浅井氏

2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 比叡山焼き討ち

今回は信長の年表8回目です。おもな出来事は磯野員昌、朽木元綱の投降、木下秀吉奮戦で浅井長政撃退、第一次長島一向一揆攻め、松永久秀謀叛(1回目)、湖北出兵、和田惟政敗死、比叡山焼き討ちです!
織田信長が出した古文書

【信長包囲網】 明智光秀らの奔走で信長が窮地を脱した書状

今回は信長包囲網により腹背を攻められ、信長が窮地に陥っている時の書状です。比叡山に立て籠った浅井・朝倉両家に信長は苛立ちを隠せません。当時の時代背景とともに釈文と現代語訳、さらに、この書状の解読ポイントも載せています。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

信長暗殺 遠藤直経と浅井長政 お市が人生で最も幸せだった7日間

これは信長の妹・小谷御前(お市)を浅井長政へ嫁ぎ、近江佐和山にて信長と浅井長政が初対面を果たした時のお話です。悲劇の姫であるお市が人生で最も幸せだった7日間。それと忍び寄る信長暗殺の影。その後に待ち受ける3人の運命。天はなぜこうも残酷なのか
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 信長包囲網の完成

今回は織田信長の年表6回目です。姉川の戦いに勝利した信長は、畿内に上陸して野田・福島両砦に立て籠もった三好三人衆と戦う。公家衆まで戦の見物に出陣し、余裕の勝利と思われたが・・・そこには思わぬ落とし穴が待っていた。
織田信長が出した古文書

【古文書から読み解く】浅井長政討伐に燃える織田信長の決意と意気込み

姉川合戦の約1か月前のこと。信長は浅井・朝倉連合軍との決戦を決意し、領国中から大規模な出陣動員令を下す。この時の書状が、美濃の国人である遠藤慶隆、胤俊宛てで残っており、そこから決戦への信長の決意と意気込みが読み取れる。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 血戦 姉川の戦い

永禄13年(1570.1)から元亀元年(1570.7)までとなっております。この間の主な出来事は、五ヶ条の条書、浅井長政謀反、金ケ崎撤退戦、信長狙撃事件、落窪合戦、姉川の合戦などです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。