく候、可しく、
              とき繼
     勾當内侍とのヽ御局へ


勧修寺黄門へ、三毬打竹到來之由折紙遣之、昨日之分、


 従山科大宅郷、三毬打竹今日如例年到來、珍重存候、安枕斎江可然之様御演説所仰候、尚期面謝之時存候也、
  十四日         言経
   御方
    勧修寺殿


  (中略)
暮々御祝に参内、倉部同道、天酌に被参之輩中山前大納言、四辻大納言、万里小路大納言、予、勧修寺中納言、源中納言、持明院宰相、右大辨宰相、新宰相中将、松夜叉丸、経元朝臣、言経朝臣、爲仲朝臣、親綱朝臣、晴豊、雅英、橘以繼等也、次於東庭御三毬打極臈申沙汰、修理職粟津肥前守、加田新左衛門尉、烏帽子襖袴候庭上、
敷革、先御吉書自御拜間、被出之、極臈渡粟津入御三毬打、次若宮御方御吉書、自北之脇戸被出之、同加田入之、次蝋燭粟津請取、付火返進之、次仕丁五人囃之、自此方十本、勧修寺三本如例、月卿雲客各候鬼間長橋等簀子、次若宮御方御酌、被参之輩同前、次各退出了、

(書き下し文)
十五日(乙丑、陰、亥・子・丑の刻より雨降り)
三毬打(吉書共に入る)三本これを囃す。
右兵衛大夫、雑色ぞうしき小五郎以下なり。
次いで粥・供え物・天狗、次いで各々祝例年の如し。
三毬打十本を禁裏へ進上。
昨日佳例の竹遅くに来たるの間といえどもかくの如く、文かくの如し。ちらし書き。

 「畏まりて申し入れ候。
三毬打十本、佳例に任せしん上いたし候。
御心得候て御ひろうに預り候べく候。かしく
              言継(山科言継)
     勾当内侍殿の御局へ」

勧修寺黄門(勧修寺晴秀)へ、三毬打の竹到来の由、折紙これを遣す。昨日の分。

 「山科大宅郷より、三毬打の竹今日例年の如く到来。
珍重に存じ候。
安枕斎(畠山守肱)へ然るべきのよう、御演説に仰すところに候。
なお面謝を期す時に存じ候なり。
  十四日         言経(山科言経)
   御方
    勧修寺殿」

  (中略)
暮々御祝に参内。
倉部も同道。
天酌に参らるるのともがら、中山さきの大納言・四辻大納言・万里小路大納言・予・勧修寺中納言・源中納言・持明院宰相・右大弁宰相・新宰相中将・松夜叉丸・経元朝臣・言経朝臣・為仲朝臣・親綱朝臣・晴豊・雅英・橘以継等なり。
次いで東庭に於いて御三毬打極臈の申沙汰、修理職しゅりしき粟津肥前守・加田新左衛門尉・烏帽子・襖・袴候庭上、(敷革)、まず御吉書(御拝の間より)これを出さる。
極臈渡粟津入御三毬打、次いで若宮御方が御吉書、北の脇戸よりこれを出さる。
同じく加田がこれに入る。
次いで蝋燭を粟津が請け取り、火を付けこれを返し進らす
次いで仕丁五人がこれを囃し、此方より十本、勧修寺が三本例の如し。
月卿雲客の各候、鬼の間長橋(長橋局)等が簀子、次いで若宮御方へ御酌、これに参らるるともがらも同前。
次いで各々退出しおわんぬ

※極臈は六位の蔵人で年功を積んだ者。
※仕丁は雑役・人夫のこと。
※月卿雲客(げっけいうんかく)は高位高官の公卿・殿上人のこと。
※鬼間(おにのま)は清涼殿内の南西隅にある部屋。
裏鬼門にあたるため、この名がついたのだろう。

指合・差合・・・さしあい・さしあう・さしあえ・さしあわす・さしあわせ

(意味)
①物事や人同士がぶつかり合い、うまくいかないこと。
さしつかえること。差し障ること。
②連歌や俳諧で禁じてある用語・用字を用いること。「去り嫌い」などをいう。
転じて言ってはいけないこと、禁句を表す。
③他者と協力して物事にあたること。処理・対応すること。

 (備考)
「さしあい」と読む場合①と②を意味することが多いか。
しかし、「さしあわす」とした場合、③の意味となることが多い。
この場合、「さし」は接頭語となるため、「さし」に特別な意味を持たない語調を整えるための語となる。

文脈によって大きく意味が異なる注意すべき語句と言えるだろう。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応五年六月十八日条より

昨日自長谷寺注進、就佛師儀指合之題目候間、本尊造立之事于今延引、昨日屬無爲候、子細中々不申候、以寺官吉日、佛師等事可得御意云々・・・

(書き下し文)
昨日長谷寺より注進。
仏師の儀に就きて、指合の題目に候間、本尊造立の事、今に延引。
昨日無為に属し候。
子細はなかなか申さず候。
寺官を以て吉日、仏師等の御意を得るべく云々・・・

例文2) 『言継卿記』永禄十年二月十二日条より

今日亡父卿雖爲忌日、松林院依指合不來、
(今日亡父卿の忌日たるいえども、松林院指合よりて来ず。)

閣、差置・・・さしおき・さしおく

(意味)~を差し置き、差し置いて

 (備考)「閣私意趣」で「私の意趣をさしおき」と読む。

差越・指越・・・さしこし・さしこす

(意味)派遣すること。
差遣(さしつかわす)と同じ。

差出、指出・・・さしだし・さしだす

(意味)提出する。物や書類に限らず、土地・知行を含まれることもある

差遣・・・さしつかわし・さしつかわす

(意味)使者や軍勢を出すこと。派遣する。
差越(さしこす)と同じ。

 (備考)「可被差遣」で”差し遣わさるべく(べき)”

座主・・・ざす

(意味)
大きな寺で、最高位の僧のこと。
一般的には延暦寺の天台座主を指す。

 (備考)
例文) 

 (備考)
例文) 『孝親公記』天正元年十月十一日条

今晩於小御所菊花有御賞翫事、女中沙汰云々、岡御所・座主宮御参也、秉燭之程出御、親王御方同御出座、参候人々、与・四辻大納言・山科大納言・四辻中納言・新中納言基孝去九日昇進・左中辨宰相、親綱・爲仲・通勝等朝臣、雅朝王等也、

(書き下し文)
今晩小御所に於いて、菊花を御賞翫有る事。
女中沙汰に云々、岡御所(大慈光院宮)・座主宮(曼殊院覚恕)が御参りなり。
秉燭へいしょくの程出御、親王御方同御出座。
参り候の人々、与(中山孝親)・四辻大納言(四辻季遠)・山科大納言(山科言継)・四辻中納言(公遠)・新中納言(持明院基孝、去九日に昇進)・左中弁宰相(甘露寺経元)、親綱(中山親綱)・為仲(五辻為仲)・通勝(中院通勝)等の朝臣、雅朝王等なり。

沙汰・・・さた

(意味)
①処理すること。取り決め、処置。
②行動すること。
③決裁すること。
④取り上げること。
⑤仰せ。指令。命令のこと。
⑥世上の噂のこと。評判。
⑥または理非を論じ定めること。訴訟・公事
転じて裁判・諸役の納入・負債の支払いなどの意を表す。

 (備考)
「沙」は「砂」。「汰」は淘汰の「汰」。
米や砂金などを水で洗って砂で取り除くのが語源とする説がある。
「沙」は単体で”そろえる”、”よなぐ”、”にごる”、”おごる”、”た”、”たい”と読む。
また、「沙汰人(さたにん)」は中世から近世にかけて、上からの命令を伝達し、執行する人物のこと。
古くは荘園での下級荘官、各種集会の代表のことを指した。

「私沙汰」は”わたくしざた”と読む。
「私」は公(おおやけ)に対する語で非公式など、個人的なことを意味するもの。
現在のように一人称として用いるようになったのは、室町時代期頃とされ、多少卑下の語感をともなった。

「無沙汰」は長い間訪問や音信をしないこと。なおざりにすること。
または上意の命に反したり、指図に従わないことを意味する。
用例は「代官」の項を参照のこと。

「沙汰之限(さたのかぎり)」は裁判として取り上げられる範囲。
是非を論じる範囲を超えること。
またはもってのほかであることを指す。

例文1) 『多聞院日記 十八』(元亀三年五月二日条より)

一、尾張衆爰元へ可來由沙汰在之、
 (尾張衆爰元へ来たるべきの由の沙汰これあり。)

例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月十日条より

一、去三日於江州持是院之方打負云々、柿帷衆沙汰也云々、
 (去三日、江州に於いて持是院(斎藤妙純)方打ち負け云々。柿帷衆の沙汰なりと云々。)

例文3) 『慶光院文書(元亀三年二月二十一日付正親町天皇綸旨)』

大神宮仮殿造替事、任清順上人例、以諸国之奉加、可致其沙汰由、尤神妙被思食畢、然者、弥凝無弐之丹心、早可遂造畢之成功之由、天気所候也、仍執達如件

(書き下し文)
大神宮仮殿造替の事、清順上人の例に任せ、諸国の奉加を以て、その沙汰致すべきの由、もっとも神妙に思し召されおわんぬ
然らば、いよいよ無二の丹心を凝らし、早くこれを造り遂ぐべく功を為すの由、天気候ところなり
仍って執達くだんの如し

例文4 『(天正元)九月二十日付塙直政奉書(伊勢市大湊支所保管文書)』

将又日禰野、足弱を相送候舟之事、さたのかきり曲事無是非候、舟主共ニ急与可有御成敗候間、此者ぬかし候ハぬ様、各へ預ヶ被申候、此旨何も御意ニ候、為御心得申入候、恐々謹言、

(書き下し文)
はたまた日根野(日根野弘就)足弱あしよわ(老人・子供)を相送り候舟の事、沙汰の限り曲事是非無く候。
船主共にきっと成敗有るべく候間、この者逃がし候はぬよう、おのおのへ預け申され候。
この旨いずれも御意に候。
御心得おんこころえのために申し入れ候。恐々謹言

例文5) 『言継卿記』永禄十年十二月二十四日条より

子刻近所新在家聲聞師家に火付之、八間之内南方二間焼了、不便不便、惡行之儀沙汰之限也、

(書き下し文)
子の刻、近所の新在家声聞師家に火が付く。
八間のうち、南方二間が焼けおわんぬ。
不憫不憫。
悪行の儀、沙汰の限りなり。

本項は中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館,林陸朗(1989)『古文書・古記録難訓用例大辞典』をおもに参照

沙汰付・・・さたしつけ・さたつけ

(意味)
相論に勝利した者、あるいは有力な訴人そにん(原告)にとりあえず預け置くこと。

定兼・・・さだめかね

(意味)
決められないこと。定めかねること。

定而・定・・・さだめて・さだめ・さだめる

(意味) 必ず、きっと、まちがいなく。またはその日時に定めること。

 (備考)
打消しの「不」が入り「不定」とある場合は「さだめず」。

「定」・「定而」のくずし方
「定」・「定而」のくずし方

「定」は「之」に似たくずされ方をすることが多い。
また、下に長く伸びて「再」に近いくずしとなるパターンもある。
「而」も頻出するためか、いろいろなくずしのパターンが存在する。
難読な部類だが気合と推測で読むしかない。

例文) 『(天正元)八月二十五日付武田勝頼書状(尊経閣文庫所蔵文書)』

長篠表後詰之儀者、人事相調候故、廿三四之間、敵陣近辺迄陳寄候由候之条、定而今明之間、是非可有之歟、以此旨其表之行、示合候之様肝煎尤候、

(書き下し文)
長篠表後詰の儀は、人事を相調べ候ゆえ、二十三・四の間、敵陣近辺まで陣を寄せ候由に候の条、定めて今明こんみょう(今日明日の意)の間、是非にこれ有るべくか。
この旨を以てその表のてだて、示し合わせ候の様、肝煎り尤もに候。

雑掌・・・ざっしょう

(意味)
官庁・公家・武家・社寺の領地や荘園などに属して、年貢その他いろいろの雑事を扱った役人のこと。
本所を領主とした場合、雑掌は代官を意味する場合もある。

年貢などの税に関する事務は「所務雑掌」。または「預所」。
現地の訴訟に関する事務は「沙汰雑掌」と呼ぶ場合もあった。

 (備考)
古代の律令時代では官庁の雑務を指す語であったが、荘園開発が広く推進された平安時代に入ると、しだいに上記の意味合いへと変化していった。

薩埵・・・さった

(意味)命あるもの。または菩薩のこと。

撮当・察当・・・さっとう

(意味)違法行為を咎め、糾明すること。

扨・扠・偖・・・さて

(意味)それで、ところで。
話題を切り替える際に用いる。
順接の接続詞として用いる語のひとつ。

 (備考)
例文) 『(年次不詳)六月五日付伊達輝宗書状(仙台市博物館所蔵文書)』

会津為始一味中、至当年も度々助成候処ニ、第一之憑存候、御当方御手延之儀、侘言至極候、急度彼口被及後詰候者、可為本望候、又、上方衆関東口乱入之上、自今以後、御挨拶如何可有之候哉、連々御工夫千言万句候、

(書き下し文)
会津を始めとして一味中、当年に至りても、たびたび助成候ところに、第一の頼みと存じ候。
御当方御手延の儀、詫び言至極に候。
急度かの口後詰に及ばれ候はば、本望たるべく候。
さてまた、上方衆関東口乱入の上、自今以後、御挨拶いかがこれ有るべく候哉。
連々御工夫、千言万句に候。

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扨措、扨置・・・さておき

(意味)それはそれとして。ひとまずそれは置いといて

里・・・さと

(意味)
①人家の集まっている所。

②古代期の地方行政の区画で、「郡」の内を分け、人家の五十戸を一区としたもの。

内裏の外の住居。宮仕えの人が自分の家をさして用いる語。

④嫁・養子・養女・奉公人などが生まれた家をさして用いる語。

⑤子供を他家に預けること。またはその預け先。

⑥色里。遊里。

⑦育ち。素性。

 (備考)
②は「郷」が誕生する以前に古代期で用いられていた行政区分の最末端。
「郷」が里にとってかわった後も、呼称としての「里」は用いられ、「郷」を「さと」と呼ぶ例もあった。
しかしながら、行政単位として機能することはなく、③~⑦のように、便宜的に用いられる傾向にあった。

なお、「里」はほかにも「り」と呼ぶなど、距離や面積を測る単位としても用いられる。

侍・候・・・さぶろう・さむろう

(意味)
①「行く」「来る」の謙譲語・尊敬語。
お伺いする。参る。祗候する。

②「あり」「をり」の謙譲語・尊敬語。
あります。ございます。

 (備考)
古代期に用いられた「守(も)らふ」が原型。
接頭語として「さ」が付き「さもらふ」。
上代には謙譲語として用いられたが、平安時代中期から丁寧語としても使われ、同じ意味を持つ「はべり」にとってかわるようになった。
以後はもっぱら「さむらふ」「さうらふ」「さう」と語形は変化した。

⇒「候・・・そうろう・こう・うかがう

沙法・・・さほう

(意味)作法のこと。しきたり。きまり。

乍去・・・さりながら

(意味)しかしながら

 (備考)「」単独では「ながら」。

猿楽・散楽・申楽・・・さるがく・さんがく・さるごう

(意味)
①滑稽なしぐさ。余興。またはそれを演ずる人。
②中世に盛行した能楽の母体となった芸能。またはそれを演じる人。猿楽師。

 (備考)
②は唐の散楽が興りとされ、日本独自のエッセンスが加わり流行した。
滑稽・掛け合い・物真似などを主としたという。
その後、優雅な歌舞も加わり、楽劇として発展した。

雨の日は猿楽が中止・延期となる事例が頻繁に見受けられる。

中世を描いた軍記物でもたびたび猿楽が登場している。
猿楽師のことを「猿楽の大夫」などと記されることがある。
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年三月五日条より 

一、二日公方猿樂在之、金剛・今睛兩座廿五番在之、左方金剛、脇能クシ、金剛沙汰、凡俄之間、今睛遅参之故歟、

(書き下し文)
二日、公方猿楽これあり。
金剛・今晴両座で二十五番これあり。
左方は金剛。脇能クシ。
金剛の沙汰、およそ俄かの間、今晴遅参の故か。

例文2) 『言継卿記』永禄十年六月二十四日条より

未刻猿楽始、見物に同所へ罷向、酒度々有之、能海士、八島、熊野、是害、守久、鼎等六番有之、及黄昏終了、

(書き下し文)
未の刻猿楽始。
見物に同所へ罷り向かう。
酒度々これ有り。
能海士、八島、熊野、是害、守久、鼎等六番これ有り。
黄昏に及び終了。

散位・・・さんい・さんに

(意味)
位階は有するが、官職のない者。
散事。

 (備考)
連語で「さんに」とも読む。

去・・・さんぬる・さりぬる・さる・もてゆく

(意味)
①過ぎ去った過去のこと。去る。年月日の前につくことが多い。
 (去〇日、令〇〇了(去〇日、〇〇せしめおわんぬ)
②持っていくこと。(もてゆく)文末最後尾につくことが多い。
 (〇〇〇〇、〇〇〇〇、〇〇〇〇去)

 (備考)
「去る」の連用形に完了の助動詞「ぬ」の連体形が付き「さりぬる」。
撥音便となるため「さんぬる」と音読された。
「ん」を表記する記号文字を持たなかった古代から平安初期は「去ぬ」と記されることが多い。

仕合・・・しあわせ

(意味)幸運、幸せ。

 (備考)「難有仕合」だと「ありがたき幸せ」

地発・地興・地起・・・じおこし

(意味)
売却地、質入れ地など本来の持主(本主)のもとから他へ所有が移転した土地を本主が取り戻す行為。

 (備考)
先例とは異なる徳政文言を記した売券沽却状)の中に「地発」が入る場合は、徳政とはまったく無関係に、地発であっても、この土地を取り戻さないと明記された文書もある。

古語辞書には「じおこし」の項がないものも多いが、『戦国古文書用語辞典(東京堂出版)』には”土地だけを対象とする徳政のこと”との説明がある。

例文) 『多聞院日記』永禄十一年五月二十四日条より

一、ヲウ領徳阿弥ヨリ質流ルヽ二反分ハ、雖可有地發ここノ通ニテ、表向我等叉買得申スナリニテ可有知行之旨也、

(書き下し文)
横領徳阿弥より質流るる二反分は、地発有るべきといえども、ここの通りにて、表向きは我等また買得申すなりにて知行有るべきの旨なり。

語訳)徳阿弥に横領されて所有権を失った二反分は、本来ならば我らが取り戻すべきだけれども、表向きは我等が買得(私的に買い入れ)したことにして、ことを穏便に運びたいということです。

塩断・塩立・塩達・・・しおだち

(意味)
神仏へ祈願するため、一定期間塩気のある食べ物をとらないこと。

 (備考)
僧籍の日記に多いか。
旧字で「鹽斷」と記されることもある。

例文1) 『多聞院日記』天文十年十一月十九日条より

十九日、塩立結願畢、發心院参候處、悉以御平喩也、千秋万歳祝著千万、珍重至極者也、むさゝゝと何もせて日を暮し了、
 (十九日。塩断結願おわんぬ。発心院へ参り候ところ、悉く以て御平癒なり。千秋万歳、祝着千万、珍重至極なり。むざむざと何もせて日を暮らしおわんぬ。)

例文2) 『多聞院日記』永禄十年七月八日条より

八日、今日迄十七日塩斷了、日中飯ニ妙徳院衆各申入了、
 (八日。今日迄十七日塩断おわんぬ。日中飯に妙徳院衆各々申し入れおわんぬ。)

字音・・・じおん

(意味)
音・漢字音ともいう。
漢字の読み方の一つで訓に対する。
日本列島のいかなる文明も固有の文字をもたなかったため、大陸の筆記文字を取り入れた際、大陸の発音を同時に取り入れて自国語のなかに定着させた。
漢字の発音のはいった時代によって、通常次の三種に分けられる。

①呉音(ごおん)
いちばん早く入った音で、揚子江下流の呉地方の発音が朝鮮半島を経て伝わったもの。
仏教関係の語や、古くから日本語化した漢語などに多い。
例)「行列(ぎょうれつ)」・「経文(きょうもん)」など。

②漢音(かんおん)
隋・唐と国交がはじまってから伝わった音で、中国北方(特に長安付近)の音を伝えたもの。
平安時代には正音といい、漢文を読むのには主としてこれが用いられた。
例)「孝行(こうこう)」・「経書(けいしょ)」など。

③唐音(とうおん)・宋音(そうおん)
平安時代中期から近世までの間にときどき伝わった音。
呉音と漢音とはすべての漢字にあるが、唐音のない漢字は多い。
宋音は唐音とほぼ同じだが、特に平安時代中期から鎌倉時代にかけて伝えられた宋・元時代の音をいう。
おもに禅僧によって伝えられ、禅宗関係の語に多く用いられる。
例)「行脚(あんぎゃ)」・「看経(かんきん)」など。

本項のおもな参考文献:
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館
高木昭作,佐藤進一,高木昭作,坂野潤治(2000)『文献史料を読む―古代から近代』朝日新聞社
久留島典子,五味文彦『史料を読み解く 1.中世文書の流れ』山川出版社

不如・不若・・・しかず

(意味)~に及ばない、~に匹敵できない

 (備考)「AはBにしかず」なら、「AはBに及ばない」、「Bの方が良い」となる

然・・・しか・しかり

(意味)
「然(しか)」は古代期からある語で肯定の意を表す。
 そのように。

「然(しかり)」は「しかあり」が縮まった語。
 そのようである。そうだ。

「然(しかる)」は「しかり」の連体形。
「然ニ(しかるに)」などの語がよく用いられる。
それにも関わらず。しかしながら。ところが。

 (備考)
古代期から指示語として、上の叙述を指示する機能を持つ。
平安時代からは「さ」の方が一般化するが、「しか」は漢文訓読に用いられ、「あり」を伴って多くの語を派生する。

加之・加以・・・しかのみならず

(上記の意味をふまえた上で)

(意味)
「然(しか)のみにあらず。」の意。
そればかりでなく。あまつさえ。加うるに。

 (備考)
漢文訓読体の文章で用いられる傾向にある。
有名な使用例では『御成敗式目』二十三条にある。

女人養子事
右如法意者雖不許之、右大将家御時以來至于當世、無其子之女人等讓與所領於養子事、不易之法不可勝計、加之都鄙之例先例惟多、評議之處尤足信用歟

一、女人養子の事
右、法意の如くはこれを許さずといえども、右大将家の御時以来、当世に至るまで、その子なきの女人等が所領を養子に譲り与うる事、不易の法あげて数うべからず。
しかのみならず都鄙の例、先例これ多し。
評議のところ、尤も信用に足るか。

然計・・・しかばかり・さばかり

(意味)
こんなにまで。それほどまで。

然も・然茂・・・しかも

(意味)
接続詞として用いられる語。
そのようにまで。
なおそのうえに。それでも。けれども。

 (備考)
「も」は元字の「毛」に近い字で記されることもある。
「茂」は変体仮名。中世では「も」の音としてこの字もよく用いられた。
これらは助詞のため、脇に小さく記されることもある。

然者・・・しからば、しかれば

(意味)
「しかり」の未然形に接続助詞「ば」が付いたもの。
そうであるならば。それなら。
「然上者(しかるうえは)」も同じ意味である。

(備考)
「者」は「は」をあらわす音として頻出する語。
「今日者、(きょうは、)」・「其儀者、(そのぎは、)」など助詞として用いられるため、脇に小さく記されることもある。

然に・然ニ・・・しかるに

(意味)
「しかり」の連体形。逆接の接続詞としてよく用いられる。
それにもかかわらず。しかしながら。ところが。

可然・・・しかるべし・しかるべく

(意味)
①適当である。当然である。道理であること。

②優れていること。立派であること。

 (備考)
「然(しかる)可(べし)」
漢文調の訓読のため返読して読む。
「〇〇之儀、しかるべきに候。」、「〇〇之事、しかるべく候。」といった構文が多い。
これらの多くは肯定的な意を表し、賛同・追認・道理であることを示す。

