
※今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。
いつもとは異なったスタイルとなっていますので、予めご了承ください。
投稿した動画はこちらになります。
・YouTube版
- 第一章 駿相同盟、 第二章 今川氏輝の死と花倉の乱
- 第三章 甲駿同盟の成立、 第四章 第一次河東一乱~北条氏綱の河東地域侵攻作戦~ ←イマココ
- 第五章 相次ぐ代替わりで外交関係にも変化が、 第六章 甲相同盟の成立
- 第七章 不気味な平穏の中で 第八章 「第二次河東一乱」~今川義元の河東地域奪還作戦~
- 第九章 難航を極める和平仲介 第十章 決戦 河越夜戦
- 第十一章 三大名のその後 最終章 甲相駿三国同盟締結
第3章 甲駿同盟の成立

ところが翌年の天文6年(1537)。
家督を相続した今川義元は、長年の敵国であった甲斐の武田信虎の娘を正室に迎え、武田氏と同盟を結びました。


僧侶だったのに、戻ってきていきなりそれか。

政治とはそうしたものなんやで。

せやな。

長年、今川家と共同して武田信虎を倒そうとしていた北条氏綱は、この今川家の方針転換を大いに怒りました。


そりゃそうだよね。
家督争いの時も今川義元を支援したんだからね。

その結果、北条氏綱は今川家との同盟を破棄し、駿河へと攻め込んだのです。



わーお。
第4章 第一次河東一乱 北条氏綱の河東地域侵攻作戦

北条氏綱は井伊氏ら遠江の国人衆らを味方につけ、今川義元を挟撃しました。
勢力が分断化された今川家は、しだいに押されはじめます。


しかし、今川義元も諦めていません。
以後、北条家と今川家は、この河東(かとう)地域を巡って足掛け9年にも及ぶ争いを続けることになります。
これが河東一乱(かとういちらん)とよばれる国境紛争のはじまりです。

これは面白くなってきましたね。

河東地域を制圧した北条氏綱でしたが、ここで甲斐の武田信虎が駿河国境に出陣し、今川家を支援する動きを見せました。
さらに、北条家と険悪な外交関係にあった関東管領(かんとうかんれい)上杉氏や、小弓公方(おゆみくぼう)と古河公方(こがくぼう)に属する諸勢力も動きだ出し、北条包囲網が敷かれる形となりました。
※関東管領上杉氏は、上杉謙信の長尾家とは別。上杉謙信を養子に迎えて家督を譲るよりはるか前の時代。
※小弓公方と古河公方は共に足利将軍家の遠い親戚で、分裂前は関東足利氏と呼ばれていた。



めちゃくちゃやばいじゃないですか。

でも何で今川義元は武田信虎と手を結んだの?

いろいろな要因があると思いますが・・・
最大の要因は、北条氏綱の義元への軍事支援そのものに不快感を抱いていたからだと思われます。

そうなの?

元々伊勢北条氏のルーツといいますか、原点が河東地域だったことや、その地域を支配する国衆の葛山(かずらやま)氏には、北条家から養子を迎えていたという経緯があり、今川義元支援にかこつけて、河東地域を実効支配せんとする氏綱の野心に不信感を募らせていたと考えられています。


北条真っ黒じゃねーか。

まぁ、そういうことで北条家は包囲網を敷かれ、絶体絶命のピンチに陥ります。

北条家絶体絶命のピンチ。
この難局をどのようにして切り抜けたのか。
今回はここまでです。
なお、本動画はこちらになります。
【VOICELOID実況】戦国時代中期 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説 前編
【VOICELOID実況】戦国時代中期 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説 後編