伊勢の国司・北畠氏に関する記事はこちらです。
伊勢の名門北畠氏の光と影 ~なぜ国司は滅んだのか~②
伊勢の名門北畠氏シリーズ第2弾です。混乱する南北朝期に流星の如く現れた北畠氏は、どのようにして栄え、そして滅んだのか。その謎は未だ多くが謎に包まれています。第2回目となる今回は、「神領および山田三方衆との関係」と、「大和国における北畠氏の行動」、そして「北畠氏は応仁・文明の乱をどのように切り抜けたのか」についてです。
伊勢の名門北畠氏の光と影 ~なぜ国司は滅んだのか~①
混乱する南北朝期に流星の如く現れた北畠氏は、どのようにして栄え、そして滅んだのか。その謎は未だ多くが謎に包まれています。そんな戦国北畠氏を、今回の投稿から3回にかけて考察します。第1回目となる今回は、「戦国北畠氏の大まかな歴史」と、「それに従属する領主・家臣団」、さらには「北畠氏と覇を競った伊勢の勢力」について触れます。
織田信長の年表ちょっと詳しめ 三好義継の最期
織田信長の年表16回目です。天正元年(1573)10月~12月までのおもに織田家の行動を年表にしています。この間の主な行動は、伊勢長島攻めをはじめ、山城静原山城陥落・毛利・伊達両家との外交・三好義継自刃・松永父子降伏・旧幕臣関係者の所領安堵などです。
織田信長の年表ちょっと詳しめ 義昭と信長による幕府・禁裏の経済改革
誕生~叔父信光死去まで(1534~1555)叔父信光死去~桶狭間の戦い直前まで(1555~1560)桶狭間の戦い~小牧山城移転直後まで(1560~1564) 美濃攻略戦(1564~1567)覇王上洛(1567~1569)血戦 姉川の戦い(1570 1.~1570 7.)信長包囲網の完成(1570 7.~12.)比叡山焼き討ち(1571 1.~9.)義昭と信長による幕府・禁裏の経済改革(1571 9下旬~1571.12) 当該記事元亀3年の大和動乱(1572 1.~1572.6)織田信重(信忠)の初陣(1572 7.~1572 9.)武田信玄 ついに西上作戦を開始する(1572 9.~1572 ...
織田信長の年表ちょっと詳しめ 朝倉・浅井家滅亡
織田信長の年表13回目です。天正元年(1573)8月~10月までのおもに織田家の行動を年表にしています。朝倉・浅井討伐戦・近江鯰江城攻略・第二次伊勢長島一向一揆戦の時期にあたります。
河尻秀隆はどこにいた?長島一向一揆戦から見える信長公記の信憑性
伊勢長島一向一揆勢の最後の戦いとなった天正2年(1574)夏。この時期に信長が河尻秀隆へ宛てた書状から、織田の諸将がどのように動いたのか。さらにこの時期の『信長公記』がどの程度信用の置ける史料なのかを探ります。当サイトは戦国時代の面白さを古文書から伝...
みんな集合!信長が急遽行った京都サミットの理由とは?
信長は将軍の権力を縛る条書を送ったのと同じ日。禁裏様や将軍に挨拶をせよと大々的に触れを出し、サミットへの参加を呼びかけた時の古文書を解読します。そこにはどのような時代背景があり、その結果どうなったのか。永禄時代最後の謎に迫ります。
戦国の幕開け 名門細川家のややこしい権力争いを和歌の面から見る(2)
今回は大内義興の後援を受けて覇権を握った細川高国の時代から始まります。この記事はこんな人にオススメです。「戦国中期の武士の和歌が見たい」「細川家のごたごたした内紛を簡単に知りたい」「短歌が好き」「細川高国と細川澄元のバトルが好き」「大内義興・朝倉宗滴・六角定頼が好き」「細川晴元と三好元長を知りたい」わかりやすく説明..
織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛
今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。