然共・雖然・・・しかれども

(意味)
「共(~れども)」は逆接の接続詞としてよく用いられる。
そうではあるが。だが。〇〇なのではあるが。

 (備考)
中古からは、漢文訓読体の文章に用いられた。
和文では「されども」の方が用いられる。
雖(いえども)」の項も参照のこと。

頻・・・しきりに・しきる・しく

(意味)
①引き続いて。しばしば。たびたび。
②いっぱい。たくさん。
③むやみやたらに。

 (備考)
語源は動詞の「頻(しきる)」から派生したもの。
これ一字で「頻(しきりに)」と読む場合と、「頻」と助詞の部分を脇に小さく記す場合が多い。

直状・直札・・・じきじょう・じきさつ

(意味)武家文書で、書状と同じく発給者が宛名人に直接意思伝達を目的として文面に署判し、年月日を記入し、命令の下達、権利の附与、認定など種々の用途で発給する文書を総称してこう呼んだ。
したがって、直状は書状の変形した文書形式を有し、奉者が命をうけたまわって発給する奉書(ほうしょ)とは対立する概念である。

 (備考)
「仍状如件(仍って状くだんの如し)」・「之状如件(~の状くだんの如し)」・「・・・也(~なり)」などの書留文言(かきとめもんごん)を用い、発給者の署判の位置は袖、日下、日下の別行、奥上などさまざまである。
( 日下や奥上などの語彙は 「署判・・・しょはん」の項をご参照されたい)

参考:『花押・印章図典(吉川弘文館)』・『室町・戦国時代の法の世界(吉川弘文館)』など

直務・・・じきむ

(意味)荘園領主が自身の所領を自らが管理すること。
代官を置かず直接管理すること。

 (備考)鎌倉中期以降、武士の荘園横領が頻繁に起き、荘園の支配が困難となった。
そのため、荘園の領主たちは守護請(しゅごうけ)・地頭請(じとううけ)が一般的となる。
これに対して本所(ほんじょ)・領家(りょうけ)などの荘園領主は、上使(じょうし)や代官を現地に派遣し、実務を行った。
しかしながら、直務のような支配スタイルは、畿内近国の荘園でのみ行われていたようだ。

例文) 『言継卿記』永禄十一年十月二十一日条より

禁裏御料所諸役等之儀、如先規被任御當知行之旨、爲御直務可被仰付之状如件、
  永禄十一
   十月廿一日   織田弾正忠
             信長 朱判
    諸本所 
雑掌中

(書き下し文)
禁裏御料所諸役等の儀、先規の如く御当知行の旨に任せられ、おん直務として仰せ付けらるべきの状くだんの如し
(以下略)

※この文例では、京都上京の宿紙座・青花あおばな座・青苧あおそ座・楮座・塩合物などの諸座が禁裏(宮廷の)御料所であり、課税権を持っている。それらの収益が諸役である。その座や公事には廷臣(貴族)やそれに従う者が代官となり、円滑に税が取れるよう監督していた。しかしながら、様々な問題によりこの時代はそれが機能せず、朝廷は財政難に陥っていた。それを是正するために御料所の代官(本所)にたいし、直務(又代官を排除し直接知行する)せよと命じたのであろう。(この文書の主体は室町幕府であり、例文の織田信長発給分は副状にあたる)

施行状・・・しぎょうじょう

(意味)
武家様文書(ぶけようもんじょ)の一つで、上意を下達するために用いられた書状。
施行状は内容によってつけられた文書様式名であり、おもに御教書下知状奉書書下といった文書形式で用いられた。

鎌倉幕府の命令を施行した六波羅探題・鎮西探題・守護などの施行状、室町幕府の命令を施行した執事・管領・守護などの施行状がある。
室町時代以降、守護が施行した場合は「守護遵行状」と呼ばれる。

 (備考)
読みは乞食などに物を与える「施行(せぎょう)」と区別するため、「しぎょう」と発音した。

如今・・・しきん・じょこん・いま

(意味)いま、現在のこと。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記(文明二年七月二十三日条より)』

自筒井方申給、山城・氏・水牧・山階等、悉以東方歿落、十六人、細川方披官十二人西方ニ降参了、今四人ハ木津・田ナヘ・井手別所・狛也、於此分者定可歿落、然者山城事悉以可成西方、如今者奈良中事、足軽共數万人有之間、可乱入条不能左右、

(書き下し文)
筒井方より申し給う。
山城・氏・水牧・山階等、悉く以て東方へ没落十六人。
細川方被官十二人は西方に降参おわんぬ。
今四人は木津・田辺・井手別所・狛なり。
この分に於いては、定めて没落すべし。
然らば山城(京都)の事、悉く以て西方と成るべし。
如今は奈良中の事、足軽ども数万人これ有るの間、乱入すべきの条そうあたわず。

地下人・・・じげにん

(意味)百姓・町人などの一般人を指す。
甲乙人ともいう。

  (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年四月晦日条より

一、和泉堺大焼、香西舎兄地下人打之及合戦故、一昨日事歟、
 (和泉堺大焼け。香西の舎兄地下人これを打ち合戦に及ぶ故。一昨日の事か。)

例文2) 『太田家文書(天正元年十月二十四日付北畠家使者中書状案)』

一、今日中ニ船板幷材木、地下中ニ有合候分被集、以注文船中へ可被入事、
 (一、今日中に船板並びに材木、地下中に有り合せ候分を集められ、注文を以て船中へ入れらるべきの事。)

祗候・伺候・・・しこう

(意味)謹んで機嫌をうかがいに参上すること。

例文) 『言継卿記』永禄十年二月十二日条より

祗候之由有之、午時参内、御兩所、岡殿、女中衆、勧修寺一位、予、新宰相中将、睛豊、雅英、橘以繼等、於御湯殿上御盃に参、音曲有之、晩頭退出了、

(書き下し文)
祗候すべしとの由これ有り
午の時に参内。
御両所・岡殿・女中衆・勧修寺一位・予・新宰相中将・睛豊・雅英・橘以継等、御湯殿上に於いて御盃に参る。
音曲
これ有り。
晩頭に退出しおわんぬ

子細・仔細・・・しさい

(意味)
①細かなこと。詳しいこと。巨細委細委曲
②詳しい事情。事のいわれ。理由。所以
③差しつかえとなる事がら。支障。ボトルネック。

 (備考)
例文1) 『顕如上人御書札案留』(元亀四)正月十七日付(武田信玄宛)

抑十二月廿二於遠州濵松表被及一戰、即時徳川敗軍數輩被討捕由、御調略之至不可有比類候、大慶此事候、随而四ヶ國門下之族、可致其働由申越候、聊無如在候、次義景被申越子細有之、先日献一封候き、御報待入候、

(書き下し文)
そも十二月二十二、遠州浜松表に於いて一戦を及ばれ、即時徳川敗軍、数輩討ち取らるるの由、御調略の至り比類有るべからず候。
大慶この事に候。
従って四ヶ国門下の族、その働き致すべきの由、申し越し候。
いささかも如在無く候。
次いで義景(朝倉義景)申し越さる子細これ有り、先日献一封候き。
御報を待ち入り候。

例文2) 『信長公記 首巻』梁田彌次右衛門御忠節之事より

一、去程尓武衞様之臣下尓梁田彌次右エ門とて、一僕の人有、面目巧尓て、知行過分尓取大名になられ候子細ハ、清州に那古野彌五郎とて十六・七若年の人数三百計持たる人あり、

(書き下し文)
去る程に武衛様(斯波義統)の臣下に梁田弥次右衛門とて、一僕の人有り。
面目巧みにて、知行過分に取り、大名になられ候子細は、清州に那古野弥五郎とて十六・七若年の人数三百ばかり持ちたる人あり。

不及子細・・・しさいにおよばず

(上記の意味をふまえた上で)

(意味)
かれこれ事情を申し立てるまでもないこと。
わざわざ沙汰や言及をするに及ばないこと。
もちろんであること。
また、やむを得ないことを意味する。

 (備考)
中世での用例は少ないが、「子細にや及ぶ」とある場合も同じ意となる。
「や」が反語となる。

無子細・・・しさいなし・しさいなく

(意味)
①特に変わった事情はないこと。差しつかえないこと。別儀ないこと。
②面倒がないこと。難しいことではないこと。

非子細・・・しさいあらず

(意味)無子細と同じ意。

子細者・・・しさいもの

(意味)ひとくせある者。

 (備考)
「者」は助詞として「~は」の意味もあるため、誤読に注意。
「其子細者」とある場合、どちらを意味するのか文脈から判断するしかない。

不移時日・・・じじつをうつさず

(意味)すぐさま。即刻。今すぐに。時を移さず。

 (備考)
例文) 『(天正元)十月十二日付織田信長書状(小早川家文書)』

就越州備之儀、御懇示賜候、本望不斜候、仍去合戦朝倉義景・浅井父子生害、数多討果模様、委曲先書申贈候事候、不移時日、勢州一揆等、加成敗平均候、近日可令上洛候条、其節可能音問候、恐々謹言、

(書き下し文)
越州備えの儀に就きて、御懇ろに示し賜り候。
本望斜めならず候。
仍って、去合戦、朝倉義景・浅井父子生害、数多討ち果たすの模様は、委曲先書に申し送り候事に候。
その時日を移さず、勢州一揆等に成敗を加え、平均候。
近日上洛せしむべく候条、その節音問能うべく候。恐々謹言

自署・・・じしょ

(意味)現在の公文書の本文は通常書記官が書くが、その関係者が責任の所在を明らかにするため、自分の実名だけを自筆で書く。
これが自署であって、古文書の世界も同じである。
武家文書では自署に花押(かおう)を多く用いたが、その結果花押の有無が正文(しょうもん)案文(あんもん)を決定するかに説かれる場合がある。
しかしながら、宛所と発給者の関係性や地位の違いにも大きく左右されるため、必ずしもこの判断基準が正しいわけではない。

 (備考)今日でも公文書では自署か自筆で大きな違いがあるのは、こうした流れがあるからであろう。
自署は自分で自分の名前を書くこと。
自筆は自分が書くこと。またはその書類。自書。

地子銭・・・じしせん・ちしせん

(意味)
貸地代。
地代として納入した税のこと。
戦国時代後期になると、大名が商工業者を城下へ集住させる政策がとられ、その特典として地子銭免除の措置がたびたび取られた。

 (備考)
例文) 『遠山豪家文書』年次不詳八月二十日付細川昭元宛行状

城州淀内、小中村左京亮・同小中村九介諸職幷西岡灰方下司小野次郎左衛門分、上野美濃守知行分、但西京内、圓河當知行除之、然者爲替地土河分・慶宗院分、地子銭事申付候ハヽ、如前々可全領知候、更不可有相違候、恐々謹言、

(書き下し文)
城州淀の内、小中村左京亮さきょうのすけ・同じく小中村九介の諸職しょしき、並びに西岡灰方下司の小野次郎左衛門分・上野美濃守知行分。
但し西京の内、円河の当知行これを除く。
然らば替地として土河分・慶宗院分、地子銭の事申し付け候はば、前々せんせんの如く全く領知すべく候。
更に相違有るべからず候。恐々謹言

語訳)山城国淀の小中村左京亮・同じく小中村九介の諸職(跡職)・西岡にしのおか灰方・下司小野次郎左衛門・上野美濃守知行分の地子銭を徴収する権利を認める。ただし、西京のうち、円河の当知行分を除き、かわりの土地として土河分・慶宗院分を与える。これらの権限を、先例の通りに承認することをここに約束する。

支証・・・ししょう

(意味)
物事の事実認定の裏付けとなる証拠。証文(しょうもん)。あかし。

 (備考)
例文) 『今堀日吉神社文書』文亀二年八月十日付伊庭出羽守書状案

就保内横関御服座相論之儀、去四月十四日於嶋郷市、保内商買物當事、従横関押取間、遂糺明候之處、 (闕字)院宣以下帯支證、爲理運上ハ、御服座在々所々市町商買事、如先々不可有相違、若違乱族在之者、一段可處罪科者也、仍状如件、

(書き下し文)
保内と横関御服座相論の儀につきて、去四月十四日に嶋郷市に於いて、保内商買物当の事、横関により押し取るの間、糺明を遂げ候のところ、(闕字)院宣以下支証を帯び、理運たるの上は、御服座在々所々市町商買の事、先々の如く相違有るべからず
もし違乱やからこれ有らば、一段罪科に処すべきものなり。
仍って状くだんの如し

※保内は蒲生郡(現八日市市)内にある得珍保(とくちんのほ)のこと。
略称で保内(ほない)。
この地を開発した比叡山延暦寺の僧である得珍の名にちなんだことが由来である。
この文書が発給された文亀2年(1502)も比叡山延暦寺領であり、保内商人の力が強かった。

※横関(よこぜき)は蒲生郡(現竜王町)にあり、横関市は比叡山延暦寺領であった。
島郷市の呉服本座を巡って横関商人と得珍保商人は寛正4年(1463)からたびたび相論しており、いずれも得珍保商人が勝利している。

※島郷は蒲生郡(現近江八幡市)大島郷(おおしまのごう)のこと。
かつては浜街道上に嶋郷市があり、近江指折りの商業地であった。

次第・・・しだい

(意味)
①上下・前後のならび。順序。
例)「すべからず次第のままに。」

②手続き。いわれ。由来。
例)「かの地は当家祖父が武勲を立て、かくの御判物賜った次第・・・」

③現在の状態。現状。
例)「敵城堅固につき、未だ落居せざるの次第。」

④だんだんと。少しずつそうなるさま。
例)「公方の権勢も次第に衰微せり。」

⑤事のなりゆきに任せること。
例)「美濃の事、成行次第に相任せ候。」

 (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』文正二年正月二十日条より

一、一昨日御靈合戦事、義就・山名入道爲両人沙汰政弘責戦之間、政弘打負退散、不便無極次第也云々、細川・京極入道等、兼ハ可合力之由雖申之、望其期而違反、一向失弓矢之道之由及其沙汰、

(書き下し文)
一昨日の御霊ごりょう合戦の事、義就(畠山義就)・山名入道(山名宗全)両人の沙汰として政弘(畠山政長)を攻め戦うの間、政弘打ち負け退散。
不便極まり無きの次第なりと云々
細川(細川勝元)・京極入道(京極持清)等、かねては合力すべしの由と申すといえども、その期に臨みて違反、一向弓矢の道を失うの由、その沙汰に及ぶ。

例文2) 『(元亀三)十一月二十日付織田信長書状写(真田宝物館所蔵文書)』

敵陣廿日三十日之間ニ可相果之趣ニ付てハ、押詰可被決事尤候、若又来春迄も可続之様ニ候者、先々差赦、被納馬候て、信 上表御行可然候歟、さ候ハバ、従此方信刕伊那郡其外成次第可發向候、遠州者家康与此方加勢之者共、一手ニ備、信玄ニ差向候者、彼是以敗軍案之圖ニ候、

(書き下し文)
敵陣を二十日、三十日の間に相果たすべきの趣きに付きては、押し詰めて決せらるべきの事もっともに候。
もしまた来春までも続くべきの様に候はば、先々差し赦し、納馬せられ候て、信(信濃国)・上(上野国)表御おもておんてだて然るべく候か。
さ候はば、此方より信州伊那郡其の他成り次第に発向すべく候。
遠州は家康(徳川家康)と此方加勢の者ども、一手に備え、信玄(武田信玄)に差し向け候はば、かれこれもって敗軍案の図に候。

語訳:敵陣を20~30日のうちに打ち破れる見通しがあるのであれば、決戦に及ぶのがよろしいでしょう。
もし、来春まで対陣が続くようであるならば、一旦は矛を収めて帰国し、信濃国・上野国を攻撃するのが良いでしょう。
そうすれば、わが軍が信濃国伊那郡、あるいはその他の地方を成り行き次第に攻め入ります。
遠江国は家康と私が派遣した援軍が一手に備え、信玄に対陣するから、四面楚歌となった信玄の敗北は必定です。

関連記事:信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(2)

次第書・・・しだいがき

(意味)
由来、もしくは事情・順序を書いた文書のこと。由緒書。

四大天王・・・しだいてんのう

(意味)
仏典用語のひとつで、世界の中心に聳え立つ須弥山しゅみせんの中腹で仏法を守護するとされる持国天・広目天・増長天・多聞天のこと。
「四天王」ともいう。

 (備考)
頂上は帝釈天の地といわれる。
日本では仏典のほか、起請文の罰文を記す部分に「四大天王」の名が頻繁に見られ、「右の誓約内容を破ると、ここに記した神仏の御罰を蒙るべきものなり」と結ぶことが多い。

例文) 『飯野八幡宮所蔵文書』永禄十二年十一月三日付岩城親隆起請文

  起請文之事、
右、意趣者今度世間就雑意、別而以神名承候、忝本望之至候、於自今已後者、於于親隆も、毛頭不可存別心候、若此儀偽候者、
上ニハ梵天・帝尺・四大天王、下ニハ堅牢地神・熊野三所権現・日光・鹿島大明神・当社八幡大菩薩・摩利支尊天、惣而ハ日本国中大小之神祇、各可蒙御罸者也、仍而如件、

(書き下し文)
  起請文の事
右、意趣はこの度世間の雑意につき、別して神名を以て承り候。
忝く本望の至りに候。
自今以後じこんいごに於いては、親隆(岩城親隆)に於いても、毛頭別心存ずべからず候。
もし、この儀偽りに候はば、
上には梵天・帝尺・四大天王、下には堅牢地神・熊野三所権現・日光・鹿島大明神・当社八幡大菩薩・摩利支尊天、総じては日本国中大小の神祇、おのおの御罰を蒙るべきものなり。
仍ってくだんの如し

悉皆・・・・しっかい

(意味)
①すっかり。まったく。ことごとく。1つ残らず。
②きっと。本当に。
③(下に打消しの語がある場合)全然。まったく。

 (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年九月十八日条より

一、招題寺方三斗八升定器、定番下行、院仕方作手以下悉皆分参向衆用也、昔ハ上下大勢結縁衆参向之間、入分追而沙汰人注進分下行、此ニ三十年ハ大綱此分也、公方御参分ハ朝夕悉皆御後見調進之、見記祿、

(書き下し文)
招提寺方三斗八升(定器)、定番下行、院仕方作手以下悉皆分参向衆用なり。
昔は上下大勢の結縁けちえん衆参向の間、入分追って沙汰人注進分を下行す。
このニ~三十年は大綱かくの分なり。
公方御参分は朝夕悉皆御後見これを調い進らすと記録に見ゆ。

例文2) 『細川両家記』

永禄十丁卯年二月十六日、三好左京大夫殿堺津におゐて三人衆の前を隠忍、北庄材木町木屋へ御宿替候て、同廿六日に又松永方へ御出の由候、悉皆金山駿河守所行の風聞也、

(書き下し文)
永禄十丁卯ひのとう(1567)年二月十六日、三好左京大夫(三好義継)殿堺津において三人衆の前を隠忍。
北庄・材木町・木屋へ御宿を替え候て、同二十六日にまた、松永方へ御いでの由に候。
悉皆、金山駿河守が所行の風聞なり。

十干・・・じっかん

(意味)
古代期に大陸から伝来した思想のひとつで、陰陽道に基づいて形成されたもの。
木・火・土・金・水の五大要素をそれぞれ兄弟(えと=陽と陰)に分けて配合したもの。
すなわち「木兄は甲(きのえ)」・「木弟は乙(きのと)」。
「火兄は丙(ひのえ)」・「火弟は丁(ひのと)」。
「土の兄は戊(つちのえ)」・「土の弟は己(つちのと)」。
「金の兄は庚(かのえ)」・「金の弟は辛(かのと)」。
「水の兄は壬(みずのえ)」・「水の弟は癸(みずのと)」の十をいう。

 (備考)
この十干と十二支を組み合わせたものが「干支」であり、日本ではさまざまな行事や改元を取り決める際に広く用いられた。
参照⇒「五行説(ごぎょうせつ)」の①
戦国時代でも公家や門跡の日記に、日付の後に干支が記される場合が多い。

例文) 『言継卿記』永禄十一年九月十四日条より

十四日、庚申、天晴、
六角入道紹貞城落云云、江州悉焼云々、後藤、長田、進藤、永原、池田、平井、久里七人、敵同心云々、京中邊大騒動也、此方大概之物内侍所へ遣之、

(書き下し)
十四日、庚申(かのえさる・こうしん)、天晴
六角入道承禎の城落ち云云
江州ごうしゅう悉く焼け云々うんぬん
後藤、長田、進藤、永原、池田、平井、久里の七人、敵へ同心云々うんぬん
京中辺り大騒動なり。
こなた大概の物、内侍所ないしどころへこれをる。

入魂・熟根・入懇・熟懇・・・じっこん

(意味)懇意、懇ろなこと。とりわけ親しく付き合うこと。
昵懇と同意。

 (備考)
「じゅこん」・「じゅっこん」ともいう。

「入魂」のくずし方
「入魂」のくずし方

「入」はこのように大きくくずされる傾向にあるが、かろうじて原型をとどめている。
「心」のくずし方に似ているが、「御入魂」は頻出する用語なのである程度推測は可能。
これに続く語はたいてい「専要」「専一」「簡要/肝要」である。

例文1) 『(天正元)十一月四日付武田勝頼書状(甲斐国史)』

「自正綱態預音問候、寔御入魂之至大慶候、」
 (正綱よりわざと音問を預かり候。誠に昵懇の至り大慶に候。)

例文2) 『大野与右衛門氏所蔵文書』「近江蒲生郡志」巻十(所収) (永禄十一)八月二日付織田信長判物写

至当国被移御座、入洛之儀被仰出候之処、則信長可供奉旨候、雖然江州依難叶通路、来ル五日先於彼国可進発候、先々任請状旨、信長令入魂、此刻各抽忠節者、可為神妙候、

(書き下し文)
当国に至りて御座を移され、入洛の儀を仰せ出され候のところ、則ち信長に供奉ぐぶすべきの旨に候。
然りといえども、江州の通路叶い難きにより、来たる五日、まずかの国に於いて進発すべく候。
先々の請状の旨に任せ、信長に入魂せしめ、このきざみ、各々忠節を抜きんでば、神妙たるべく候。

実正・・・じっしょう

(意味)
まちがいのないこと。偽りのないこと。確かな情報。真実。

例文) 『慶光院文書』永禄十年三月十七日付内宮門屋館田地売券

 永代売渡候田地之事、
  合八斗
十合、 在所者二日市は也
右田地者、依急用有、現銭四貫五百文に売渡申處実正明白也、若天下大法の徳政・地をこし行候共、一言之違乱煩申者有間敷候者也、為其本文證まいらせ候、
仍後日為脱カ状如件、

(書き下し文)
 永代売り渡し候田地の事
  合わせて八斗(十合)、 在所者(二日市は也)
右、田地は急用有るによりて、現銭四貫五百文に売り渡し申すところ実正明白なり。
もし天下大法の徳政・地起こし行われ候とも、一言の違乱煩いを申すは有る間敷じき候ものなり。
そのため、本文証をまいらせ候。
仍って後日のために状くだんの如し

※ルビは『三重県史』近世1によるもの。

執政・・・しっせい

(意味)
①政務を執ること。またその職・人。摂政・関白の称。
②参議以下の称。

江戸期には老中や家老のことを執政と呼ぶことがあった。

 (備考)
「執す(しっす)」は執心。専心。深く心がけることを意味する語。
そこから「執奏」や「執達」などの用語が生まれた。

実説・・・じっせつ

(意味)
本当の説。確かな話。
⇔虚説。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』文明十一年十一月三日条より

河内勢可有發向之由、爲實說者且如何、十市ハ止合戦引籠山内了、筒井ハ福住引籠、内者共不合期不和也云々、

(書き下し文)
河内勢(畠山義就の手勢)発向有るべきの由、実説たるは且つ如何、十市は合戦を止め山内に引き籠りおわんぬ
筒井は福住に引き籠り、内者ども不和・不合期なりと云々

執奏・・・しっそう

(意味)
下の意を取り次いで、天皇などに申し上げる(奏上する)こと。伝奏

 (備考)
例文) 『(元亀三)七月二十六日付武田信玄書状(延暦寺文書)』

慈光坊不図下向、就之拙僧極官之事、勅許被仰調之由、自門主披露御書候、誠冥伽之至候、殊三緒之袈裟被下候、令頂戴候、愚存之旨、以条目申候、冝預執奏候、随御腰物正広進上候、悉皆御指南可為本望候、恐々謹言、

(書き下し文)
慈光坊ふと下向。
これに就きて、拙僧極官の事、勅許を調え仰がるの由、門主(覚恕カ)より御書を披露し候。
誠に冥伽の至りに候。
殊に三緒の袈裟を下され候。
頂戴せしめ候。
愚存の旨、条目を以て申し候。
冝しく執奏に預かり候。
従って御腰物(正広)を進上し候。
悉皆御指南本望たるべく候。恐々謹言

執達如件・・・しったつくだんのごとし

「執達」は上意を受けて、下に伝達すること。
「件(くだん)」は「くだり」の撥音便である。
前文にあげた事がらを、上意により下に通達するという意味。
「仍執達如件(よってしったつくだんのごとし)」は「以上が誰々様からのお達しである」となる。

