らいそくちゃん

2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 血戦 姉川の戦い

永禄13年(1570.1)から元亀元年(1570.7)までとなっております。この間の主な出来事は、五ヶ条の条書、浅井長政謀反、金ケ崎撤退戦、信長狙撃事件、落窪合戦、姉川の合戦などです。
1.古文書

戦国の古文書解読よく出る語彙・単語編 五十音順「さ」~「と」

こんばんはー!今回は古文書解読編の基礎の第2段目。自分がこういうサイトがほしい~と思っていた部分を凝縮しました^^何かの参考になれば幸いです。
1.古文書

戦国の古文書解読よく出る語彙・単語編 五十音順「あ」~「こ」

今回は古文書解読編の基礎ということで自分がこういうサイトがほしい~と思っていた部分を凝縮しました^^何かの参考になれば幸いです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

堂洞城の戦い 戦の功名と八重緑の悲劇

織田信長が進める美濃攻略の大きな契機となった堂洞城の戦い。あまり有名な戦いではないが、中濃で一番の激戦が繰り広げられ、鉄の結束を誇ってきた斎藤家は、これ以後衰退の一途をたどるのである。
4.織田信長家臣団

織田信包 信長の弟として、秀吉の家来として

信長の弟で一番有名なのが織田信包であろう。しかし、具体的に彼がどういった活躍をしたのかを知る人は少ない。初代丹波柏原藩主でもある。今回は信長や秀吉に影の如く支えた男の生涯に迫る。
織田信長が出した古文書

信長が上杉輝虎(謙信)に養子を出そうとしていた事実

織田信長が美濃攻略中に、上杉輝虎(謙信)へ養子を送ろうとしていたことはご存じだろうか。今回は古文書から読み解く当時の情勢や養子の件の顛末、そして様々な疑問について考察する。
4.織田信長家臣団

村井貞勝 信長だけでなく町人、公家、天皇にまで愛された名奉行

信長のNO.1吏僚として長く京都に駐在し、その才を遺憾なく発揮した人物。公家衆の取次ぎ役として、時には名奉行として才を発揮し、いつしか京都中の町人にいたるまで彼を愛した。今回は地味な内政官・村井貞勝の実績を書き連ねる
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
4.織田信長家臣団

滝川一益 誰よりも早く出世したが、悲しい晩年を迎えた武将

信長家臣団の中で最も出世が早く、信長が足利義昭を奉じて上洛するよりも前の時期に、北伊勢攻略を任されている。しかし一益は、信長の有名な合戦の多くに参加できずに、割と地味な戦いを受け持ったため、後輩武将にどんどん出世街道を追い越されてしまった。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。