こんばんはー!
今日は意外と知っている人が少ないネタを少し。
同じ大名に仕える家来でも、旗本と部将の違いについてご説明します。
それぞれの役割とはどうだったのでしょうか。
部将(侍大将)とは
武将ではなく部将。
部将とは、一部隊を率いる大将のこと。侍大将ともいう。
織田家で説明すれば柴田勝家や羽柴秀吉、丹羽長秀といったような、与えられている知行が多くあって、大名のような領国経営ができる立場といえばよいだろうか。
年貢は自分で徴収して糧にできる。
大名の直轄地を割いてホイホイ知行を与えすぎると、大名の収入が下がってしまうことになる。
かといって、相次ぐいくさでその功を報いずにいると、部将たちの不満が高まってしまう。
だいたい大名に対して反逆するのはこのクラスなので、大名からしたら怖い存在ではある。
大名が出陣するときは陣触れが届き、与えられた領地内から兵を自分で集めて大名の下に馳せ参じるといった具合だ。
「知行〇万石あたりの動員できる兵力」について記事にしたこともあるので、よろしければご覧ください。
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旗本 (馬廻り)とは
これは大名が直属に指揮する親衛隊のことである。
〇〇母衣衆などとつくものは全てこれだ。
知行自体は大したことはなく、小禄で大名に仕える。
大名にとっては自分の手足として使える存在なので、最も信頼できる人たちだ。
旗本や馬廻も忠義に燃えている人物が多い。
織田家で説明すれば、越前で大禄を与えられるまでの前田利家や佐々成政、金森長近、河尻秀隆らだ。
上杉謙信の側近である鬼小島弥太郎はあまりにも有名である。
ちなみに江戸時代の旗本とは少々意味合いが違う。
大名といえども部将にはビクビク
織田信長が権力者になるまでの戦国時代は、割と大名は好き勝手出来なかった。
南近江の六角義治は、一番の老臣である後藤氏を手打ちにし、部将クラスが団結して主君に抵抗した。=観音寺騒動
他にも土佐の一条兼定は、筆頭家老の土居氏を手打ちにしたことで、多くの者からの信望を失い、滅亡へと繋がった。
このように、大名といえども権力基盤が盤石ではないうちは、あまり思い切ったことはできなかったのである。
もし織田信長が家督相続直後に林秀貞や平手政秀を手打ちにしていたとしたら、この後の覇業はなかったであろう。
このように「私の推しの武将は旗本なのか部将なのか」と調べるのも面白いですよ。
ちなみに、知行を与えている部将の家来のことを、大名から見たら「陪臣(ばいしん)」といいます。