こんばんはー!
先日古書即売会で発掘した本から、戦国時代の兵器をCGで紹介していたページがありました。
「戦国の城と戦い(双葉社)」という本で、とても面白い本でした^^
今回はそこから引用させていただきます。
まずは一般的なやつから順に
楯
世界各地で古くから用いられていたもので、日本でも古代からあった。
弓矢を防ぐために考案されたもので、折りたたんで運ぶことができた。
竹杷
さらいと読む。
これは竹を束ねて作ったもので、木製の楯より防御効果がある。
戦国時代後半にはほとんどの野戦で登場し、鉄砲を防ぐのに適していた。
欠点は重いことと燃えやすいこと。
焙烙玉のような手榴弾系の兵器や、火矢とは相性が悪かったのかもしれない。
車仕掛けの竹杷
上記のさらいに改良を加えたもの。
竹束を簡便に移動させるために考案されたもので、防御だけでなく、狭間を設けて鉄砲で攻撃できるようになっている。
野戦の場では攻撃よりも本陣などを守ることに用いられており、敵の突撃を阻止するのに効果的だった。
焙烙玉 焙烙火矢
陶器に火薬を入れ、導火線に火を点けて敵方に投げ込む手榴弾のような兵器。
忍者が使うあれ。
榴弾系なので炎の威力は大したことないが、周辺の木造部分に引火して類焼させることができた。
転楯
野戦陣地などに見かけたのがこの「てんだて」で、鉄砲を撃つために狭間が設けられている。
大きさは様々で数十人が上がれるものもあった。
当初は騎馬武者による突撃を阻止するために作られたが、鉄砲が普及した後では銃弾を防ぐために竹束で防御したものも見られるようになった。
木幔
こまくと読む。
弓矢や銃弾を防ぐための防御楯で、台車がつけられて移動できるようになっている。
攻城戦で城門に接近するために使用された。
行天橋
土塁や板塀だけで防御されている城を攻める道具。
台車付きとなっている。
行天橋を板塀や石垣にぶつけ、それを伝って兵士たちが城内へと攻め込んだ。
石垣が高すぎると効果がない。
井楼
せいろうと読む。
戦国時代以前から日本でもあった兵器だが、鉄砲などの飛び道具が普及すると最も多く見られた兵器となった。
防衛側の城には常設されるようにもなり、雨露をしのげる屋根も設けられた。
雨露をしのげるということは、雨天時でも鉄砲を撃つことができたのである。
画像のは急造タイプのもの。
釣井楼
なんやねんこれ。
キリンかよ( ゚Д゚)
弓や鉄砲などを射かけるための井楼で、10名程度の足軽が、中心にある支柱に刻まれている段を利用して上り下りをしたと推定される。
実際には攻撃よりも見張りの役割を果たすことが多かった。
野戦よりも攻城戦でより多く登場し、上から城内に火矢を撃ち込むには大いに効果があったと伝えられている。
望車井楼
なんなんすかこれw
ノーベル物理学賞レベルでしょこれ。
高所から弓矢鉄砲などを射かけるための釣井楼で、滑車により木製の小屋を釣りあげる仕組みになっていて、より高く釣り上げることが前提とされていた。
観覧車以上のドキドキ感(^-^;
走り櫓
用途は井楼と全く同じものだが、台車がつけられて移動式になっていたのが走り櫓。
攻城戦の時は前線まで、夜間などにこの走り櫓を移動させて使用した。
用途は井楼と全く同じものだが、台車がつけられて移動式になっていたのが走り櫓。
攻城戦の時は前線まで、夜間などにこの走り櫓を移動させて使用した。
狼煙台
のろしだい。
通信用に使用されたのがこの狼煙台で、武田信玄などは領内の要地にこの狼煙台を設置して通信の役目を持たせていた。
狼煙ではないが、第四次川中島の合戦の際、海津城からのぼる飯炊きの煙の多さを見て、上杉謙信が妻女山を下り信玄のいる八幡原に突っ込んだという説もある。
これが事実だとすると、情報伝達速度を重視した信玄が裏をかかれた結果となり、非常に興味深い。
数名の兵がここに常駐していたと推測される。
他にも破城槌や落とし穴といったものもありますが、今回はこのへんで。
思ったより大掛かりな仕掛けですね。
望車井楼とかすごくないですか?w
味方が総崩れになって逃げだしたら、上の人たちどうするんだ・・・(;´∀`)