甲斐武田氏

甲斐の大名・武田氏に関する記事はこちらです。

主に武田信玄と武田勝頼に関する記事です。
同族の若狭武田氏などは別タグで。

1.古文書

武田信玄の侵略からたった一人で寺を守りきった住職の苦労とは!?

戦国時代は織田信長や武田信玄たちが活躍した時代。そんな権力者たちから制札一つ受け取るだけでも命がけでした。当サイトは戦国時代の古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介するサイトです。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(5) 室町幕府の盛衰と3つの大乱

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を「軍記物」といいます。来世ちゃんがそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介するサイトです。
6.信長以外の歴史系記事

本当にそれでいいのか 戦国時代の「鶴翼の陣」についての3つの疑問

今回は戦国時代の陣形。とりわけ「鶴翼の陣」の謎について、大きく3つの疑問から探っていきたいと思います。皆さんは鶴翼の陣を想像するとき、どのような陣形を連想しますか?恐らく多くの方はU字型のような形を想像されたと思います。しかしながら・・・果たしてそれは真実でしょうか? 今回は乃至政彦氏著の「戦国の陣形」を元に、過去の史料からも引用し、鶴翼の陣の真実に迫りたいと思います。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍・足利義昭がついに挙兵

信長の年表11回目です。今回の主な出来事は武田信玄が野田城を攻略、武田軍の快進撃が止まる、将軍・足利義昭が挙兵、細川藤孝の内通、石山・今堅田の戦い、和田惟長乱心、髙山友照・重友父子の暗殺を謀る、織田信長による洛外・上京焼き討ち、鯰江城の戦いと百済寺焼き討ち、武田信玄死去、足利義昭と織田信長間で和議成立などです。

織田信長が出した古文書

義昭挙兵!信長が細川藤孝に宛てた書状から見える意外な一面とは!?

将軍・足利義昭が信長に対して兵を挙げた時に、織田信長が幕臣である細川藤孝に宛てた書状の解読をします。この時期の信長は意外にも将軍とは和平を望んでいて、人質も信長の方が差し出すと交渉しています。信長と細川藤孝の真意とは・・・。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに時代背景も入れてご説明します。
6.信長以外の歴史系記事

武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(最終回)

今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事で、甲相駿三国同盟の最終回です。河越夜戦後、今川・北条・武田の三家がどのような行動を取ったのかをご説明します。小豆坂合戦、東南海大地震、山内上杉氏の滅亡、上田原の合戦、塩尻峠の合戦、戸石崩れ、長尾景虎との対決などがあった末に三国同盟へと至りました。
6.信長以外の歴史系記事

武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(5)

今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその5回目。北条氏康の危機を救ったのは武田晴信でした。晴信は今川義元と交渉し、北条家が河東地域から完全に手を引くという条件で合意にこぎつけます。残るは関東の敵8万余騎。のちに河越夜戦とよばれる戦いは日本三大奇襲の一つとして有名です。
6.信長以外の歴史系記事

武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(4)

今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその4回目。北条氏綱の代に河東地域を奪われた今川義元は、ついに奪還へと動きます。義元は甲斐の武田晴信だけでなく、山内上杉氏、扇谷上杉氏、さらに古河公方足利氏とも連携し、北条大包囲網を敷きます。絶体絶命の北条氏康。この難局をどう切り抜けたのか。
6.信長以外の歴史系記事

武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(3)

今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその3回目。氏綱包囲網が敷かれて北条家が大ピンチの中、当主の氏綱が病死。家督を氏康が継ぎます。一方、甲斐では武田晴信がクーデターを起こして当主となります。これにより、武田-北条間で急速に関係の改善が模索され、甲相駿の外交関係は新たな局面を迎えます。
6.信長以外の歴史系記事

武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(2)

今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事になっています。当記事はその2回目。今川義元-武田信虎間での同盟の成立から北条氏綱が駿河へ攻め立てた第一次河東一乱までです。宿敵ともいえる三大名がどのような苦難を乗り越えて同盟へと至ったのでしょうか。
タイトルとURLをコピーしました