こんばんはー!
今日はリアル信長のシェフの逸話をご紹介します。
ソース元が「常山紀談」といって、
戦国武将の逸話470エピソードを収録している歴史書です。
しかし、常山紀談が完成したのが1770年と戦国時代を大きく過ぎ去った時代ですので、信憑性についてはお察しレベルです。
ですが、こういった逸話集というものは後年に出来たものしかなく、現在からみても理にかなっている部分も多くあるので馬鹿にはできません。
信長のシェフ 最初の雇い主は三好長慶
今回の主人公は「坪内」という名の料理人だ。
彼は信長の前の時代に天下を取った三好長慶のシェフをしていた。
三好長慶肖像画
時代は日本の動乱期。
長慶の死によって三好家は内部分裂を起こして弱体化していった。
信長のシェフ 次の雇い主は三好義継
料理人坪内は、三好家の後継者である三好義継の専属シェフとなった。
三好義継肖像
永禄11年(1568) 織田信長の上洛により、畿内の情勢は一変する。
三好義継は松永久秀らとともに信長に降った。
天正元年(1573)11月。
追放された将軍・足利義昭を匿った罪で、三好義継籠る若江城は攻め落とされた。
義継は切腹し、料理人坪内は捕らえられ、収監されてしまった。
シェフの意地 信長に交渉
収監されていたシェフは、信長家臣の菅谷長頼(九右衛門)に「料理人として信長様にお仕えしたい」
と申し出た。
既にこの料理人が高名で、特に包丁さばきは特に定評があったようだ。
菅谷長頼はこれを信長に伝え、「シェフにするかどうかは料理の出来次第」との返答が帰ってきた。
信長のシェフ 運命の日
早速翌朝、シェフ坪内は信長の為に精魂込めて料理を信長に提供する。
信長は坪内の料理に口にするや否や
「水くさくてこんなの食えねーよ!殺してしまえ!」
と怒鳴った。
シェフ坪内は落ち着いていて
「承知しました。もう一度チャンスを下さい。それでお気に召さなければ腹を切りましょう」
と懇願したという。
信長はこれを許し、翌日再び信長の前に料理を出すこことなった。
信長のシェフ 運命の日again
信長は翌日もシェフ坪内の料理を食べたのだが、これが信長を感動させ、坪内は褒め称えられたという。
※信長の口に合う感じの料理(イメージ)
こうして彼は囚人から一転、信長専属のシェフとなった。
信長のシェフがのちに語ったこと
シェフ坪内は、なぜ最初に出したのがダメで、翌日出した料理が感動させたのかを後年語っている。
「初日出したのは之長公から5代にわたって将軍家に仕えた三好家の味覚に合わせた料理。素晴らしい食材を京風の上品な味付けで出していた。」
「2日目に出したのは、いかにも田舎風な野暮ったい濃い味付けの料理。」
推察するに2日目に出したのは、名古屋風の甘い味噌をふんだんにつけた料理だったのではあるまいか。
また、せっかちな信長がかきこむようにメシを食っていたのを初日に見ていて、それに合うように調理したのかもしれない。
百姓や武士は重労働なので塩分をよく好む。現代から見ても理にかなっているのがなかなか興味深い。
要するに信長は食事にはあまり関心がなく、バカ舌だってことだw