 (備考)
鎌倉時代以降に広く用いられた書留文言のひとつである。
関連記事:戦国時代の書簡を出す際のルールと専門用語を解説します

例文1) 『長福寺文書』元亀三年四月日付織田信長条書

右聊以不可有相違者也、仍執達如件
 (右、いささか以て相違有るべからざるものなり。仍って執達くだんの如し。)

例文2) 『石清水文書』元亀二年九月二十七日付織田信長書状

石清水八幡宮領狭山郷之事、御牧雖令違乱、為神領上者、徐其妨、如前々領知不可有相違、仍執達如件

(書き下し文)
石清水八幡宮領狭山さやま郷の事、御牧みまき(御牧摂津守)違乱せしむるといえども、神領たるの上は、その妨げを除き、前々せんせんの如くに、領知相違有るべからず。仍って執達くだんの如し

例文3) 『勧修寺文書』天正元年十一月七日付正親町天皇綸旨

宜奉祈天下泰平・國家安全、寶祚長久者、天氣如此、仍執達如件
    天正元年十一月七日      左少辯(花押)

(書き下し文)
宜しく祈り奉る。
天下泰平・国家安全、宝祚長久。

てえれば天気かくの如し
仍って執達くだんの如し
    天正元年(1573)十一月七日      左少弁(中御門宜教)(花押)

鹿垣・・・ししがき

(意味)
竹や木の枝であらくんだ防柵の一種。
鹿垣を巡らし敵の突撃を防いだ。
戦国時代は戦いの道具として竹を頻繁に用いたことから、領主が竹の流通に規制をかけたり、寺社領の竹木伐採を禁止する旨の制札禁制)が数多く出されている。

 (備考)
例文) 『信長公記 巻三』あね川合戦之事より

夫より佐和山之城磯野丹波守楯籠相抱候へき、直尓信長公七月朔日、佐和山へ御馬を寄られ、取詰鹿垣結せられ、東百々屋敷御取出被仰付・・・

(書き下し文)
それより佐和山の城磯野丹波守(磯野員昌)立て籠り相抱え候へき。
直に信長公七月一日、佐和山へ御馬を寄せられ、取り詰めて鹿垣を結せられ、東の百々屋敷に御砦を仰せ付けられ・・・

治定・・・じじょう・ちてい

(意味)安定すること。落ち着くこと。
または決定すること。

 (備考)
例文)

「今出川殿山門ニ御座歟由風聞云々、烏丸中納言被追御陣、於門前被仰付武田可被沙汰之由、治定之間、以内者計略相語細川而、數百人迎取之了、珍事様也云々、」
 (今出川殿(足利義視)、山門(比叡山延暦寺)に御座の由かの風聞とうんぬん。烏丸中納言の御陣を追われ、門前に於いて武田に仰せ付けられ、沙汰せらるべきの由、治定の間、内者を以て計略、細川と相語らいて、数百人これを取り迎えおわんぬ。珍事の事なりとうんぬん。)
   『大乗院寺社雑事記(応仁二年十一月二十一日条より抜粋)』

尻付・・・しづけ・しりづけ

(意味)新任の官人の官位・生命の下に年齢や官歴などの詳細を小さく記すこと。

 (備考)
イメージとして、このような記され方をしている。『公卿補任』正親町院・治二十九年(天正五年項より)

『国史大系,第十巻,公卿補任中編』正親町院・治二十九年(天正五年項より)国立国会図書館デジタルコレクション

『国史大系,第十巻,公卿補任中編』正親町院・治二十九年(天正五年項より)国立国会図書館デジタルコレクション

日来・・・じつらい・にちらい

(意味)日来(にちらい)の項を参照のこと。
ひごろ」と同じ意。

祠堂銭・・・しどうせん

(意味)
祠堂とは死者の霊をまつる所。位牌をまつる堂のこと。
祠堂銭は寺が運営する低金利の貸金のことである。
元は死者の菩提を弔うなどの目的で、寺へ寄進された銭を差した。
低金利のため、徳政令の対象からは外れることもあった。

 (備考)
貸付利子が月二文子にもんしとは2%の利息という意味である。
「祠堂物」や「祠堂米」は銭を米に代えたもの。

例文) 『永源寺文書』享禄四年十二月二日付六角氏奉行人連署奉書

雖為国中徳政、当山祠堂銭之事者、任大法不可有棄破之条、其段可被存知之由被仰出候也、仍執達如件、

(書き下し文)
国中徳政たるといえども、当山祠堂銭の事は、大法に任せ棄破有るべからざるの条、その段存ぜらるべきの由を仰せ出され候。仍って執達くだんの如し

自然・・・じねん・しぜん

(意味)
①おのずから。自らそうなること。ひとりでに。自ずから然らしむこと。
②仏界用語として、人為を超えた法の本性としてそうなること。
③万一、もしも。またはもしものことが実際に起きたこと。

 (備考)
一説によると、仏典では「じねん」と発音されたが、古代の漢籍では「しぜん」と発音していた。
中世に入ると「もしも」の意でも使われはじめたとある。
中世の古文書では、以下のように用いられることが多い。

「自然菟角之族在之者、右之通可申達候、」
 (自然とかくの輩これ在らば、右の通りに申し達すべく候。)

例文) 『大乗院寺社雑事記』明応四年十二月十二日条より

一、多氣入道殿方書札遣之、國方自然物忩事無之様ニ申遣之、明春早々可申合旨也、
 (多気入道(北畠政郷)殿方へ書札を遣す。国方自然物騒な事無きのように、これを遣わし申す。明春早々に申し合すべきの旨なり。)

紙背文書・・・しはいもんじょ

(意味)
古文書用語のひとつ。
不要となった料紙の裏を再利用し、日記や記録・経文・典籍などを書き記した文書のこと。
裏文書(うらもんじょ)」といわれる場合もある。

(備考)
古代から中世にかけて、料紙は高価で貴重なものであった。
書き手にとっては不要となった料紙となるが、のちの世の我々にとっては思わぬ発見ができる可能性がある。
再利用される文書は、すでにその機能を果たし終えた証書の類である場合も多い。

四方拝・・・しほうはい

(意味)
陰暦の一月一日に行われた宮廷の行事。
天皇が寅の刻に束帯を付け、清涼殿の東庭にお出ましになり、属星ぞくしょう・天地四方・山陵を拝し、五穀豊穣と天下太平を祈った。

明治期以降は神嘉殿の南座にお出ましになり、皇大神宮・豊受大神宮など四方の神霊を拝し祈る儀式に改まった。

子母銭・・・しぼせん

(意味)
貸し付けた金利。元利金のこと。
子銭(しせん)と同じ。

 (備考)
語源は漢書『捜神記そうじんき』の一節「青蚨(せいふ)の、母と子の血を銭に塗る」という故事から。
日本において、もとは銭の異称として用いられていたが、中世後期では元利金を指すことが多い。

例文) 『蔭涼軒日録』文正元年閏二月七日条より

池田一月之子母銭、是千貫文、然則一年一万二千貫文也、一年中米子収一万石云、

(書き下し文)
池田(池田充政)一月ひとつき子母銭、これ千貫文。
然らば則ち一年で一万二千貫文なり。
一年中米子の収め一万石と云う。

語訳)摂津の池田充政は、他者へ融資した金の金利が、ひと月あたり1000貫文にのぼる。1年で換算すると1万2000貫文である。1年中米子の収入が1万石と云う。

令・・・しむ・しめ・しむる・しむれ・せしむ・いいつけ・をさ・れい・りょう

(意味)
①使役。他に動作をさせる時に用いる語。
「~させる。」「~しなさい。」
例)
「冝可申給候、(よろしくもうさしめたもうべくそうろう。)」
「堅停止訖、(かたくちょうじせしめおわんぬ。)」

②(他の尊敬語や謙譲語とともに用いて)尊敬・謙譲の意をあらわす。
「お~になる。」
例)
「御書拝被候、(ごしょはいひせしめそうろう。)」
「態啓達候、(わざとけいたつせしめそうろう。)」
「願文奉候、(がんもんたてまつらしめそうろう。)」

 (備考)
古代期はもっぱら①の意味のみで用いられ、平安時代より使役のほかに尊敬に、平安末期以降に謙譲の意味としても用いられた。
戦国時代の史料では②の意味で用いられることが多いか。

例文1) 『(天文九)九月二十七日付後奈良天皇綸旨(上杉家文書)』

敵追討事、被聞食了、早可任所存旨、可下知平晴景給者、依天気言上如件、

(書き下し文)
敵追討の事、聞こしめされおわんぬ
早く所存に任すべきの旨、平晴景(長尾晴景)に下知せしめ給うべし。
てえれば、天気により言上くだんの如し

例文2) 『曼陀羅寺文書』天正元年十一月日付織田信忠禁制

   禁制      曼陀羅寺
 
(中略)

一、祠堂買徳寄進田地違乱事、

 祠堂(しどう)買得・寄進・田地を違乱せしむるの事。)

例文3) 『牧田茂兵衛氏所蔵文書』『尾張国遺存織田信長史料写真集』(元亀二)五月十六日付織田信長書状

就当表之儀示給候、本望之至候、彼一揆原所々籠楯之間、可攻死之処、種々依侘言赦免候、就中其方人数之㕝承候、御懇慮之趣、不少候、

(書き下し文)
当家の儀に就きて示し給い候。
本望の至りに候。
かの一揆原(ばら)所々に立て籠もるの間、攻め殺すべきの処、種々しゅじゅ詫言せしむるによりて赦免せしめ候。
なかんずく其方の人数の事承り候。
御懇慮の趣き、少なからず候。

癪・・・しゃく

(意味)
①いろいろな病気により、胸部または腹部におこる激痛の総称。
胃痙攣の類。さしこみ。
②しゃくにさわる言葉。または物事。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応四年正月初頭記事見出しより

一、赤松病之間、去月ヨリ美作之湯ニ罷入、近日自害之由申、
 (赤松(赤松政則カ)病の間、去月より美作の湯に罷り入る。近日自害の由と申す。)

朱印状・・・しゅいんじょう

(意味)権力者が花押の代わりに朱印を捺した公的な文書のこと。
朱印で捺したものを朱印状、黒印で捺したものを黒印状。
これらを印判状(いんばんじょう)と呼んだ。

判物と印判状のちがい

判物と印判状のちがい

朱印銭・・・しゅいんせん

(意味)朱印状をもらいうけるのに、発給者へその対価を払うべき金銭のこと。

重説・・・じゅうせつ

(意味)何度も説明すること

 (備考)
「委細不能重説候、」
委細、重説にあたわず候。(詳細は使者が直接申し述べますので、書状には書きません)など古文書では頻繁に登場する表現である。

「重説」のくずし方と用例
「重説」のくずし方と用例

「説」のごんべんは、これが典型的なくずし方。
旁の部分もこれが基本のくずしである。
文脈が理解できているのであれば、推測で読むことも十分可能である。

愁訴・・・しゅうそ

(意味)つらい事情を明かして嘆き訴えること。陳情、誓願。

祝着・祝著・・・しゅうちゃく

(意味)喜ばしいこと

 (備考)元来の「着」は大陸では「著」と読まれており、日本では戦国期あたりから「著」の当て字として「着」が浸透していった。

宿・・・しゅく

(意味)
旅宿をおもな機能として成立した交通上の集落。
鎌倉期以降、町場として発展。

室町・戦国期には、戦国大名が宿に種々の特権を与え、本宿に対して、盛んに新宿を設定し、その育成を図った。

 (備考)
(関連)「駅(えき)」。

本項のおもな参考文献:『角川日本地名大辞典(角川書店)』

守護使・・・しゅごし

(意味)守護から遣わされた臨時の使。
検断段銭(反銭)の徴収が主な役割だった。

 (備考)権力者からの判物でよく登場する「守護使不入(しゅごしふにゅう)」は、そうしたものの入部を禁じる特権を与えたもの。
室町時代は幕府と近しい有力社寺・公家衆・幕府奉公衆等がその対象に選ばれるケースが多かったが、戦国時代末期ごろには大名の被官や領内の社寺へと範囲が拡大した。

守護請・・・しゅごうけ

(意味)
室町時代、守護が荘園国衙領(こくがりょう)の年貢を請け負う制度のこと。
作物の豊凶に関係なく毎年一定額の年貢を納めることを条件に、支配管理の一切が請負者に任せられた。
守護請所。請所ともいう。

守護代・・・しゅごだい

(意味)
守護代官のこと。
室町時代、京都などの畿内にいることの多かった守護大名に代わり、信頼の厚い譜代家臣や一族が任国へ赴き、職務を代行・補佐を行った。

入魂・・・じゅこん

(意味)「入魂(じっこん)」の項を参照のこと。

衆中・・・しゅちゅう

(意味)「衆徒(しゅと)」の項を参照のこと。

衆徒・・・しゅと・しゅうと

(意味)寺社を軍事的に防衛する下級僧侶のこと。
特に奈良興福寺や、その末寺(大乗院や一乗院など)を守備する者を指すことが多い。
学侶と行人ぎょうにんの中間の身分。
衆中(しゅちゅう)と同意。

(備考)
元来の意味は大寺院で学問や修行、寺務に励む僧侶身分を指した。

遵行・・・じゅんこう

(意味)幕府が下した判決に従い、具体的な執行処置を命じること。
またはその意を受けて守護や守護代が守護使を派遣して職務を執行すること。

遵行状・・・じゅんこうじょう

(意味)
遵行を命じる引付奉書・御教書(みぎょうしょ)を受け取った守護・守護代が、上意を取次ぐ旨の伝達命令を出す書状のこと。

 (備考)
将軍の命を受けて執事または管領が出す施行状や引付奉書を、各国の守護が守護代守護使に下達するために出した文書のこと。

自余(自餘)・而余(爾余)・・・じよ

(意味)それ以外、そのほか

 (備考)判物の類によく登場する「自余に混せず」は、それとは別として取り扱うといった意味となることが多い。

上意・・・じょうい

(意味)
主君の思し召し。お考え。
または命令を意味する。

 (備考)
「上意討ち」は主君の命により罪人を討つこと。
古語辞書に無い場合は「じゃうい」で調べてみよう。

「上意」のくずし方と用例

「上意」のくずし方と用例

「意」が独特で原型を留めていない場合が多い。
「意」に限らず、したごころが付く漢字はこのような「走」に似たくずし方が多い。
頻出する用語のため、覚えておいた方が便利である。

荘園・・・しょうえん

(意味)
奈良時代から室町時代にかけて存続した皇族・貴族・社寺が領有した土地。
もとは朝廷から賜ったもので、朝廷が耕地開発を大々的に推進したことで規模が拡大した。

史料の上でおよそ5,000の荘が知られる。

 (備考)
律令制の土地制度が崩れ始めると、各地に私的な所有地が成立した。
その所有者が、中央の貴族・寺社である場合、その所有者は、地名を冠して何々荘と呼んだ。

8世紀ごろから始まり、16世紀の太閤検地で廃止された。

生害・生涯・・・しょうがい

(意味)
自殺すること。自害。
または殺害することを指す。

 (備考) 『信長公記』巻六より

去程ニ京都静原山尓楯籠御敵 山本對馬 明智十兵衛 調略を以て生害させ、頸を北伊勢 東別所まて持來進上爲御敵者悉属・・・

(書き下し文)
去るほどに京都静原山に立て籠もる御敵・山本対馬、明智十兵衛(明智光秀)が調略を以て生害させ、首を北伊勢の東別府まで持ち来たり、進上と為し、御敵は悉く属し・・・

賞翫・・・しょうがん

(意味)手厚くもてなすこと、丁重に扱うこと。
または贈られたものを珍重して食べること。

状如件・・・じょうくだんのごとし

(意味)書留文言(かきとめもんごん)の一つで「この件は以上の通りである」の意。
制札や目下の者に対してよく用いられるいわば決まり文句。
「如」が返読文字になっているので、語順が異なる。
同じような意味で「仍如件(よってくだんのごとし)」、「仍(よって)執達如件(しったつくだんのごとし)」などがある。

上卿・・・しょうけい

(意味)朝廷で太政官の行う行事・会議などを指揮する公卿のこと。
またはそうした会合が開かれた際、長として臨時に呼ばれた者。
大臣・大納言・中納言の中から選ばれた。

 (備考)
天皇の意を汲んだ蔵人頭くろうどのとうが発給する綸旨などは、上卿を通さず比較的簡単な手続きで運用できたことから、後醍醐天皇期以降、天皇の意図を伝える常套手段となっていった。

小験・・・しょうけん・しょうげん

(意味)
少しだけ効果があること。

 (備考)
例文) 『言継卿記』永禄十一年正月五日条より

勧修寺使有之、昨日之藥にて小験云々、藥之事被申、叉七服遣之、

(書き下し文)
勧修寺(勧修寺晴秀)の使これ有り。
昨日の薬にて小験云々
薬の事を被さる。
また七服これを遣す。

笑止・咲止・・・しょうし

(意味)
①気の毒なこと。

②困ったこと。

③笑うべきこと。おかしいこと。

 (備考)
古くは「勝事(しょうし)」で珍しいの意か。
一説に「笑いも止まる」の意。

例文) 『多聞院日記』永禄十年七月八日条より

古市方多聞山へ裏歸了、發心院へ新發意儀付、從三人衆申事在之、咲止々々

(書き下し文)
古市方が多聞山(松永久秀)へ裏返り おわんぬ
発心院へ新たに発意の儀に付き、三人衆(三好長逸・三好宗渭・石成友通)より申す事これ在り。笑止笑止

尚侍・・・しょうじ

(意味)「尚侍(ないしのかみ)」の項を参照のこと。

上巳・・・じょうし・じょうみ

(意味)
節句の一つ。
三月初めの巳(み)の日に行われる祝日のこと。
平安時代の貴族は、禊祓(みそぎばらえ)を行い、中国の例をならって曲水の宴を張った。

のちに陰暦の三月三日のことを指すようになり、おもに民間では、女子の祝日としてひな祭りを行った。=桃節句(もものせっく)・重三(ちょうさん)

承仕・・・じょうじ・しょうじ

(意味)
①僧の役名。
堂舎・仏具の管理、法事の雑用などにあたる。
禅寺では鐘をつく役目をいう。

②剃髪して仙洞・摂家もしくは寺院などの雑役をつとめた者。承仕法師。

③室町幕府の職名で、殿中の装飾などをつかさどった僧形の者。

消息・・・しょうそく・しょうそこ

(意味)
①手紙。便り。文通のこと。

②訪れること。または来意を告げること。

 (備考)
歴史的仮名遣いで「セウソク」・「セウソコ」と記す。
「消」は死を、「息」は生を意味し、安否を差す。

『新選古語辞典(1984)中田祝男編』によると、古代期の日本には単独の子音は存在しなかったので、子音kで終わる漢字音は、普通キの形で国語化されたが、まれに大徳(ダイトコ)のようにコとなるものもある。セウソコもその例。
中古の仮名資料ではセウソコの形が多く、セウソクの形は少ない。
とある。

なお、「消息宣下」とは陣儀を招集せずに上卿以下が在宅のまま手紙の遣り取りによって持ち回り形式で宣下するもの。
つまり、太政官や院庁が発する公式な命令を消息(手紙)形式の文書で行う略式の手続きを取る。
鎌倉時代以降、陣儀での宣下は親王宣下や摂関等の高官に限られるようになり、それ以下の職は消息宣下による命令交付が主流となった。

無正躰(正体無)・・・しょうたいなく・しょうたいなし

(意味)
①難渋する
②気を取り乱す。錯乱する。
③実体がないこと。頼りにならないこと。役に立たないこと。

 (備考)

例文)「随而江北敵城之儀、弥無正躰候、然者、押之諸城ニ番勢淘々与入置候、」
 (従って江北敵城の儀、いよいよ正体無く候。然らば、押しの諸城に番勢よなよなと入れ置き候。)
   『十月五日付(元亀三)織田信長書状(個人所蔵)』

抄物・・・しょうもの・しょうもつ・しょうもち

(意味)
①室町時代、僧侶や学者などによって書かれた仏典・漢詩文などの漢字仮名交じりの注釈書。抜き書き。
国文体の議事録のこと。

②心おぼえ。速記などのための記録書。略書。
漢字の画を省略して写したものを「抄物書き」と呼ぶ。

抄物書きの例

 (備考)
「抄」は抜き書き・聞き書き・国語訳・仮名書き・注釈などの意。
五山の禅僧や朝廷の明経博士などが講じた仏書・漢籍・国書の聞書。
臨済録抄・論語抄・毛詩抄・史記抄・日本書紀抄などがそれにあたる。
特に中世期の口語を知る上で重要な資料である。
しかしながら、この類の抄物は京都・奈良中心のものばかりであることを留意する必要がある。

正文・・・しょうもん

(意味)正式の文書、宛所に出された文書のこと。

 (備考)コピーされた正文のうち、文書に本質的な効力があるものを「あん」・「案文(あんもん)」と呼ぶ。
効力がないものは「写(うつし)」である。
これに対して下書を「土代どだい」・「そう草案)」と呼ぶ。

触穢・・・しょくえ・そくえ

(意味)人の死や出産、月経などの不浄に接触・接近すること。
清浄な身に戻るまでは神事や法務などに携わることを忌む習慣があった。
穢気

 (備考)
例文)
「一、寺務事昨夜印鎰奉納也、仍當職事東門院ニ治定、然而昨日自學侶以事書申上云、権別當事只今触穢也、寺務宣下事不可叶云々、東北院幷両門跡再任事、可被仰出之由云々、此申状不得其意者也、触穢例在之上者務無益申状也、」
 (一、寺務の事昨夜印鎰(いんやく)奉納なり。仍って当職の事、東門院に治定。然して昨日学侶より事書き申し上ぐると言い、権別当(興福寺権別当職)の事、ただ今触穢なり。寺務宣下の事叶うべからずとうんぬん。東北院ならびに両門跡が再任の事、仰せらるべきの由とうんぬん。この申し状その意を得ざるものなり。触穢例にこれ有る上は、務む無益な申し状なり。)

   『大乗院寺社雑事記(応仁元年五月五日条より抜粋)』

諸公事・・・しょくじ

(意味)対象となるさまざまの「公事(くじ)」。
すなわち年貢以外の金品や業務をひとまとめにしていう語。

如才・如在・・・じょさい

(意味)形ばかりでいい加減にすること。なおざりにすること。手抜かり。気を使わないために生じた手落ちがあること

 (備考)この字の後に否定の語が続くことが多い。
無如在(如在無く)・無疎意(疎意無く)・無等閑(等閑無く)
これらは先方を疎略には扱わない、今後とも昵懇に願う旨の意味である。

「間敷」のくずし方
「如在」のくずし方

「如」のくずしはほぼ「女」と同じである。
「在」は原型をとどめないくずし方が一般的だ。

如在申間敷旨候間、
 (如才申すまじき旨に候間、)
   =口ごたえを申してはいけないという旨なので、

書札礼・・・しょさつれい

(意味)書札(書状)をはじめ、院宣いんぜん綸旨(りんじ)令旨(りょうじ)御教書(みぎょうしょ)などの広く書札様しょさつよう文書を作成するのに際して、守らねばならない儀礼(書札)と故実をいい、また、そのことについて述べた書物も書札礼と呼ぶ。

 (備考)
公式令くしきりょうには、詔書(しょうしょ)・勅旨(ちょくし)などの公式様文書の書式と、平出(へいしゅつ)・闕字(けつじ)・印制・文字など文書作成に関する諸規定がみられる。
これらの公文書に対して、私文書たる書札は、奈良時代にはけいじょうといわれ、これは中国の六朝以来の私信としての系譜を汲んでいる。
当初は鷹揚な決まりであったが、平安時代末期に藤原(中山)忠親の著わした『貴嶺問答きれいもんどう』(群書類従 消息部)あたりからしだいに厳格なものとなっていった。

中でも鎌倉時代になると『書札礼付故事』(群書類従 消息部)や『弘安礼節こうあんれいせつ』(同雑部)が撰定されると、大臣・大納言・中納言・参議・蔵人頭くろうどのとう以下それぞれの在任者が、他の官職を有する相手に書札を出すとき守るべき書札を述べたもので、勅撰という権威のもとに、のちの世へまで長く続く書札礼の基準となった。

