織田信長が出した古文書

『十等分の花婿』信長が信忠の下へ派遣した使者は誰か

天主が完成して間もない安土城下で、法華宗と浄土宗が争った安土宗論を、前回よりより深く考察します。とりわけ、信忠へお金の送金を依頼した目的と、その使者として岐阜へ派遣された『十等分の花婿』を特定します。
織田信長が出した古文書

安土城下で宗教論争!? 織田信忠へ宛てた知られざる信長の直筆書状

天主が完成して間もない安土城下で、法華宗と浄土宗による論戦が繰り広げられました。時は天正7年(1579)5月。この時、信長は何を考えどう動いたのか。同時期に信長が直筆の書状で嫡男信忠に宛てた書状からその手がかりを探ります。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 将軍・足利義昭がついに挙兵

信長の年表11回目です。今回の主な出来事は武田信玄が野田城を攻略、武田軍の快進撃が止まる、将軍・足利義昭が挙兵、細川藤孝の内通、石山・今堅田の戦い、和田惟長乱心、髙山友照・重友父子の暗殺を謀る、織田信長による洛外・上京焼き討ち、鯰江城の戦いと百済寺焼き討ち、武田信玄死去、足利義昭と織田信長間で和議成立などです。

信長家臣団が出した古文書

功に焦り!?信忠が信雄に宛てた書状の意味するものとは?

天正元年(1573)17歳の若き織田信忠が弟の信雄に宛てた書状を解読します。本状には尚々書(追而書)の部分が存在し、もしかするとここが織田信忠の直筆かもしれないです。織田信忠の現存する書状自体が非常に希少なものです。さあ今回はどのような面白いことが記されているでしょうか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳も載せてます。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 織田信重(信忠)の初陣

今回は織田信長の年表9回目です。今回の主な内容は松永久秀と三好義継の謀叛、比叡山焼き討ち後の信長の仕置きに対する正親町天皇の不満、織田信忠、織田信雄、織田信孝の元服、竹中半兵衛の活躍、奈良で大地震、湖北出兵、上京の信長御座所着工、松永久秀降伏、織田信忠の初陣と虎御前山の戦いなどです。
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