朝家

天皇・朝廷が出した古文書

【古文書講座】太政大臣か関白か将軍か 天下人信長が選択した道は

太政大臣か関白か将軍か。天正10年(1582)5月。織田信長の最晩年。信長は好きな役職に就くことができた。そこで信長が採った選択肢とは?今回は誠仁親王直筆書状から当時を読み解きます。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 信長包囲網の完成

今回は織田信長の年表6回目です。姉川の戦いに勝利した信長は、畿内に上陸して野田・福島両砦に立て籠もった三好三人衆と戦う。公家衆まで戦の見物に出陣し、余裕の勝利と思われたが・・・そこには思わぬ落とし穴が待っていた。
4.織田信長家臣団

村井貞勝 信長だけでなく町人、公家、天皇にまで愛された名奉行

信長のNO.1吏僚として長く京都に駐在し、その才を遺憾なく発揮した人物。公家衆の取次ぎ役として、時には名奉行として才を発揮し、いつしか京都中の町人にいたるまで彼を愛した。今回は地味な内政官・村井貞勝の実績を書き連ねる