所職・・・しょしき・しょしょく

(意味)
朝廷や武家・社寺等の組織内において、任ぜられた職務・職責のこと。
またはそれによって得られるさまざまな特権。得分権のこと。

 (備考)
中世に入ると、そうした所職そのものも売買の対象となり、土地と権利関係のややこしさに拍車がかかった。

書状・・・しょじょう

広義でいう手紙のこと。
用件・意志・感情などを書き記して相手方に伝える私的な文書のこと。
他に書簡・書翰(しょかん)・書札(しょさつ)・尺牘せきとく・消息(しょうそく・しょうそこ)・消息文などと呼ばれる。
これらのうち、漢文体のものを尺牘といい、仮名書きのものを消息ということが多い。
わが国では時代が進むにつれて「はべり」・「たもう」などの言葉を交えた和風漢文体が普及し始め、さらに平安時代末期頃までには「そうろう」を用いた文体が成立。
また、書留文言(かきとめもんごん)も「恐々謹言(きょうきょうきんげん)」などに規格化され、しだいにその区別は薄れていった。

 (備考)
戦国時代に入ると書札形式は複雑化しており、一見すると書状なのか書下(かきくだし)なのか区別できないことが増えてきた。
多くは前述したように私的な文書かそうでない文書かで大別する。
そこで、年紀(付年合(つけねんごう)・干支を含む)がはじめから付されているか否か、実名(自署)だけか、それに花押(かおう)・印章を加えているかどうかが一つの基準とされているが、これも必ずしも絶対的なものではない。
参考:『花押・印章図典(吉川弘文館)』・『史料を読み解く1 中世文書の流れ(山川出版社)』など

書状案・・・しょじょうあん

(意味)書状の下書き、あるいは控え。案書あんしょ案文(あんもん)ともいう。
正確には「正文(しょうもん)」のコピーのうちで、効力のあるものを指す。

 (備考)案文は法令・命令布達のために大量に作成される場合、訴訟の証拠文書としてコピーを提出される場合、所領を分割する際、その土地の権利関係文書のコピーといった重要な文書の場合に作成される場合が多い。
一方、正文のコピーで、効力の無いものは「うつし」である。

参考『史料を読み解く1 中世文書の流れ(山川出版社)』・『花押・印章図典(吉川弘文館)』

所詮・・・しょせん

(意味)
結果として行きつくところ。結局。要するに。いわゆる。

「所詮なし」で仕方がない。どうしようもないことを意味する。

あとに命令・意図を表す語が続く場合は、こうなったからには。~ではやむを得ないことを意味することが多い。
所詮~~致すべし」・「所詮~~させ給え」

 (備考)
例文1) 『専福寺文書』『美濃国史料』(元亀三)七月十三日織田信長朱印状

今度対天下、本願寺企遠(造カ)意次第、前代未聞、無是非候、所詮分国中門下之者、大坂へ可令停止出入、然者代坊主之儀、先可立置候、脇々寺内来十五日限て可引払、両条共以違背之族在之者、可為成敗之状如件、

(書き下し文)
この度天下に対し、本願寺造意を企つるの次第、前代未聞、是非無く候。
所詮分国中の門下の者、大坂へ出入りを停止せしむべし。
然らば、代坊主の儀、まず立て置くべく候。
脇々の寺内は来たる十五日を限りて引き払うべし。
両条ともに以て違背のこれあらば、成敗たるべきの状くだんの如し

※代坊主(だいぼうず)は代理責任者となる坊主のこと。

「所詮」のくずし方

「所詮」のくずし方

「所」は現在の「取」に似たくずし方が一般的。
「詮」は「除」に似たくずしが多いが、よく見るとごんべんの基本的なくずし方をしている。

所存外・・・しょぞんのほか

(意味)
「所存」は心中に思うところ。考え。見込み。つもりを表す。
これが外れたり、残念に思うことを指す。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年九月十七日条より

一、宇治郡事、古市知行必定、今日叉代官共入之云々、於越智方者所存外事也、

(書き下し文)
宇治郡の事、古市の知行必定
今日また代官共これ入ると云々
越智方の者に於いては所存の外の事なり。

所当・・・しょとう

(意味)
①官に納める割り当てられたもの。
おもに米以外を物品を指した。賦税。

②相当すること。当を得たこと。
適当。

署判・・・しょはん

(意味)元来は花押(かおう)と同一の意味を持っていたが、時代が進歩するにつれて次第に異なるものとなった。
判は花押のことであるが、署名という点で微妙な差異がある。
署名は自署(じしょ)に限る。(姓は無関係)
自署は自分で自分の名前を書くこと。
自筆は自分が書くこと。またはその書類。自書。

奈良時代は自署を楷書体で書く習わしであったが、次第に行書から草書へ、草書から完全なる花押へと変化していった。
しかし、鎌倉時代中期の版刻花押の出現によって、花押と印章の判別困難な文書が現れはじめ、中世末期には代筆による花押のほかに、花押の外郭を線刻してそれを捺し、外郭線内部を墨をうずめて代用花押とする花押衰退期を迎えた。
これが進むと署判よりも印判(印章)が優先する近世に入り、署名押印様式の現在に至った。

 (備考)年月日の記した部分の下に書く場合は日下(にっか・ひのした)の署判と称し、年月日の次行の上部に書く奥上署判(おくうえしょはん)、年月日の次行の下部に書く奥下署判(おくしたしょはん)、文書の右端の余白(袖)に花押のみを書く袖判(そではん)などがある。
こうした微妙な違いは、書札礼(しょさつれい)によって決められている。
奥上署判の文書は、日下署判・袖判の文書に比べて厚礼なものであって、社寺宛の文書などにみられた。

さらに、室町幕府奉行人の奉書は、堅紙(たてがみ)と折紙(おりがみ)の二つがあるが、本奉行・合奉行あいぶぎょうの連署の複数の署判が多い。
堅紙奉行は官名・受領名(ずりょうめい)を書いた官途書(かんとがき)であり、折紙は実名(じつみょう)書きである。
折紙は略式署判を意味する。
この微妙な違いは、連署による地位の上下は奥(文書の左方)を尊ぶ思想から前後を決めるが、孔子くじ次第は次第不同様式として南北朝以降に行われ、さらにはつぶら連判・からかさ連判などが中世後期から近世にかけて行われた。
※本項の大部分は 瀬野精一郎(2018)『花押・印章図典』吉川弘文館 から抜粋

諸法・・・しょほう

(意味)
仏界用語の1つ。
この世に存在するあらゆるもの。万物。

 (備考)
「諸法実相(しょほうじっそう)」は、いっさいの諸法が、そのまま真実の姿であるということ。
もとはサンスクリット語の「dharmatā(ダルマター)」などを漢訳したもの。
大乗仏教の思想で中国に伝わった後、中国の天台宗を通じて日本にも伝来したものと思われる。

般若経法華経を原義とする各宗派で取り入れられているものの、その解釈はさまざまである。

所務・・・しょむ

(意味)
職務に伴う権利や義務。役目。勤めのこと。
中世には年貢の徴収と田地等の管理、また年貢そのものを指した。
「所務沙汰」とはおもに所領や年貢に関する訴訟を、「所務分(しょむわけ)」は遺産分配、かたみわけを意味することが多い。

 (備考)
もとは職務。役目。勤めのことを指したが、中世に入ると拡大的に解釈され、荘園における年貢の徴収や管理などの事務を意味するようになる。
さらに、荘園以外の所領における事務そのものを指すようになった。

「所務雑掌」・「公事雑掌」などは同じような意味で用いられることが多い。

諸役・・・しょやく

(意味)いろいろな役目、課役、雑税のこと。

 (備考)棟別銭段銭を指す場合も多い。
戦国時代では大名が発給する判物の類に「諸役を免許(免除)する」とした内容が多く存在する。
この場合、年貢以外のさまざまな雑税を賦課しないという意味で用いられることが多い。

例文) 『(元亀四)四月二十八日付明智光秀書状(渡文書)』

今度一乱之刻、当津未落居之処、前後相詰、気遣之段忠節候、仍屋地子、諸役、万雑公事令免除状如件、

(書き下し文)
このたび一乱の刻み、当津未だ落居せざるのところ、前後を相詰め、気遣いの段忠節に候。
仍って屋地子(やじし)・諸役・よろず雑公事免除せしむるの状くだんの如し

語訳)このたびの戦いの際、当津(近江堅田か坂本付近の港か)が陥落しないようによく守ってくれた忠節を賞し、賦課した地代や諸役、その他の雑役を免除する。

所労・・・しょろう

(意味)
病気。わずらい。

 (備考)
例文) 『言継卿記』永禄十一年正月二十五日条より

今日午時、三條中納言實福卿被薨云々、近日所勞廿三才也、不可說々々々、

(書き下し文)
今日午の時、三條中納言実福卿(正親町三条実福)薨(こう)せられ云々
近日に所労(二十三才なり)。
不可説不可説。

新儀・・・しんぎ

(意味)
新しい方法や決まりのこと。
これまでの例と比較する際や、旧例を覆して新たな定を規定する際によく用いられる。
新規と同じ意。

 (備考)
例文) 『(永禄六)十一月日付織田信長判物(真田宝物館所蔵文書)』

新儀諸役幷持分、買徳方、誰々欠所判形雖有出事、任当知行、不混自餘、不可有相違者也、仍状如件、

(書き下し文)
新儀諸役並びに持分買得方、誰々欠所判形を出すことありといえども当知行に任せて自余に混せず、相違あるべからざるものなり
仍って状くだんの如し

語訳:そなたへの新規の諸役(いろいろな夫役)や、これまでの知行分・買い入れた分について、例え誰が闕所処分を受けて、その土地の権利取得者が所有権を主張しても、それは認めずにその方の知行を安堵する。
 ※中世では、土地の元の持ち主に借銭などがあった場合、新たにその土地の持ち主となった人物が弁済することが原則であった。

関連記事:闕所(欠所)ってなに?織田信長が発給した判物を例に解説します

心経・・・しんぎょう

(意味)「般若心経」の項を参照のこと。

宸襟・・・しんきん

(意味)天皇の心、気持ち。

 (備考)
「宸(シン)」は天皇のすまいや物事を表す語である。
「襟(キン)」が入ることによって、その胸の内となるのであろう。

神人・・・じんにん・じにん・しんじん・かみびと

(意味)
①神に仕える人。神主。神職。社家。

②神社に仕えて、おもに警備・雑役に当たる者。

地域によっては、社に深く関係する芸能者・手工芸者・商人・百姓なども広く神人と呼ばれ、国司荘園領主・在地領主の支配を嫌い、乱妨狼藉強訴を行うなどして抵抗した。
特に、戦国時代の伊勢大社に属する神人は有名である。

 (備考)
例文) 『言継卿記』永禄十年五月二十五日条より

眞珠院令同道松尾へ罷向、月次連歌會於神宮寺有之、葉室、社務父子三人、松室中務父子三人以下、山田神人衆廿餘人有之、午後、一盞・晩飡等有之、

(書き下し文)
真珠院同道せしめ、松尾(松尾社)へ罷り向かう。
月次連歌会神宮寺に於いてこれ有り。
葉室、社務父子三人、松室中務父子三人以下、山田神人衆二十余人これ有り。
午後、一盞・晩食等これ有り。

※一盞(いっさん)・・・1つのさかずき。1杯の酒を呑むこと。

神八幡・・・しんはちまん

(意味)
神、八幡にかけて。神かけて。偽りなく。たしかに。

 (備考)
「神」は「神(しん)以て」の意。
「八幡」は「八幡神も照覧あれ」の意で、八幡神にかけていつわりはないという強い誓いを込めた言葉である。 

神妙・・・しんみょう・しんびょう

(意味)
①神秘的でたえなること。
人力を超越した霊妙な働きのさま。不可思議。

②殊勝なこと。奇特なこと。
けなげであること。感心。

③素直なこと。おとなしいこと。

 (備考)
「しんみょう」の「めう」は呉音読みで、おもに①の用例で用いる。
「しんびょう」の「べう」は漢音読みで、おもに②の用例で用いる。
これは、日本に漢字が伝来した当初、呉音読みが先に入ったためで、こうした霊的・宗教的な意味合いで多く用いられる傾向にある。
一方、②の漢音読みは、洛陽や長安を中心とする地域から入った読みで、我々が日常で用いる多くの漢字の読みはここからきている。
詳しくは「字音(じおん)」の項を参照のこと。

なお、読みが異なるだけで、どちらの読みを用いても誤りではない。

例文) 『国立公文書館所蔵文書』(記録御用所本古文書)天文十六年九月十五日付今川義元感状写

去五日、於三州田原大原構、最前合槍無比類働、甚以神妙至也、弥可抽戦功之状如件、

(書き下し文)
去五日、三州田原大原構に於いて、最前に槍を合わせ比類無きの働き、甚だ以て神妙の至りなり
いよいよ戦功を抜きんでるべきの状くだんの如し

神文・・・しんもん

(意味)
①神に誓約した文。
神かけて誓を立てた誓約書。誓書。誓詞起請文のこと。

②起請文の中で、罰文を記した部分。

 (備考)
起請文はおもに前書きとなる「前文・先書」部分に誓約内容を記し、「神文・罰文」部分に自らが信仰する神仏を列挙して「もし、この内容に偽りがあれば、神仏の御罰を蒙るべきものなり」と記して「仍如件(よってくだんのごとし)」で文を締める傾向にある。

進覧・・・しんらん

(意味)
①差し上げること。お目にかけること。

②書簡を送る際、相手に敬意を表して脇付部分に記す語の一つ。
「進覧候」や「進覧之候」などと記す。

 (備考)
原義は「御覧」に供するために「進(まいらす)」こと。

例文) 『新集古案』(天正元)九月二十六日付織田信長書状写

朝倉義景至于江北小谷籠城候、種々帰国調儀之由候へ共、懸留り候間、難測、一日一日在之旨候、是非共打果候、但夜中敗北ニ付てハ、不及了簡候、此為体候条、其節一揆等朝倉加勢不実候、
 (中略)
東国辺事、弥可聞合候、其表備堅固
可被仰付儀簡要候、追々可申候、恐々謹言、
    九月廿六日     信長


     不識庵
        進覧之、

(書き下し文)
朝倉義景江北小谷に至りて籠城し候。
種々帰国を調儀の由に候へども、懸け留まり候間、測り難く、一日一日とこれ在る旨に候。
是非とも打ち果たし候。
ただ、夜中に敗北に付きては、了簡に及ばず候。
この体たらくに候条、その節一揆等に朝倉の加勢は不実に候。
 (中略)
東国辺の事、いよいよ聞き合わすべく候。
その表の備え堅固に仰せ付けらるべきの儀、簡要に候。
追々申すべく候。恐々謹言
    九月二十六日     信長


     不識庵(上杉謙信)
        これを進覧

不・・・す・ず・~せざる

(意味)~にあらず。否定形

 (備考)返読文字=戻って読むものなので注意。
「不」の字をくずしてひらがな”ふ”が誕生したため、仮名書きの史料では打消し以外の目的でも登場する場合がある。

例)
可有(あるべから・あるべからざる)・能(あたわ・あたわざる)・御禮尓罷出候(おんれいにまかりでそうろう)・寄誰々、及得上意、分別次第可為成敗之事(だれだれによら、じょういをえるにおよば、ふんべつしだいにせいばいをなすべきのこと)

例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年十二月九日条より

一、就松南院領事、五大院申子細在之、許可之、興舜申次、
 (松南院領の事に就きて、五大院申す子細これあり。これを許可せ。興舜が申次ぐ。)

随分・・・ずいぶん

(意味)
①分際に応じて。身分相応に。

②すこぶる。大いに。よほど。

③極力。せいぜい。

④(下に打消しがある場合)どうしてどうして。なかなか。容易には。

 (備考)
語源は「分(ぶん)に随(したが)ふ」からきている。
「したがう」が動詞なので、漢文調の言い回しが定着したのだろう。

・「随分の人」で身分や地位の高い人。

・「随分の者」で重要な人物。ひとかたならぬ者を指す場合が多い。

例文) 『吉川家文書』(天正元)十二月十二日付安国寺恵瓊書状

公方様ハ上下廿人之内外にて、小船ニ被召候て、紀州宮崎之浦と申所御忍候、信長義只ヽ討果可申にても無之候間、彼所可有御逗留候、先々此國御下向なき事をハ、随分申究候、可御心安候、

(書き下し文)
公方様(足利義昭)は上下二十人の内外にて小船に召され候て、紀州宮崎の浦と申す所へ御忍び候。
信長(織田信長)の儀、ただただ討ち果たし申すべしにてもこれ無く候間、かの所に御逗留有るべく候。
先々この国(毛利氏領内)へ御下向なき事をば、随分申し究め候。
御心安かるべく候

不鮮・不少・・・すくなからず

(意味)
少なくない。かなり、たくさん。

 (備考)
書状では相手を労わる意味として「旁以自愛不鮮(少)候(かたがたもって、じあいすくなからずそうろう)」などと用いられることが多い。

不可過・・・すぐべからず

(意味)
勝るものがないこと。
「大慶不可過之(たいけいこれにすぐべからず)」で、これ以上にないほど喜ばしいことを意味する。

例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十月二十三日条より

近年奈良成年貢土打・反米・反銭等、毎事代官岸田以下、任雅意令無沙汰之間、寺社迷惑珍事不可過之、

(書き下し文)
近年奈良成年貢の土打・反米・反銭等、毎事代官の岸田以下、我意に任せて無沙汰せしむるの間、寺社の迷惑珍事これに過ぐべからず

※土打(つちうち)は興福寺、春日大社の修理造営を名目に大和国に賦課された課役のこと。

例文2) 『顕如上人御書札案留』(元亀四)正月十日付(武田信玄宛)

於遠州表徳川敗北之様體頻其聞候、尤珍重不可過之候、猶以御行之趣可承事本望候、委細賴充法眼可申入候、

(書き下し文)
遠州表(遠江国)に於いて徳川(徳川家康)敗北の様躰頻りにその聞こえに候。
尤も珍重これに過ぐべからず候。
猶以ておんてだての趣き、承るべきの事本望に候。
委細頼充法眼(下間頼充)申し入るべく候。

少許・少計・・・すこしばかり

(意味)
ほんの少し、微量、僅かなこと。
これっぽっち。

宛・・・ずつ・あてる・あたかも・さながら・したがう・かがむ・えん・おん

(意味)
振り分けたものがほぼ同量のものであるさま
小宛で”すこしずつ”など、他の字とセットで用いられる。

 (備考)
宛行(あてがい)など、他にも読み方が多数存在する。
例文) 『太田家古文書(年月日不明鳥屋尾満栄書状)』

切紙にて申候、日より次第御船まわし可申候、此方之者計ハ、無案内たるへく候間、一両人人数御出候ハヽ、可畏入候、

(書き下し文)
切紙にて申し候。
日より次第御船をまわし申すべく候。
此方の者ばかりは、無案内たるべく候間、一両人ずつの人数御出し候はば、畏り入るべく候。

即・便・乃・則・・・すなわち(すなはち)

(意味)
①すぐに
②そこで、その時
③・・・ならば、そうだから、その時には

 (備考)
もとは即刻、即座にという意味で「即時」が用いられていたが、漢文訓読が普及するにつれて、原義からの類推で「即」、さらにそれと通用する「則」・「乃」などの字も「すなはち」の訓があてられ、それらの漢字の意味が逆に取り入れられて生じた意味が②・③だと考えられる。

例文1『(元亀二)九月三十日付松田秀雄・塙直政・島田秀満・明智光秀連署状(阿弥陀寺文書など)』

若不依少分隠置族在之者、永被没収彼在所、於其身者可被加御成敗之由、被仰出候也、仍如件
 (もし少分によらず隠し置くやからこれあらば、永くかの在所を没収せられ、その身に於いては、則ち成敗を加えらるべきの由、仰せ出され候なり。仍ってくだんの如し

例文2 『(年次不詳)十月十六日付織田信長書状案(剣神社文書)』

神前祈念之巻数、殊種々贈給候、得其意候、委細使僧可相達候、謹言、
 (神前へ祈念の巻数、殊に種々贈り給い候。即ちその意を得候。委細使僧相達すべく候。謹言。)

墨引・・・すみびき

(意味)書状の封じ目のこと。
紙紐で巻いた分の幅分の墨付きがないため、「― ―」のような跡がつく。

墨引①
墨引②

上の下では書状の形式が違うが(上図は折紙形式、下図は堅紙形式)、墨引跡はこのような感じでつく。

勢家・・・せいか・せいけ

(意味)権勢のある家格・門閥・官位官職を有する家、または集団を指す。
権門(けんもん)と同義。

誓詞・誓句・誓書・・・せいし・せいく・せいしょ

(意味)神々の前で誓約する内容を書き記した文書。
起請文(きしょうもん)のこと。
和睦の際や、大名間での縁組が決まった際、家臣団に忠誠を誓わせる際などに用いられた。
護符の裏に書くのが通例で、ここから誓詞を書くことを「宝印を翻す」などと表現した。

 (備考)
基本的に誓詞は「前書き(前文)」と「神文(罰文)」によって構成される。
まず、文書の柱書(タイトル)として、「起請文ノ事」などという文言が入る。
次に続く分が、誓約内容となる「前文」。
その後に「この内容に偽りがあるようであれば神々の御罰を蒙る」といった内容の「罰文」が入る。
罰文の部分は、自らが信仰している神や仏の名を記すが、キリシタンの場合はそこにデウスなどが入ることもあった。

制札・・・せいさつ

(意味)
中世期に禁止の事項等を記して人目につきやすい路傍などに提示した立て札。
高札。下知札。

 (備考)
禁制(きんぜい)もこうした制札に記され、門前や人の往来の多い場所に掲げられる。

済済・済々・・・せいぜい・さいさい

(意味)
①数が多いさま
②多忙である様子

 (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』文明二年六月十八日条より

殊更近臣ニ不道輩済々参候、猶以不可有正躰、
 (ことさら近臣に不道の輩済々参り候。猶もって正体有るべからず。)

例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応六年七月三日条より

一、越中神保之内者藏河、去月廿三日立國罷上、料足濟々持之、兼日叉上置之、數千貫云々、是公方御歸京之用意云々、子細如何、來八月御上落云々、

(書き下し文)
越中神保の内者・蔵河、去月二十三日に立国し罷り上る。
料足済々これを持ち、兼日また上置く。
数千貫と云々
これ公方(足利義尹・義稙)御帰京の用意と云々。
子細如何。
来たる八月に御上洛と云々。

成敗・・・せいばい

(意味)
①まつりごとを行うこと。政治を執ること。執政。
②処置すること。取りはからうこと。
③裁決すること。裁くこと。
④処罰。仕置き。特に死刑・斬罪を指すことが多い。
⑤征伐すること。軍事力を以て攻め込むこと。

 (備考)
例文1) 『張州雑誌抄』『津嶋神社旧記』元亀二年十月日付織田信長朱印状写

其方借物方之事、依不辯不能返辯、神伇亦及退転之由候、所詮以本銭、限十ヶ年可為究返候、若銭主於違背者、可成敗之状如件、

(書き下し文)
其の方借物方の事、不弁にして返弁あたわざるに依り、神役もまた退転に及ぶの由に候。
所詮本銭を以て、十ヶ年を限り究返たるべく候。
もし銭主違背に於いては、成敗すべきの状くだんの如し

例文2) 『多聞院日記』天正五年二月九日条より

九日、社頭ニテ金春能在之、以外郡衆也、喧嘩在之、若き寺僧衆立テ成敗云々、
 (九日、社頭にて金春能これあり。以てのほかの群衆なり。喧嘩これあり。若き寺僧衆を立て、成敗云々。)
 ※ここでは処置した。対応したと読むべきだろう。

例文3) 『大乗院寺社雑事記』明応七年三月五日条より

一、就生狛庄事、一乗院殿与高矢辻子公事在之、衆中成敗云々、借物事故也、此外色々公事在之、

(書き下し文)
生狛(生駒)庄の事に就きて、一乗院殿と高矢辻子の公事これ在り。
衆中成敗と云々。
借物のこと故なり。
このほか色々公事これ在り。

静謐・・・せいひつ

(意味)
世の中が穏やかに治まっていること。平穏無事。

 (備考)
「謐」はしずか、やすらか、おだやかの意。
戦国時代の史料では「天下弥静謐に・・・(てんかいよいよせいひつに)」などの文言がよく見られる。

例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年五月五日条より

露竹三乃より罷上、是心院殿御文持來、土岐入道ハ四月三日入滅、國中静謐之基也、大國十七歳也、六月十一日可元服之由必定、長野与可成親子旨申定之、旁々以時宜可目出云々、

(書き下し文)
露竹美濃より罷り上り、是心院殿の御文を持ち来たる。
土岐入道(土岐成頼)は四月三日入滅
国中静謐の基なり
大国(十七歳なり。)六月十一日に元服すべきの由必定、長野と親子に成るべきの旨を定め申す。
かたがた以て時宜を目出るべくと云々

