こんばんはー!
今日は戦国時代(というより中世)の単位を書きます。
長さとか、石高とか貫高とかそういうやつです。
戦国時代は激動の時代です。
年代や地域によって大きく差異がありますのでご了承ください。
何かのお役に立てましたら光栄です。
戦国時代の長さや距離の単位
1分・・・いちぶ=3.03mm (約3mm)
1寸・・・いっすん=3.03cm (約3cm)
1尺・・・いっしゃく=30.3cm =10寸 (約30cm)
1間・・・いっけん=1.818m =6尺 (約1.8m)
1丈・・・いちじょう=3.03m =10尺 (約3m)
1段・・・いちだん=10.908m =6間 (約11m)
1町・・・いっちょう=109.08m =10段 (約110m)
1里・・・いちり=3926.88m =36町 (約4km)
※時代や地方により差異あり
太閤検地により1里=36町と統一
豊臣秀吉が全国一律 1里=36町と統一させた。
それまでは地方によって6町(654.48m)や60町(6544.8km)だったりと、大きくばらつきがあった。
六尺五寸殿と有名だった斎藤義龍の身長は?
6尺5寸・・・1尺が30.3cmなわけだから、6.5を掛けると
斎藤義龍の身長は約196.95cmという超クソデカノッポであることがわかる。
斎藤義龍肖像画
当時の戦国男性の平均身長は155cmくらいである。
早逝したのが不思議でしょうがない。
織田信長の三間半長槍の異常さ
当時の一般的な長槍は二間半(約4.5m)である。
織田信長は若いころから模擬合戦を何度もやらせて研究を重ねた結果、三間半(約6.3m)の長槍を考案した。
重い上に槍の基本的な動作がしにくそうだが・・・。
槍とは突く以外にも、払う動作や叩く動作もある。
それをこんな超ロングランスを装備させて、よく戦えたものだと感心する。
これを雑兵(農兵)に持たせたのではなく、戦のプロである傭兵(金で雇う兵士)に練習をさせて使わせたとしたら・・・
なんとなくだが、これだとわずか700の手勢で1700の柴田勝家や林美作守を稲生の合戦で破ったり、美濃攻略の原動力となりえるのではないかと思ったり。
さすがは戦国の革命児である。
でも矢が飛んで来たらどう防いだんや(^-^;
戦国時代の面積の単位
1歩・・・いちぶ=3.3(ヘーベー なぜかPCからは打てない) (畳二畳分 1坪)
1畝・・・いっせ=99ヘーベー =30歩 (30坪)
1反・・・いったん=990ヘーベー =10畝 (300坪)
1町・・・いっちょう=9900ヘーベー =10反 (3000坪)
1町は距離と面積両方あるのか・・・ややこしい(^-^;
※時代や地方により差異あり
一反あたりの米の産出量
江戸時代では一反あたり米1石(いっこく)取れたようだ。
1石=150kg。
ちなみに現在はだいたい1反からは500kgくらい取れる。
戦国時代の守護大名・播磨の赤松氏あたりが農業用トラクターを持っていたら、歴史が変わっていたかもかもね。
お米の単位
1勺・・・いっしゃく =10才 (約15g)
1合・・・いちごう = (約150g)
1升(桝)・・・いっしょう =10合 (約1500g)
一斗・・・いっと =10升(桝) (約15kg)
一俵・・・いっぴょう =4斗 (約60kg)
1石・・・いっこく =10斗 (約150kg)
※時代や地方により差異あり
貫高に直すと
これも地方や時代によってまるで異なると思うが、天文年間(1532~1555)あたりの時代では、目安として7貫文につき一人の動員兵力だったようだ。
1貫文は10石にあたるとすれば、 (1貫文=1000文)
10貫文=100石
100貫文=1000石
1000貫文=1万石
1万貫文=10万石
ということになる。
貫高や石高で動員兵力を換算すると(天文年間あたり)
天文年間は西暦(1532~1555)
これで計算すると
7貫文で1人 (70石)
70貫文で10人 (700石)
700貫文で100人 (7000石)
7000貫文で1000人 (7万石)
7万貫文で1万人 (70万石)
が天文年間あたりの動員兵力ということになる。
貫高や石高で動員兵力を換算すると(慶長年間あたり)
慶長年間は西暦(1596~1615)
秀吉の死や関ケ原の合戦、大坂冬の陣あたりの年代だ。
この時代は1万石あたり250人の動員兵力と一般的には言われている。
関ケ原の合戦時の
石田三成の動員兵力は19.4万石で約5820人。
宇喜田秀家57万石で1万7220人。
福島正則24万石で約6000人。
細川忠興18万石で約5100人。
と、まぁそんなもんかと、だいたい計算通りの動員兵力となる。
戦国時代のほんの約150年の間でも、動員兵力は大きく異なる
しかしながら、先ほどの天文年間では1万石あたり100人という計算となったはずだ。
一方、慶長年間では1万石あたり250人という計算だ。
おかしい。整合性が取れない。
これにはいろいろ理由がある。
理由1 人口の大幅な増加
一つは、戦国時代で大幅に人口が増加したことだ。
意外にも戦乱の世にあって、日本全体で人口が1.5倍くらいに増えたらしい。
命の危機に晒されると子供を作る本能が湧いてくるのか。
もう一つ大きな点では農機具の改良だ。
米の獲れ高が増えたことによって、庶民にいたるまで大幅に人口が増えた。
理由2 雑用を考慮して
関ケ原の場合は、兵隊以外にも釜炊き 飯炊き 輸送運搬係などの非戦闘員である雑用も入っている可能性が高い。
それらを総合して考えると、この数の開きはある程度説明がつく。
関ケ原になると、どの大名もこれが戦国最後のいくさになると、有り金全てはたくつもりで兵を動員していた可能性もある。
貫高を現在の現金(円)に換算すると
織田信秀や信長が伊勢神宮や朝廷へ拠出した費用 4000貫/1回につき=現在の価値で6億円だとされている。
これも時代によって、地方によって大きなばらつきがあるので断言はできないが。
関連記事:織田信秀躍進の裏に3つの経済政策あり!?
石高を現在の現金(円)に換算すると
1石・・・いっこく=150kg
現在の価値に直すと・・・
秀吉時代の石高帳で換算すると、1石あたり833文。
1石が150kgなわけだから・・・
5kgを150kgで割ると0.03kg=30g
現在のお米5kg=2200円だとすると
1石は2200(円)×30(グラム)=6万6000円
となる。
ならない?(不安)
私自身もたまにものの単位の正確な数を度忘れすることがあるので、
まぁ、自分用にもインデックスとして使えるかなぁと思って作りました。