3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

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永禄11年(1568)戊辰 正月~2月

正月1月1日河内の津田衆らが松永方へ寝返り、河内国で三人衆方と交戦。『多聞院日記』『言継卿記』『細川両家記』去朔日、津田城多聞山へ裏帰色立了、則河州出口にて及一戦、木澤ノ紀伊守討死了、則首ニ多聞山へ来了、マエサクマト云タル仁也ト、   『多聞院日記』永禄十一年正月五日条(書き下し文)去一日、津田城多聞山へ裏返る色を立ておわんぬ。則ち河州出口にて一戦に及び、木澤の紀伊守討死しおわんぬ。則ち首に多聞山へ来たりおわんぬ。マエサクマト云うたる仁なりと。烏丸へ罷向、極位珍重之由申之、宰弔之時分云々、申置了、次長橋局へ罷向、理性院、蔭亮等被來、吸物にて酒有之、次竹内殿へ参、暫御雑談有之、河州津田、城州田邊...
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信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(3)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。最終回となる今回は、武田家の視点からこの史料と時代背景を紹介します。信玄一流の外交はどの程度実を結んだのでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
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信玄西上!息子を人質に取られた信長が、上杉謙信に送った決意とは(2)

元亀3年(1572)冬に織田信長が上杉謙信へ宛てた書状を解読します。第2回目の今回は、上杉家の視点からこの史料を紹介します。謙信を取り巻く当時の外交情勢は、どのようなものだったでしょうか。当ブログは古文書を解読し、当時の人々の生き様を紹介するサイトです。
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織田信長の清州城攻略戦 父をも成し得なかった大事件を「信長公記」から考える

若き織田信長による清州城攻略。それを示す史料はそう多くはない。今回は当時の信長の行動が最も詳細に記されている「信長公記」から見てみようと思う。どのような経緯があって信長は主家を滅ぼし、さらにその主家である斯波家を傀儡化することができたのか。
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姉川の合戦 番外編 それぞれの武将のエピソード

姉川の合戦の武将エピソード集です。両陣営の華々しく散っていった武将や感動秘話を中心にご紹介します。主な逸話は1.竹中重治(半兵衛)の調略工作 2.樋口直房から聞かされた浅井長政の葛藤 3.勇将名高い真柄直隆と向坂式部の一騎打ち 4.浅井雅楽助とその弟・斎宮助の逸話 6.若武者・坂井尚恒の奮戦 7.遠藤直経の最期と竹中重
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姉川の合戦 後半 合戦の詳細と通説以外の説

姉川の合戦の詳細記事後半です。諸説さまざまな姉川の合戦、軍議、姉川の地形、姉川合戦の陣立て、姉川の合戦 開戦、姉川の合戦 浅井軍の猛攻、信長危うし 13段の備のうち実に11段まで破られる、形勢逆転 徳川軍の反撃、追撃掃討戦、姉川の合戦 終結する、通説ではない姉川の合戦 実は苦戦していなかった?などです。
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姉川の合戦 前半 元亀の争乱時代が幕を開ける

姉川の合戦の詳細記事前半です。今回は姉川の合戦に至った経緯、堀秀村・樋口直房の調略、信長出陣 小谷山城下に肉薄、小谷城下放火、姉川の合戦の前哨戦 八相山の退口、三河から徳川家康参陣 浅井側も朝倉軍到着、大依山と竜ヶ鼻にそれぞれ陣取り、睨み合う、異説・姉川の合戦、朝倉義景はなぜ自ら出馬しなかったのか・・・です。
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大河ドラマとなる明智光秀の生涯をなるべく詳しく(3)

惟任光秀の名乗り、丹波攻略を進めつつ各地での戦にも活躍、長宗我部氏の奏者として、遊撃軍団長としての光秀、荒木村重謀叛、八上城攻略と光秀の生母人質の真偽について、ついに丹波を平定する、そして丹波国主へ、織田軍団再編成 佐久間信盛らの追放、京都馬揃え、丹波亀山城と明智軍紀、甲州征伐などです。
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これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
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信長が築いた小牧山城を古地図と信長公記から読み解く

織田信長が築いた小牧山城ですが、現在でもさまざまな疑問があります。信長の居館も正確な場所は不明なようです。そもそもなぜ信長は小牧山への移転を決意したのでしょうか。今回は古文書の「信長公記」からも引用し、そこで感じた個人的な見解も書いています。