清涼殿・・・せいりょうでん

(意味)
平安京御所宮殿の一つで九間四面の建物のこと。

昼御座(ひのおまし:天皇出御の場)・夜御殿(よるのおとど:天皇の寝所)・荻の戸(はぎのと)・弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね・后妃の伺候する間)・藤壺上御局(后妃の伺候する間)・御手水間(おちょうずのま:天皇の調髪を行う間)・朝餉間(あさがれいのま:天皇が朝食を取る間)などさまざまな部屋がある。

天皇の常においでになった殿舎で、四方拝・小朝拝・叙位・徐目じもく・官奏などの公事をも行った御殿。
中世期に天皇が現在の京都御所に居を定めて以降も、御所内に清涼殿を設けてさまざまな公事を執り行った。

関・・・せき

(意味)
交通の要地にもうけられ、通行人や通過貨物を検査するところ。
関所。関門。
多くは山と山に挟まれた街道上に設置される。
戦時には警戒・防備の役目を果たした。

古代では東海道鈴鹿(伊勢・近江国境)・東山道不破(美濃・近江国境)・北陸道愛発あちら(越前・近江国境)が畿内防備の三大関とされた。

中世では、交通施設の建設や修理費を捻出するために幕府、寺社などが各地にもうけはじめ、特に室町幕府は財源確保の1つとして関を乱設したことで知られる。

 (備考)
語源は「塞(そ)く」の連用形から。
物事を支え止めるものから来ている。
水の流れを調整したり、支え止める「堰(せき)」ももとはここから来ており、日常で用いる動詞でも「塞(せ)き合う」・「堰(せ)き入る」など用いられる。

なお、中世の史料には旧字にあたる「關」もよく登場し、印刷物では目を凝らさないと「闕(欠の旧字)」と見分けがつかない場合もある。

本項のおもな参考文献:
竹内理三(1978)『角川日本地名大辞典』角川書店
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館

令・・・せしむ・せしめ・せしむる・せしむれ

(意味)「令(しむ)」の項を参照のこと。例文もそちらに記載。

節句・節供・・・せっく

(意味)
季節の変わり目などに祝いを行う日。節日(せきにち・せきじつ)のこと。
おもに人日(じんじつ)である正月七日・上巳(じょうし)である三月三日・端午である五月五日・七夕である七月七日・重陽である九月九日の五つを指し、五節句とよばれた。

(備考)
「節供」は季節ごとに日を決めて神に食物を供えることから、その日をいうようになった。
日本に古来からある民間の習慣が、大陸の影響を受けて合わさったものだと考えられる。

例文1) 『(天正十)四月二十五日付織田信長黒印状(本願寺文書)』

両度使者同時到来、書状披見候、仍就東国属平均帰城、為祝儀太刀一腰・銀子三百両、幷端午帷五・肩衣袴、彼是懇志喜悦之至候、

(書き下し文)
両度の使者同時に到来。
書状披見候。
仍って東国平均に属し帰城に就きて、祝儀として太刀一腰・銀子三百両、並びに端午の帷子五・肩衣袴、かれこれ懇志喜悦の至りに候。

例文2) 『多聞院日記』永禄十年九月九日条より

九日、早旦迄雨下、日中より雨止了、節供如常沙汰之、
 (中略)
今日菊ノ花ヲ觀音ニ奉供ハ、壽命長遠也ト下學集ニ在之、

(書き下し文)
九日。早旦まで雨下り、日中より雨止みおわんぬ
節句常の如く沙汰
(中略)
今日菊の花を観音に供え奉るは、寿命長遠なりと下学集にこれあり。

摂家・・・せっけ

(意味)
摂政・関白に任じられる家柄で、藤原氏北家の嫡流である近衛・九条・一条・二条・鷹司の五家を指す。
鎌倉時代からこれを「五摂家」と呼んだ。
摂関家・摂籙家(せつろくけ)・執柄家(しっぺいけ)も同じ意。

 (備考)
なお、摂家門跡(せっけもんぜき)はこれら摂家の子弟が住職となる寺院またはその人を指し、もっとも格式の高いものとされる。
興福寺においては大乗院に九条家、一乗院には近衛家の子弟が代々入室し、中央の政界と結びつき大きな権力を誇った。

切々・切切・・・せつせつ

(意味)
①思いや感情がこもっているさま。
②強く迫るさま。
③大変親切なこと。

 (備考)
例文1) 『(元亀三)四月五日付織田信長書状(小早川家文書)』

寔御懇慮、祝着之至候、去月中旬以来令在洛候、切々可申展候、猶使僧可為伝語候、恐々謹言
 (誠に御懇慮、祝着の至りに候。去月中旬以来在洛せしめ候。切々申し述ぶべく候。なお、使僧伝え語るべく候。恐々謹言

例文2) 『(天正十)十一月二日付足利義昭御内書(東京大学史料編纂所所蔵文書)』

今度織田事、依難遁天命、令自滅候、就其相残輩、帰洛儀切々申条示合、急度可入洛候、此莭別而馳走可悦㐂、

(書き下し文)
この度織田の事、天命逃れ難きにより自滅せしめ候。
それに就きて相残るともがら帰洛の儀切々に申すの条、示し合わせ、急度入洛じゅらくすべく候。
この節別して馳走悦喜えっきすべし。

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是非・・・ぜひ

(意味)
是と非。善と悪。
道理と不道理をあらわす。

転じて、現代では「たとえ道理が通らなくても、是が非であっても〇〇したい」とする表現で用いられることが多い。

 (備考)

「是非」のくずし方
「是非」のくずし方

「是」は頻出するためか原型をとどめないことが多い。
「其」のくずしとほぼ同じなので文脈から判別するしかない。
「非」はこのくずしが一般的である。

無是非(ぜひなく・ぜひなき)・不及是非(ぜひにおよばず)・無是非題目(ぜひなきだいもく)

(意味)
上記の意味を踏まえた上で、事態の程度がこの上も無く甚だしく、言うまでもないこと。
是非を論じる間もないこと。
もうどうしようもないこと。
やむを得ないこと。

 (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』文正二年正月十九日条より

依其義就令腹立、罷立御前押寄御靈之陣、昨日自早旦至夕方一日合戦、両畠山之儀、勝負可有一途者也、雑説種々無是非、今日飯尾肥前守之種御免、赤松之在馬同御免云々、

(書き下し文)
それにより義就立腹せしめ、御前に罷り立ち御霊の陣へ押し寄せ、昨日早旦より夕方に至りて一日合戦す。
両畠山(畠山義就と畠山政長)の儀、勝負一途あるべくものなり。
種々の雑説是非も無し
今日飯尾肥前守之種御免、赤松之在馬同じく御免と云々

例文2) 『顕如上人御書札案留(天正元)十月二十九日付』

御内書謹而拜見候、仍連々被仰出之趣不存疎意候、雖然不任心中儀者、不及是非候、随而御馬一疋虎鹿毛拜受、尤過當至極候、

(書き下し文)
御内書謹みて拝見候。
仍って連々仰せ出さるの趣き、疎意に存せず候。
然れども、心中に任せずの儀は、是非に及ばず候。
従って御馬一疋虎鹿毛)拝受、尤も過当至極に候。

例文3) 『(元亀三)十一月二十日付織田信長書状写(真田宝物館所蔵)』

就越甲和与之儀、被加上意之条、同事ニ去秋以使者、申償之処、信玄所行寔前代未聞之無道、且者不知侍之義理、且者不顧都鄙之嘲哢次第、無是非題目候、

(書き下し文)
越甲和与の儀に就きて、上意(将軍の意向)を加えらるるの条、同時に去秋、使者を以て申し雇うのところ、信玄(武田信玄)の所業、誠に前代未聞の無道、且つは侍の義理を知らず、且つは都鄙の嘲弄を顧みざるの次第是非無き題目にて候。

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これらの用例は概ね同じような意味である。

専一・・・せんいつ

(意味)そのことを第一にして力を注ぐこと。専念すること。
または必須なこと。

 (備考)
例文)

其已前筒井有相談、急被拵付城、落居候様才覚専一候、
 (それ以前に筒井と相談ありて、急ぎ付け城を拵えられ、落居候様に才覚専一に候。)
   『(天正元)十月二十一日付織田信長朱印状 賀茂郷文書』

宣旨・・・せんじ

(意味)
①勅命の趣旨を述べ伝えること。
また、天皇の仰せを述べ伝える公文書のこと。

②天皇のおことば(口宣)を蔵人(天皇の秘書官にあたる職)に伝える宮中の女房。

③中宮・東宮・斎宮・関白などの家の女房にもいう。

 (備考)
①の語源は勅(の)り聞かせるの意から。(漢文調で記す際、動詞を先に記す)
詔勅が表向きなのに対して、うちわのもの。
詔勅は儀礼や公験として発給に手間がかかるのに対し、宣旨は簡易な手続きで迅速に発給できるという特徴がある。

平安時代から内侍が勅旨を承って蔵人に伝え、蔵人が太政官の上卿に伝え、上卿は少納言、または弁官を通じて外記あるいは大史に命じ、勅旨を記させて宣下するのが通例であった。

この内侍から蔵人に伝えられる文書が内侍宣であり、女房奉書の元となった。
また、蔵人頭が上卿に伝達する際に作成された文書が口宣である。

おもに外記局が天皇の意を承って発給する発給されるものを「宣旨」、弁官が公卿の意を承って正式な太政官符の代わりに発給されるものを「官宣旨(かんせんじ)」と呼んだ。

例文) 『言継卿記』永禄十一年三月十一日条より

大内記へ下知調遣之、松尾衆三人也、
「永禄十一年三月四日 宣旨
 正五位下秦相久
  宜叙従四位下
 従五位上秦重頼
 同相房
  已上宜叙正五位下
       蔵人右小辨藤原宣教

 口宣一紙獻上之、早可令下知給之状如件、
  三月四日    右小辨宣教

   進上 師中納言殿
 永禄十一年三月四日 宣旨
  正五位下秦相久
権神主左馬助也、
   宜叙従四位下
  従五位上秦重頼
月讀禰宜左衛門佐也、
  同相房
松尾禰宜宮内大輔也、
   已上宜叙正五位下
       大宰権師藤原言繼

奉入宣旨一枚
 正五位下秦相久以下三人加級之事、
宣旨奉入如件、
  三月四日    大宰権師
花押
    大内記殿

先達・・・せんだって・さきだって・せんだつ

①先日。先頃。(せんだって・さきだって)
②修験者や山伏などが、路次案内をすること。伊勢神宮参詣などを導くこと。先達職。(せんだつ)

 (備考)
例文) 『青山文書(元亀三年八月六日付織田信長朱印状案)』

奥州塩松先達職之事、従勝仙院如被預置、熊野参詣檀那共被相催、上洛可然候、不可有違乱之状如件、
 (奥州塩松先達職の事、勝仙院より預け置かるる如く、熊野参詣の諸檀那ともに相催され、上洛然るべく候。違乱あるべからざるの状くだんの如し

専要・・・せんよう

(意味)もっとも重要であること。

 (備考)
例文1) 『京都大学所蔵古文書集 八』(永禄三)三月二十日付関口氏純書状

珍札被見本望候、仍去年者太神宮御萱米料之儀被仰越候間、雖斟酌申候、春木方達而被申候故、及披露、返事之旨申入候、遠州之義者、去年被申候分候条、不及是非候、参州之事者領掌候、但三州手始令落之候、相残候国々之儀、同前ニ可被仰越候、将亦近日義元向尾州境目進発候、芳時分可被聞召合事専要候、就中私江御赦幷砂糖二桶送給候、目出存候、随而菱食令進入候、寔御音信迄候、猶重可申述候、恐々謹言、

(書き下し文)
珍札を被見本望に候。
仍って去年は、はなはだ神宮御萱米料の儀、仰せ越され候間、斟酌申し候といえども、春木方たっての申され候ゆえ、披露に及び、返事の旨を申し入れ候。
遠州の儀は、去年申され候の分に候条、是非に及ばず候。
三州の事は領掌し候。
但し三州を手始めにこれを落とせしめ候。
相残り候国々の儀も、同前に仰せ越さるべく候。
はたまた、近日義元(今川義元)尾州境目に向けて進発し候。
芳時分、聞こし召さるべき合事専要に候。
就中なかんずく私へ御赦し並びに砂糖二桶送り給い候。
目出たく存じ候。
従って菱食をまいらせ入りせしめ候。
誠に御音信までに候。
なお重ねて申し述ぶべく候。恐々謹言

※芳時(ほうじ)・・・頃合いのよい時期。

例文2) 『顕如上人御書札案留』(天正元)八月二十日付

御内書令頂戴候、仍三和之儀、切々申遣様候、聊不存如在候、彌可被加 (闕字)上意事専要候、

(書き下し文)
御内書頂戴せしめ候。
仍って三和さんかの儀、切々と申し遣わし様に候。
いささかも如在に存せず候。
いよいよ (闕字上意を加えらるべき事専要に候。

語訳:(足利義昭様からの)御内書を拝見しました。三和(三好義継・松永久秀・三好康長との三者間和睦)の件ですが、間を取り持つように手抜かりなく使者を送っております。これからもますます公方様の御威光を以て御下知をなされることが重要と存じます。

「専要」のくずし方と用例
「専要」のくずし方と用例

「専」は「為」によく似た形をしているが、上部に少し花が咲いたようなくずし方をする特徴がある。
「要」はひらがなの「あ」に近いくずしが一般的。
「如」にも見えなくないが、文脈から推測して読むことは十分に可能である。

疎意・・・そい

(意味)避けようとする気持ち、遠ざけようとする気持ち

無疎意・・・そいなき・そいなく

(意味)決して粗略には扱わぬという意味。重く用いるということ。

 (備考)書状に書かれている際は、如在(じょさい)・疎意(そい)と似たような意味合いの場合が多い。
如在(如在無く)・無疎意(疎意無く)・無等閑(等閑無く)
これらは先方を疎略には扱わない、今後とも昵懇に願う旨の意味である。

草案・・・そうあん

(意味) 「正文(しょうもん)」の下書のこと。
土代どだい」とも呼ぶ。

 (備考)
正文のコピーのうちで本質的な効力があるものを「あん」・「案文(あんもん)」と呼び、そうでないものが「うつし」である。

例文) 『大乗院寺社雑事記』明応七年三月十四日条より

一、自東院前大僧正方橘寺勸進帳草案進之、
 (東院さきのの大僧正方より橘寺勧進帳の草案、これをまいらす。)

※橘寺(たちばなでら)は大和国高市郡に存在する天台宗の寺院。

僧位・・・そうい

(意味)
朝廷から有徳の僧に賜った位。
法印大和尚位・法眼和尚位・法橋上人位・伝灯大法師位・伝灯法師位・伝灯満位・伝燈住位・伝灯入位の八階の位がある。
そのうち、法印法眼法橋を「僧綱(そうごう)」の位とする。

忩劇・怱劇・・・そうげき

(意味)
混乱すること。
忙しく落ち着かないこと。

 (備考)
例文) 『石川県立図書館所蔵文書「雑録追加 三(九月二十六日付武田信玄書状写)」』

一、信州御料所之儀、近年忩劇故、不奉運上候、失面目則一所可奉献之候、
 (信州御料所の儀、近年忩劇ゆえ、運上奉らず候。面目を失い則ち一所奉るべくこれを献じ候。)

語訳:信州御料所の件は、近年動乱状態にあったため運上できず面目を保てませんでしたが、再びこの地を幕府へ献上致します。

僧綱・・・そうごう

(意味)
全国の僧尼を取り締まり、仏法の維持につとめる官職。
古くは僧正僧都律師の三階を、後には法印法眼法橋の三僧位などを指した。

 (備考)
「綱」は「綱維」の意で、元来は締めくくる・取り締まることを指す。
また「僧綱領」は「そうごうえり」と読み、僧綱の位にある僧が、法衣の襟を立てて、頭を隠す程に着ることを意味する。

奏者・・・そうしゃ・そうじゃ

(意味)
①天皇に事を奏上する人。または奏上の取次をする人。執奏伝奏

②中世期、関白・将軍に中次ぎをした役。または室町時代以降、武家で取次をした役。奏者役。

 (備考)
例文) 『言継卿記』永禄十年九月二十日条より

西京松下ヽ三郎來、薄知行分學館院田収納、例年之儀也、徳利、鯛、栗四五十、柿廿五、土器、米二斗五升、鳥目二十疋持來、數九勺、へつつい三斗入に、九等云々、奏者澤路隼人也、

総社・・・そうじゃ

(意味)
参拝の便宜のため、数社の祭神を一ヶ所に集めて祭った神社の称。
一国の総社、寺院の総社などがある。
また、合祀しないで、鎮守もしくは一の宮を総社と呼ぶこともあった。

僧正・・・そうじょう

(意味)
僧綱」の一つで、僧官の最上位。
はじめは一名であったが、後には大僧正・正僧正・権僧正の三階級に分かれ、員数を増えて十余人となった。

僧都・・・そうず

(意味)
僧綱」の一つで僧正に次ぐ僧官。
はじめは大僧都・少僧都各ひとりの定員であったが、後には大僧都・権大僧都・少僧都・権少僧都の四階級に分かれ、その数も増した。

雑説・・・ぞうせつ

(意味)
①さまざまな説。諸説あること。
②世上の噂。
③根拠のない噂。風説。浮説。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応四年十月十四日条より

一、去月十八日、大内父入滅必定云々、叉於四國安富被打云々、雑説也、如何、可定聞也、

(書き下し文)
一、去月十八日、大内父(大内政弘)入滅必定と云々
また、四国に於いて安富が討たると云々。
雑説なり。如何。
聞き定むべきなり。

惣村・・・そうそん

(意味)中世日本における百姓の自治的・地縁的結合による共同組織(村落形態)を指す。
惣ともいう。

生産物の収穫の増加にともなう中小農民層の台頭によって、村落内の自治組織が発達し、年寄・乙名(おとな)・沙汰人とよばれる村民側の指導者のもとで郷村の自衛・水利や入開地の自己管理などを行い、その惣中内でのみ適用する法を施行し、独自の自治が行われた。

畿内を中心に、百姓中による意思決定や村有財産の存在など、法的主体性を有する場合もあった。
特に足利幕府の影響が強い畿内近国では「同名中(どうみょうちゅう)」という在地領主の一族に、百姓上層も加えた疑似的同族集団による支配組織も成立した。
甲賀地方の山中氏などがその例である。

 (備考)
南北朝期以降、これまで支配層側であった荘園領主の意に、惣が従わないケースが増える。
これにもとは荘園領主に代わって現地の管理・経営を行っていた在地の豪族出身の庄司や荘官、あるいは鎌倉幕府の任命を受けた後、幾代にもわたって荘園に住み着いた地頭などが自己の権益を主張するようになり、しばしば訴訟や自力救済が行われ社会問題となった。

惣の概念として1960年代に石田氏を中心に以下の三要素が提唱された。

  1. 惣の共有財産を保有していること
  2. 年貢の地下請(じげうけ)を行なっていること
  3. 惣独自の掟を定め、地下検断(自検断)を行なっていること

近年では研究が進み、この3要素にとらわれず、広く惣村を認知すべきであるとの論調がある。
しかしながら、惣村文書が残されていない東国の例などを見ると、未だ多くの課題が残されているようだ。

雑物・・・ぞうもつ

(意味)
いろいろなもの。こまごましたもの。
雑多なもの。

 (備考)
例文1) 『大乗院寺社雑事記』文明二年六月十四日条より

六方蜂起、紀寺郷之内伊勢屋座頭三郎、進發了、伊勢通路近日致其沙汰故也、去十一日荷共自當所出之故云々、以外厳蜜也、去十四日伊勢荷之内、浄法院所緑方物有之云々、山村落取分得六方許可、仰古市取返之了、三千貫計雑物也、金・水金等済々有之、

(書き下し文)
六方(六方ろっぽう衆)蜂起、紀寺郷の内伊勢屋座頭三郎、進発しおわんぬ
伊勢の通路近日その沙汰を致すゆえなり。
去十一日、荷共当所よりこれ出すゆえと云々
以ての外に厳密なり。
去十四日、伊勢の荷の内、浄法院の所緑方に物これ有ると云々。
山村落取分、六方の許可を得、古市の仰せで取り返しおわんぬ。
三千貫ばかりの雑物なり。
金・水金等済々これあり。

例文2) 『永禄十年三月七日付受連覚書(長年寺所蔵)』

触仞戦事一ヶ度、被剥執事三度、仁馬雑物被取事者、不知数、及餓死事多年、寺家門前二百余人之僧俗、悉離散し・・・

(書き下し文)
仞戦じんせんに触れること一ヶ度、剥ぎ取らる事三度、人馬・雑物を取らるる事は数知らず。
餓死に及ぶ事多年。
寺家門前二百余人の僧俗ことごとく離散し・・・

雑仕・・・ぞうし

(意味)
①宮中で雑役や使い走りを務めたり、行幸や行啓の供などを務めた役。またはその人。

②雑仕女(ぞうしめ)の略。
雑仕女は宮中で雑役に従事する女性。
下級の役人で、特に「上の雑仕」ともいい、行幸や行啓の供をした。
上位の位に「女官」「女孺」があり、もっとも下位にあたるのが雑仕女である。

③二位以上の家の侍所で、雑役に従事する女性のこと。

 (備考)
古語辞書にない場合は「ざふし」で調べてみよう。

雑色・・・ぞうしき

(意味)
①蔵人所院の御所、その他の諸官署に召し使われて雑務に従事する職。またはその人。無位の役人。

②使い走りなどの雑役をつとめる小者。下男。

 (備考)
「雑色所(ぞうしきどころ)」は①の詰め所。
「雑人(ぞうにん)」も広い意味で②の意でよく用いられる。
「雑人原(ぞうにんばら)」とある場合は、複数人を指す。
使い走りたち。小者たち。
「雑役(ぞうやく)」もおおむね広い意味で②の意で用いられる。

候き・候キ・・・そうらいき

(意味)語気を強める感じで「~である」と主張する際に用いる。
説得力を持たせる意味合いで用いるものなので、この文言が入るからといって必ずしも真実を語るものではない。

 (備考)
例文1) 『(元亀二)九月二十五日付織田信長書状(上杉家文書)』

生易之鴘鷹御随身之条、可見給之由、任せ御内意之旨、鷹師差下候き、即時遂一覧之候、誠希有之次第驚目候、秘蔵自愛更不知校量候、

(書き下し文)
生え変わりの
鴘鷹へんたか御随身の条、見給うべきの由、御内意の旨に任せて、鷹師差し下し候き
即時これ一覧を遂げ候。
誠に希有の次第、目を驚かし候。

例文2) 『元亀四年九月七日付織田信長書状写(乃美文書・武家事紀』

一書之趣永々敷候へ共、東国辺之躰、其方へ不相聞由候条、大形有姿申展候、
別紙之趣令被閲候、京都之躰、先書申旧候、公儀真木嶋江御移候、御逗留不実之由申候キ、無相違於時宜者、不可有其隠之条、不能重説候、

(書き下し文)
一書いっしょの趣き長々しく候へども、東国辺のてい、そなたへ相聞こえざる由に候条、おおかたの有る姿を申し述べ候。
別紙の趣き被閲せしめ候。
京都のてい先書さきしょ申しふり候。
公儀槇島まきしまへ御移り候。

御逗留は不実の由に候き
時宜に於いて相違無くんば、その隠れ有るべからざるの条、重説あたわず候。

(現代語訳)
この書状は大変長々しいもので恐縮ですが、東国の様子まではそちらの耳には入りづらいと思いますので、おおかたの様子を申し述べます。
別紙にて書状の趣旨は拝読しました。
京都の様子は先書で説明した通りです。
将軍(足利義昭)は槇島へ移りましたが、御逗留なされているかは不明とのことです。
昨今の様子を見ても、恐らく(槇島に御逗留なされていることは)間違いないことから、何度も説明はいたしません。

例文3) 『(永禄十一年)十二月二十七日付佐竹義重書状(米沢市上杉博物館所蔵文書)』

去比者、以使僧承候、本望之至候、存分及廻報候キ、然者武田晴信駿州江被及事切、駿符相破、小田原取乱、不及是非由申候、早々御越山此时候、

(書き下し文)
去頃は、使僧を以て承り候。
本望の至りに候。
存分は回報に及び候き
しからば武田晴信駿州へ事切れに及ばれ、駿府相破れ、小田原取り乱れ、是非に及ばずの由申し候。
早々御越山、この時に候。

