1929年10月に起きた世界恐慌だが、この当時のアメリカ人の多くは、株価の大下落や銀行の連鎖倒産、担保にしていた家や車を失い、不況により仕事がない。そういう時代が到来することなど予想できなかったであろう。
そんなアメリカの繁栄と奈落を、様々な名言(迷言?)と共に見ていこう。
アメリカ・マンハッタンの繁栄
ここがニューヨークの中心地「マンハッタン」。ウォール街はこの中にある。
1920年代でこのすごさ。
若者たちの時代が到来
ニューヨークを変えていったのは「若者たち」だった。殊に若い女性は流行に敏感で、様々なファッションや化粧品、新しい音楽が生まれた。
黒人の音楽「ジャズ」が流行し、新しいメディアであった「ラジオ」にのって「チャールストン」が白人の間でも大流行。
テクノロジーの進化・文明の進化・新しい心理学説によって、だんだんとキリスト教を信じなくなる若者も増えていった。
愛すべき名言集(迷言)
合言葉は
合言葉は、
「Buy Now,Pay Later.」
“今すぐ 買おう! お支払いはあとで”
庶民でも株に夢中になる時代
「株価を表示する黒板の前では、人だかりができていました。あまりに株価が乱高下するので、そこで卒倒する人もいたほどです。でも彼らはそう心配していませんでした。結局株価は上昇カーブを描き、実際みんな儲けているから、ますます株を買おうとする。実態は信用貸しでした。10万ドルの現金しか手元にないのに、100万ドルの株を買おうとする。残りの90万ドルは、ブローカーか銀行から簡単に借りられたのです。」
不動産業
あるニューヨークの投資家のオフィスで、私は壁に貼ってある地図に指差して、彼に尋ねた。
「空き…と印してある用地は何ですか?街のあちこちに、空き地がこんなにあるとは思いませんでしたよ。」
彼は愉快そうに言った。
「4階より低い建物ならなんでも私たちにとっては空き地ですよ。それを買って取り壊し、もっと高い建物を建てて売ったら儲かるのです。」
独身女性の誘い方
「女の子が大喜びするのは、一緒に映画を見終わって彼女をカフェに誘うことだ・・・などというのは、お話にならない古めかしさだ。今日では、彼女をドライブに連れていくにも、6気筒7人乗りのセダンが必要である。そのうえ、一番入場料の高いコンサートに行って、その夜の最後を飾るために、一番値段の張るレストランに彼女を連れて行かねばならないのだ。」
カルビン・クーリッジの演説
アメリカ第30代大統領「カルビン・クーリッジ」はこう演説した。
「合衆国の歴史上今議会ほど、喜ばしい期待に満ちた議会は無いと申せましょう。我が国の企業が産業を生み出し、経済が蓄えた莫大な富は、国民の間で広く分配される一方、生活必需品は既に必要水準を満たし、贅沢の域に達しました。わが国の現状は、まことに満足すべきものであり、将来に対しては楽観的な期待を寄せることができるでありましょう。」
フラグwww
1929年年頭のニューヨーク・タイムズ の社説
「もし、過去をもって将来を計る方法があるとすれば、この新年は慶賀と希望に満ちた年となるであろう。」
うーん、これは戦犯!w
繁栄から奈落へ
株価最高値更新!
9月3日 株価は史上最高値を記録。
ところがその後は小さな下落を繰り返すようになる。
しかし、人々は好景気に支えられた強気相場は永久に続くと信じていた。
モルガン商会が大統領に金融レポートを提出
1929年10月19日
モルガン商会は、景気の過熱感を懸念するフーヴァー大統領に、金融レポートを提出。
「現時点では、わが国の経済がコントロール不能に陥っていると示唆する要素は何もありません。我々は、世界で最強の富と確固たる未来を持っています」
モルガン紹介 大統領宛のレポートより
それからわずか5日後のこと・・・
暗黒の木曜日
10月24日 「暗黒の木曜日」。株価は突然の大暴落をする。
これはやばい(;´Д`)
それからさらに5日後・・・
世界恐慌の始まり
10月29日、5日前の大下落をさらに上回る株価の総崩れが発生!これが瞬くうちに世界中に広まり、「世界恐慌」が始まった。
世界恐慌の翌日
ニューヨークウォール街で銀行から預金を下ろそうと殺到する民衆たち
こうして数多くの銀行が連鎖倒産していった
GMや、USスチールなどの有力株も、軒並み半分にまで暴落。一週間で数百億ドルが消え去った。
ジョン・ロックフェラーのメッセージ
石油王「ジョン・ロックフェラー」は、家を手放し仕事もない人々に次のような言葉を残している。
「長い人生には、大恐慌や繁栄が波のように繰り返しやってくるものだ。神と人間性を信じ、勇気を持って進もうではないか」
J・P・モルガン・ジュニアがアメリカ議会の聴聞会に召喚される
モルガン商会の親玉、金融王の「J・P・モルガン・ジュニア」が議会に呼び出され、自分だけは資金をいち早く引き上げて被害を免れたこと、過剰な投機熱を煽ったこと、そして脱税が追及された。
その後
担保にしていた家や車を手放し、ニューヨーク郊外にバラックを建てて住む人々。
ヨーロッパでは大戦後の荒廃からようやく立ち直りつつあったところで、大不況がやってきた。特にドイツでは深刻な打撃を受け、やがてヴァイマール政府が倒れ、ナチスの時代へとなっていく。
日本でも東北の農村の飢饉や、関東大震災の影響、長く続く不況にあえいでいた。そこでこの世界恐慌の余波を受けたのである。
世界各国がどのようにして世界恐慌から脱却できたのかはまた書いてみたいですね。そういえば、世界7大国のうち1国だけ、この不況の影響をほとんど受けずに済んだ国がありました。どこだかわかりますか?
関連書籍→世界大恐慌――1929年に何がおこったか (講談社学術文庫) (amazon.co.jp)
今回もご覧いただきありがとうございました(^^)/