1.古文書

戦国時代定番の贈り物と数え方②繊維類、日用品、貨幣、その他編

戦国時代定番の贈り物と数え方について解説します。最終回となる今回は「繊維類」、「日用品」、「貨幣」および「その他」です。実際の史料を進物に絞って調べ、複数回登場したものを挙げています。最も多かった贈り物とは一体何でしょうか。当サイトは戦国時代の面白さを古文..
織田信長が出した古文書

河尻秀隆はどこにいた?長島一向一揆戦から見える信長公記の信憑性

伊勢長島一向一揆勢の最後の戦いとなった天正2年(1574)夏。この時期に信長が河尻秀隆へ宛てた書状から、織田の諸将がどのように動いたのか。さらにこの時期の『信長公記』がどの程度信用の置ける史料なのかを探ります。当サイトは戦国時代の面白さを古文書から伝...
織田信長が出した古文書

『十等分の花婿』信長が信忠の下へ派遣した使者は誰か

天主が完成して間もない安土城下で、法華宗と浄土宗が争った安土宗論を、前回よりより深く考察します。とりわけ、信忠へお金の送金を依頼した目的と、その使者として岐阜へ派遣された『十等分の花婿』を特定します。
4.織田信長家臣団

軍略に優れた武藤舜秀 信長も一目置いた知られざる武将の足跡を辿る

信長の野望には登場しない知られざる織田家臣・・・。その一人が武藤舜秀(きよひで)である。彼が活躍した期間は決して長いわけではないが、天正年間前半を非常に忙しく駆け回った人物だった。一説によると、舜秀は軍略・兵法に通じ、軍議の際には信長が真っ先に意見を聞いた人物のようだ。今回はそんな武藤舜秀の軌跡を辿る。
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