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候而者・・・そうらいては

(意味)~しては

候得共、候共・・・そうらえども、そうろうとも

(意味)~であるが

候半・・・そうらわん

(意味)~ではあるまいか。
「候半歟(そうらわんか)」で、”~ではございませんか!?”となる。

 (備考)
例文) 『武家事紀(九月二十九日付武田信玄・勝頼連署状写)』より抜粋

江馬中務少輔、三村右兵衛門尉所来翰、具被閲、抑自綱対当方、年来辜負無念千万之条、無二及行可決是非之旨、令覚悟候半、以御媒介一往和平ニ被取成候処ニ、無幾程変化、遺恨不浅候、

(書き下し文)
江馬中務少輔なかつかさのしょうふ(江馬輝盛)・三村右兵衛門尉うひょうえもんのじょう所の来簡、つぶさに被閲
そもそも自綱よりつな(姉小路頼綱)当方に対し、年来孤負こふ(=裏切ること)無念千万の条、無二のてだてに及び、是非を決するの旨、覚悟せしめそうらはん
御媒介を以て一応の和平に取り成され候ところに、幾程無く変化、遺恨浅からず候。

候・・・そうろう・こう・うかがう

(意味)今日の「です」「ます」に当たる言葉。文の区切り。
断定の助動詞「なり」の丁寧語。
元来は、伺候する相手や場所を敬って用いる謙譲語であった。

 (備考)
歴史的仮名遣いで「さうらふ」。
体言や副詞、またはそれに準ずる語につく。
「にさふらふ」の「に」が撥音化し、「さふらふ」と読まれるようになった。

日本では1000年以上に渡って広く用いられてきた用語であるが、明治以降から徐々に「である」調の文語一致体が浸透しはじめ、戦後ほどなくして「候」は死語となる。

⇒「侍・候・・・さぶろう

候上者・・・そうろううえは

(意味)~したうえは、~の上は

 (備考)「者」が助詞の~はとなる。

候条・・・そうろうじょう

(意味)「条」だけの場合もある。

候間・・・そうろうあいだ

(意味)~でありますので

候べく候・・・そうろうべくそうろう

(意味)「候」と同意。
女性の手紙あるいは女性への手紙に用いられることがあり、仮名書きでなぐり書にしたことから、「まぁ、そういうことだからよろしく」といった具合となる場合が多い。

 (備考)当サイトでも過去に2例取り上げたことがある。

例1)

鉄砲薬之方并調合次第c3

『上杉家文書(鉄放薬方並調合次第c+書き下し文)』

関連記事:戦国時代の鉄砲のレシピ書?上杉謙信が将軍義輝から賜った古文書を解読

例2)

「母ニ候人ハ、かんにんぶん秀吉様へ御もらい、京ニ御いり候へく候、」
 (母に候人そうろうひとは、堪忍分(を)秀吉様へおん貰い、京に御入おい候べく候
   『名古屋市博物館所蔵文書(森長可が家族へ宛てた遺書)』

例3)

「十まんニ一ツ、百万ニ一ツさうまけニなり候ハゝ、ミなゝゝひをかけ候て、御しに候へく候
おひさにも申候以上、」

 (十万に一つ、百万に一つ総負けになり候はば、皆々火をかけ候て、御死に候べく候。おひさにも申し候。以上。)
   『名古屋市博物館所蔵文書(森長可が家族へ宛てた遺書)』

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相論・争論・・・そうろん

(意味)
紛争すること。
特に裁判で争うこと。

 (備考)
中世日本では喧嘩・人返ひとがえし・所領問題・山野の用益・水利権がしばしば争論の種となった。

「相論」のくずし方

「相論」のくずし方

頻出する用語のためか「相」・「論」ともに大きく崩された形で登場することが多い。
「相」は「於」・「為」・「払」・「杉」・「松」・「打」に誤読する可能性があり、「論」も「端」や「壊」に見えなくもない。
「相」を「打」と誤読してしまうと、次の字を「壊」と勘違いして文脈が繋がらなくなる。
ここは「相論」セットで覚えてしまった方が良いだろう。

相論裁許・・・そうろんさいきょ

(意味)権力者が相論を公の権力を以て裁き、解決へ導くことを指す。

 (備考)
⇒「裁許状」の項も参考のこと。

副状・添状・・・そえじょう

(意味)中世日本では権力者が発給する本文書に加えて、側近や一門、あるいは家老衆がそれを裏付ける書状を作成して送る風習があった。
権力者が発給する正規の文書だけでは正当な効力があるといえず、副状とセットとなって初めて意味を持つものであった。
それは、権力者の行動が家中全体の総意であるとする裏付けになったのだろう。

底本・・・そこほん

(意味)「底本(ていほん)」の項を参照のこと。

誹、謗・・・そしり

(意味)他人をそしる。悪口

啐啄・倅琢・・・そったく

(意味)良い機会であること。
もとは禅家の語で、機縁が相投じて両者が合うこと。
二人の気持ちがぴったり応じ合うことを意味した。

 (備考)
中世の古文書では「啐啄の間」や「啐啄同時」などの文言が稀に見える。

例文) 『米沢市上杉博物館所蔵文書』(元亀元)十月八日付徳川家康起請文

 敬白起請文
右今度愚拙心腹之通、以権現堂申届候之處、御啐啄本望候、

(書き下し文)
 敬白 起請文
右、この度の愚拙心腹の通り、権現堂を以て申し届け候ところ、御啐啄は本望に候。

率分・・・そつぶん

(意味)「率分(りつぶん)」の項を参照のこと。

袖判・・・そではん

(意味)通常は文書の本文を書き終え、月日の付近に花押を据えるが、袖判の場合は文書の右端の余白部分に花押を据える。
この右端余白部分が書状の袖にあたるところからこの名がついた。

袖判はちょうど④のあたりに花押を据えることになる。

これは、書札礼(しょさつれい)を意識して、奥上・奥下・日下判に対応するために行われた。(奥上・奥下・日下については「署判(しょはん)」の備考欄をご参照されたい。)
右筆(ゆうひつ)書きの文書でも変わらぬ効力を持たせるために、また、発給者の責任表示をするためにこのような書札礼が生まれたと考えられる。
袖判下文そではんしたぶみ袖判下知状そではんげちじょう袖判奉書そではんほうしょ袖判御教書そではんみぎょうしょ袖判庁宣そではんちょうせんなどが存在する。

 (備考)袖判が奥上・奥下・日下に比べていささか尊大な書式であったのはこのためである。
参考文献:『史料を読み解く1 中世文書の流れ(山川出版社)』・花押・印章図典(吉川弘文館)』など

卒塔婆・卒都婆・・・そとば・そとうば

(意味)
もとはサンスクリット語(梵語)のストゥーバから。
霊廟を表す。
日本では仏教伝来当所、仏舎利泰安・供養・寺院などの聖域を示すために造った仏塔と解釈されていた。
のちに供養として墓のうしろに立てる細長い板を指した。
その上部は塔の形をし、これに経文・梵字を記した。

備・具・供・・・そなえ・そなう・そなえる

(意味)
①用意・準備すること。
②神仏や貴人に物品を献上する。
③設備の意。
④数を揃えること。具備すること。
⑤軍の陣立て。

 (備考)
今日では「備」・「供」・「具」の3字について明確な区別がなされているが、中世においてはそうとは言えない。
また、「具」は「つぶさに」や「ぐす」とも読むので注意が必要である。

例文) 『(天正元)十月十二日付織田信長書状(小早川家文書)』

就越州之儀、御懇示賜候、本望不斜候、仍去合戦朝倉義景・浅井父子生害、数多討果模様、委曲先書申贈候事候、

(書き下し文)
越州(越前朝倉氏)備えの儀に就きて、御懇ろに示し賜り候。
本望斜めならず候。
仍って、去合戦、朝倉義景・浅井父子生害、数多討ち果たすの模様は、委曲先書さきしょに申し送り候事に候。

不可有其隠・・・そのかくれあるべからず/あるべからざる

(意味)
世間に知れ渡っていること。
知らぬ者がないほど有名なこと。
残らず現れること。

 (備考)
「かくれない」と同じ意である。
例文) 『(天正元)十二月二十八日付織田信長朱印状(伊達家文書)』

然間為可及其断、上洛之處、若公被渡置京都有御退城、紀刕熊野邊流落之由候、然而武田入道令病死候、朝倉義景於江越境目、去八月遂一戦、即时得大利、首三千余討捕、直越国へ切入、義景刎首、一国平均ニ申付候、其以来若狭、能登、加賀、越中皆以為分国、属存分候、五畿内之儀不覃申、至中国任下知候次㐧、不可有其隠候、

(書き下し文)
然る間、その理り及ぶべき為、上洛のところに、若君(足利義昭嫡子)を渡し置かれ、京都を御退城ありて、紀州熊野辺りに流落の由に候。
然して、武田入道(武田信玄)病死せしめ候。
朝倉義景は江州境目に於いて、去八月に一戦を遂げ、即時に大利を得、首三千余り討ち取り、直ちに越国へ切り入り、義景の首を刎ね、一国平均に申し付け候。
それ以来、若狭・能登・加賀・越中皆以て分国と為し、存分に属し候。
五畿内の儀は申すに及ばず、中国に至りて下知に任せ候次第、その隠れ有るべからず候。

側書・傍書・・・そばがき

(意味)
脇付(わきづけ)」の項を参照のこと。

峙・聳・・・そばたつ・そばだつ・そびゆ・ち・ぢ

(意味)山などが高くそびえ立つ様子。

側付・傍付・・・そばづけ

(意味)
脇付(わきづけ)」の項を参照のこと。

抑・抑々・・・そも・そもそも

(意味)
それにしてもをあらわす「そも」を重ねて物事を強く切り出す際に用いる語。
文を説き起こす際にも用いられる。
いったい。元来。起こり。

 (備考)
「そも」は代名詞の「そ」に係助詞の「も」がついたもの。
「抑々」は「よくよく」とも読むので、文脈によって判断する必要がある。

例文) 『信長公記 巻七』河内長嶋一篇に仰付けらるるの事より

六月十三日、河内長島爲御成敗、信長御父子御馬を出され、其日津島尓御陣取、尾張國河内長島と申者、無隠節所也、濃州より流出る川餘多へ岩出川・大瀧川・今洲川・眞木田川・市の瀬川・くんぜ川・山口川・飛騨川・木曾川・養老之瀧此外山ゝの谷水の流れ末尓て落合、大河となつて長島の東北西五里三里の内、幾重共なく引廻し・・・

(書き下し文)
天正二年1574)六月十三日。
河内長島御成敗として、信長御父子(織田信長・信忠父子)御馬を出され、その日津島に御陣を取る。
そも尾張国河内長島と申すは、隠れ無き節所なり。
濃州より流れ出る川あまたへ、岩手川・大瀧川・今洲川・眞木田川・市の瀬川・くんぜ川・山口川・飛騨川・木曾川・養老の滝このほか山々の谷水の流れ末にて落ち合い、大河となって長島の東北西五里三里の内、幾重ともなく引き回し・・・

岨道・岨路・・・そわみち・そばみち

(意味)
けわしい山道のこと。

存分・・・ぞんぶん

(意味)
①思うままに。思い通りに。

②意見。見解。判断力。

 (備考)
例文1) 『信長公記』巻二 大河内國司退城之事

瀧川左近被仰付、多藝山國司の御殿を初として悉焼拂、作毛薙捨、忘國にさせられ、城中ハ可被成干殺御存分尓て御在陣候の處・・・

(書き下し文)
滝川左近(滝川一益)に仰せ付けられ、多芸山国司の御殿(北畠氏の館)を始めとして悉く焼き払い、作毛を薙ぎ捨て、亡国にさせられ、城中は干殺しに成さるべく、御存分にて御在陣候のところ・・・

例文2) 『言継卿記』永禄十一年六月二十七日条より

眞珠院法印慶典、予養子之事被申、年齢不相當之間不可然之由返答、雖然存分有之間、善惡望之由被申間同心了、

(書き下し文)
真珠院法印慶典、予の養子の事を申さる。
年齢不相当の間、然るべからざるの由を返答す。
然れども存分これ有るの間、善悪望みの由を申されるの間、同心しおわんぬ

「た」行

代官・・・だいかん

(意味)直轄地において、主君の代わりに領内政治、統治を行う地方官

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記(長享二年二月二十三日条)』

公方奉公無沙汰不可然旨事、返事、此条就國務在國仕候、仍爲代官分一族定在京仕候
 (公方奉公無沙汰然るべからざる旨の事。返事。この条、国務に就きて在国仕り候。仍って代官分として、一族(北畠氏の分家である木造氏)を定めて在京仕り候)

現代語訳:将軍足利義尚様への御奉公が無沙汰であるとして、よろしくないとの仰せのこと。
北畠政郷はその返事として、
「この件、国内の政務がたまっているので伊勢に在国している。
よって、代官分として一門の木造家を当家の窓口と定めて京都に駐在させている」。

大綱・・・たいこう・だいごう

(意味)
大方。おおよそ。だいたいのところ。大略。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応七年四月十六日条より

越中祗候公家号日野在之云々田舎殿云々、入道也、故大臣息也、何者哉、安野参申、上意無相違云々、伊勢兵庫在之、廣橋ハ色々詫言申入子細在之、大綱無爲云々、

(書き下し文)
越中伺候の公家に日野と号す(者)これ在ると云々
(田舎殿と云々。入道なり。故大臣の息なり。)
何者かな。
安野が参り申す。
上意に相違無くと云々。
伊勢兵庫にこれ在り。
広橋は色々詫言を申し入る子細これ在り。
大綱無為と云々。

大樹・・・たいじゅ

(意味)征夷大将軍の異称。大樹将軍の略。

 (備考)大樹将軍とは後漢時代の将馮異ふういのことで、彼のみが決して功を誇らず、大樹の下に退いたという故事からきている。
日本では転じて徳のある御大将の意味合いで用いだしたのだろう。
例文)

九日、天晴、今日大樹若君御上洛、従濃州御上洛云々、
 (九日、天晴、今日大樹若君(足利義昭嫡子)御上洛、濃州より御上洛とうんぬん)
   『孝親公記(天正元年十一月九日条)』より抜粋

怠状・・・たいじょう

(意味)
自分のあやまりを詫びる証文。
過失を認める旨の謝罪状のこと。

大般若経・・・だいはんにゃきょう

(意味)
仏界用語。
「大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)」の略。
般若(=知恵)によってみれば、万有はみな空であることを説いた経。
さらに略され「般若経(はんにゃぎょう)」と呼ばれることもある。

 (備考)
サンスクリット語で記された般若経典は西暦150年ごろに成立し、徐々に近隣諸国へ浸透した。
漢族の玄奘三蔵は、太宗から持ち帰った経典群を翻訳し、独自の解釈を含めた『大般若波羅蜜多経』を663年に完成させた。
この600巻に及ぶ膨大な漢訳は『大般若経』として日本にも伝わり、神仏習合を説く基本経典として宗派を問わず親しまれてきた。
なお、教祖日蓮の説く法華経を強く信奉する法華宗は、その限りではない。

内裏・・・だいり

(意味)「禁裏・禁裡」を参照のこと。

大略・・・たいりゃく・ほぼ

(意味)おおかた、あらまし、大体。

 (備考)
例文) 『多聞院日記(永禄十二年九月七日条より)』

一、去月廿日、信長人數八万余騎にて勢州へ入、大略落居にて本所ハヲカツツチノ城ニ御座、天源寺ノ城持云々、
 (一、去月二十日、信長人数八万余騎にて勢州へ入り、大略落居にて本所(北畠具房)はヲカツツチの城(大河内城)に御座、天源寺(天花寺)の城は持つとうんぬん。)

薪能・・・たきぎのう・たきぎおのう

(意味)
薪の宴の能楽のこと。
興福寺が起源とされており、夜間の野外などで薪に火を焚き、能楽に興じる儀式のこと。
興福寺では”たきぎおのう”と呼ばれているようだ。
一般的には夏場に行われるとあるが、史料を読む限り、いつ頃行われるのかよくわからない。

 (備考)
例文1) 『多聞院日記』天正四年二月七日条より

原田備中守薪能見物ニ下向、成身院宿、同代官衆ハ蓮成院、順慶ハ圓明院懃之、伴衆近所ノ地下ニ宿ヲ押取ニ被申付、松永ハ五大院ニ宿取了、以上人數千余下、六日・七日能無之、猿樂ハ金春・金剛・観世、以上三座云々、

(書き下し文)
原田備中守(原田直政)薪能見物に下向。
成身院に宿す。
同じく代官衆は蓮成院、順慶(筒井順慶)は円明院にこれ勤む。
伴衆は近所の地下に宿を押取に申し付けられ、松永(松永久通)は五大院に宿を取りおわんぬ
以上、人数千余りにくだる。
六日・七日は能これ無く。
猿楽は金春・金剛・観世、以上三座云々

例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応四年正月六日条より

・猿楽初之金晴・宝生生参申、座中無人數之間・・・

出・・・だす・だし・いで

(意味)出る、出す

佐・・・たすく・たすけ・さ・すけ

(意味)わきを支えて助ける。補佐すること。助勢すること。

彳・彳亍・彳立・佇・・・たたずむ・てき・ちゃく

(意味)たたずむこと。立ち止まること。行ったり来たりすること。

立毛・・・たちげ

(意味)
収穫前の田畑で、まだ刈っていない農作物のこと。
稲などを指すことが多い。

 (備考)
「毛」は畑作物を指す。

例文) 『善福寺文書』永禄十年九月日付織田信長禁制

   禁制      千手堂
一、陣取、放火之事、
一、濫妨・狼藉之事、
一、伐採竹木、猥立毛苅事、
右条々、於違犯之輩者、速可処厳科者也、仍下知如件、

(書き下し文)
   禁制      千手堂
一、陣取り、放火の事。
一、濫妨狼藉の事。
一、竹木の伐採、みだりに立毛を刈る事。
右の条々、違犯の輩に於いては、速やかに厳科に処すべきものなり。仍って下知くだんの如し

忽・乍・・・たちまち

(意味)即座に。すぐに。

 (備考)「乍」はほかに”ながら“・”はじめて”・”つくる”・”さ”・”ぜ”とも読む。
例文) 『(推定元亀四)正月二十七日付武田信玄書状』(醍醐理性院所蔵文書)

咎三、累年之錯乱以来、或成敵或成味方族有之、然而一度令赦免後、高槻今中城高宮以下士、行死罪、併同籠鳥、何以爲実、何以爲頼哉、誰不悪之、

(書き下し文)
咎三。
累年の錯乱以来、或いは敵なり、或いは味方のと成しこれあり。
然して一度赦免せしめた後、彼高槻(摂津国)今中城高宮以下の士にたちまち死罪を行い、併せて同じ籠の鳥何を以て実を為し、何を以て頼みたるかな。誰もその罪悪からず。

達・・・たっす・たっし

(意味)~に至る、達成する

塔頭・・・たっちゅう

(意味)
師の墓を守るために傍に小院を設けたところから、寺の中にある小院をいう。
もとは禅宗用語であったが、他宗派でも浸透し、塔頭に類する建築物が建てられた。

 (備考)
寺中(じちゅう)・塔院・院家(いんげ)もほぼ同意と思われる。
例文) 『元亀三年四月二十五日付織田信長朱印状(大徳寺文書)』

当寺、同諸塔頭領幷門前、賀茂境内、其外雖出棄破之朱印、不混自余之条、永令免許畢、但近年落来分除之、当知行之所寺納不可有相違、付、塔頭於退転者、可為其尤者也、仍執達如件

(書き下し文)
当寺・同じく諸塔頭領並びに門前、賀茂境内、その他棄破朱印を出すといえども、自余に混せざるの条、永く免許せられおわんぬ
但し近年落ち来たる分はこれを除く。
当知行の所は、寺納相違あるべからず。
付けたり、塔頭退転に於いては、その咎たるべき者なり。
仍って執達くだんの如し

(現代語訳)大徳寺と諸塔頭しょたっちゅう領並びに、その門前、賀茂境内、その他売買契約無効の朱印を出した土地でも、特例により永久に大徳寺領とする。
ただし、近年に脱落した分はその限りではない。
現在の知行分は、年貢の納入を保証する。
加えて塔頭が退転した場合には、その責任を問うものとする。

達而、達・・・たって、たっての

(意味)どうしても、強いて

縦令、縦、仮令、仮・・・たとえ・たとい

(意味)例え、例えば

 (備考)例をあげると


去程に、常々奥方などのことをばいかでか存知候べき、縦令(たとい)ば表なりとも我と見ざること多かりけれ。

(さて、常日頃、奥方などのことを如何に伺い知ることができようか。
例え表向きのことであっても、見えないことが多いだろう。 )

  政宗記「政宗一代之行儀」より

奉・・・たてまつる、たてまつり

(意味)
①差し上げる。献上する。(与うの謙譲語)
②召し上がる。(食うの尊敬語)
③お召しになる。(着るの尊敬語)
④お着せ申し上げる。お乗せ申し上げる。(着す・乗らすなどの謙譲語)

 (備考)
もともと古代期において「奉」は「まつる」と訓読されていたようだ。
古代期では謙譲の意を表すものとして、他に「聞こゆ」「申す」があった。
「聞こゆ」は「思う」など心の動きを表すものに多く用い、「申す」は「語る」「読む」など言語活動に関する動詞や、「感ず」など心の動きを表す動詞についたのに対し、「奉る」は、多く動作を表す動詞や「見る」「聞く」または助動詞の「す」「さす」「る」「らる」などに付いた。
「聞こゆ」「奉る」ともに、中世以後は用いられなくなっていき、かわって「参る」「申す」が多用されるようになった。

以下の内容については「承・奉・・・うけたまわり・うけたまわる」の項に詳述した。
・「奉」は「うけたまわる」とも読む例
・「仕奉」・「奉請」・「謹奉」・「奉之」・「奉覧」などの読み

本項の主要参考資料:
三保忠夫(1982)「古文書類における「奉(うけたまはる)」について」,『鎌倉時代語研究』,5,78-94.
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館
林陸朗(1989)『古文書・古記録難訓用例大辞典』柏書房

七夕・棚機・・・たなばた

(意味)
たなばた祭のこと。
陰暦七月節日の夜、織女星しょくじょせいを祭る祭り。
大陸の伝説に、織女星はこの夜、天の川を渡って牽牛星けんぎゅうせいと合うという伝説がある。星祭。乞巧奠きこうでん。聖降日。

日本には奈良時代に伝わり、古来から語られる伝説・棚機津女(たなばたつめ)と合わさり、(日本では)七月七日が節日と定められた。
宮中の行事としておもに公家の間で歌詠みの会などが催されたが、近世からは庶民にも広まり、織女と牽牛にまつわる詩歌や機織などの芸事上達が願われた。

 (備考)
例文1) 『多聞院日記』永正二年七月七日条より

七夕之祝言、珍重々々、
 ふる雨に水まさるとも年に一夜情を懸よ笠さきの橋

例文2) 『言継卿記』天文二十三年七月二日条・七月七日条より

二日、辛丑、自丑刻風吹、天睛、自申下刻雨降、天一天上、
今朝七夕御題申出了、則廻文調之長橋殿へ進之、如此、折紙、
   七夕
 右七夕御題、可令詠進給之由被仰下候也、
 七月二日   言繼



七日、
丙午、天睛、天一天上、
今日聖降日之間、鎭宅靈符御座行之了、
 
(中略)
御懐紙調進之、同飛鳥井前亞相、日野亞相懐紙到、持参了、予歌、
   
七月七日同詠七夕帶和歌
           
按察使藤原言繼
 めくり逢て結ふ契りや天の河二の星の中のしたおひ

(書き下し文)
二日。(
辛丑かのとうし。丑刻より風吹く。天晴。申下刻さるのげこくより雨降り。天一天上。)
今朝、七夕御題の申し出おわんぬ
則ち 廻文 これを調え、長橋殿(長橋局)へまいらす
かくの如く折紙
   七夕
 右七夕御題、詠じまいらせしめ 給う べきの由、仰せ下され候なり
 七月二日   言継(山科言継)


七日。(
丙午ひのえうま。天晴。天一天上。)
今日聖降日の間、鎮宅霊符御座これを行いおわんぬ。
 
(中略)
御懐紙これを調いまいらせ、同じく飛鳥井
さきの亜相、日野亜相が懐紙に到り、持参おわんぬ。
予の歌。
   七月七日同詠七夕帯和歌
           
按察使あぜちし藤原言継
 めぐり逢いて結ぶ契りや天の河
  二の星の中のしたおび

※天一天上(てんいちてんじょう)は方違かたたがえの神とされる天一神なかがみが天に上がっている日のことで、日本の陰陽道では癸巳みずのとみ日から戊申つちのえさる日までの16日間、人がどの方角へ出かけても吉とされる期間を指す。
 ⇒参考「十干(じっかん)」⇒「方違(かたたがえ)

