織田信長

5.歴史系おもしろまとめ

リアル信長のシェフ 信長の好きな味は

今回は戦国の日常編ということで、信長のシェフとなった坪内にスポットを当てます。信長はどんな味付けを好んで食べていたのか、古文書の記述を元に紹介したいと思います。
織田信長が出した古文書

美濃攻略!織田信長の楽市・楽座政策の真相

今回は信長が稲葉山城を攻め落とした直後の時代。稲葉山城下である「加納に出した制札」の解読をします。古文書の読み方と共に、加納に楽市・楽座令が実施されたことによって、どのような影響を与えたのかご説明します。
織田信長が出した古文書

【古文書から読み解く】浅井長政討伐に燃える織田信長の決意と意気込み

姉川合戦の約1か月前のこと。信長は浅井・朝倉連合軍との決戦を決意し、領国中から大規模な出陣動員令を下す。この時の書状が、美濃の国人である遠藤慶隆、胤俊宛てで残っており、そこから決戦への信長の決意と意気込みが読み取れる。
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 血戦 姉川の戦い

永禄13年(1570.1)から元亀元年(1570.7)までとなっております。この間の主な出来事は、五ヶ条の条書、浅井長政謀反、金ケ崎撤退戦、信長狙撃事件、落窪合戦、姉川の合戦などです。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

堂洞城の戦い 戦の功名と八重緑の悲劇

織田信長が進める美濃攻略の大きな契機となった堂洞城の戦い。あまり有名な戦いではないが、中濃で一番の激戦が繰り広げられ、鉄の結束を誇ってきた斎藤家は、これ以後衰退の一途をたどるのである。
織田信長が出した古文書

信長が上杉輝虎(謙信)に養子を出そうとしていた事実

織田信長が美濃攻略中に、上杉輝虎(謙信)へ養子を送ろうとしていたことはご存じだろうか。今回は古文書から読み解く当時の情勢や養子の件の顛末、そして様々な疑問について考察する。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

箕作城の戦い 六角氏の立てた戦略VS織田信長の戦略

美濃を攻略し、北伊勢にも勢力を拡大した信長は、ついに足利義昭を奉じての上洛を決断する。信長は大軍を率いて愛知川に布陣。六角承禎・義治父子も万全の態勢で信長を迎え打つ。今回は両者がとった戦術と戦略にクローズアップ
2.織田信長の年表ちょっと詳しめ

織田信長の年表ちょっと詳しめ 覇王上洛

今回は織田信長の年表5回目です。永禄10年(1567)から永禄11年(1568)までとなっております。この間の主な出来事は、岐阜城改名と居城移転、天下布武の印判使用、浅井長政と婚姻同盟、南近江攻略、足利義昭を奉じて上洛、将軍宣下、六条本圀寺の戦い、二条御新造の建設、伊勢北畠家討伐戦、突然の帰国です。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

織田信秀躍進の裏に3つの経済政策あり!?

織田信秀。信長の父として有名ではあるが、具体的にどのような行動をして、それが信長にどのような影響を与えたのかを知る人は少ない。今回は主に信秀にスポットを当てて、軍事ではなく経済の方に重きを置いてこれから説明をしていきたい。
3.織田信長の合戦や外交の詳細記事

桶狭間の戦い 忠臣岡部元信と去就をはっきりさせない水野一族

今回は桶狭間の合戦を古文書から見る。知多半島から三河国境にかけて勢力を持つ水野家に焦点を絞り、どのようにしてこの難局を切り抜けたのかを調べた。織田信長と今川義元の間に揺れる弱小国人領主、水野一族の生き残り策とは