池田恒興

織田信長家臣・池田恒興(いけだつねおき)に関する記事はコチラです。

嫡男の元助もこちらに含みますが、次男の照政(輝政)は便宜上別タグとさせていただきます。

なお、池田恒興は摂津池田氏と同族ではないかとの説もあるようですが、当サイトでは摂津池田氏は別タグとして扱わせていただきます。

織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍追放!事実上の室町幕府滅亡

信長の年表12回目です。今回の主な出来事は丹羽長秀に大舟建造を命じる、足利義昭再び挙兵の風聞、河内畠山家の遊佐信教らが主君・畠山秋高(昭高)を弑逆、足利義昭再び挙兵、二条御所の戦い、宇治槙島の戦い、足利義昭追放、一乗寺・静原山両城の戦い、木戸・田中両城の戦い、「天正」と改元などです。
織田信長の合戦や外交の詳細記事

姉川の合戦 後半 合戦の詳細と通説以外の説

姉川の合戦の詳細記事後半です。諸説さまざまな姉川の合戦、軍議、姉川の地形、姉川合戦の陣立て、姉川の合戦 開戦、姉川の合戦 浅井軍の猛攻、信長危うし 13段の備のうち実に11段まで破られる、形勢逆転 徳川軍の反撃、追撃掃討戦、姉川の合戦 終結する、通説ではない姉川の合戦 実は苦戦していなかった?などです。
織田信長家臣団

池田恒興 信長を地道に支えた忠臣

信長股肱の家臣で、信長覇業の最序盤から仕えた男。主要な合戦のほとんどに参加し、信長から絶大な信頼を受けて嫡男・信忠を支える。その後荒木村重討伐に活躍し、摂津伊丹城主となり、本能寺の変を迎えた。今回はそんな池田恒興の軌跡を辿る。
織田信長の合戦や外交の詳細記事

十四条・軽海合戦 一日二決戦!まさかのダブルヘッダー

永禄4年(1561)。先の森部合戦で勝利した信長は、墨俣城を奪取。大きな損害を受けながらも墨俣城に入り、兵を休まる暇なく痛手を受けた墨俣城の修復に取り掛かっていた。敗れた斎藤軍だが、すぐさま新手の兵を繰り出し、墨俣より北北東6キロの十四条村に布陣。信長もこれを迎え撃つため十九条村に布陣するのだが・・・
タイトルとURLをコピーしました