足利義昭

織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 信長包囲網の完成

今回は織田信長の年表6回目です。姉川の戦いに勝利した信長は、畿内に上陸して野田・福島両砦に立て籠もった三好三人衆と戦う。公家衆まで戦の見物に出陣し、余裕の勝利と思われたが・・・そこには思わぬ落とし穴が待っていた。
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【古文書講座】信長が出した書状から読める足利義昭との関係性(殿中御掟)

今日は「殿中御掟」といって信長が最初に足利義昭の行動を縛った「掟書」の解読をします。古文書の読み方と一緒に、当時の時代背景もわかりやすくご説明します。
織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。
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覇王上洛 信長が本能寺に発給した禁制から当時を読み解く

永禄11年(1568)信長は足利義昭を領国に招き入れて上洛を目論む。しかし、美濃を制圧したばかりの信長は、大軍を擁して上洛するには物資面の面から見ると時期尚早であった。そこで信長は、畿内に信長上洛の噂を盛んに流して、一攫千金を獲得するある手段をとるのであった
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