朝家

絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(6) 両細川の大乱と石山本願寺

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(4) 山科本願寺焼き討ちから石山本願寺建立へ

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(3) 実如から証如へ 天文の錯乱・天文法華の乱を招く

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
6.信長以外の歴史系記事

本当にそれでいいのか 戦国時代の「鶴翼の陣」についての3つの疑問

今回は戦国時代の陣形。とりわけ「鶴翼の陣」の謎について、大きく3つの疑問から探っていきたいと思います。皆さんは鶴翼の陣を想像するとき、どのような陣形を連想しますか?恐らく多くの方はU字型のような形を想像されたと思います。しかしながら・・・果たしてそれは真実でしょうか? 今回は乃至政彦氏著の「戦国の陣形」を元に、過去の史料からも引用し、鶴翼の陣の真実に迫りたいと思います。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍・足利義昭がついに挙兵

信長の年表11回目です。今回の主な出来事は武田信玄が野田城を攻略、武田軍の快進撃が止まる、将軍・足利義昭が挙兵、細川藤孝の内通、石山・今堅田の戦い、和田惟長乱心、髙山友照・重友父子の暗殺を謀る、織田信長による洛外・上京焼き討ち、鯰江城の戦いと百済寺焼き討ち、武田信玄死去、足利義昭と織田信長間で和議成立などです。

4.織田信長家臣団

大河ドラマとなる明智光秀の生涯をなるべく詳しく(4)

主な出来事は、徳川家康の饗応と信長勘気の信憑性、ときは今あめが下知る五月かな、本能寺の変、織田信忠の二条御新造も攻撃する、本能寺の変後の明智光秀の行動、信長・信忠父子の遺体 見つからず、山崎の合戦、明智光秀の最期などです。
6.信長以外の歴史系記事

明智光秀と親しかった公家が記した日記に正本と別本がある理由

兼見卿記を記した人物として有名な吉田兼見とはどのような人物なのか、兼見卿記とはどのような古文書なのかを解説します。さらに、当時の織田信長との関係や、交友関係、兼見卿記正本と別本なぜ2冊存在するのか、なぜ吉田兼見は真実を記している日記を焼き捨てなかったのかを考えます。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

大河ドラマとなる明智光秀の生涯をなるべく詳しく(3)

惟任光秀の名乗り、丹波攻略を進めつつ各地での戦にも活躍、長宗我部氏の奏者として、遊撃軍団長としての光秀、荒木村重謀叛、八上城攻略と光秀の生母人質の真偽について、ついに丹波を平定する、そして丹波国主へ、織田軍団再編成 佐久間信盛らの追放、京都馬揃え、丹波亀山城と明智軍紀、甲州征伐などです。
4.織田信長家臣団

大河ドラマとなる明智光秀の生涯をなるべく詳しく(2)

明智光秀の生涯についての第2段。今回のお話は、将軍と信長の対立の中、剃髪して隠居を決意。木戸・田中城築城。河内、大和出陣。石山・今堅田の戦い。将軍家滅亡と明智光秀の出世。浅井・朝倉家滅亡。若江城の戦い。村井貞勝の補佐として政務に携わる。細川藤孝の嫡男・忠興に娘を嫁がせる(細川ガラシャ)などです。
4.織田信長家臣団

大河ドラマとなる明智光秀の生涯をなるべく詳しく(1)

明智光秀の半生はあまりにも謎が多い。光秀についてはその出自さえ明らかでない。今回は明智光秀の生涯について、明らかになっている部分を重点的に書いていく。類まれなる政治の才、軍略の才をどのように発揮したのか。光秀の幕臣時代。将軍家と織田家の両属時代。そして織田家の重臣として・・・。立身出世を遂げた超有能エリート武将の足跡を追う。