今川氏

5.歴史系おもしろまとめ

駿河の大大名・今川氏真さん、上杉謙信に救いを求めるも既読無視される

外交は本当に難しい。今回は今川氏真が上杉謙信(輝虎)に同盟を呼びかけるが、無視されたお話です。お互い利害は一致しているにも関わらず、外交文書にまずい点があったというだけで上杉側が無視したのです。今回はなぜ上杉謙信は書状を無視したのかを考えます。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

桶狭間の戦い 忠臣岡部元信と去就をはっきりさせない水野一族

今回は桶狭間の合戦を古文書から見る。知多半島から三河国境にかけて勢力を持つ水野家に焦点を絞り、どのようにしてこの難局を切り抜けたのかを調べた。織田信長と今川義元の間に揺れる弱小国人領主、水野一族の生き残り策とは
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表のちょっと詳しめ 桶狭間の戦い~小牧山城移転直後まで

今回は織田信長の年表3回目です。永禄3年5月から永禄7年末までとなっております。この間の主な出来事は、桶狭間の戦い、斎藤義龍の病死、西美濃攻略戦、松平元康との同盟、織田信清謀叛、小牧山城築城、竹中半兵衛の城乗っ取り、犬山城攻略です^^
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

激戦村木城の戦い 若き信長が男泣きをした理由とは

こんにちは~。 今回は信長21歳の時の話、「村木城の戦い」を取り上げます。 現在の地図と照らし合わせて布陣図を描いてみました。合戦の詳細も書いてます。 時は天文23年(1554・年次については諸説あり)1月24日。 家老・林秀貞一党に出陣を拒まれ、万に一つも勝ち目がないとされた中、 信長はなぜ自ら出陣して村木城に攻め込んだのか。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表のちょっと詳しめ 叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで

今回は織田信長の年表2回目です。天文23年(1554)11月から永禄3年5月までとなっております。この間の主な出来事は、叔父信光の死去、守山城の異変、長良川の戦い、弟信勝謀叛、稲生合戦、岩倉織田家のお家騒動、浮野合戦、信勝謀殺、将軍義輝との謁見、岩倉織田家滅亡です^^
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表のちょっと詳しめ 誕生~叔父信光死去まで

当サイトでは、信長の人生で大きな転換期となった時代時代で、一区切りにしている 他サイトや歴史本、教科書で紹介されている簡単な年表に書いている内容は、赤太文字 年代や日付について諸説ある場合は、年代や日付の個所に黄色いアンダーライン 内容に関して不明確で諸説ある場合は、事績欄に黄色いアンダーライン 当時は数え年であるから、信長の年齢は生まれた瞬間を1歳とする。誕生日についても詳細不明のため、1月1