天正

1.古文書

前田利家を呪った謎の屋根瓦 小丸城跡から出土した古文書を解読

織田信長による越前一向一揆の殲滅作戦は残虐非道なものだった。それを裏付ける史料として小丸城跡から発掘された丸瓦の古文書を解読してみる。そこには前田利家が「一揆千人ばかりを生け捕りにし、磔・釜であぶられ・・・」とあるが、どういうことなのか。今回もいつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、さらに時代背景も入れてご説明します。
信長家臣団が出した古文書

功に焦り!?信忠が信雄に宛てた書状の意味するものとは?

天正元年(1573)17歳の若き織田信忠が弟の信雄に宛てた書状を解読します。本状には尚々書(追而書)の部分が存在し、もしかするとここが織田信忠の直筆かもしれないです。織田信忠の現存する書状自体が非常に希少なものです。さあ今回はどのような面白いことが記されているでしょうか。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳も載せてます。
5.歴史系おもしろまとめ

蒲生氏郷と細川忠興 永遠のライバルの人生を比較する

蒲生氏郷と細川忠興の人生を比較する記事です。二人はライバル関係で、若いころは激しく衝突していたようですが、やがてお互いを認め合う良き親友となりました。今回はそんな両者の生い立ちや初陣、結婚、本能寺の変後の行動、夫婦仲や家族との関係、合戦スタイルなどを紹介します。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 武田信玄 ついに西上作戦を開始する

信長の年表10回目です。おもな出来事は、将軍に意見十七ヶ条を送りつける、美濃国人・遠藤氏の内通、武田信玄 ついに西上作戦を開始、おつやの方の裏切り 岩村城が武田家の手に渡る、延友信光の忠義、武田信玄 遠江で目覚ましい進撃を見せる、信長包囲網崩壊の序曲 朝倉義景 突然の帰国、三方ヶ原の合戦 徳川・織田連合軍の敗北などです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

これが織田方面指令軍の原点 織田信長による近江支配体制の確立

織田信長による近江国支配体制について。1.浅井長政謀反 岐阜-京都間の街道が分断される2.南近江に歴戦の将を配置する3.姉川の合戦 近江支配に木下秀吉が加わる4.野田・福島の戦いと志賀の陣 森可成が討死する5.比叡山焼き討ち 近江支配に明智光秀が加わる6.徐々に狭まる対浅井長政包囲7.浅井・朝倉家滅亡 その後の近...
天皇・朝廷が出した古文書

【古文書講座】太政大臣か関白か将軍か 天下人信長が選択した道は

太政大臣か関白か将軍か。天正10年(1582)5月。織田信長の最晩年。信長は好きな役職に就くことができた。そこで信長が採った選択肢とは?今回は誠仁親王直筆書状から当時を読み解きます。
明智光秀が出した古文書

「麒麟がくる」の明智光秀が細川藤孝に宛てたあまり有名でない方の書状

明智光秀が細川藤孝に打診した直筆の書状を解読します。今回の書状は難易度が低めなので、古文書解読初心者に易しいはずです。いつものように原文と釈文、書き下し文、現代語訳、時代背景を。さらにこの書状を解読するポイントを載せています。
5.歴史系おもしろまとめ

リアル信長のシェフ 信長の好きな味は

今回は戦国の日常編ということで、信長のシェフとなった坪内にスポットを当てます。信長はどんな味付けを好んで食べていたのか、古文書の記述を元に紹介したいと思います。