こんばんはー。
今回は「中世や戦国武将の名前の多さ」についてです。
なぜ一人の武将でもこんなに名前が多いのか。
本名でなぜ呼ばないのか。
そして諱(いみな)とは何なのか・・・。
今回はそんな謎に迫ります。
ドラマや映画で家来が主君を本名で呼ぶのは嘘
ドラマや映画では必ず「信長公」、「政宗様」といった感じで本名で呼んでいるが実際にはあり得ない。
本名のことを諱(いみな)といい、忌み名という意味でもある。
直接本名で呼ぶことは大変失礼であり、憚(はばか)られることなのだが、諱の詳しい意味については後述する。
本名で呼ばれるのは親などのごく近しい人と、主君くらいである。
ドラマや映画で本名を用いるのは、視聴率を上げるための配慮であろう。
戦国武将の名前の種類・分類分け
大まかに戦国武将の名前は以下のように分類することができる。
- 幼名
- 仮名(通称名)
- 受領名
- 官途名
- 法名(戒名)
これから一つ一つの名前について詳しく説明していこう。
幼名とは何か
生まれてすぐに名付けられるのが幼名。
“ようみょう”と読む。
今の時代からは考えられないが、昔は幼名をまず名付け、元服(成人)するときに本名を決定するしきたりがあった。
「吉法師」(織田信長)や「梵天丸」(伊達政宗)、「竹千代」(徳川家康)などがそれにあたる。
元服するのはだいたい13歳~20歳の間が多いだろうか。
ここまでばらつきがあるのは、各家の政治的事情が深く関係している。
仮名(通称名)とは
当時は本名で呼ばれることが大変憚られていたので、代わりにこの仮名がよく用いられていた。
仮名は通称名のことである。
“けみょう”と読む。
江戸時代を描いた時代劇でよく出る「新九郎」や「右衛門」などがそれである。
戦国時代のドラマは本名で呼ぶのに、江戸時代のドラマは仮名(通称名)で呼ぶのはホントわけがわからない(^-^;
ちなみに服部半蔵、黒田官兵衛、竹中半兵衛、鬼小島弥太郎、木下藤吉郎、吉岡清十郎などは全て仮名である。
受領名とは
受領名は”ずりょうめい”と読み、本来は天皇から「この土地はお前に任せた!」という感じで、〇〇守、〇〇介などがそれにあたる。
元々は古代から中世にかけて「国司」というシステムがあって、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の順にえらい。
しかし戦国時代になるとそのシステムが完全に形骸化し、天皇や朝廷から正式に任命されなくても、大名や国人が勝手に「自称」するようになった。
自称することによって多少箔をつけたいのだろうか。
あと、家によっては通称名が代々世襲の場合もあるので、その場合は受領名を親とは違うものにすることによって差別化を図れることもある。
例えば、甲斐武田家の仮名(通称名)は「太郎」なのだが、書状などで「武田太郎」となると、いったい誰なのかわからなくなる。
その場合に受領名で陸奥守なら武田信虎、信濃守なら武田信玄と判別することができる利点もある。
織田信長を指す名称としてなじみの深い「上総介」と「尾張守」はどちらも受領名である。
織田信長に上総の国は関係ないし、羽柴秀吉も筑前の国に全く関係がない。
これも完全に形骸化した受領名の名残なのだ。
一方、三河国の支配を正当化するために織田信秀、今川義元、徳川家康が三河守を求めた例もあり、完全に無関係とはいえないケースもある。
受領名の自称については、また別の記事で詳しく書きたいと思う。(書くとは言っていない)
このような感じで諱を避けているのがわかる。
一方、家康は自分の名をあえて出すことで誠意、親密さをアピールしている。
関連記事:戦国時代の起請文とは 意味や定番の書き方は
官途名とは
官途名は”かんとめい”と読み、正式に朝廷から認可された「官位」である。
先ほど述べた受領名が完全に形骸化しているのに対し、官途についてはまだ機能していると考えてよい。
だから受領名よりも官途名の方がブランド価値が高いのだ。
織田弾正忠、織田権大納言、織田内大臣、織田右大臣、織田右近衛大将は全て織田信長の官途名だ。
