甲斐武田氏

甲斐の大名・武田氏に関する記事はこちらです。

主に武田信玄と武田勝頼に関する記事です。
同族の若狭武田氏などは別タグで。

1.古文書

戦国時代定番の贈り物と数え方②繊維類、日用品、貨幣、その他編

戦国時代定番の贈り物と数え方について解説します。最終回となる今回は「繊維類」、「日用品」、「貨幣」および「その他」です。実際の史料を進物に絞って調べ、複数回登場したものを挙げています。最も多かった贈り物とは一体何でしょうか。当サイトは戦国時代の面白さを古文..
織田信長が出した古文書

河尻秀隆はどこにいた?長島一向一揆戦から見える信長公記の信憑性

伊勢長島一向一揆勢の最後の戦いとなった天正2年(1574)夏。この時期に信長が河尻秀隆へ宛てた書状から、織田の諸将がどのように動いたのか。さらにこの時期の『信長公記』がどの程度信用の置ける史料なのかを探ります。当サイトは戦国時代の面白さを古文書から伝...
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(3)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。最終回となる今回は、武田家の視点からこの史料と時代背景を紹介します。信玄一流の外交はどの程度実を結んだのでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(2)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。第2回目の今回は、上杉家の視点からこの史料を紹介します。謙信を取り巻く当時の外交情勢は、どのようなものだったでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
織田信長が出した古文書

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(1)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。ここには前代未聞の無道、侍の義理を知らずなど武田信玄を激しく糾弾する内容が列挙されています。この書状の背景には何があったのでしょうか。
六角・浅井・朝倉家が出した古文書

信長をやっつけろ!武田勝頼の快進撃に再起を賭ける六角承禎の覚悟とは

信長を倒し旧領を取り戻すのが悲願だった六角氏。山奥へと追いやられ、最後に期待を賭けたのが長篠城へと進撃する武田勝頼でした。今回はそんな武田氏に宛てた六角承禎の書状を解読します。
武田信玄・上杉謙信が出した古文書

武田信玄の恥ずかしい書状 本当に春日虎綱と男色関係だったのか?

明:今回は武田信玄が若い頃、浮気を巡って修羅場に発展したことを物語る古文書を解読します。宛名の春日源助とは一体何者なのでしょうか。そこから見えてくるものとは?
足利将軍家が出した古文書

上杉七免許? 足利義輝が上杉謙信に宛てた書状から見えるものとは

将軍足利義輝は、上杉謙信に最も期待を賭けた人物です。彼は何を考え、若き謙信を京都に呼び寄せたのかを書状から読み解きます。
武田信玄・上杉謙信が出した古文書

上杉謙信が武田信玄の悪行の数々を書いた書状がヤバい

「武田晴信悪行の事」と題し、全7ヶ条からなる上杉謙信の願文です。「誓紙をもって和睦したのに翌日すぐにそれを破った」や、「晴信は父信虎を追放した親不孝者だから、神の御心に適うはずがない」など激しい罵りが列挙されている興味深い文書です。
徳川家康が出した古文書

長篠の戦い前夜 徳川家康が織田信長への感謝の意を示した書状を解読

長篠の戦いの少し前、徳川家康は織田信長に大量の兵糧が届いたことを感謝し、礼状を送ります。そこから浮かび上がる当時の情勢と信長との関係性がなかなか興味深いです。また、記事の最後には徳川家康が用いた花押と印判を載せています。
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