2019-07

古文書

信長が上杉輝虎(謙信)に養子を出そうとしていた事実

織田信長が美濃攻略中に、上杉輝虎(謙信)へ養子を送ろうとしていたことはご存じだろうか。今回は古文書から読み解く当時の情勢や養子の件の顛末、そして様々な疑問について考察する。
織田信長家臣団

村井貞勝 信長だけでなく町人、公家、天皇にまで愛された名奉行

信長のNO.1吏僚として長く京都に駐在し、その才を遺憾なく発揮した人物。公家衆の取次ぎ役として、時には名奉行として才を発揮し、いつしか京都中の町人にいたるまで彼を愛した。今回は地味な内政官・村井貞勝の実績を書き連ねる
古文書

家督を相続して間もない信長が加藤氏に宛てた文書から当時を読み解く

今回は信長の初期の初期の時代の話です。信長が尾張熱田の有力者である加藤氏に対して発給した文書から当時を読み解きます。そこからは東寺の尾張の情勢、実弟である勘十郎信勝の影が見て取れます。
—おもしろ系

混沌のツイート集 7月編

7月ももう終わりますね。また今年も酷暑がやってきました(;´Д`) この間なんて2時間出掛けただけで汗だくで、脱水症状寸前で帰宅しましたよ。皆さんも水分をよくとって、長時間日に当たらないように心掛けた方がいいですよ。 面白いツイートを発掘するのが好きです。今回は2019年7月の特に面白かったツイートを限定して紹介したいと思います。
織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
織田信長家臣団

滝川一益 誰よりも早く出世したが、悲しい晩年を迎えた武将

信長家臣団の中で最も出世が早く、信長が足利義昭を奉じて上洛するよりも前の時期に、北伊勢攻略を任されている。しかし一益は、信長の有名な合戦の多くに参加できずに、割と地味な戦いを受け持ったため、後輩武将にどんどん出世街道を追い越されてしまった。
織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。
古文書

覇王上洛 信長が本能寺に発給した禁制から当時を読み解く

永禄11年(1568)信長は足利義昭を領国に招き入れて上洛を目論む。しかし、美濃を制圧したばかりの信長は、大軍を擁して上洛するには物資面の面から見ると時期尚早であった。そこで信長は、畿内に信長上洛の噂を盛んに流して、一攫千金を獲得するある手段をとるのであった
織田信長の合戦や外交の詳細記事

織田信秀躍進の裏に3つの経済政策あり!?

織田信秀。信長の父として有名ではあるが、具体的にどのような行動をして、それが信長にどのような影響を与えたのかを知る人は少ない。今回は主に信秀にスポットを当てて、軍事ではなく経済の方に重きを置いてこれから説明をしていきたい。
織田信長の合戦や外交の詳細記事

桶狭間の戦い 忠臣岡部元信と去就をはっきりさせない水野一族

今回は桶狭間の合戦を古文書から見る。知多半島から三河国境にかけて勢力を持つ水野家に焦点を絞り、どのようにしてこの難局を切り抜けたのかを調べた。織田信長と今川義元の間に揺れる弱小国人領主、水野一族の生き残り策とは
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