※鎮宅霊符(ちんたくれいふ)は家内の安全を保つために行われる祈祷のこと。またはその儀式。
鬼や魔などの邪気を取り払うために行われた。
「太上秘法鎮宅霊符」・「鎮宅七十二道霊符」も同じ意。

憑・恃・・・たのみ・たのむ

(意味)
頼りにする。信頼する。
支援や庇護を頼る。

 (備考)
中世では人を頼む・信頼するという意で、上向きの丁寧な言い回しとしてよく用いられた。
江戸中期以降に頼りにするの意が次第に失われ、”頼”の字が主流となった。
例文) 『(天正元)十月十九日付鳥屋尾満栄発給文書(太田家古文書)』

「今日々と申候ヘハ、悉桑名表御筈者相違仕候、我等共もうつけに成候て、乍存知、逗留仕候やうに、可被仰付候、彼是迷惑千万候、御分別候て、御急奉候、」
 (今日今日と申し候へば、悉く桑名表への御筈は相違い仕り候。我ら共もうつけに成り候てと存知ながら、逗留仕り候様に、仰せ付けらるべく候。かれこれ迷惑千万に候。御分別候て、御急ぎ頼み奉り候。)

「憑」のくずし方と用例

「憑」のくずし方と用例

「次」の下に「云」がある字を「憑」と覚えてたら良いかもしれない。

踏皮(蹈皮)・単皮・・・たび

(意味)足に直接履く衣類の一種。足袋のこと。
当初は皮革すなわち白皮を用いたが、戦国期に木綿の普及すると木綿足袋が流行った。

為・・・ため

(意味)
①目的。目当て。
例)「~をせんがために」

②利益となるようにすること。便益。
例)「公方様の御ために」

③~ゆえ、~のせい。
「すでに敵のために討たれけりと思いしかば」

 (備考)
「為」の字はほかに「為(なす)」や「可為(~たるべし)」、「為(~として)」、「奉為(おんため)」などが古文書でよく見る。

例文) 『(元亀三)五月二日付織田信長書状(小早川家文書)』

仍大友宗麟、累年京上望之由候、此比も雖被覃案内候、其方与別而申通半候条、令遠慮、未能返答候、可有如何候哉、天下之儀信長加異見刻、遠国之仁上洛之事、且者京都、且者信長、尤候歟、被遂御分別示給候者、豊州へ可申送候、

(書き下し文)
仍って大友宗麟、累年京上の望みの由に候。
このごろも案内に及ばれ候といえども、其方そなたと別して申し通ずる半ばに候条、遠慮せしめ、未だに返答能わず候。
如何あるべく候
天下の儀信長意見を加うるきざみ、遠国のじん上洛の事、且つは京都のため、且つは信長のためもっともに候か。
御分別を遂げられ、示し給い候はば、豊州(大友宗麟)へ申し送るべく候。

給・賜・・・たもう・たまい・たまわる

(意味)
①「与う」「授く」などの尊敬語として「くださる」・「お与えになる」とする意味。
 ⇒「お与えになる」・「お授けなさる」など

②人を誘ったり、下知を下す際に用いる語。
 ⇒「汝、〇〇し給え」=「〇〇し候え」と同じ意。

③話題になっている主体の動作、または状態を表す動詞に付いて、その主体に対する話し手または書き手の敬意を表す語。
 ⇒「我が主が天下を治め給えば・・・」

④尊敬の助動詞「す」・「さす」と重ねて、いっそう深い敬意を表すのに用いる。
 ⇒「〇〇せ給う」・「〇〇させ給う」

⑤稀に「思う」・「見る」・「聞く」・「覚ゆ」・「知る」・「申す」などの限られた自己の動作、動詞にも用い、「~させていただく」といった謙譲語の意を指すこともある。
 ⇒「〇〇と申し給うるに・・・」

 (備考)
例1) 『大乗院寺社雑事記』明応四年正月四日条より

一、河本小三郎参申、油煙二廷、扇一本之、
 (河本小三郎参り申す。油煙二廷・扇一本これを給う。)

例2) 『木造記(諸学聞書集本)』より

応永廿二年乙未、伊勢国司北畠大納言満雅卿、足利義持公ニ対シ謀叛ノ事アリ、将軍近江六角家、伊賀仁木家、大和筒井・越知・十市・久世、当国長野・雲林院・神戸・関・峯・千草以下ノ軍兵ヲシテ是ヲ攻ヒシカトモ、国司要害ヲ拵、南伊勢諸所ニテ防戦数日ヲ経ケルニヨリ、将軍国司ト和睦アツテ、無事ニ成ヒヌ、

(書き下し文)
応永二十二1415乙未きのとひつじ、伊勢国司北畠大納言満雅卿、足利義持公に対し謀叛の事あり。
将軍近江六角家、伊賀仁木家、大和筒井・越智・十市・久世、当国長野・雲林院うじい神戸かんべ・関・峯・千草以下の軍兵をしてこれを攻め給いしかども、国司要害を拵え、南伊勢諸所にて防戦数日を経けるにより、将軍、国司と和睦あって、無事に成り給いぬ。

例3) 『(天正元)十月十六日付織田信長書状案(剣神社文書)』

神前祈念之巻数、殊種々贈候、即得其意候、委細使僧可相達候、謹言、

(書き下し文)
神前祈念の巻数、殊に種々贈り給い候。
即ちその意を得候。
委細使僧相達すべく候。謹言。

※贈給(送給)候は「お贈り下さり」とする受け取る側の返事である点に注意。
(「贈りました」ではない)

「給」・「賜」のくずし方

「給」・「賜」のくずし方

「給」は「然」と非常に似たくずし方をしているのが普通。
どちらも頻出する文字なので、原型を留めないほどくずされることが多い。

可為・・・たるべく・たるべき・たるべし

 (備考)
中田祝男(1984)『新選古語辞典』によると、平安時代初期頃までの「たる」は漢文訓読として存在はしていたが、和文にはほとんど用いられていなかった。鎌倉期以後に和漢混交文として次第に用いられるようになったとある。
それまでの和文では、もっぱら「~なり」が用いられていた。

なお、「為」の字はほかに「為(なす)」や「為(~として)」、「為(~のため)」、「奉為(おんため)」などが古文書でよく見る。

「~たり」とある場合

ある動作・作用が完了し、その結果が存在していることを示す。
「~た」「~である」

例)~に見えたり。討ち取ったり。

「~たる」とある場合

ある動作・作用が継続して、その状態のままでいることを示す。
「~ている」

例)これが確たる証拠である。

「~たらん(たらむ)」とある場合

完了の助動詞「たり」の未然形に推量の助動詞「む」がついたもの。
「~ただろう」「~たような」「~ているだろう」「~たとしたら」

例)主君に成り代わり、我が一国の守護たらんと。

「~たりけり」とある場合

完了の助動詞「たり」の連用形に過去を示す助動詞「けり」がついたもの。
感嘆や感動の意を含む。
「~してあった」「~していた」「~したのだった」

例)大軍を引き受け苦戦数度におよび、ついに討死をぞなしたりけり。

用例

例文1) 『大乗院寺社雑事記』文明十一年十一月三日条より

河内勢可有發向之由、實說者且如何、十市ハ止合戦引籠山内了、筒井ハ福住引籠、内者共不合期不和也云々、

(書き下し文)
河内勢(畠山義就の手勢)発向有るべきの由、実説たるは且つ如何、十市は合戦を止め山内に引き籠りおわんぬ
筒井は福住に引き籠り、内者ども不和・不合期なりと云々

例文2) 『福島家古文書』天正元年十一月十五日付北畠具豊書状

福嶋一跡之儀、其方之息子鍋次郎に一円被成御扶持候、然者、同名被官・寺庵・家来等迄可為如先々候、

(書き下し文)
福嶋一職の儀、其の方の息子鍋次郎に一円御扶持成され候。
然らば、同名被官・寺庵・家来等まで、先々の如くたるべく候。

例文3) 『隠心帖』元亀元年五月十五日付織田信長安堵状案

其方当知行分内寺庵方、其方諸事可為如前々、縦新儀之課役雖國並、其方於分領者、相除之状如件、

(書き下し文)
其の方当知行分の内、寺庵方、其の方諸事前々の如くたるべし
たとい新儀の課役は国並たりといえども、其の方の分領に於いては、相除くの状くだんの如し

例文4) 『林文書』天正元年八月十日付織田信長書状

就在陣御所畏入候、殊一面十帖拝領、寔御懇情之至候、爰元開隙候者、可為上洛之条、万端其節可申展候、御用之事不可存疎意候、此旨洩可有披露候、恐々謹言、

(書き下し文)
在陣に就きて御書畏み入り候。
殊に一面・十帖拝領、誠に御懇情の至りに候。
爰元暇が空き候はば、上洛たるべきの条、万端その節申し述ぶべく候。
御用の事は疎意に存ずべからず候。
この旨洩し披露あるべく候。恐々謹言

段銭・田銭・反銭・・・たんせん

(意味)室町幕府が臨時に諸国の田地の段別高に応じて課した税銭。
守護・戦国大名も課し、戦国時代には恒久税になり、年貢の付加して課せられた。

 (備考)
例文1) 『氷室和子氏所蔵文書(元亀三年十一月二十四日織田信長黒印状)』

納 西御堂方反銭之事、
  合拾貫文 金子五両 足立清左衛門尉
            祖父江五郎右衛門持分之内、
右且納如件、

元亀参年十一月廿四日   (信長黒印)

納む 西御堂方反銭の事。
合せて十貫文、金子五両、足立清左衛門尉、祖父江五郎右衛門持分の内。
右、且つは納むるところくだんの如し(以下略)

例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応六年十月二十三日条より

一、今度筒井・成身院等立願条々、私反銭不可切之、奈良中陣夫不可申付之、地口・丁銭・壺銭・相舞銭等不可相懸旨、令立願間出頭了、誠以珍重事也、如此間者奈良ハ可滅亡事也、誠以神慮忝々々、

(書き下し文)
この度筒井・成身院等立願の条々、私反銭これを切るべからず
奈良中人夫へこれを申し付くるべからず。
地口・丁銭・壺銭・相舞銭等相懸くべからざるの旨、立願せしむるの間、出頭しおわんぬ
誠に以て珍事の事なり。

かくの如きの間は、奈良は滅亡すべき事なり。
誠に以て神慮かたじけなしかたじけなし。

歎息・嘆息・短息・短束・・・たんそく・たんぞく

(意味)
①息をつく間もなく奔走すること。馳走すること。
②事態を苦慮し、気をもむこと。
③心配すること。心遣い。
④細心の注意を払うこと。

 (備考)
他にも「嘆惜」は「たんせき」と読み、歎き惜しむこと。
「嘆々」は「なくなく」と読む。

檀那・旦那・・・だんな

(意味)
①仏に金品を施し納める信者を僧の側からいう語。
②檀家(だんか)に同じ。
③下僕・家人・奴婢などが主人をさしていう語。
④商人が客を敬いいう語。
⑤妻が夫を指して言う語。

 (備考)
サンスクリット語で布施を意味する「dāna」が語源。
日本では施主・檀越を意味する「dana-pati」と混用されて用いられた。

段別・反別・・・たんべつ

(意味)一つ一つの田に対して農民に課せられる賦課税のこと。
段銭と同意。段別銭ともいう。

 (備考)
例文)

一國平均反銭今日自唐院新坊相催之、神供闕如之間云々、反別百文宛也、寺門無物間、於當年者可及其沙汰之由、自去年聞之者也、但六方ハ不可同心歟云々、寺門反銭与門跡反銭同時事、先例ハ及度々、
 (一国平均に反銭、今日唐院新坊よりこれ相催す。神供じんく事欠くの間とうんぬん。反別百文を宛てるなり。寺門物無きの間、当年に於いてはその沙汰に及ぶべきの由、昨年よりこれ聞くものなり。ただし、六方(六方衆)は同心すべからざるかとうんぬん。寺門反銭と門跡反銭同時の事、先例はたびたび及び・・・)
   『大乗院寺社雑事記(文明二年九月三日条より)』

知行・・・ちぎょう

(意味)年貢の収取など土地の支配と用益を指す。

 (備考)
不知行(ふちぎょう)当知行(とうちぎょう)

逐電・遂電・・・ちくでん

(意味)
①速力の早いこと。
②跡をくらまして逃げること。逃亡。出奔。
語源は「電(稲妻)を逐う」ところから。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応六年三月九日条より

一、法性院之又三郎於玉阿ミ所被敏害了、玉阿負手遂電了、以外次第也、巨細古市方ニ仰遣之、共以彼方縁者有之者也、彼又三郎此間召仕奉公者也、不便々々、法性院披官分歟、奉公父子在之、

(書き下し文)
法性院の又三郎、玉阿弥所に於いて敏害されおわんぬ
玉阿に負けて遂電おわんぬ。
以てのほかの次第なり。
巨細は古市方にこれを仰せ遣わす。
共に以て彼方縁者これ有るものなり。
かの又三郎、この間召し仕える奉公者なり。
不便不便
法性院被官分か。
父子で奉公これ在り。

致仕・・・ちし・ちじ

(意味)
①官職を辞すこと。退役。致禄。隠居。
②七十歳の異称。

 (備考)
「致」は返すこと。
「仕」は臣下として仕えること。
漢文のため語順を日本語に直すと「仕を致(かえ)す」となる。

②は律令時代に著された『礼記』の「曲礼」に「大夫七十而致仕」とあることから、齢70に達すると官を辞し退くことを許されたことが語源となっているのだろう。
従って②の意味が転じて①が用いられたと思われる。

本項は中田祝男(1984)『新選古語辞典』をおもに参照

馳走・・・ちそう

(意味)走り回ること。奔走。食事を出すなどして客をもてなすこと

 (備考)現在では自分からもてなすときにのみ用いられるが、昔は目上の者が「馳走せよ」と上から目線で用いられることが普通であった。

治定・・・ちてい・じじょう

(意味)治定(じじょう)の項を参照のこと。

治罸・治罰・・・ちばつ

(意味)
懲罰のこと。または征伐すること。

着到・・・ちゃくとう

(意味)
到着の意。
もとは役所に備え付けておいて、出勤した役人の氏名を記入した帳簿・出勤簿を指した。

のちに出陣の際、諸方から馳せ集まった軍勢の来着を記録したものを指すようになった。帳簿。着到状。

 (備考)
戦国北条氏による着到状が有名。
これは、戦時における訓戒・石高あたりの動員騎数などを規定し、厳しい罰則も設けるなど、「着到」を拡大的に解釈した用語であろう。

誅・・・ちゅうす

(意味)罪あるものを殺すこと。謀りごとをもって殺すこと

忠節・・・ちゅうせつ

(意味)主君などに忠義を尽くすこと

中風・・・ちゅうふう・ちゅうぶ・ちゅうぶう

(意味)
脳出血などの後遺症によって起きる腕・足等の麻痺のこと。
中気。中症。

停止・・・ちょうじ・ていし

(意味)差し止めること。やめさせること。

調義・調儀・調戯・・・ちょうぎ

(意味)
①もくろむこと。たくらむこと。
工面。才覚。やりくり。計略。

②出陣して攻めること。
または戦いそのもの。勝負。

③(おもに「調戯」と記される)
からかうこと。
あざけり戯れること。

④(おもに「調戯」と記される)
なぶって取ること。詐取。

 (備考)
古語辞書にない場合「てうぎ」で調べてみよう。
①は和睦の交渉の際に「調(ととのう)」と記される場合もある。
「和睦之御調」など。

例文) 『細川両家記』

攝州伊丹方は一乗院殿越前敦賀に御座の時より連々調儀共有、所領三万石給、此時色を立、

(書き下し文)
摂州伊丹方は一乗院殿(足利義昭)越前敦賀に御座の時より連々調儀とも有り。

所領三万石を給わり、この時色を立つ

牒す(ず)・・・ちょうす(ず)

(意味)「以牒」の項を参照のこと。

庁宣・・・ちょうせん

(意味)
平安時代中期ごろ、国司遥任ようにん制(国司が赴任国へ代官を派遣し、自身は赴かないこと)が一般化するに伴って発生した公家様式の文書
文書の内容は命令の下達・訴訟の裁決・人事・所領の安堵・寄進・諸役免除・権利の付与が多い。

 (備考)
在京する国守から任地の国衛に設けられた留守所に文書を発給する必要が生じ、国符に代わって庁宣が使用されるようになった。
その際は書出に「庁宣」と書き、その下に宛所を書き、書留文言は「以宣」と結ぶ。
日付の次行に差出人たる国守の官職、氏・姓・花押を据える。
宛所に多いのは留守所をはじめ目代(もくだい)・在庁官人(ざいちょうかんじん)・郡司(ぐんじ)である。

12世紀後半、知行国守制が発生すると、知行国主が庁宣に袖判を据え、官職名は大介(おおすけ)と書くのを例とした。

※本項の大部分は瀬野精一郎(2018)『花押・印章図典』を参照

打擲・・・ちょうちゃく

(意味)打ちのめされること。殴ること。

例文) 『大乗院寺社雑事記』明応五年十二月十三日条より

一、去月祭礼前、吉田師公仕丁丸打擲之、半死半生也、惣仕丁及異儀歟、
 (去月の祭礼前、吉田師公丁丸に打擲仕り、半死半生なり。総じて異儀に及ぶか。)

調伏・・・ちょうぶく

(意味)
①仏界用語。
身・・意の三業を調和統一して悪行を征服すること。

②密教で仏の力を祈って怨敵やたたりを降伏させること。

③転じて人を呪い殺すこと。呪詛を意味するようになった。

 (備考)
例文) 『多聞院日記』永禄十一年二月二十一日条より

今度秋山寺門領不迦之間、調伏之第一ノ處、如此相果事神罰無疑者也、

(書き下し文)
この度秋山(秋山直国)寺門領不迦の間、調伏の第一のところ、かくの如く相果つるの事、神罰疑い無きものなり。

調物・・・ちょうもつ

(意味)貢物。貢物として納める品物。

重陽・・・ちょうよう

(意味)陰暦の9月9日のこと。
奇数月(陽数)の極たる”9″が重なるところから、古来から吉日とされた。
公家社会や武家社会では、菊の酒を飲み、盛んに進物を贈り合い、歌会などが催される傾向にあった。
菊の節句、重陽の節句とも呼ばれる。

 (備考)
他に節日せちにちに贈る例として、年初(正月初旬)・端午(五月初旬)・八朔(八月一日)・歳暮(年末)などがある。
例文)『本願寺顕如宛(天正八年)九月八日付織田信長黒印状』

重陽之祝詞、使者特小袖、袷肩衣、袴送給候、懇志寔幾久胎然候
 重陽の祝詞として、使者特に小袖、袷肩衣(あわせかたぎぬ)、袴を送り給い候。懇志誠に幾久しく胎然に候。)

勅願所・・・ちょくがんじょ

(意味)時の天皇・上皇の命令によって国家鎮護・王体安穏などを祈願する社寺。天皇の祈願所のこと。

(備考)
寺も勅願所とするかどうかは見解が分かれるのかもしれないが、もっとも大事なことは文書の筆者がどう考えていたのかを推し量ることだと考える。
例文)

壬生西五条田、同諸塔領所々散在等之事、依為勅願所、不混自余、被成御朱印候条、別而各御馳走候而、任当知行之旨、寺納候様、御入魂専一存候、
 (壬生西五条田・同じく諸塔領所々散在等の事、勅願所たるに依り、自余に混せず、御朱印をなされ候条、別しておのおの御馳走候て、当知行の旨に任せて、寺納候の様に、御昵懇専一に存じ候。)
   『妙心寺文書(元亀三年十月七日付矢部光佳書状案)』

珍重・・・ちんちょう

(意味)めでたいこと、祝うべきこと。または珍しいものとして大切にすること

 (備考)
例文1) 『言継卿記』(元亀元年六月四日条より)

織田弾正忠信長之内、佐久間右衛門尉・柴田修理亮・江州衆進藤・永原等勝軍云々。珍重々々
 (織田弾正忠信長のうち、佐久間右衛門尉(佐久間信盛)・柴田修理亮(柴田勝家)・江州衆進藤(進藤賢盛)・永原(永原重虎)等勝軍と云々。珍重珍重

例文2) 『(天文二十一)六月十四日付広橋兼秀副状(島津家文書)』

嶋津修理大夫為宣下御礼、御太刀一腰清光、御馬一疋進上之儀、御執奏之趣、則致奏聞候処、女房奉書如此候、珍重存候・・・

(書き下し文)
島津修理大夫(島津貴久)、宣下の御礼として、御太刀一腰(清光)、御馬一進上の儀、御執奏の趣き、すなわち (闕字奏聞そうもん致し候ところ、女房奉書かくの如く候。珍重に存じ候・・・

関連記事:本状と副状の違いを後奈良天皇奉書から比較してみよう!

