斎藤家が出した古文書

若き信長の行状を憂う斎藤道三の書状 丁重な手紙のワケとは?

若き信長の行状を憂う斎藤道三の書状を解読します。この文書は、家督を相続して間もない信長の様子を窺い知ることができる史料的価値の高い文書です。丁重な手紙のワケとは何でしょうか?
絵本石山軍記

「絵本石山軍記の解読(10)明智光秀の貧乏生活 それを支えた妻の言葉とは

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
4.織田信長家臣団

武勇に秀でたマムシの子・斎藤利治 信長・信忠を支えた働きはまさに忠勇比類無し(後編)

斎藤利治の後編。斎藤道三の末子として生まれ、佐藤忠能の婿養子となった。姉川の合戦や宇治・槙島の戦いなどで武功あり。誠実な人柄もあってか、織田信忠一番の家老格として良き相談役となった。越中太田保・月岡野の戦いで上杉軍を撃破し、感状を賜る。その後、病が癒えたとウソをつき、信長・信忠の下へ馬を走らせ本能寺の変に・・・
4.織田信長家臣団

武勇に秀でたマムシの子・斎藤利治 信長・信忠を支えた働きはまさに忠勇比類無し(前編)

斎藤利治。この人物の功績と偉業は計り知れない。彼は斎藤道三の末子として生まれ、織田信長への協力を惜しまなかった。加治田城における攻防戦で大いに奮戦。その後も信長にとって必要不可欠な武将に成長する。謎の空白期間はあるものの、信長・信忠父子にとってもっとも信頼できる家臣の一人だったであろう。今回はそんな利治の軌跡を辿る。
5.歴史系おもしろまとめ

刀でするばかりがいくさではない 歌のバトルで城を奪還したお話

戦国時代初期、斎藤妙椿(みょうしゅん)に郡上八幡一帯の所領を奪われた東常緑(とうつねより)は、和歌によって人々を感動させ、敵にまで感動を与えて所領を取り返したというお話です。ペンの力の偉大さを物語るエピソードです。東常緑と斎藤妙椿とはどのような人物だったのでしょうか。今回は和歌を中心にしてご説明いたします。
斎藤家が出した古文書

「美濃一国譲り状」斎藤道三が信長に託した古文書を解読

斎藤道三が記した「美濃一国譲り状」の古文書の解読をします。1.美濃一国譲り状の信憑性について 2.美濃一国譲り状(弘治二年四月十九日付け斎藤道三遺言状) 原文と釈文、書き下し文、現代語訳 3.この書状の時代背景 4.美濃一国譲り状は複数存在する? 5.斎藤道三の死による信長への影響 など
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信長が築いた小牧山城を古地図と信長公記から読み解く

織田信長が築いた小牧山城ですが、現在でもさまざまな疑問があります。信長の居館も正確な場所は不明なようです。そもそもなぜ信長は小牧山への移転を決意したのでしょうか。今回は古文書の「信長公記」からも引用し、そこで感じた個人的な見解も書いています。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 後編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は後編ということで、石山本願寺の挙兵から正親町天皇と将軍・足利義昭の仲介で和議が成立するまでを記事にしています。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【信長包囲網成立】野田・福島の戦いを図で解説 前編

織田信長と三好三人衆らが戦った野田城福島城の戦いをわかりやすく解説します。今回は前編ということで、池田城の異変から信長勝利目前までです。この戦いは日本で初めて大口径の火縄銃を使用したという説もあります。紀州から雑賀・根来の鉄砲集団が大活躍した合戦です。
織田信長が出した古文書

美濃攻略!織田信長の楽市・楽座政策の真相

今回は信長が稲葉山城を攻め落とした直後の時代。稲葉山城下である「加納に出した制札」の解読をします。古文書の読み方と共に、加納に楽市・楽座令が実施されたことによって、どのような影響を与えたのかご説明します。
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