豊臣(木下・羽柴)秀吉

2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 武田信玄 ついに西上作戦を開始する

信長の年表10回目です。おもな出来事は、将軍に意見十七ヶ条を送りつける、美濃国人・遠藤氏の内通、武田信玄 ついに西上作戦を開始、おつやの方の裏切り 岩村城が武田家の手に渡る、延友信光の忠義、武田信玄 遠江で目覚ましい進撃を見せる、信長包囲網崩壊の序曲 朝倉義景 突然の帰国、三方ヶ原の合戦 徳川・織田連合軍の敗北などです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 織田信重(信忠)の初陣

今回は織田信長の年表9回目です。今回の主な内容は織田信忠の初陣と武田信玄による織田-本願寺間の和平仲介です。
1.古文書

【内府ちかひの条々】関ケ原の合戦前夜 石田三成が五奉行を動かし、家康に送りつけた弾劾状

関ケ原の合戦前夜、上杉討伐へ向けて西へ向かった徳川家康に対し、蟄居中の石田三成が挙兵。大坂城へ赴いて五奉行の長束、前田、増田と談合の上、味方に引き入れる。そこで作成された文書が「内府ちかひの条々」です。いわば家康への弾劾状ということ。今回はこの書状を解説します。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 比叡山焼き討ち

今回は信長の年表8回目です。おもな出来事は磯野員昌、朽木元綱の投降、木下秀吉奮戦で浅井長政撃退、第一次長島一向一揆攻め、松永久秀謀叛(1回目)、湖北出兵、和田惟政敗死、比叡山焼き討ちです!
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

【悲報】足利義昭さん、自分で作った反信長連合軍を討伐する総大将にされてしまう

元亀元年(1570)8月。三好三人衆が野田・福島の砦に立て籠もったと知った信長は、すぐさま軍勢を率いて上洛。摂津での作戦を立てる一方、将軍・足利義昭をむりやり総大将に担ぎ上げた。その時のやり取りを空想で^^
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 血戦 姉川の戦い

永禄13年(1570.1)から元亀元年(1570.7)までとなっております。この間の主な出来事は、五ヶ条の条書、浅井長政謀反、金ケ崎撤退戦、信長狙撃事件、落窪合戦、姉川の合戦などです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。