就・・・ついて・つきて

(意味)おもむく。つきしたがう。つく。仕事にとりかかる。

 (備考)「就御上洛刻、」=”御上洛のきざみに就きて”

「就」のくずし方と用例

「就」のくずし方と用例

文章の冒頭・書簡の書出しでも登場する場合が多い。
「就(ついて)」に限らず、「於(おいて)」・「如(ごとく)」などの接続詞は返読する場合が多い。
書出し部分に「龍」や「然」っぽい字が見えたら「就」の可能性を考えよう。

付而、付・・・ついて、つき

(意味)おもむく。つきしたがう。つく。仕事にとりかかる。

仕度・・・つかまつりたく

(意味)~致しの未然形・連用形。

遣・・・つかわす・つかわし

(意味)行かせる、使いとしてやる、つかわす、(物品を)おくる

 (備考)

「懇」のくずし方
「遣」のくずし方

「遣」のくずし方は「畿(き)」に似た形が一般的である。
多くの場合、しんにょうはこのようなくずし方をするので、そこで判別しよう。
なお、「遠」もこれと非常に似たくずしをするので注意が必要である。
文脈で判断しよう。

例文) 『観音寺文書』(元亀三)二月八日付武井夕庵書状

友閑腫物煩ニ付て、其方ニ候外教くすし早々被之様ニと殿様直々御折帋被候、于今其御返事無之、くすしも不被越候、如何なる御事候哉、早々御越あるやう、夫丸、馬之事ハ佐甚九へ成共、貴所御馳走候て成共、被仰付候て、早々御越待申候、恐々謹言、

(書き下し文)
友閑(松井友閑ゆうかん腫物はれもの煩いに付きて、その方に候外教げきょうくすし、早々わさるるの様にと、殿様(織田信長)直々に御折紙おんおりがみわされ候。
今にその御返事これ無く、くすしも越されず候。
如何なる御事おんことに候
早々御越しあるよう、夫丸・馬の事は、佐甚九(佐久間信栄)へなりとも、貴所御馳走候てなりとも、仰せ付けられ候て、早々御越し待ち申し候。恐々謹言

※外教くすしとは、近江国芦浦観音寺に滞在する耶蘇会(カトリック教徒の一教団)の一団のこと。
宣教師は異国の人心を掴むため、医術(特に外科)に長けた者も存在する。

次・・・つぎに、ついで

(意味)すぐあとに続くこと、順序・順位がすぐあと

付状・・・つけじょう

(意味)「披露状(ひろうじょう)」と同意。こちらをご参照のこと。

付・附・・・つけたり

(意味)
①本題・本件を補足する形で、別の事項を書き添えること。
②うわべだけの名目。口実。

 (備考)
権力者が発給する条書や制札の類によく見られる。
公家や門跡の日記にも見られる。
実際の史料では、「」と脇に小さく記されることが多い。

例文) 『善立寺文書』元亀三年九月日付織田信長朱印状

 定 条々

一、楽市、楽座たる上ハ、諸役令免許畢、幷国質、郷質不可押□、
、理不尽之催促使停止之事、
一、往還之荷物当町江可着之事、
一、年貢之古未進幷旧借米銭已下、不可納所之事、

右於違背之輩者、可処罪科之状如件、

(書き下し文)
 定 条々
一、楽市・楽座たる上は、諸役を免許(=免除)せしめおわんぬ
 並びに国質郷質を押□べからず。
  
付けたり、理不尽の催促を使い、停止の事。
一、往還の荷物は、当町へ着くべきの事。
一、年貢の(古未進 申し訳ありませんがここ読めません)並びに旧借米銭以下、納所すべからざるの事。
右、違背のともがらに於いては、罪科に処すべきの状くだんの如し

尽・・・つくす・つくし・つき

(意味)尽きるまでする。他のもののために、精一杯働く。尽力する。

具・備・・・つぶさに

(意味)
①詳細に。詳しく。
②すべてを洩れなく。悉く。

 (備考)
史料によっては「具遂被覧(つぶさにひらんをとげ)」と助詞を脇に小さく記すパターンもある。
書簡の終わりに記される「不能具候(つぶさにあたわずそうろう)」は、「詳細は省きます。」の意。
また、「具」はほかに「ぐす」や「そなえ」とも読む場合があるので注意が必要である。

例文) 『(年次不詳)十一月三日付穴山信君書状(真田宝物館所蔵文書)』

芳札之旨被閲、本望之至候、如貴意関越当方鉾楯、更不落居為体候、

(書き下し文)
芳札ほうさつの旨つぶさに被閲、本望の至りに候。
貴意の如く関越当方(関東と越後と武田)の鉾楯ほこたて、更に落居せざるのていたらくにて候。

為躰・為躰・・・ていたらく

(意味)
なりゆき。物事の様子。ありさまを表す。
書状ではネガティブなニュアンスや自嘲を込めた表現で用いられることが多い。

 (備考)
「たらく」は完了の助動詞「たり」の未然形「たら」に「事」を意味する準体助詞「く」がついたもの。
・・・であることの意。
もとは和文調よりも漢文訓読で用いられていたが、中古期から一般化した。
「ぶざま」を意味するようになったのは近世以降とする説もある。

「躰」のくずし方

「躰」のくずし方

くずし字で「体」に見えないのは、異体字である「躰」をくずしたものだからである。
旧字(正字)は「體」。

底本・・・ていほん・そこほん

(意味)
文献を校訂や翻刻・書写などする際に、よりどころとする本。
古典の本文ほんもんは、いろいろな事情によって原本のままには伝わらないのが普通である。
そのため、底本を明記することが何よりも重要である。

 (備考)
「そこほん」と読むのは「定本(ていほん)」と区別するため。
諸伝本を含んでいる異文を広く認識するために、便宜的に用いられる場合が多い。
しかし、原本に近い「善本」であるなどという特殊な価値があるわけではない。

例えば
『群書類従』 第二十二輯 武家部の『年中定例記』の奥書には
「右年中定例記以伊勢貞春本校合畢(右、『年中定例記』伊勢貞春本を以て校合しおわんぬ。)」とある。

『群書類従』 第二十一輯 合戦部の『伊達日記上・中・下』の3冊の奥書には
「右伊達成實記三冊依無類本不能校合(右、『伊達成実記』三冊、類無き本に依り校合能わず。)」とあり、異本と校合できなかった旨を明記している。

『群書類従』 第十九輯 管絃部 蹴鞠部 鷹部 遊戯部 飲食部の『厨事類記』の奥書には
「右厨事類記一日於柳堤得之頗雖有不審依無類本不能校合他日得好本可正焉(右、『厨事類記』一日柳堤に於いてこれを得、すこぶる不審有りといえども、類無き本に依り校合能わず。他日に好本を得て、ここに正すべし。)」と明記している。

定本・・・ていほん

(意味)
本文校合の結果、もっとも正確で原本に近いと考えられる本文のこと。
また、それを記した本のこと。

 (備考)
古典の本文ほんもんは、いろいろな事情によって原本のままには伝わらないのが普通である。
そうした異本の数々を照合し、 比較・検討・校正を行った上で、定本が定められる。
原本にどの程度近いかによって意義の厳格さは異なるが、中には標準となる本という程度のものも多い。

者・・・てえれば・てえり

(意味)
というわけで。
と言っている。
ということである。
以上の次第で。

 (備考)
中世以前の文書・記録に多いが、漢文調の近世史料でも使用される例もある。
接続詞「と言えれば」・「と言えり」の略で漢文訓読体の文章に用いられる。
「者」の字はほかに「もの」・「~は」・「しゃ」などと読む場合がある。

例文) 『(天文九)九月二十七日付後奈良天皇綸旨(上杉家文書)』

敵追討事、被聞食了、早可任所存旨、可令下知平晴景給、依天気言上如件、

(書き下し文)
敵追討の事、聞こしめされおわんぬ
早く所存に任すべきの旨、平晴景(長尾晴景)に下知せしめ給うべし。
てえれば天気により言上くだんの如し

手鑑・・・てかがみ

(意味)
代表的な古人の筆跡を集めて帖としたもの。
古筆鑑定の基準とし、また、愛好者が趣味で集めた。
中には優れた古筆を手本として、書の上達を目指すものもいた。

行・・・てだて

(意味)手段、対策、あるいは実際に攻め込むこと。

徹書・徹所・・・てっしょ

(意味)
①真実な証明。証拠。誓約書。

②通告。通達。

 (備考)
例文)『仙台市博物館所蔵文書』天文十二年六月十六日付大崎義宣起請文

春中、御ひ可しより御て洲志よ佐しこされ候、ちゝ申され候、心もと奈く候間・・・

(書き下し文)
春中、御ひがし(伊達稙宗)より御徹書差しこされ候。
遅々申され候。
心もとなく候間・・・

天一・・・てんいち

(意味)
陰陽道の用語。

①天一神(なかがみ)の略。

②天一天上(てんいちてんじょう)の略。

天の神は60日を周期とし、16日間は天上。
あとは巡行し、東・西・南・北はそれぞれ5日間、北東・東南・南西・西北にはそれぞれ6日ずつ滞留する。
この期間中、その方角を「ふたがり」「かたふさがり」といい、その方角に向かって行くのをきらって「かたたがへ」を行った。

①の天一神(なかがみ)は、八方を運行し、吉凶禍福をつかさどる神。
また、悪い方角をふさぎ守る神ともいう。

②の天一天上(てんいちてんじょう)は、天一神(なかがみ)が天に上っているという日で、癸巳(みずのとみ)の日から16日間の称。
この間は天一神のたたりがなく、四方へ出て行くのに支障がないとする。

(備考)
日記などの史料では、日付と干支の下に「天一太郎(てんいちたろう)」などと記される場合がある。
これは、天一天上(てんいちてんじょう)の最初の日を指す。
この日に雨が降れば、以後は天気がよくないといい、また、この日の天候で年の豊凶を占う。
快晴の時は吉、降雨の時は凶とする。

ほかに「彼岸太郎(ひがんたろう)」「八専二郎(はっせんじろう)」・「土用三郎(どようさぶろう)」・「寒四郎(かんしろう)」などが有名。

本項のおもな参考文献:
中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館

例文) 『言継卿記』永禄十年十二月十一日~十三日条より

十一日、壬辰、天晴、十方暮、五墓日、土用入、
御焼火有之、辰下刻大典侍殿御局へ参、餅にて御酒賜之・・・


十二日、癸巳、天晴、十方暮今日迄、自今日天一天上、土用、
雖爲亡父忌日、松林院在國云々不來・・・


十三日、甲午、天晴、天一天上、土公午方、土用、
鳥羽之秀椿來、薄知行伊勢國
射波いわさ白粉公用之儀に、明日人可指下之間、書状可調之由申之、對面勤一盞了・・・

天気所候也・・・てんきそうろうところなり

(意味)
綸旨などによく見られる文言。
「天気(※旧字で氣)」とは天皇の意思(天)、気色・機嫌(気)を意味する。
天皇の意図を汲んだ側近が発給する奉書形式の文書に多く見られる。
「天気如此(てんきかくのごとし)」や「天気執達如件(てんきしったつくだんのごとし)」も同じような意味。

 (備考)
字音である「てんき」は、別に「ていけ」や「てけ」と記されることもあった。
これは「ん」が撥音便のため、表記方法がまだ一定していなかった中古期に由来することが多い。
土佐日記等では「てけ」と記されている。
「てんけ」は古代期の読み方。
これは、漢字が伝来した当初、呉音読みが主流だったためと思われる。
そのため、「気」の呉音読みで「け」と発音された。
詳しくは「字音」の項を参照のこと。
一説には「てけ」とあるものは、実際の発音では「てんけ」「ていけ」と呼んでおり、「天下」のことを指すとある。

本項の主要参考資料:中田祝男(1984)『新選古語辞典』小学館

例文1) 『壬生家四巻之日記(天正元年九月四日付正親町天皇綸旨案)』

就今度京洛忩劇、去四月三日泉涌寺令軍勢乱入、天下無双舎利殿幷寺院僧坊以下令破却段、自古未聞題目候、早勧都鄙助縁、可励再造旨、対寺家被成 (闕字)綸旨訖、則仏牙下向候条、分国中奉加儀被申付者、可為神妙之由、天気所候也
   天正元年九月四日      左中将判


     伊勢

(書き下し文)
この度京洛忩劇につきて、去四月三日、泉涌寺に軍勢乱入せしめ、天下無双の舎利殿並びに寺院僧坊以下破却せしむるの段、自古未聞の題目にて候。
早く都鄙の助縁を勧め、再び造り励むべきの旨、寺家に対し (闕字綸旨を成されおわんぬ
則ち仏牙下向し候条、分国中奉加の儀、申し付けらるは神妙たるべきの由、天気候ところなり。(以下略)

例文2)

『越前島津家旧蔵文書(後醍醐天皇綸旨)』釈文(元弘3年(1333)11月8日付)

『越前島津家旧蔵文書(後醍醐天皇綸旨)』釈文

(書き下し文)
 播磨国下揖保東方地頭職、周防又五郎入道覚善に当知行し、相違有るべからず。

てえれば天気かくのごとし。これをつくせ。以て状す。

  元弘三年十一月八日  宮内卿(花押)

伝奏・・・でんそう

(意味)「執奏」の項を参照のこと。

伝奏書・・・でんそうがき

(意味)「披露状(ひろうじょう)」と同じ。こちらをご参照のこと。

天台宗・・・てんだいしゅう

(意味)
仏教八宗の一派で法華経を根本の経典とする。
奈良時代に中国の僧である鑑真がんじんが伝えた。
平安初期に最澄が唐に渡って伝来し、比叡山に延暦寺を建ててこの宗を広めた。
後に山門派・寺門派・真盛派に分かれた。

 (備考)
 ⇒「北嶺(ほくれい)
「天台座主(てんだいざす)」は比叡山延暦寺の最高位の僧職。貫主のこと。
語源の天台は中国華東区浙江省天台県にある山のことで、隋代に智者大師智顗ちぎが天台宗を開いた所である。

天役・点役・・・てんやく

(意味)
臨時に賦課された税のこと。

 (備考)
語源は天皇が課した課役のこと。
鎌倉幕府以降、朝廷の大儀や造営のある時、公領・私領を問わず臨時に賦課した雑税を指すようになったが、戦国時代以降はさらに拡大解釈され、大名の分国内でも用いられるようになった。

与・・・~と

(意味)
①動作の相手や共同者を表す。
例)「河尻丹羽、先陣の功を競いければ」

②変化の結果を表す。
例)「あはれ若君海の藻屑なりにけり」

 (備考)
他に「与(あたえる)」をはじめ「くみす」・「とも」・「あずかる」・「よ」などの読み方がある。

「者(~は)」・「二(~に)」「仁(~に)」・「ノ(~の)」・「へ(~へ)」・「ゟ(~より)」などのように助詞として多く用いるため、史料によっては脇に小さく「」が記されることもある。

「与」の旧字が「與」。
助詞以外にも「與兵衛」・「與市」といった人名としても用いられる。

また、「急与(きっと)」・「態与・・・(わざと)」といったように、状態を示す語に附属させて用いることも多い。

例文1) 『大乗院寺社雑事記』明応六年七月三日条より

一、去月多武峰越智及合戦、兩方人共被打云々、爲越智無益也、庭田所行云々、
 (去月多武峰とうのみね越智合戦に及び、両方人共討たると云々。越智としては無益なり。庭田(岸田カ)の所行と云々。)

例文2) 『(元亀三)四月五日付織田信長書状(吉川家文書)』

浦上遠江守宇喜多間之事、長々鉾楯之処、此方見除之儀、外聞如何候条、以使者申候、被遂分別、属和与候様ニ御才覚専要候、委曲三人申含候、恐々謹言、

(書き下し文)
浦上遠江守(浦上宗景)宇喜多(宇喜多直家)間の事、長々鉾楯のところ、此方こなた見除の儀、外聞如何に候条、使者を以て申し候。
分別を遂げられ、和与に属し候様に御才覚専要に候。
委曲三人に申し含め候。恐々謹言

等閑・・・とうかん・なおざり

いい加減にすること。おろそかにすること。なおざりにすること。

 (備考)
等閑(なおざり)
書状に書かれている際は、如在(じょさい)・疎意(そい)と似たような意味合いの場合が多い。
如在(如在無く)・無疎意(疎意無く)・無等閑(等閑無く)
これらは先方を疎略には扱わない、今後とも昵懇に願う旨の意味である。

逼塞・・・とうそく

(意味)ひきこもること。姿を隠すこと。刑罰の一つ。武士や僧に科された謹慎刑。
門を閉じ、昼間を出入りを禁じられた。「蟄居」や「閉門」と似ている

当知行・・・とうちぎょう

(意味)その知行地を正当に所有する権利を有する者が、現実にその土地を支配すること。
また、その権利の解釈をめぐって他者と対立し、現地を実力で支配すること(自力救済)。
見方によっては横領になり得る。

 (備考)
⇔知行の権利を有するが、実際には実現していないことを不知行という。

當手(当手)・・・とうて

(意味)当方の軍勢など

同名中・・・どうみょうちゅう

(意味)中世後期から現れた同姓武士団の団結組織。
とびぬけて支配力の強い権力者のいない地域では、同姓者が集まって惣村(そうそん)をつくり自治を行った。
これを同名惣(どうみょうそう)あるいは同名中惣(どうみょうそうちゅう)と呼ぶ。
百姓上層も加えた疑似的同族集団による支配組織も成立した。
甲賀地方の山中氏などがその例である。

兎角・菟角・・・とかく

(意味)
①とにかくにも、あれこれ、難癖、いちゃもん
②どうであっても。とにかくも。

 (備考)
例文) 『大乗院寺社雑事記』文明二年六月二十日条より

御知行之間ハ菟も角も御計、御一期後ハ門跡御知行勿論也、
 (知行の間はともかくも御計い、おん一期いちごのち門跡の御知行勿論なり。

「兎角」のくずし方と用例
「兎角」のくずし方と用例

「菟」は「免」や「亀」に似たくずし方をしている。
「角」は「桶」の旁の部分に似たくずしが一般的。
一見すると難読かもしれないが、「兎角」に続く文章は概ね似通っている。

兎角(菟角)之輩・兎角(菟角)之族・・・とかくのやから

(意味)あれこれと申してくる者、異議を申し立てて来る者

 (備考)
例文)

其刻萬一兎角之族在之者、彼身上者不覃沙汰、相抱仁躰、堅可令違乱候、
 (その刻み、万一とかくのやからこれあらば、かの身の上は沙汰に及ばず、相抱える仁躰じんてい、堅く違乱せしむべく候。)
語訳:その時、万が一何か文句を言うものがいたならば、身の上については保障しますし、召し抱えた者は、私の裁定を無視したことになります。
   『永禄四年六月二十日付浅井長政書状(個人蔵 滋賀県長浜市長浜歴史博物館提供)』

関連記事:【古文書解読初級】 翻刻を読んでみよう②(足利義昭・三好長慶・浅井長政編)

鬨の声・凱声・・・ときのこえ

(意味)
戦いの際、士気を鼓舞したり、恐怖心や寒気を振り払う目的で、大勢の者が一斉に叫ぶこと。

則・則者・・・ときんば

(意味)
此則者(このときんば)」の項を参照のこと。

徳政・・・とくせい

(意味)
①課役・田租などの免除。または大赦を行い、民に施しを与える仁政のこと。

②鎌倉時代末期から室町時代に行われた政策の一つ。売買・貸借契約を破棄した法令。

 (備考)
もとは専ら①の目的で徳政が行われた。
天災や疫病といったものは、君主の不徳から出たものと信じられていたため、それを除くために執られた政策である。
中世期に①の意味が転じ、武家政権下でおもに借財の帳消しや失地(所領)回復の目的で行われるようになった。
なお、低金利で運用される祠堂銭は徳政の対象外とされることもあった。

②では直接徳政の文言が入らなくとも、「然者借銭・借米之事、令棄破畢(しからば、しゃくせん・しゃくまいのこと、きはせしめおわんぬ。)などと表現されることも多い。

天正3年(1575)に織田信長がかつての公家領ならびに寺社本社領の失地回復を推し進める政策を行った。
実際に回復したのは一部の権益に過ぎなかったが、実質的に不知行の権益が保障されたので、これも一種の徳政と見てよいだろう。

例文1) 『賀茂別雷神社文書』元亀三年四月日付織田信長朱印状

当所徳政除之旨、去々年朱印雖遣之、于今一揆等相構之由、無是非題目也、弥買主任覚悟、入譴責使、可収納者也、猶木下藤吉郎可申届之状如件、

(書き下し文)
当所に徳政を除くの旨、去々年朱印を遣わすといえども、今に一揆ら相構うるの由、是非無き題目なり。
いよいよ買主の覚悟に任せて、譴責使を入れ、収納すべきものなり
猶木下藤吉郎(木下秀吉)申し届くべきの状くだんの如し

語訳:賀茂神社境内を徳政の除外区域とする旨の朱印状を、2年前にあたる元亀元年(1570)に発給したが、未だに徳政一揆の残党が徳政を強訴するのは残念なことだ。
いよいよ買入主の決心で督促させて収納せよ。

例文2) 『大乗院寺社雑事記』明応七年正月二十三日条より

一、徳政事越(超)昇寺・宝來等兩三人方、礼銭百五十貫可入旨申付處、自倉方今度五百貫分可出之、此内百貫未進也、此上ニ叉百五十貫ハ可出事不可得之由、倉方申放之、剰残百貫不可出云々、如此之間失面目之由、成身院申歟、仍土民共自昨日蜂起云々、

(書き下し文)
徳政の事、超昇寺・宝来等両三人方、礼銭百五十貫入るべきの旨申し付くるのところ、倉方よりこの度五百貫分これを出すべし。
この内、百貫は未進なり。
この上にまた、百五十貫は出すべき事得るべからざるの由、倉方これを申し放つ。
あまつさえ、残る百貫は出すべからずと云々
かくの如きの間、面目を失うの由、成身院が申すか。
仍って土民ども昨日より蜂起と云々。

得度・得道・・・とくど

(意味)
在家者が剃髪して僧となること。出家すること。

 (備考)
得道は当て字。
元はサンスクリット語のターラヤティで、迷いの世界を超えて悟りの世界に渡ることを意味したようだ。
例文) 『大乗院寺社雑事記』明応四年二月十二日条より

御同學興胤擬講参申、先日次々教申、先以内々儀也、御得度御新同學可召之、随而今日付衣也、

(書き下し文)
御同学興胤の擬講に参り申す。
先日次々に教え申す。
まず以て内々の儀なり。
得度、御新同学これを召すべし。
従って今日付衣なり。

※擬講(ぎこう)は講師を担った僧のこと。

所書・・・ところがき

(意味)
小路名」の項を参照のこと。

所質・・・ところじち・ところしち

(意味)その場所で抵当権を執行すること。
債権者が債務者に対して質取(私的差し押さえ)行為を行うこと。
債務不履行の際、時・所問わずして差し押さえることを認めた貸借契約のこと。

 (備考)
「所」とは国・郷・庄・村など債務者が属する集団で変化する。
例文)

一、国質、所質幷付沙汰除之事、
 国質所質並びに付沙汰を除くの事。)
   『長遠寺文書(元亀三年三月日付織田信長禁制案より抜粋)』

年来・年比・年頃・・・としごろ・ねんらい

(意味)
①ここ数年
②長年
③高齢者

為・・・~として

(意味)
古代期から前後の句を羅列的に接続する際に用いられ、おもに以下の用法がある。

①単なる並列を表す。
例)「この者、愚かにして短気なるがゆえ」

②~の状態で。
例1)「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」
例2)「織田家の主力として活躍した。」

③原因・理由を表す。
例)「五月に羽柴秀吉の援軍として播磨へ出陣。」

④逆接を表す。
例)「この者、愚かにして慎めるは得の本なり。」
 ※この場合、~ではあるがの意。

⑤一緒に行動する人物を表す。
例)「ここは我ら二人して立ち向かわん」

 (備考)
「為」の字はほかに「為(なす)」や「可為(~たるべし)」、「為(~のため)」、「奉為(おんため)」などが古文書でよく見る。
例文) 『(元亀三)正月二十一日付織田信長書状(実相院及東寺宝菩提院文書)』

中嶋、高屋表調儀之子細候間、行柴田修理亮差上候、御出勢之儀被仰出、各無弓断可被相働事簡要候、天下候間、各軽々与出陣可然存候、此等之旨可被達上聞候、恐々謹言、

(書き下し文)
中嶋・高屋表調儀の子細に候間、てだてとして柴田修理亮しゅりのすけ(柴田勝家)差し上せ候。
御出勢の儀仰せ出され、おのおの油断無く相働かれるべき事簡要に候。
天下のために候間、おのおの軽々と出陣然るべく存じ候。
これらの旨、上聞に達せらるべく候。恐々謹言

土倉・・・どそう

(意味)
中世の金融業者のこと。
史料では酒屋と併称されることが多い。
土倉役(どそうやく)・土倉代・蔵役(くらやく)はその税のこと。

 (備考)
足利義満の執政期は日明貿易により莫大な利潤を得ていたが、それを凍結して以降は幕府の財政が急速に悪化していった。
足利義政の執政初期、幕府は土倉と酒屋から税収を得ることを経済政策の柱とし、財政難を克服しようとしたことで知られる。
一説には、現在の通貨価値で土倉や酒屋からの税収が6億円だったのに対し、明との貿易は200億円ほどの利益があったという。(義満期)

都鄙・・・とひ

(意味)都会と田舎。日本国中。あるいは京都と地方とを比較する際に用いる。

 (備考)地方に住する者が、自らをへりくだって表現する際に用いる場合もある。
「都鄙之大慶不可過之(とひのたいけいこれにすぐべからず)」など使用例も多い。

輩・儕・・・ともがら

(意味)
同じような人々。同列の人々。または同輩。

 (備考)
古代期からある語で『常陸国風土記』の茨城郡うばらきのこほりの条に「・・・山の佐伯、野の佐伯、自ら賊(あた)の長と為(な)り、徒衆(ともがら)を引率(ひきい)て、国中を横しまに行き、大(いた)く却(かす)め殺しき」とある。

また『日本書紀』の応神天皇紀の記述に「二十年の秋九月に、倭(やまとの)漢(あやの)直(あたひ)の祖(おや)阿知使主、其の子都加使主、並に己が黨類(党類=ともがら)十七懸を率て、来歸(まうけ)り」とあり、既述の信憑性はともかく用例としては古くから用いられている。

例文) 『専修寺文書』天正元年十月日付織田信長禁制

 禁制          一身田無量寿寺幷門前
一、濫妨・狼藉之事、付、矢銭之事、
一、陣執、放火事、
一、伐採竹木、非分申懸事、付、諸伇事、

右条々、於違犯者、速可処厳科者也、仍下知如件、

(書き下し文)
  禁制          一身田無量寿寺並びに門前
一、乱妨狼藉の事。
 付けたり、矢銭の事。
一、陣取り、放火の事。
一、竹木伐採、非分を申し懸くる事。
 付けたり、諸役の事。

右の条々、違犯のともがらに於いては、速やかに厳科に処すべきものなり
仍って下知くだんの如し。

擒・虜・・・とりこ・とらう・きん・ごん

(意味)
生け捕りにすること。
または餌食となること。

 (備考)
例文) 『信長公記』巻十三 大坂退散之事より

即時に催一揆、天王寺へ差懸遂一戦、原田備中・塙喜三郎・塙小七郎・蓑浦無右衛門初として、歴ゝ討捕
 (中略)
大坂合戦打負数多討死させ、誠大軍を以て小敵之擒と成事無念之次第也、

(書き下し文)
即時に一揆を催し、天王寺へ差し懸かり一戦を遂げ、原田備中(原田直政)・塙喜三郎・塙小七郎・蓑浦無右衛門を初めとして、歴々を討ち取り
 
(中略)
大坂合戦に打ち負け、数多討死させ、まこと大軍を以て小敵のと成る事、無念の次第なり。

取出・・・とりで

(意味)砦のこと。要塞。

 (備考)
例文を含めた詳細は「要害」を参照のこと。

取申・執申・・・とりもうす

(意味)
取り次いで申し上げること。執奏すること。
または自分の考えを取り立てて申し上げること。

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