元亀の争乱時代

織田信長が出した古文書

信長が病の家臣を気遣い医者を呼ぶも、既読無視された時の書状

信長が秀吉の妻であるおねを気遣い、書状を送り遣わしたエピソードはあまりにも有名ですよね。実は他にも信長が家臣を気遣った様子が見える古文書が存在します。病に臥していた松井友閑という家臣のために、信長が近江に滞在中の宣教師の医師に宛てた書状なのですが、そこにはどのような面白いことが記されているでしょうか。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 織田信重(信忠)の初陣

今回は織田信長の年表9回目です。今回の主な内容は織田信忠の初陣と武田信玄による織田-本願寺間の和平仲介です。
織田信長が出した古文書

緊急事態 信長と将軍・足利義昭が不和 仲直りの為に信長が出した条件とは

信長が足利義昭に突き付けた殿中御掟の第三段目をついに記事にしました。あの有名な「天下の事は信長に一任」という文書はこれです。そこにはどんな面白いことが記されているのか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳を載せています。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 後編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は後編ということで、石山本願寺の挙兵から正親町天皇と将軍・足利義昭の仲介で和議が成立するまでを記事にしています。
5.歴史系おもしろまとめ

【悲報】信長の馬廻り、倒した敵の首を巡って口論になり、首を取らずにそのまま退却

信長の馬廻りを務める毛利秀頼(河内守)と兼松正吉(又四郎)が合戦中に倒した敵の首を巡って口論となり、そのまま首を取らずに退却してしまったというお話です。しかも、首の取り合いではなくて譲り合いというのが面白い点です。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 前編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は前編ということで、池田城の異変から信長勝利目前までです。この戦いは日本で初めて大口径の火縄銃を使用したという説もあります。紀州から雑賀・根来の鉄砲集団が大活躍した合戦です。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 比叡山焼き討ち

今回は信長の年表8回目です。おもな出来事は磯野員昌、朽木元綱の投降、木下秀吉奮戦で浅井長政撃退、第一次長島一向一揆攻め、松永久秀謀叛(1回目)、湖北出兵、和田惟政敗死、比叡山焼き討ちです!
織田信長が出した古文書

【信長包囲網】 明智光秀らの奔走で信長が窮地を脱した書状

今回は信長包囲網により腹背を攻められ、信長が窮地に陥っている時の書状です。比叡山に立て籠った浅井・朝倉両家に信長は苛立ちを隠せません。当時の時代背景とともに釈文と現代語訳、さらに、この書状の解読ポイントも載せています。
織田信長が出した古文書

信長包囲網で信長ピンチ!信長は畿内大名の心を繋ぎとめようと必死だった?

「信長が河内高屋城主の畠山昭高に出した書状」を解読。浅井長政の謀反によって畿内の情勢も怪しくなり、阿波へと逃亡していた三好勢も動き出そうとしていた。文面からは、信長が河内守護である畠山昭高の心を繋ぎとめようとする焦りが見て取れる。