「絵本石山軍記」の解読(2) 加賀一向一揆の動乱

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【古文書入門】 明治時代の「絵本 石山軍記」の解読に挑戦(1)
来世ちゃん
来世ちゃん

こんばんは~。
石山軍記の2話目です。
前回は比叡山門徒衆の怒りを受けて大谷本願寺が焼き討ちされたところで終わりましたが、今回の蓮如はどのような行動を取ったのでしょうか。

個人的には下間蓮崇(れんそう)や下克上の権化・朝倉孝景(敏景)、戦国の被害者・富樫政親が登場して面白かったですネ!

来世ちゃん
来世ちゃん

私の解読が間違えている部分もあると思います。
参考程度にご覧ください。
間違いは指摘して頂けると有難いです。

石山軍記表紙
この記事はこんな方にオススメです。

  • 古文書解読初心者です!
  • 古文書解読の腕試し
  • 軍記物を読んでみたい
  • 石山合戦を本願寺側の視点で読みたい
  • 江戸時代の名残が残った文章が好き
  • 戦国時代初期の蓮如の活動を知りたい

第一章 摂州石山本願寺縁起(二)

本文(8ページ目)

石山軍記4

 落とさせ給えば、山門の悪僧らは思うままに攻め入り、宝物銭財を争い、堂舎に火をかけて一片の煙となし、勝鬨を挙げて引き取りけり。
蓮如上人は住まわせ給う御坊も無し。

あるいは堅田(滋賀県)の浦、または日野(滋賀県)の辺りに忍びて五年の年月を送り給いけるうち、文明元年(1469)大津の住人・濱名太郎左衛門という者、上人を舟に乗せ参らせ、密かに大津へ帰り、己が家に留めて奔走し奉り、且つ三井寺の満徳院へ参り、蓮如上人難渋の次第を物語り、御安座の謀りごとを頼みけるに、山門と三井寺とは昔よりその間、睦ましからざれば、満徳院(は)即時に受け引き(引き受け)、円満院大僧正と謀りて三井寺の別所(べつの場所)のうち、近松寺というを寺領共に上人へ進ぜられけるに、上人は甚だ喜び給い、すなわち近松寺に移り座し、本堂に祖師の真影を安置し、三年ばかりこの所に住まわせ給いぬ。

石山軍記関連図 大津と日野と堅田の位置
大津と日野と堅田の位置

その後文明三年(1472)、御子・蓮淳を近松寺の住持として上人は、大津を立て出で、越前国(福井県)へ下向し、もっぱら教化し給うに、信心の徒ら(が)おびただしく、就中(なかんずく=色々ある中でも特に)、越前の守護職・朝倉弾正左衛門尉敏景(は)、吉崎の地を寄付有りしによって、この所に一宇の御堂を建立有りしかば、国々の諸民、これを御山と号し、参詣恭敬する事、京都・鎌倉の霊場に勝れり。

朝倉孝景(敏景)
朝倉孝景(敏景)肖像

して、この所に住まわせ給う事五年成りしが、上人の近臣・下間安芸(しもつまあき=下間蓮崇のこと)という者の所為よりして、この御堂たちまち退転に及べり。

下間蓮崇(しもつまれんそう):

越前出身の本願寺門徒の一人。
下間玄英の推挙で蓮如の側近となった。
はじめは文字の読み書きができなかったが、短期間のうちに聖教の書写を身につけ、下間姓まで与えられて蓮如に寵愛された。
しかし、のちに突如破門されてこれまでの地位を失った。
蓮如の死の5日前に勘気が解かれるが、蓮如の葬儀の二日後に病死。

その始末を訊ねるに、去る嘉禄(1226)丙戌(ひのえのいぬ=干支)、親鸞聖人、上野国(群馬県)大内の荘・高田という所に一宇の御堂を建立有りて、上足の御弟子・真仏房を住職として給う。

