柴田勝家

1.古文書

和歌や俳句でよく詠まれる「ほととぎす」にはどのような意味が隠されているのか

古来から日本ではほととぎすの歌がよく詠まれています。初夏の訪れとともに飛来して、田植えの始まりを告げる鳥だと認識されていました。今回はそんなほととぎすに隠された様々な意味や代表的な句をご紹介します。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 後編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は後編ということで、石山本願寺の挙兵から正親町天皇と将軍・足利義昭の仲介で和議が成立するまでを記事にしています。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。
4.織田信長家臣団

柴田勝家 無類の強さを誇る歴戦の名将

信長の父の時代から既に名の聞こえた将であった柴田勝家。弟信勝の家臣として信長に反旗を翻す。敗れた後は心を入れ替え信長に忠義を尽くし、常に戦では先陣を任されるようになる。あまり知られてはいないが、信長の上洛後は奉行としてたびたび文書を発給したり、領国の経営にも力を注いでいる。今回は勝家の詳細を余すことなく書き連ねよう。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表のちょっと詳しめ 叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで

今回は織田信長の年表2回目です。天文23年(1554)11月から永禄3年5月までとなっております。この間の主な出来事は、叔父信光の死去、守山城の異変、長良川の戦い、弟信勝謀叛、稲生合戦、岩倉織田家のお家騒動、浮野合戦、信勝謀殺、将軍義輝との謁見、岩倉織田家滅亡です^^