【国際連盟脱退】脱退をした3つの理由と外交下手といわれる原点 前編

4.5
来世ちゃん
来世ちゃん

こんばんはー!
今日は昭和初期の出来事について。
日本が国際連盟を脱退した理由について書きます。

来世ちゃん
来世ちゃん

私は戦国史が一番好きですが、「なぜ戦争に至ったかということを外交の視点」から見るのもまた好きなんですよ。(誰にも理解されなくて悲しい…)

来世ちゃん
来世ちゃん

今回は理由を3つ挙げて、なぜ「日本が外交下手」といわれるのか、その原点を探っていきます。
前編と後編に分けて書かせていただきます^^
(3つの理由などは後編に書きますのでご了承を)

国際連盟脱退に至った経緯

国際連盟の発足

 第一次世界大戦後の1920年。
世界では厭戦えんせん(戦争いやだ!)機運が高まり、アメリカウィルソン大統領が言い出しっぺで国際連盟が発足した。

ウッドロウ・ウィルソン
時の大統領ウッドロウ・ウィルソン
世界中から人気を集めた平和主義者。
第一次世界大戦に介入したが、その後の講和会議で主導権を発揮できず、
国際連盟を発足を呼びかけたが、自国を参加させるのに失敗した。

ウィルソン大統領は平和主義者として世界中から人気だった。
しかし、アメリカ国内からは指導力に疑問を持たれ、とりわけアメリカ資本の中枢であるウォール街の人たちからはあまり歓迎されなかった。

そういったこともあり、言い出しっぺのアメリカは議会の反対により国際連盟に加入しなかったのである。
ピエロかよ!

日本は常任理事国に

当時の日本は列強であったことと、列強ひしめき合うヨーロッパから遠く離れているということで、仲裁するのに最適な国であると期待されて常任理事国となった。

初期から常任理事国だった国は日本の他に大英帝国(イギリス)フランスイタリアだけである。

アメリカは未加入、ドイツは第一次大戦の敗戦国かつハイパーインフレなどで混乱中、ソビエトは革命真っ最中で内戦状態であった。
関連記事:【ハイパーインフレ】ドイツマルク1兆倍デノミの深層

世界恐慌発生

1929年10月。
アメリカウォール街で株価が大暴落する

1929年前後の株価
1929年前後の株価

それが瞬くうちに世界中に波及し、世界恐慌が発生した。
関連記事:【大統領も真っ青】世界恐慌前夜のフラグ名言がすごいwwww

日本も世界恐慌の影響が深刻であった。
第一次世界大戦終結後から不況であったが、それに輪をかけるように経済に大きなダメージを与えた。
(実際にはなぜか世界恐慌の2年前からデマで銀行の連鎖倒産が相次いだ)

国際連盟に加入する列強諸国も、世界恐慌による経済ダメージは深刻で、口では「民族自立」「植民地を徐々に開放していこう!」と謳っていたが、実際には自国の権益に固執していたのだ。

そんな中、日本陸軍で急速に勢力を拡大する派閥が

大日本帝国陸軍
組織は陸軍省、参謀本部、教育総監を中心に、戦前の日本における最大の官僚組織であった。

しかし、陸軍内ではいまだに藩閥政治の名残があった。
これまで陸軍のトップは山県有朋がほぼ全てを握っていたと言っても良く、薩長(鹿児島県、山口県)出身の軍人ばかりが出世していたということもあり、若い将校たちは不満を募らせていった。

一夕会の発足

山県有朋の死後もそうした流れが続いており、長州出身の陸軍大将が軍人を辞めて政界入りし、陸軍機密費問題を引き起こしたり、それを調査する担当検事が怪死したりと、陸軍の評判はすこぶる悪かった。

そんな中、永田鉄山を中心に、小畑敏四郎岡村寧次、一つ下の東条英機らが一夕会という派閥を立ち上げた。
(元々は違う名の派閥。合併して一夕会となったが、ここではその話は省かせてもらう)

永田鉄山
永田鉄山
陸軍きっての逸材で「永田の前に永田なし、永田の後に永田なし」といわしめた人物。
一夕会を立ち上げ国家の改造を目指すも、メンバーは次第に対立。
激しい権力闘争が続く中、白昼の陸軍省で皇道派の若手将校に斬殺された。
彼の死後、全体を取りまとめるリーダーがいなくなり、
二・二六事件、日中戦争、そして大東亜戦争へと突き進んだ。
小畑敏四郎(左)と岡村寧次(右)
小畑敏四郎(左)と岡村寧次(右)
永田とこの三人は陸軍士官学校の同期で
「陸軍三羽烏」と当時からいわれていた。

第一次世界大戦というものを、大使館付きの駐在武官として目の当たりにしてきた彼らは、このままの日本ではダメだと非常に強い危機感を抱いていたのだ。

彼らの目指す目標は、
まず同志をあつめること
上の世代から重要ポスト(課長職など)を奪うこと
陸軍内で発言力を得てからは、政財界にもはたらきかけて軽工業から重工業への転換や、国家総動員ができる体制を早急に整えることなど、国家全体の改造を目指した。

一夕会の拡大

 ①の「同志を集めること」は、陸軍士官学校を卒業したばかりの優秀な人材を勧誘し、山下奉文岡部直三郎石原莞爾牟田口廉也鈴木貞一武藤章などが会員となった。
いずれも昭和史を物語る上で重要な人物たちである。

②の「上の世代から重要ポスト(課長職など)を奪うこと」も面白いくらい上手く事が運んだ。
特に重要なのは、人事をつかさどる「陸軍省人事局人事課長」だ。
人事課長は大佐以下の階級ならば、割と好きに決められる権限があったのだ。

この人事課長に一夕会の発足メンバー・岡村寧次おかむらやすじが就任した。

するとその翌年、今度は軍務局軍事課長にリーダーの永田鉄山が選ばれる。
この軍事課長のキャリアを歩んだ者のほどんどは、軍務局長→陸軍次官、そして最終的には陸軍大臣へと出世する傾向にあったのだ。

このようにして年が経つごとに一夕会の勢力と発言力が拡大し、上からの重石が取り払われていった。
重石がなくなるということは、反対者がいなくなるということでもある。

そのことが数年後の張作霖爆殺事件満州事変熱河作戦国際連盟脱退へと繋がるのである。

無論、陸軍ばかりが悪いわけではなく、彼らに改革を急がせた政党政治への不信や、満州事変後に次第に陸軍へすり寄っていったマスメディア各社、最終的にそうした世論を生み出した当時の国民一人一人にも責任があるだろう。

後編へ続く

来世ちゃん
来世ちゃん

「余談だけど東条英機が若い頃、陸軍大学校(参謀を育てる陸軍のエリートしか入れないところ)の受験に失敗。
次の受験に受かるように一期上の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次が勉強会を開いてあげたっていう逸話が人間らしくて好き。」

来世ちゃん
来世ちゃん

次回はいよいよ根幹の「田中上奏文を巡る中華民国との外交バトル」「陸軍の動きを止められず、内向きな姿勢に終始した外交」「経済制裁発動を恐れての国際連盟脱退」などをご紹介します。

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