これを高田専修寺という聖人(が)遷化の後は、北国七州(越後や上野を中心にする七か国のことか?)、この高田専修寺の門徒なりしに、蓮如上人(が)吉崎に御堂を建立有りて、良い(?)北国ことごとく上人の化導に帰依し、吉崎の繁盛(は)日夜の参詣間断なし。

これによりて高田派(と)本願寺派と風儀(が)別れ、中にも加賀国(金沢県)の土民百姓はもっぱら弥陀専念の宗を信仰し、本願高田の両寺を所々に建て置きて、あけくれ参詣怠らず。

しかるに本願寺派にては、親鸞聖人の御弟子・真仏房の開基せし専修寺なれば、高田は本寺にあらずと誹(そし)り、高田方は本願寺にぞ開山滅後・覚信尼

本文(9ページ目)

石山軍記5

公の草創有りし大谷本願寺なれば、いさかいの本寺と言わんと互いに争い止まざりし程に、しまいに、上の批判を受け、裁許を被らんとす。

加賀国主・富樫介政親(とがしのすけまさちか)が滅亡の時節や来たりけん。

富樫政親(とがしまさちか)

加賀の守護大名。
応仁の乱の際、真宗高田派門徒と手を組んだ弟に敗れる。
しかし、浄土真宗本願寺派門徒などの支援を得て、復権を果たした。
政親は本願寺の力を警戒し、それにつながる国人衆を統率しようとしたため、加賀一向一揆の決起を招き、攻められ自害した。
以後、加賀国は約100年もの間、「百姓の持ちたる国」となった。

大明は偏照する事なく、至公は私の親しき無しと言うるに、政親高田派に加担し、本願寺派の門徒より訴うるところを非儀によとて、郷民ら一揆を企つる中に、年寄りたるもの、急ぎ越前吉崎の御堂に参り、下間安芸入道蓮宗について、事の次第を言上し、哀れ上人(蓮如のこと)より御言葉を掛けられ、門徒の怒りを宥められば、争乱相止む国中の人の喜びいかばかりならん。

急ぎ伝達給わるべしと申しけるに、下間はかねて富樫を恨むる事ありければ、心中に喜び、この挙(機)に乗って富樫介(富樫政親のこと)を討ち滅ぼし、我みずから加賀国を横領せんとの悪念を起こし、上人に申す様、金沢なる富樫介(は)俗中の御門葉を追放し、御宗旨を長く断滅せしめんと企つるゆえ、加賀の門徒ら一達し、富樫を討ち取らんとす

当本寺より大将一人下さるべき旨、願いきたり候と、誠しやかに申しければ、上人大いに驚かせ給い、これは一方ならぬ大事なり。
仔細を詳しく尋ね問うべし。
その使いを召し出し候えと仰せけるに、下間安芸(は)とりあえずその使いせし門徒は、はや、帰国いたし候と申し上げ、さて、加賀の門徒には汝一足も早く国に帰り、近国の門徒らを語らい、合戦の用意(を)すべし。
当本寺よりも大将一人遣わざるべき。

上人の御意なりといい聞かすれば、かの門徒大いに驚き、これは思い寄らざる上人の御仰せかなと仰天して国に帰りぬ。

しかして下間安芸は藤島の超勝寺を語らい、自ら大将となって加賀国へ発向せんと、その用意取りどりなり。
富樫介、この由(よし)を聞いて憎き坊主・原が所業かな。
その儀ならば、吉崎へ押し寄せ、蓮如をはじめ寺中の奴、原一人を残らず討ち殺せとて、三百余騎の兵士を卒し、越前さして攻め寄せる。

その道筋の門徒ら、これを見て大いに悲しみ、我先にと吉崎に参り、事の次第を注進すれば、上人再び驚かせ給い、さても憎き安芸がしわざか・・・(次回につづく)

来世ちゃん
来世ちゃん

ご覧いただきありがとうございます。
汚い部分を全て下間蓮崇の罪にして、蓮如を綺麗に見せたいのかな?(^-^;

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コメント

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