元亀の争乱時代

3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【悲報】足利義昭さん、自分で作った反信長連合軍を討伐する総大将にされてしまう

元亀元年(1570)8月。三好三人衆が野田・福島の砦に立て籠もったと知った信長は、すぐさま軍勢を率いて上洛。摂津での作戦を立てる一方、将軍・足利義昭をむりやり総大将に担ぎ上げた。その時のやり取りを空想で^^
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 信長包囲網の完成

今回は織田信長の年表6回目です。姉川の戦いに勝利した信長は、畿内に上陸して野田・福島両砦に立て籠もった三好三人衆と戦う。公家衆まで戦の見物に出陣し、余裕の勝利と思われたが・・・そこには思わぬ落とし穴が待っていた。
織田信長が出した古文書

【古文書から読み解く】浅井長政討伐に燃える織田信長の決意と意気込み

姉川合戦の約1か月前のこと。信長は浅井・朝倉連合軍との決戦を決意し、領国中から大規模な出陣動員令を下す。この時の書状が、美濃の国人である遠藤慶隆、胤俊宛てで残っており、そこから決戦への信長の決意と意気込みが読み取れる。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 血戦 姉川の戦い

永禄13年(1570.1)から元亀元年(1570.7)までとなっております。この間の主な出来事は、五ヶ条の条書、浅井長政謀反、金ケ崎撤退戦、信長狙撃事件、落窪合戦、姉川の合戦などです。