元亀の争乱時代

3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

姉川の合戦 前半 元亀の争乱時代が幕を開ける

姉川の合戦の詳細記事前半です。今回は姉川の合戦に至った経緯、堀秀村・樋口直房の調略、信長出陣 小谷山城下に肉薄、小谷城下放火、姉川の合戦の前哨戦 八相山の退口、三河から徳川家康参陣 浅井側も朝倉軍到着、大依山と竜ヶ鼻にそれぞれ陣取り、睨み合う、異説・姉川の合戦、朝倉義景はなぜ自ら出馬しなかったのか・・・です。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 武田信玄 ついに西上作戦を開始する

信長の年表10回目です。おもな出来事は、将軍に意見十七ヶ条を送りつける、美濃国人・遠藤氏の内通、武田信玄 ついに西上作戦を開始、おつやの方の裏切り 岩村城が武田家の手に渡る、延友信光の忠義、武田信玄 遠江で目覚ましい進撃を見せる、信長包囲網崩壊の序曲 朝倉義景 突然の帰国、三方ヶ原の合戦 徳川・織田連合軍の敗北などです。
織田信長が出した古文書

信長が病の家臣を気遣い医者を呼ぶも、既読無視された時の書状

信長が秀吉の妻であるおねを気遣い、書状を送り遣わしたエピソードはあまりにも有名ですよね。実は他にも信長が家臣を気遣った様子が見える古文書が存在します。病に臥していた松井友閑という家臣のために、信長が近江に滞在中の宣教師の医師に宛てた書状なのですが、そこにはどのような面白いことが記されているでしょうか。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 織田信重(信忠)の初陣

今回は織田信長の年表9回目です。今回の主な内容は松永久秀と三好義継の謀叛、比叡山焼き討ち後の信長の仕置きに対する正親町天皇の不満、織田信忠、織田信雄、織田信孝の元服、竹中半兵衛の活躍、奈良で大地震、湖北出兵、上京の信長御座所着工、松永久秀降伏、織田信忠の初陣と虎御前山の戦いなどです。
織田信長が出した古文書

緊急事態 信長と将軍・足利義昭が不和 仲直りの為に信長が出した条件とは

信長が足利義昭に突き付けた殿中御掟の第三段目をついに記事にしました。あの有名な「天下の事は信長に一任」という文書はこれです。そこにはどんな面白いことが記されているのか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳を載せています。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 後編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は後編ということで、石山本願寺の挙兵から正親町天皇と将軍・足利義昭の仲介で和議が成立するまでを記事にしています。
5.歴史系おもしろまとめ

【悲報】信長の馬廻り、倒した敵の首を巡って口論になり、首を取らずにそのまま退却

信長の馬廻りを務める毛利秀頼(河内守)と兼松正吉(又四郎)が合戦中に倒した敵の首を巡って口論となり、そのまま首を取らずに退却してしまったというお話です。しかも、首の取り合いではなくて譲り合いというのが面白い点です。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 前編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は前編ということで、池田城の異変から信長勝利目前までです。この戦いは日本で初めて大口径の火縄銃を使用したという説もあります。紀州から雑賀・根来の鉄砲集団が大活躍した合戦です。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 比叡山焼き討ち

今回は信長の年表8回目です。おもな出来事は磯野員昌、朽木元綱の投降、木下秀吉奮戦で浅井長政撃退、第一次長島一向一揆攻め、松永久秀謀叛(1回目)、湖北出兵、和田惟政敗死、比叡山焼き討ちです!
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