織田信長

織田信長が出した古文書

信長が病の家臣を気遣い医者を呼ぶも、既読無視された時の書状

信長が秀吉の妻であるおねを気遣い、書状を送り遣わしたエピソードはあまりにも有名ですよね。実は他にも信長が家臣を気遣った様子が見える古文書が存在します。病に臥していた松井友閑という家臣のために、信長が近江に滞在中の宣教師の医師に宛てた書状なのですが、そこにはどのような面白いことが記されているでしょうか。
6.信長以外の歴史系記事

明智光秀と親しかった公家が記した日記に正本と別本がある理由

兼見卿記を記した人物として有名な吉田兼見とはどのような人物なのか、兼見卿記とはどのような古文書なのかを解説します。さらに、当時の織田信長との関係や、交友関係、兼見卿記正本と別本なぜ2冊存在するのか、なぜ吉田兼見は真実を記している日記を焼き捨てなかったのかを考えます。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
斎藤家が出した古文書

「美濃一国譲り状」斎藤道三が信長に託した古文書を解読

斎藤道三が記した「美濃一国譲り状」の古文書の解読をします。1.美濃一国譲り状の信憑性について 2.美濃一国譲り状(弘治二年四月十九日付け斎藤道三遺言状) 原文と釈文、書き下し文、現代語訳 3.この書状の時代背景 4.美濃一国譲り状は複数存在する? 5.斎藤道三の死による信長への影響 など
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 織田信重(信忠)の初陣

今回は織田信長の年表9回目です。今回の主な内容は織田信忠の初陣と武田信玄による織田-本願寺間の和平仲介です。
5.歴史系おもしろまとめ

戦国武将のなるほどエピソード集 part1

戦国武将の面白いエピソード集です。今回は高山右近と蒲生氏郷と細川忠興の3人が仲良くバーベキューをして焼き肉にハマる話。竹中半兵衛と黒田官兵衛の逸話。織田信長の優れた判断力と武勇を物語る逸話の3本です。
織田信長が出した古文書

緊急事態 信長と将軍・足利義昭が不和 仲直りの為に信長が出した条件とは

信長が足利義昭に突き付けた殿中御掟の第三段目をついに記事にしました。あの有名な「天下の事は信長に一任」という文書はこれです。そこにはどんな面白いことが記されているのか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳を載せています。
天皇・朝廷が出した古文書

【古文書講座】太政大臣か関白か将軍か 天下人信長が選択した道は

太政大臣か関白か将軍か。天正10年(1582)5月。織田信長の最晩年。信長は好きな役職に就くことができた。そこで信長が採った選択肢とは?今回は誠仁親王直筆書状から当時を読み解きます。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信長が築いた小牧山城を古地図と信長公記から読み解く

織田信長が築いた小牧山城ですが、現在でもさまざまな疑問があります。信長の居館も正確な場所は不明なようです。そもそもなぜ信長は小牧山への移転を決意したのでしょうか。今回は古文書の「信長公記」からも引用し、そこで感じた個人的な見解も書いています。
1.古文書

古文書解読の基本的な事 返読文字によくある傾向を実際の古文書を例に説明

古文書を解読するにあたって返読文字は避けては通れません。返読文字とは「以」や「自」など返って読む文字のことです。「未然形」や「助動詞」などの難しい単語は極力避けて、実際の古文書を例にわかりやすくご説明します。