織田信長の合戦や外交の詳細記事

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大河ドラマとなる明智光秀の生涯をなるべく詳しく(3)

惟任光秀の名乗り、丹波攻略を進めつつ各地での戦にも活躍、長宗我部氏の奏者として、遊撃軍団長としての光秀、荒木村重謀叛、八上城攻略と光秀の生母人質の真偽について、ついに丹波を平定する、そして丹波国主へ、織田軍団再編成 佐久間信盛らの追放、京都馬揃え、丹波亀山城と明智軍紀、甲州征伐などです。
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これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
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信長が築いた小牧山城を古地図と信長公記から読み解く

織田信長が築いた小牧山城ですが、現在でもさまざまな疑問があります。信長の居館も正確な場所は不明なようです。そもそもなぜ信長は小牧山への移転を決意したのでしょうか。今回は古文書の「信長公記」からも引用し、そこで感じた個人的な見解も書いています。
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【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 後編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は後編ということで、石山本願寺の挙兵から正親町天皇と将軍・足利義昭の仲介で和議が成立するまでを記事にしています。
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【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 前編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は前編ということで、池田城の異変から信長勝利目前までです。この戦いは日本で初めて大口径の火縄銃を使用したという説もあります。紀州から雑賀・根来の鉄砲集団が大活躍した合戦です。
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信長暗殺 遠藤直経と浅井長政 お市が人生で最も幸せだった7日間

これは信長の妹・小谷御前(お市)を浅井長政へ嫁ぎ、近江佐和山にて信長と浅井長政が初対面を果たした時のお話です。悲劇の姫であるお市が人生で最も幸せだった7日間。それと忍び寄る信長暗殺の影。その後に待ち受ける3人の運命。天はなぜこうも残酷なのか
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武田信玄と織田信長 対称的な二人の天才

織田信長と武田信玄。この両天才を比較し、周囲の環境や国力、内政、外交、謀略、合戦の運び方などを徹底考察。そこから見えるものとは...
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【悲報】足利義昭さん、自分で作った反信長連合軍を討伐する総大将にされてしまう

元亀元年(1570)8月。三好三人衆が野田・福島の砦に立て籠もったと知った信長は、すぐさま軍勢を率いて上洛。摂津での作戦を立てる一方、将軍・足利義昭をむりやり総大将に担ぎ上げた。その時のやり取りを空想で^^
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堂洞城の戦い 戦の功名と八重緑の悲劇

織田信長が進める美濃攻略の大きな契機となった堂洞城の戦い。あまり有名な戦いではないが、中濃で一番の激戦が繰り広げられ、鉄の結束を誇ってきた斎藤家は、これ以後衰退の一途をたどるのである。
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箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
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