ちなみに織田右府とは右近衛大将の略称である。
他にも「上杉弾正少弼(謙信)」、「毛利右馬頭(元就)」、「尼子民部少輔(経久)」、「蒲生右兵衛大夫(氏郷)」、「最上右京大夫(義光)」、「長宗我部刑部少輔(長宗我部元親)」、「今川治部大輔(義元)」、「津軽右京亮(為信)」、「石田治部少輔(三成)」、「佐久間玄蕃允(佐久間盛政)」、「蘆名修理大夫(盛氏)」、「柴田修理亮(勝家)」、「明石掃部頭(明石全登)」、「大谷刑部少輔(大谷吉継)」、「朝倉左衛門督(義景)」、「一色式部大夫(義道)」、「細川兵部大輔(藤孝)」、「北条左京大夫(氏康)」、「北条左衛門大夫(綱成)」も全て官途名である。
法名(戒名)とは
法名は”ほうみょう”と読み、出家して「号する」名のことである。
「武田信玄」、「上杉謙信」、「山名宗全」、「大友宗麟」、「島津日新斎」などがそれにあたる。
現在では死んだら法名(戒名)という考えが強いが、本当は生きている間に三宝に帰依し、仏弟子として生きていくことを誓い授かる名のようである。
名字+法名(戒名)の呼び方が一般的になったのは戦国時代かららしい。
興味深いことに、寺にいて僧侶の修業をしていた人が、家の事情や政治的事情から還俗(けんぞく=仏門から世間にでること)した武将たちの多くは「〇〇寺〇〇(名前)」となるケースが多い気がする。
もちろん「宮部継潤」のように違う場合もあるのだが、「南光坊天海」、「一乗院覚慶(足利義昭)」、「金地院崇伝(以心崇伝)」、「安国寺AK」といったように寺の名前+法名(戒名)で記されている場合が多い。
仏門に入ると名字を捨てるのが常なので、還俗すると寺の名が名字になると思われるが、そういうことを研究するのも面白いかもしれない。
本名である諱を避ける理由
前に本名は諱(いみな)といい、忌み名という意味でもあると述べたと思う。
これまでに書いた仮名(通称名)、受領名、官途名、法名を用いて、本名である諱を避ける理由。
それは、諱が非常に重要であり呪詛的な意味合いからも、念を込めて本名で呼ぶと、その人の人格をも支配できると信じられてきたからだ。
信用できない人から支配されないように、本名をなるべく隠したのだ。
立花宗茂はかなり諱を変えているのは、そういうことからなのかもしれない。
(すいません、調べてないので知りませんw)
それを裏付けるように、この日本には「言ったことが本当になる」という感じのことわざが多くある。
例えば
「嘘から出た実=嘘から出たまこと」
「虚は実を引く=はじめはうそであったことが、そのうちにだんだん真実味を帯びて、ついほんとうのことになること」
「根も無い嘘から芽が生える=はじめはうそだったものが、だんだん本当になってしまうこと」
「瓢箪から駒が出る=思いもかけないことや道理上ありえないことが起こること」
といった具合だ。
この国では古来から「言霊」、あるいは「気」、「念」というのが広く信じられてきたのだ。
そういう理由から、本名である諱(忌み名)を用いることは大変憚られていたのだ。
幕末の偉人・坂本龍馬は仮名(通称名)だからネ。
諱は直陰(なおかげ)、直柔(なおなり)だ。
最後に仮名 受領名 官途名 法名の四択クイズでも
(答えは最後にまとめて)
①榊原小平太
②多聞院英俊
③北条美濃守
④上杉中納言
⑤惟任日向守
⑥本多平八郎
⑦真田安房守
⑧織田左近衛少将
⑨吉川掃部助
⑩太原雪斎
これ全部わかった人は完全に理解しているといえよう。
中には「内蔵助(くらのすけ)」のように、官途名と仮名の両方存在する場合もあるので、ややこしい部分もある。
では、「佐村河内守」はどうか・・・。
最後までご覧いただきありがとうございます。
また別の記事で諱を名付けるときの傾向や、烏帽子親システムについても書いてみたいですね。
それでは!
答え
①仮名 (榊原康政)
②法名 (奈良興福寺多門院の住職)
③受領名 (北条氏規)
④官途名 (上杉景勝)
⑤受領名 (明智光秀)
⑥仮名 (本多忠勝)
⑦受領名 (真田昌幸)
⑧官途名 (織田信忠)
⑨官途名 (吉川経基)
⑩法名 (駿河今川家の臣)