上杉(長尾)氏

織田信長が出した古文書

信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(1)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。ここには前代未聞の無道、侍の義理を知らずなど武田信玄を激しく糾弾する内容が列挙されています。この書状の背景には何があったのでしょうか。
足利将軍家が出した古文書

戦国時代の鉄砲のレシピ書?上杉謙信が将軍義輝から賜った古文書を解読

戦国時代の鉄砲火薬のレシピ書で、足利義輝が上杉謙信に授けた現存する文書です。木を乾燥させて焼くところから始まり、竹の筒に入れて完成するまでの工程が細かく記されていて大変興味深い史料です。当時の人はどのように鉄砲を作ったのでしょうか。
足利将軍家が出した古文書

上杉七免許? 足利義輝が上杉謙信に宛てた書状から見えるものとは

将軍足利義輝は、上杉謙信に最も期待を賭けた人物です。彼は何を考え、若き謙信を京都に呼び寄せたのかを書状から読み解きます。
武田信玄・上杉謙信が出した古文書

上杉謙信が武田信玄の悪行の数々を書いた書状がヤバい

「武田晴信悪行の事」と題し、全7ヶ条からなる上杉謙信の願文です。「誓紙をもって和睦したのに翌日すぐにそれを破った」や、「晴信は父信虎を追放した親不孝者だから、神の御心に適うはずがない」など激しい罵りが列挙されている興味深い文書です。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(8)上杉政虎の上洛と永禄の変

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
絵本石山軍記

「絵本石山軍記」の解読(5) 室町幕府の盛衰と3つの大乱

戦国時代は織田信長や本願寺顕如上人らが活躍した時代。そうした権力者たちの軍事行動に特化した古文書を軍記物といいます。当サイトはそうした古文書を丁寧に解読し、当時の人々の生き様をご紹介します。
6.信長以外の歴史系記事

武田北条今川 甲相駿三国同盟が結ばれた経緯をわかりやすく解説(最終回)

今回はVOICEROIDによる解説動画と連動した記事で、甲相駿三国同盟の最終回です。河越夜戦後、今川・北条・武田の三家がどのような行動を取ったのかをご説明します。小豆坂合戦、東南海大地震、山内上杉氏の滅亡、上田原の合戦、塩尻峠の合戦、戸石崩れ、長尾景虎との対決などがあった末に三国同盟へと至りました。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 武田信玄 ついに西上作戦を開始する

信長の年表10回目です。おもな出来事は、将軍に意見十七ヶ条を送りつける、美濃国人・遠藤氏の内通、武田信玄 ついに西上作戦を開始、おつやの方の裏切り 岩村城が武田家の手に渡る、延友信光の忠義、武田信玄 遠江で目覚ましい進撃を見せる、信長包囲網崩壊の序曲 朝倉義景 突然の帰国、三方ヶ原の合戦 徳川・織田連合軍の敗北などです。
武田信玄・上杉謙信が出した古文書

山本勘助は実在した!?武田信玄が出した書状からその根拠を読み解く

山本勘助は実在したのか・・・現在でも様々な議論がされているそうですが、今回は武田信玄が出した書状に「山本勘助」が登場する興味深い古文書を解読します。 いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳を入れています。実在したかどうかは私にはわかりかねます。
5.歴史系おもしろまとめ

駿河の大大名・今川氏真さん、上杉謙信に救いを求めるも既読無視される

外交は本当に難しい。今回は今川氏真が上杉謙信(輝虎)に同盟を呼びかけるが、無視されたお話です。お互い利害は一致しているにも関わらず、外交文書にまずい点があったというだけで上杉側が無視したのです。今回はなぜ上杉謙信は書状を無視したのかを考えます。